社会透析001

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 “その女は、正確に言えば女ではなく男でもないとしか表現のしようがなかった。

 人、としか形容のできない独特の奇妙さと神妙さを持ち合わせていた。

 裏切られるこそ傷はつかず、決して繕う事もせず常に孤独を守っている。

 それは彼女の意思であり環境のせいではない。可能性を信用せず、排除し続ける事こそ至上とする。その名は守嶋深零という”



 今日こそ珍しく曇りだが、雨がやまない日々が続いている。溢れる湿気は今時な乙女の長髪を暴走させ、天パの野郎共の髪は天パを通り越して芸術的な暴発を見せている。滅多に晴れ間を見せない空模様はそんな憂鬱な乙女らの心模様を表しているかのようだった。恐らく余程の生まれつきのストレート質でもない限り、高校生にもなったクラスの大半の女子は連日のように朝からストレートアイロンを髪に通しているだろう。夜はダメージケアに勤しみ、朝になったら昨日までの意識とは打って変わって一瞬の輝きの為に百何十度ものアイロンで髪に魔法(物理)をかける。ダメージケアはともかく、この朝の通過的な儀式を行わない者などほぼいないに違いない。それこそ行わないのは保健室に用もなく入り浸ったり、そもそも外見など気にする欠片もないオタク連中だけだ。頼むから服を洗ってくれ。まだ実家暮らしだろう、親に洗ってもらえ。ただでさえ目障りとまでは誰も口に出さないからせめて清潔に保ってほしい。お前のブレザージャケットの襟に溜まったフケを毎日毎日後ろから眺めさせられる私の気分にもなってみろ。あと正直に言ってクサイ。正確に言えば耐えられないくらいクサイ時がある。風呂に入っているのか怪しい。いや、円盤だか何だかを見て一夜を超えたとしてもシャワーは浴びてこい。浴びる時間もないならそもそも登校してくるな。公式か非公式かは知らないが、推しの対象年齢ではない品々でアヘアヘしながら色々といじくり回すのも結構なんだがともかくシャワーは浴びてこい。独特の体臭と体液の臭いで更にクサイんだ。悪いが周囲にはモロバレする。お前は進化した猿ではなく文明を持った人間だろうに。

 こんな事を言ったら進化した猿愛護協会辺りから苦情が来るだろうか。いや、それは星新一のエッセイか・・・。ともかく深零は不衛生なのだけは勘弁だった。

 じきに例年ならば本格的な夏を目の前にしているというのに今年の気候は異常だ。明ける気配を見せない梅雨。まるで日本は東南アジアの一部になったのだとでも言い張るような気候にはウンザリという感想しか浮かばなかった。雨、とにかく雨。時に視界さえ遮られ、浴びようものなら濡れるという表現ではなく痛みさえ覚えるような強烈な局地的な豪雨も多く、一瞬の陽にあやかりたくてもたちまちその身を厚い雲へと姿を隠す。四季という物がまるで感じられず――実際には四季には移り変わりというものがあり古来より人はそれを風情と呼んできたのだろうが、これが全くない。スイッチを切り替えるかのように来週からは灼熱の晴れ間が待っていると朝方に見た週間天気予報が告げていた。まるで進む世界の電子化に地球自体も対応しているようかのように思えてくるかのような有様だ。凄まじい。

 そんな気候を裏目に、今風に言えば「バフ」を与えられたオーバーパワーの相手の前では役割を果たす事のできないエアコンが必死に唸りをあげる教室、すなわち午前の授業を終えて昼休みに入った次第だが、深零は昼食をとろうかと考え特に後は考えず立ち上がった。

