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「物事には順序ってものがある」

 これは深零の口癖だった。何をするにしてもとにかく段取りを踏まないと納得しないしそもそも手を付けようとしない。行わなければ罪悪感のような物もある。半分は強迫性障害のようなものだが特にそこまで生活に影響が出ているわけではない。だから今回もそうした。


「今回のターゲットって何やらかしんたんだ?」

「ゾイ、お前は知らなくていい。観測に集中しろ」

「オレにだって知る権利はある」

「聞かされてないのか」

 既に二時間と十分を回った。まだ現れない。

「ふん、なんせフリーなもんでね。レイ、お前のようにどっかに根を張って殺しを楽しむタイプじゃないんだ。オレは気ままに殺す。自分の手は汚さずその快楽だけを得る。最高だろ」

「こんな狂人を隣に置くとは私も大層な女になったよ」

「なに謙遜する必要はない、オレよりもお前の方がよっぽどイカれてる」

「そいつはどうも?」

「で、なんなんだよ」

「なにが」

「何やらかした、って話さ」

「まぁいいか。率直に言うとスケベビデオの裏ボス。表向きはただのJK、休日やら何やらは有名コスプレイヤー、裏の顔は闇ビデオのヘッド」

「ひょええ」

「で、これから普段のお前のようにヤクキメて乱交パーティーって言ったところ。あーヤダヤダ、不健全だよ。ナメクジじゃないだけマシかねぇ?」

 ゾイはファインダーを覗く事自体は辞めなかったが、明らかに興味を示す口調にその態度を変化させる。

「で、その裏ビデオってのは」

「そこにしか興味がないのかゾイ。お前エロスの生まれ変わりか何かなのか」

「いやそうじゃないけど」

「嘘言え。そこしか興味がないように私には見える」

「ハイハイ、そうだよオレなんてイレギュラーでナメクジの交尾が大好きな変わり者だってのォ」

「素直な事はいい事だよ。…お前、同人ビデオって知ってるか」

「あぁ、聞いた事はある…企業を通さずに個人で出してるビデオだろ。イケなくないのからイケないギリギリ、完全にイケない奴、マジでイカン奴まで」

「ざっくり言うとそんな感じね。で、そこの勢力的にはナンバーツーのグループの裏ボスをやりましょうってコト」

「ナンバーツー?トップじゃないのか」

「そこには首を突っ込むな。物事には順序ってものがある」

「好きだなぁ、ソレ。で、どんなのを作らせてるのかなそのイケないJKチャンは」

「何でもありだ。個人のコスプレイヤーを金で買収、R18なROMを作らせたり」

「ROM?」

「簡潔に言えば写真集みたいなもん」

「著作権的にいいのかそれ?」

「黒寄りのグレーだろうさ。企業からすりゃ健全ならともかく不健全なのはイメージ的にはいかんだろ。まあ取り締まったら健全不健全関係なく全部潰さなくなきゃならんくなるっていう理由で黙認だろうけど」

「他には?」

「顔にモザイク掛けてコスプレさせたアダルトビデオ、最近は金に“フラッシュバンを喰らった”バカを見つけて顔面公開でビデオ制作、もう何でもアリの無法地帯。それを日本と日本直送だとヤバいヤツ、何となく分かるだろう…は海外経由」

「おお…」

「感嘆してどうする。タイトルを変えてるから一見は別グループなんだが中身は複合体ってのがミソだな。そこの女王様が今回の目標なのヨ」

「…篠崎望Chan」

「そう。篠崎望」

「渡された写真を見る限りはよく喘ぎそうで一回遊びたかったなー。それにしてもお前と同じ女子高生か。片方は殺し屋、片方は…裏ビデオの女王様。何時の間にこの国はこんな物騒になったのかな???」

