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 電車を乗り継ぎ約一時間。最寄りの駅に到着した深零がタンメンと餃子にありつき、その熱いのを冷ましつつ胃にかきこむ事は許されなかった。時は深夜、昼間とはまた別の顔をくっきりと見せる駅前の市街地に繰り出した深零は何軒かの中から自身が食べたい物を食べられる行き先を選び、電話をしたところまだ営業していた馴染みの中華料理店に足を進めようとしたところで端末から発せられた通知がイヤーセット越しに響くのを感じる。

 うんざりする。行き先を変更せなばなるまい。


 こうして夜を歩いてみれば寂れている、と言われがちなこの街も案外そうでもないと思わせるほどの活気に溢れていた。慣れている、と言えば慣れているが、鏡の世界のよう、まるで人だけを入れ替えたような綺麗とは言い難い華やかさと人間が集まる事の熱気は衰える事はない。若人が多い。みな夜は帰ってくるのだろう。

 そんな駅前の喧騒をよそに更に十数分歩く。飲食店のキャッチを取り締まる警察官に見つかり補導の流れだけは勘弁だ。荷物を開けられたが最後、“最終的には謎の力が働いて帰してもらえる”、が時間だけは確実に取られてしまう。

 取り締まりの場所は分かりきっている。深零は一帯を避けつつ可能な限り目立たぬよう、自身の空気と周囲の空気を馴染ませる事を意識しながら速足で、かつ堂々と歩く。それだけを意識する。やや景色が変わり、色っぽいネオンばかりが灯る路地へと差し掛かれば後は問題なかった。ここまで辿り着けば現在の深零はただのコスプレをしたヘルス嬢にしか見えない。

 だがその顔は通っている。店への勧誘等をする男がいればその男は何の掟もルールも知らない新人だ。そして数日後には顔を見かけなくなる。深零の餌か、もしくは餌になる前に何らかの方法で行方不明になった。最悪、その場で深零によって立ち上がる事すら許されない程に潰されるか、深零の機嫌が悪ければの話だったが全身に穴を空けられる事になる。銃を持つ、と言うのは日本の徹底的な銃規制でアウトローの道を行く者でも簡単には成し遂げられない事だったが、少なくともこの地域では深零を始めとしてその取り巻きや特定のレベル以上の人間にこのルールは適用されない。そういった人間には容赦なく撃たれたし、警察も黙認という名の非介入を貫き通している。説明しようのないパワーバランスがこの場所にはあった。

 更に奥まった領域、花街や屋敷が存在する普通の人間ならば近づく必要すらなく、その気すら起こらないであろう境界線サイレントラインとピンク街。このあやふやなラインをを通り越せば空気は一気にホットになる。


 書ヶ谷ふみがや。明るい世界はともかくとして、裏世界での日本の中心はこの場所で間違いない。一般人なら誰も近づかない危険地帯。法治国家の日本に於いて唯一の無法地帯と言っても過言ではない。治安組織も何もない。黙認地域ではなく無法地帯だ。ここまでは深零の足でも一時間弱、掛かる。街の清浄化は無理と判断され、周囲は人口の川で覆われていた。正に陸の孤島。出入りは自由だが幾つもある橋の全てに設けられているカメラに捉えられ、興味本位で立ち入った者が基本的に出てくる事はない。

 と言うのもタクシーを拾ったとしても行き先を告げただけですぐに降車を懇願される、そんな場所だった。世界中のありとあらゆる不法集団の支部が集まっている。近づかない、立ち入らない、気にしない。それがただでさえ低所得層が集まっており治安が世辞にも宜しくない周辺の住民にとっての暗黙のルール。タクシーの代わりに迎えを要請すれば大層なリムジンか完全防弾仕様の装甲車並みのセダンが駅前に現れるので今日ばかりは歩く事とした。深零の趣味にはやや、合わない。


「よう深零、久しぶりだな」

「チャオチャオ、相変わらず流暢な日本語で驚くよ」


「ミレィ、元気?」

「元気にしてる、ジェーン」


 とにかく顔が利く。表世界、学校では無口かつ近づきがたい一生徒に過ぎないが、この裏世界では深零の顔を知らぬ者などいないに等しい。この街で最も優れた、そして世界を含めて屈指の指折りの殺し屋。それが守嶋深零の真の顔。