 「れーいッ」

 「誰かと思ったら凛か・・・」

 深零のクラスは2-B。その深零に昼休みが始まるなり、年応の甲高い声で声をかけて来たのは2-Dの河本凛だ。世辞にも凛は頭が良くない。単刀直入に言ってしまうとバカだった。能天気で、先を考えず、考えているのは流行のファッションと食べ物、承認欲求に繋がる品々の数々、その他諸々。背はそれなりに高く、完全に降ろすと凛の長く細身の足があるとはいえ腰程度までは届く長い髪は明るい茶色に染めていて、いつもその髪を高めの位置のポニーテールで留めている。黒髪を一本たりとも許さないとの確固たる意志を感じるレベルで髪を染めている割にはやたらと髪はダメージがないように見えるのは不可思議だった。全て後ろで束ねる事もあれば少しサイドを残す事もある。だがその前髪は常に万全に整えられていたし、身なりは完璧に近かった。何より裏のない性格は男女を問わず誰にでも好かれる要因だ。何しろ元の顔がいい。愛嬌がありつつ美人と言った具合で、分厚い詐欺のような化粧をせずとも十分に可愛らしい。本人曰く維持に全財産をつぎ込んでいるというスタイルも女性らしさとスタイリッシュさを兼ね備えた素晴らしいもので、深零を始めとして周囲の人間は何故ファッションモデル等の職を持たないのかと不思議に思うものだが、あくまでも自己の欲求に基づくもので他人へのアピールではないと言い張っていた。確かに凛は深零から見ても境界を大きく作るタイプに見える。他人への承認欲求と自身自らへの承認欲求を明確に区別していた。

 「誰かと思ったらとは私じゃふーまーん?」

 「不満じゃないけど?」

 「なんだよ~構ってくれないの~」

 「誰も呼んでないのに勝手に来といてそりゃなに・・・」

 「なんだよーつーまーらーなーい」

 「はあ・・・友達多いんだからわざわざワタシの所に来なくてもいいでしょう」

 「ワザワザ来てやってるんだから文句いうなよ☆」

 「だったら帰れ。ほら早く帰れー」

 「あぁぁぁぁぁぁぁ!れいがいじめるー!!!!!!」

 2-Bに凛の声が叫び渡る。最早これは日常と化していてクラスの注目を集める事もない。クラスに残っている食堂の混雑ピークを避ける第二次組とそもそもの持参組、もしくはひたすら読書にふける変態など数少ない中で何人かの視線が集まっただけだ。

 「残念、今日も変わらず親衛隊は来ないみたいね」

 凛にはまるでマンガのような取り巻きの生徒が数多くいる。記者、ゴシップ記者、ガードマン、その他、無数にいるただの物好きから熱狂的な信者まで、学年や性別を問わず全校生徒の変態を選抜したかのようなこれらは通称「凛ちゃん部」と呼ばれていた。不埒な輩を片っ端から成敗し、下駄箱に溢れる一方通行の愛の手記の処分、怪しげな魔術を掛けてみたり、決して報われる事はない苦労に身を投じ続ける謎の集団である。深零はそれを皮肉り親衛隊と呼んでいたが、当の凛ちゃん部からの評判は当然だが芳しくない。普段ならば凛が叫び声を上げようものなら危険を察知した柔道部やらレスリング部やら何やらの屈強な親衛隊員が何処からともなく現れるのだが、その親衛隊員すら簡単にひねり潰す深零相手では分が悪いのかこのシチュエーションでは出てこないのが常だった。

 「普段はあんなに付きまとってくるクセにぃ!れい相手だと全ッ然及び腰なんだからぁ!」

 「多分それ聞こえてるわよ。で、今日は何の用」

 「あ、そーそー思い出した!それがさあ・・・」

 「まずはコーヒーね。アイスコーヒー。コンビニのでいいから買ってきてちょーだい?」

 「くう~仕方ないぃ。いいよ、テラス先に行ってて」

 「早くして、じゃないとワタシは教室で寝る」

 「リョーカイれい殿!!」

 このテンションを維持できるだけでも尊敬に値すると深零は思う。一体、自身にそれほどの価値があるかを一瞬で見出せない程度には、だ。

 *

 「あい!」

 結局、午後の授業の用意を済ませた深零とコーヒーを買いに行かされた凛がカフェテリアへと到着したのは若干、深零が先だったがほぼほぼ同一時刻だった。中学と高校が広大な敷地内に収まる学園、その高校校舎と敷地側にある西と南側にある校門、その南門側から出ると直ぐにコンビニエンスストアがある。クラスのある通常校舎棟と特殊教育棟に分かれているが、主にメインとなる通常校舎棟から近い事もあり利用者も多く、本来であれば特に理由がない限り在校中の外出は禁止だが、その程度であれば黙認されているのが実情だ。そこそこの進学校であり校則は緩めな私立ならではの芸当かもしれない。