「前者についてはノーコン。後者については…さあね」

「彼女はどういう経由で今の場所へ?」

「それは私も聞いてない。まあ聞いたところで…やけど」

「レイ、お前って京都に住んでた事でもあるのか」

「なんで?」

「いやたまに京都系のイントネイションが出る事がある」

「小さい時の事まで覚えてないよ私は」

「忘れるほどのトシじゃなくないか」

「フン、知った事。まー問題なのは」

「なのは?」

「香港、ロシア系マフィアと繫がって金が流れてるって事だ。これについては私個人の情報ルートだけど。じゃなきゃ無法地帯ヤーパン、無能じゃないんだが無能な警察も“温かく見守っている”この状況でわざわざガールハントする必要が無いだろ」

「結局はそれねぇ…ん?」

「来たか」

「確認してるちょっと待ってくれ…間違いない。捕捉ガッチャ。おいでなすったぜ姉御」

「姉御はお前だろ…」

 ゾイが写真とファインダーに捉えた人物を照らし合わせる。間違いなかった。


 篠崎望だ。


 今日の昼、凛が言っていた女子生徒。家が貧乏な割には一人暮らし。高圧的な態度。男子生徒からの人気絶大。高級ブランド品で身を固め、世辞にも女子からの人気は薄い…。あの校舎ではその程度の認識だ。だがそれ以外の多種多様な表情も深零は知っていた。


 知っているとも。全て知ってるんだ、私は。凛。

 あの女がどれだけの男を従えて、どれだけの金を巻き上げて、どれだけの悪事を働いて、今から殺そうとしている、私が殺そうとしているあの女が、どういう過去で、どういう経緯で、どういう現在で、どういう未来を歩むのか、私は知っている。何十枚、いや何百枚の詳細なレポートで私はあの女の人生を知っている。少なくとも知ったつもりにはなっている。だから躊躇はないんだ凛。例え凛がどんなに心配したって、例えあの女が死んで悲しんでも三日も過ぎれば私や志保とまた呑気に買い物に行く事を私は知っている。志保のくだらないオタク話に時に苦笑いしつつも真剣に話を聞いてやる事を私は知っている。流行のドリンクと共に写真を撮り、ネットワークへと送信する事を私は知っている。


「見事なまでにペチャパイだ」

「まな板?」

「まな板、そりゃ傑作だ…レイ」

「もう少し大きい方がお好みだって?」

「オレは大きさは関係ないねッ!」

 バルコニーには十数人の男女が水着姿で騒いでいる様子が伺える。篠崎望はかなりのペチャパイだった。深零は言われるまで気にもしなかったが、言われたら言われたで何となく身近にいる中では最も対照的な凛と比較してしまう。確かに小さい。と言うか平たい。スマートフォン。

「タイミングは指示しろ。着弾までの秒は考慮してほしいけど」

「命中に関しては?」

「必ず当てる。安心して。外す事はない」

「冗談だ。オレがクリックを二回送信、即ち狙撃成功の合図を打ったらマンション内に待機してるポリ公のチームが突っ込む手筈になってる」

「何時もの内通者ね」

「何時ものだな。ゴーサインを出す奴に繋がってんだ。で、突入チームは何故か一人だけ死んでる女を見つけてアタフタする。見物だなあ。今日の弾薬は?」

「.338ラプアマグナム」

「.300ウィンチェスターマグナムじゃない?変えたのか」

「何となくね。こっちの方が素直に飛ぶことが多い気がする」

「なるほどね。まあオレには分からんよ狙撃なんて出来んし。ただ、なら十分か。流石に12.7mmで完璧にミンチにしなくてもいいだろう。いやー楽しいなあ、酒に酔ってたら目の前でいきなり肉が吹っ飛んでサツが突入してくるんだぜ。完璧に二流映画確定だ、最高だなあ!」

 狂ってる、と深零は思う。ただこうした時にふと思うのは自分もすでに狂っているのだ。狂人が自身以上の狂人を狂ってると笑うのは果たして許されるのか。

「一応報告だ。報告しようがしまいが確実に当ててくれるだろうからデータに関しては言わん」

「それ報告って言うのかよ」

「標的まで650m…651m…移動中…653m」

「オーケー」

「撃ち下ろしだが」

「もういい黙ってて。風もいい、ゴーサインだけ出せ」

「了解」

 グローブをしてくればよかった、と後悔する。こうした長時間待機だと手汗がひどい。ただグローブをしていたらしていたで今度は蒸れがひどいだろう。どちらの方が結果的にパフォーマンスを落とすのかが深零には判別がつかない。