 掛けられた賑やかな声に応えつつ、慣れた足取りで目的地へと辿り着いた深零は一軒の店へと入った。表向きは「ビリヤード・ノア」と古びた看板が掛かっている。世辞にも綺麗とは言い難い、時を感じさせる建物のやたらと分厚い鉄製の扉を開けて階段を登った。フレグランスのラベンダーの香りが、この場所へと戻ってきた事を実感させるのだった。

 先程とは打って変わり、対照的な木とガラスの軽い洒落た扉を開ける。


「おはよう深零チャン。金と車の準備は出来てるよ」

 短くも長くもない絶妙な長さの髭を蓄え、丸眼鏡をかけたフランス映画にでも出てきそうな中年の男。年の割には背が高く、そのがたいも立派だ。

「じゃなきゃわざわざ私を呼んだりしないでしょ?」

 当たり前だが、馴染みの面子がいる。

 無論、ただのビリヤード屋ではなかった。


 *


「短機関銃、アサルトライフル、DMR、スナイパー。一通り欲しい。いいヤツを」

「そいつは無茶な相談だなァ…って既に良いの持ってるじゃない?まだいるのかい」

 ポケットテーブル一つ。キャロムテーブル四つ。その全てが埋まっている。ここにいるのは各組織の中でも位の高い、そうエリートの連中が大多数だ。今日はロシアンマフィアの人間によって店はほぼ貸し切り状態になっている。玉突きに興じる屈強な男達を横目に深零は店の端にあるカウンターに座った。

「株式会社ガラークチカ、ホント何回聞いてもフザけてる名前だよ。銀河って何なんだ」

「そんな口を聞けるのはキミくらいだっての…」

 深零が言及したのはこのロシアンマフィアの日本での表向きの名前だ。業務内容はロシア産食品の販売、ロシア観光業の手配。その実態は日本で最大のロシアンマフィアのグループだった。その傘下にも腐るほどの組織があり各方面とのコネもある。

 目の前で洗い終えたグラスをクロスを使って磨く中年男の名前は霧島優と言った。ビリヤード・ノアの主人にして書ヶ谷の中でも数少ない完全な中立地帯の主。凄まじい腕前のビリヤードプレイヤーにして、最高のウェポンディーラーでもある。情報屋としても最高の逸材だった。この男の手に掛かれば持ってこれない銃器などない。銃器商人を通り越して武器商人という方が近いだろう。

 笑みを浮かべつつジョークを全開で飛ばすどうしようもない男だが、自身が選んだ人間相手には手を尽くす。今、優にとって最大の顧客は深零だが、その他の名簿の中には各グループの最高幹部が名を揃えており、深零が聞いた話によれば自衛隊の特殊作戦群も顧客の一部であるらしい。今でも自衛隊の一部隊が何故こんな男の手を借りなければならないのか不思議でしょうがないのは間違いない。

「精度の良いセミオートマチックのDMRが欲しいのだけど」

「G28、あれじゃダメかい」

「重いかな」

「あれドイツ連邦軍に納入される予定のをチョロまかして入手したんだよ?大変だったんだから」

「重いものは重いのよ」

「ワガママ女め。まあ何とかしてみる、時間は貰うけどいいかい」

「そりゃもちろん。優サンには逆らえないわ。あとSRSのコンバージョンキットを一つ。COVERTにしたい。もしくは丸ごとでもいいから」

「あれ気に入ったのか」

「軽いし最高だった。前に使ってたM24とは大違い。あれは正解。高い買い物だったけど」

「そこについては容赦してくれ。ここまで持ち込むのが大変だからな」

「後は…」

「まだ欲しいのかい!?」

「最新のMP7。手に入る?」

「MP7の最新モデルか…ちょっと難しいかもしれないね。てか支給されてるんじゃなかったの?」

「旧モデルは支給されてるけどグリップが使いずらくてさ。レールじゃないから」

「フン、わがままな子だねぇ。これに関しては善処するとしか言えない」

「NATOからチョロまかせばいいだけのハナシでしょ、チョロいもんだよ」

「国公認の殺し屋がそんな事言うなんてなァ…でもカワイイ子に言われるとウレシイからオジサン頑張っちゃおうかな!」

 この男、大分チョロかった。

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