 「コンビニのカフェラテ意外と美味しいよね~これ二杯目なんだぁ」

 「は?」

 「零のコーヒー作ってる間に美味しくて一杯飲んじゃったんだよ・・・」

 「そーですか・・・」

 「とゆーわけで・・・はいッ!」

 凛から深零はアイスコーヒーを手渡された。ワンコインで淹れたてのコーヒーが飲めるのだからいい時代になったものだと思う。無論、純喫茶で出される一杯一杯手で淹れられたコーヒーと一緒にしては怒られるだろうが、比較的にはマシなコーヒーが飲めるだけエナジードリンクが効果を発揮しないまで耐性があるカフェイン中毒の深零にはありがたい。

 「あつっ!」

 「こんなムシムシして気温も高いのにホットを頼むバカが目の前にいるわね」

 「バカじゃないし!アイス飲んだからホットも飲まないとかわいそうじゃん!?」

 「ついにコーヒーにまで平等が求められる時代かぁ・・・」

 特別教育棟二階、図書館のすぐ脇に併設されるカフェテリアに面するテラスはウッドベンチやデスクが置かれ、その一部は強化ガラス張りの屋外の様子が伺える室内になっている。空調も回っているので天候上の理由でこれからの時期は屋外ではなく此方を利用する生徒も多い。しかし今日は人がまばらだった為に此方に深零と凛は座った。ついでに凛は幾つかパンを買ってきていた。話が長引いて昼食を取れなくなってしまうかもしれない、という気遣いからだ。こういう所が人としての魅力なのだろう。

 「わざわざクラスまで来て話したかった事はなに?」

 「おや、いきなり切り出すt」

 「さっさと言ってちょうだい眠たいのよ」

 「分かったよ~・・・」

 「?・・・何か言いにくい事だったりなの?」

 「いや、あのさ」

 凛は声のボリュームを絞る。それは深零が目の前にいる深零がギリギリ聞こえるか聞こえないか程度の本当に小さな、だが確かに発せられている声だった。

 「篠崎望・・・それがどうかした?」

 「せっかく小さな声で言ったのに台無しだよ」

 「・・・十分ワタシも小さな声だし」

 篠崎望。2-C所属の女子生徒。やや高圧的でSッ気があり、全校生徒を相手取る凛とは比較にならないが、その“いかにも”な美貌から男子生徒からの人気がある。反面、その性格が災いして同性からはあまり好かれていない。

 「どーしたのよ。で」

 「いや、ね、あくまで聞いた話なんだけどさ、あの子すっごく何時も高級なブランド品で固めてるじゃない?制服とかもアレンジしてるしね」

 「アレンジしてるのは凛もでしょ?私もしてるし」

 「でもさ、でも、家は凄く貧乏なのに一人暮らしをしてるらしいよ。しかもあんなにイイブランド品ばっかり使ってさ?大丈夫かなあ」

 「まさかワタシを呼んだ理由それ?」

 「え、そうだよ?だって心配じゃんー。悪い事してお金得てるんじゃないのかなあとかさ?」

 「まあそんな事だろうと思ったわよ、凛。アンタどんだけお人好しでお節介な訳ェ?」

 「お節介じゃないよ、ホントーに心配なんだよー」

 「はあ・・・世話の焼ける子やわ」

 凛のこうした性格は今に始まった事ではない。しかし入学して一年と数か月、この巨大な学園に於いて入学してから生徒や教師を問わない広大なコネクションを築き、凛は何回もその世話になった事もあるのは身に染みて痛感している。凛の人に対する交友力、社交性は常人の比ではない。空間把握能力は皆無だが人間の心を掌握する力にかけては凄まじい物があり、深零は言えばそれにあやかっている。

 「あ」

 凛はスカートのポケットから携帯端末を取り出すと、画面に目をやり怪訝な表情を浮かべた。

 「どしたの?」

 「速報、26歳男性が遺体で発見だってさ。死亡推定時刻は昨日深夜帯。なんか最近殺人多い気がするよ、物騒じゃん」

 「何処よ?」

 「繁華街の雑居ビルだって」

 「・・・」

 深零はパンをぱくつきながら黙り込んだ。

 「気のせいかなあ」

 「気のせいじゃない?メディアなんてさ、腐るほどある情報量の中から思わず手を停めてみるような情報を更に過激に仕立てて送り出す。そんなモノよ。芸能人が不倫すれば不倫された側に同情、事件が起きれば被害者に同情、そのバックグラウンドは全く考慮する事もなく抽象化された情報のみで人は善悪を判断してしまう。その材料に殺人事件ってだけ。色々と同情するわ」