 恐らく、あの細いグラスで飲んでいるのは酒だろう。青色のカクテル。未成年なのに…とかと綺麗事を言えるほど深零は世間的に言う“いい子”では決してないのは明確だし、深零自身も嗜む程度には飲んでいる。その年齢には似つかぬコニャックで口を湿らせる事はあるのだ。


 動きが止まった。周辺クリア。


 深零がトリガーに指をかけた瞬間とゾイのゴーサインが放たれたのは同時だった。


「ファイアファイア!」

 軽く、とにかく軽いトリガーを引くと瞬時にショックが来る。パシュン、というサウンドサプレッサー特有の発砲音。完全な対物弾薬程ではないにしろその反動はかなり強烈だ。肩にグッと来るものがある。まだスコープを覗く。外れる筈がない。


 私の射撃は世界一正確だ。目標が人間であればの話だけど。

 深零には放たれた弾頭とその軌跡が“はっきりと見えた”。感覚が研ぎ澄まされる。

 間違いなく“殺った”。


「命中確認…ど真ん中だ。いいねえ、惚れ惚れする。掻き回して臓器にもダメージ行ってるな。いいぞ。いいなこれは。確実に“間に合わない”。最高だよレイ。芸術測定器…五千兆点」


 マガジンリリース。排莢。役目を終えた薬莢が金属音を響かせて地面に落ちる。


 スコープ越しに倒れた少女。放たれた250グレインの弾頭は街の空を駆け抜けて確実に篠崎望の中枢を貫き、掻き混ぜ、二度と再起不能にした。頭部ではなく胴体の中枢、まさにゾイの言った通り、ど真ん中だった。狙撃手は確実に頭部を射抜くなんてのは幻想だ。確かにこれはゲームだが、ビデオゲームではない。篠崎望は出血多量で間違いなく死ぬ。持たない。腹の肉と臓器が吹っ飛んで倒れている。映画程の派手な鮮血こそないが血が飛び散っている。流石にこれでパーティーとバーベキューの続きは出来ないだろう。それを楽しむ年齢不詳の異常性癖者。

「殺し屋なんて幾らでもいるがここまで芸術的なのはお前だけだ、オレが知る限りじゃ」

 実を言うと深零も楽しんでいる。


 楽しくなきゃこんな仕事どうやったらやるっていうの?

 一瞬で汗が引く。そうこの瞬間だけが私が求めるもの。最高。


 この一瞬だけの為に深零は生きている。


「おおー屈強な男どもが死姦してる、これはすげえ」

「んな筈あるか、ミンチだぞ」

「いや残ってる顔と下に突っ込んでる」

「何、もうヤクが既にキマってる状況だったのか?」

「だろうなぁ!スゲー焦ってる。誰も状況を理解してない!」

「いや逆にさ、酒飲んで酔っ払って頭ン中セックスしかない時に目の前の人間がぶっ倒れて状況を理解できるヤツいる?」

「いないだろうけど連中は実際問題突っ込んでるんだなあコレが」

 深零は手早にスコープと銃、サプレッサーを分離させるとテニスバックモドキの大きなリュック、スコープはハードケースへと収める。転がった薬莢を拾い、油性ペンで49と記した。このペンはノートにも、そして使用済みの薬莢にも字を書く事ができる。万能だ。

 そんな深零を横目にゾイは口を大きく開けて声にならない奇声を発しながらファインダーを覗き続けている。さながらプロレスかボクシングでも見ているようなノリで腕を突き上げる。異常者にも程がある、と深零は思った。