 「な、なに言ってるのか分からない・・・」

 「凛、あなたがかわいそうだって同情してあげてる」

 「バカにされてる気が・・・てかしてるな!?」

 「私は」

 「私はぁ?」

 「私はあくまで殺人事件何か起きたところで何も思わないのよ。凛が殺されるぐらいでもなきゃ“あっそう”位にしか思わない。回し車を走り続けるハムスターを見ても応援しようとかそういう気はない」

 「ええ!ハムスター超カワイイじゃん??」

 「一体、どうしてワタシが凛と付き合ってるのかホント不思議に思えてくる」

 「付き合ってる!!??それって百合って言うらしいよ!」

 「また余計な知識を仕入れて来たの・・・はあ」

 「意外とさ、深零と私お似合いなのでは???」

 「あーあー、もう好き勝手言ってよね。それより凛、あなたセーターでもベストでも着なさい?」

 「え、なんで?」

 「湿度が凄いの、分からない?その高校生にしては随分と派手なランジェリーが丸見えでセクシー。本校男子諸君は天候と彼女のおバカっぷりに感謝すべきだね。今日は蒼か。下も蒼?」

 「・・・?」

 凛はカフェオレが入った紙カップと食べかけのパンを袋に戻しテーブルの上に置くと、視線をゆっくる下へとやる。深零はその様子を見て何とも言えないバカっぷりを感じつつ、同時に何処となく安心感を覚えたのだった。気づくとテラスには男女を問わずに生徒が集まって利用していた。無論、凛はその視線の集中砲火を浴びる事となる。

 「ナンデ、ソーユー事早ク言ッテクレナイノ・・・」

 「いや、遂に彼氏でもできて今日はDデイなのかと思ったんだけどあまりにも・・・ね?」

 「授業始まる前にベスト取ってくる!!!!!!!!」

 「今じゃないのかよ」

 「今は腹を満たして・・・あと、れいとお話しする時間だもん」

 「そーですか・・・勝手にしてちょうだい」

 「やっぱ百合だなーこれ。鼻から鼻血じゃなくてソーメンでる~」

 「そういや今日、志保は?」

 「風邪で休みだってさぁ~。夏風邪?連絡も来てないし心配っちゃ心配ィ」

 「そっか・・・あ、ちょっとゴメン」

 深零は席に座ると必ずポケットに放り込んでいる端末を机の上に置く癖がある。その端末の画面が光り着信を伝えている。端末を取り、席を立つと通路の曲がり角へと歩いて行くと応答する姿を凛は静かに見つめる。凛はアップルの端末をシリーズの新モデルが出る度に買い替える。だが深零が使用する端末は店頭に並んでいるのを見た事がない、アップルだけではなくどのメーカーのラインナップにもない不思議なものだった。黒を基調としていて、周囲はゴムのような素材で覆われていかにも頑丈そうな印象を見る者に与えており、そして深零曰くスピーカーもイヤホンジャックもないのだという。確かに最近は超小型のマイクロイヤホンを耳に入れっぱなしにする人が多く、技術の進歩によって騒音を抑えつつも重要な音源は拾い、各種端末の情報を装着者に伝え、通話も可能な代物。それらは今や人間の生活に欠かせない存在だ。そのマイクロイヤホンも深零は耳から大きくはみ出す、とても外観を気にしているとは思えない特殊な品を装着している。

 というか深零は控えめに言って特殊だ。確かにスカートは短いが他製品ではない学校指定の物だし、シャツも色付きではない白いこれまた指定の物。息苦しいという理由でタイやリボンだけは取っ払っていた。その特徴的な外見は本人曰く様々な効果を発揮するインナーであり決して全身タイツではないとの事だが、夏だろうと冬だろうと必ず一見ではそう判断せざるを得ない加圧するレギンスやシャツのような代物を着ている。黒を基調に緑や灰系のカラーリングが入っていて何処となく近未来感を感じさせ、他人はともかく凛はとても格好よく感じている。全体的に筋肉質で無駄がない体型で水泳の授業が深零のボディラインを見れる数少ないチャンスであり、そのチャンス(それと志保の対照的なライン)を見てニヤニヤしてしまう事を凛は心待ちにしているのだった。会った時は黒髪の短いショートレイヤーだったが、灰色と緑が入り混じったような今の髪色と髪型は凛が強引に美容室に連れて行きカットとカラーリングをさせたものだ。無理やり髪を伸ばさせる事を深零は嫌がったが、凛が強引に押し通した。不思議な事に他人の指示や願いを受け入れる事は滅多にない深零だが、凛からの“おねがい~”という声にだけは多少なり甘い。外から見れば深零が唯一、心を開いているのが凛と志保だけなのは明確だ。社交家で八方美人の二人、干渉を可能な限り避ける一人。様々な友人がいる前者も含めてこの三人は特に仲が良く、行動を共にする事が多かった。そんなイレギュラーな彼女質はまるでアニメ映画から飛び出してきたような存在だった。

 そんな深零は時折、こうして今のように突然の着信に同席している人々の前から離れて応答する事がある。また画面に何らかの操作をすることもあった。誰が聞いてもその電子越しの主については答えてくれないのが常だ。

 今、聞く話によれば深零は一人暮らしをしているという。だから中学時代までに世話になっていたという資産家の一家からだとか、遠い親族からだとか、様々な憶測が立っていた。何しろ授業中にも容赦なく取り出すし、ちょっと失礼とか、ちょっとゴメンとか言って席を立つ。他の生徒なら問答無用で怒鳴りつけられるところだが深零だけは教師たちも何故かスルーする。日常と化した光景だがその謎については度々周囲の疑問の的になった。ただその度に“元々、謎が多いし神秘的だし”とか言った理由で閉幕してしまいそれ以降の追及はない。

 大した時間もかからず深零は席に戻った。こうした場合、凛や志保は特に追及する事はない。これはいじわるをするしない、本人が嫌がるという問題ではなく、深零が本当に「困った表情」をする為だった。深零はあまり表情を劇的に変化させない。それはあまりに顔に出てしまう凛、人並みの志保と来てトリを飾る深零だが、その時ばかりは絵に描いたような本当に困った表情を浮かべるのだ。その面相を見ていじりがいがあるとかないとかではなく、見た者を逆に不安にさせるような心の底からの感情。そんなのを毎回見せられるようではたまらない。

 「だいじょぶ?」

 「うん、大丈夫」

 凛はニコっと笑った。この笑みは純粋だ。深零は思う。私にも感情はある。だが出来ない。

 「やっぱさ、その髪似合ってるよね」

 「そう?誰かさんのお陰でケアの手間が大変でしょうがないけど」

 「ややッ!果たしてその不届き者はドコにいるでござるか!?拙者が成敗いたす!!!」

 銃の形を右手で作り、「バンバン」という声と共に撃つマネをする。グハァ!と何ともわざとらしい声を上げて凛は仰向けに倒れるフリをした。今、私は幸せだ。

 凛のシャツが余計に体に密着して輪郭とそのアンダーが良く分かる。ちょっとだけ羨ましいとも思う。

 「こんなところでダブルタップなんてね」

 「え?なんか言ったぁ?」

 「いえ、何も?」

 「また始まったよ~れいの何か言ってるのに言ってないって言ういつものヤツぅ!」

 「まあ凄いナイスバデーだと思っただけだしぃ」

 「ふんすふんす!って・・・それセクハラぁ☆早くベスト着よ。狼に襲われちゃう☆」

 深零はクスっと笑う。これが今の彼女にできる最大の微笑みだった。

 建築物の匂い。机や椅子の金属質の匂い。学校特有の埃っぽさ。パンの匂い。コーヒーの香り。近くにある今となっては旧時代の遺産とも言える様々な朝刊新聞が置かれた棚から来る新聞の匂い、目の前の凛の匂い。目の前の深零の匂い。ありとあらゆる匂いがする。

 ふと甘く、主張の強い香りの主を探して目をやると図書館前の花瓶には百合が供えられていた。黄色とピンク色、そして黒色の百合が一輪ずつ、透明の美しい装飾が施されたガラスの瓶の中で水と共にその身を寄せあっている。


 深零はただただ、本能のままに少しだけ、笑った。

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