「ほら来たぜ…って大分重装備だ。アレ、日本の警察特殊部隊ってあんなに豪華だったかなあ。オレが相手にしてた頃なんてゴミ同然の装備だったがね」

「豪華?どんな格好だ」

「黒のユニフォームに緑系の防具類。いかにも最近のって雰囲気プンプン」

「無理を承知だけど写真か動画撮れる?」

「OK、言うと思った。データ保管完了。動いてるのもバッチリだぜ?」

「あれ、観測ファインダー兼用カメラなんて何時の間にそんな高性能なオモチャを手に入れたのかな?」

「さっきの言葉をそのまま返してやるが…知らなくていい事もある」

「いい小遣い稼ぎになりそう」

「オレはダメ?」

「私以外に情報を流出させたヤツがいたらゾイ、アンタしかいない。行くよ」

「ヒエッ、お前のはシャレにならん。ほらデータをあげるから噛みつくのは勘弁しておくれ」

「そういや私は見てないけどヤベーのも撮ってたんだろ、痛くしないから渡してもらおうかしら」

「チッ、バレたかァ。はいはい御主人サマこちらをどうぞお納めくださいませ」

 データが転送されたメモリを受け取る。簡単なものだ。こんなプラスチックフレームの小さなデバイス一つでネットワークがザワつく時代なんだ。

「ご苦労様。撤収。金は直に振り込まれるから待ってて」

「お財布握りしめて待ってるぜ。…お前と一緒に仕事すると楽しくてたまらない。一瞬だけ女に戻りそう」

「あらか弱い乙女をオスゴリラなんて仰るとはいい度胸じゃない?」

「いや、男のオレが女に戻るほどミリョクテキなイイオンナって事だよ」

「フン、勝手に言っておけ。じゃあね。敵にならない事を祈ってるよ、ゾイ。あなたはとっても魅力的な観測手ですもの」

「お前だけは意地でも敵に回さんさ、じゃあな」

 もう、あの一瞬の快楽は消えてしまった。あの何事にも代えがたい、あの感触、あの衝撃、あの瞬間。もう二度と味わえないのではないかと少し不安になる。だがそんな不安は一瞬で払拭する。なぜなら。


 何度でも殺せばいいだけの話だ。この世に悪党なんて腐るほどいる。社会にとって良い事だろうし何より私が満足なんだ。それでいい。悪党が増えれば増える程、私の欲求も充ち足りていく。


 人の金で食う焼肉も美味いが、顔も知らぬ他人の血で食う焼肉もまた至高だ。


 人を殺す瞬間だけに喜びを覚える、それこそゾイなんかとは比較にならない程の異常性癖者だったし、本来であれば今頃は檻の中か縄で窒息し遺体は炎の焼かれ墓石の中にいる。だが女子高生として一般人の皮を被り何事もなく生活する。そしてこうして日が暮れると、時には日が昇っていても…“養分を摂取する”。この繰り返し。何度でも言うがクソ野郎なんてのは幾らでもいる。幾らでも殺せる。決して飽きる事はない。充ちる事も。

 深零はその瞬間だけを求めている。

 そして今日は深零が覚えている限り、四十九人目の狙撃だった。処刑の対象であり異常者に殺された被害者でもある。ナイフ、ハンドガン、ライフル、爆弾、ガソリン、薬物、手段は幾らでもあって、ありとあらゆる思いつく方法でいかなる時も手段は選ばなかったが、中でも刃物と狙撃は格別だ。記念すべき十の周期にあんな小物が来なかった事を深零は心底感謝する。神ではない何かに。

 深零は無神論者だった。


 狂人が狂人に別れを告げ、夜遊びしたテニス部の女子高生のカッコをつけ、また仮面を被って下界へと降りていく。二重人格ではない。明らかに自分を自分として認識し、その異常性も自身で認識し、その上で平然と生活をしている。それが守嶋深零という人間。

 人間の形をした怪物。


 無性にタンメンが食べたい。まだ駅前なら営業している中華料理チェーン店が何軒かあるだろう。深零は重いリュックを背負うと通学カバンも担ぐ。

 今回は何時まで持つだろう。

 

 深零はこの、下界を見渡す屋上を後にする。そして下界へと戻る。ただのジェイケー。チョッピリ不健全な。イマドキで、イマドキじゃない。


 ギョーザも食べたい。あとコーラも。ああ、なんていけないんでしょうこんな夜遅くに。凛が聞いたら卒倒しそうだ。

 財布に金は、たんまりある。長くて短い、そして蒸し暑い夜はまだ数時間続く。

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