1-09『激突』

 魔術とは、難儀なものだ。

 教書には『魔力を操作して、想像を具現化しろ』くらいしか書かれていなかった。

 けど、いざ実践してみるとこれがなかなか難しい。いかに僕の想像力の次元が低いかが窺える。


 ……いや、一概に想像力云々の問題とは言えないかもしれない。


 確かに実技の講義はハナから履修を切っていたけど、講義の聴講、もとい見学は欠かせなかった。もちろん、講義が被らなかった場合に限るけど、何度も似たような術は見てきたはずだ。


 ノートにびっしり、魔術の発生から収束までの観察結果を書き連ねていたこともあった。

 理論と実践の違いか。一〇年ぶりに魔力を扱うからか感覚が鈍ってしまったのかもしれない。

 稚拙な想像を伸ばした腕の先で生み出すように。


 魔力を込めて――吐き出す。術式すらもないような、魔力の塊を解き放つ。

 方向は、崩れ去ったはずの天井。


 魔力の弾丸は魔弾のように術で編まれていない、ただの魔力塊だ。そのため形は曖昧だ。

 けれど、速さはそのせいもあって魔弾の倍。形を定義していないのだから。


 定義することで限界を定めてしまうものを、定義しないことで自由度を高める。その分威力は弱まるが。


 律儀にも魔術でも物理抵抗がかかるものは存在していた。明確な形を持つものは特に。


 形がある、ということはその時点で空気が突き抜けることができない。科学の世界じゃ、常識だった。


 魔術師の界隈じゃ、魔力の弾丸なんかよりただの魔弾を放つ。

 何故なら、魔力の弾丸が魔術ではないからだ。至極当然だろう。


 魔術師でありながら、魔術を用いず、魔力を曖昧に象っただけの弾を打つのは、彼らの自尊心が許さないのだろう。――だが、それだけが理由ではなかった。


 ただ単に、科学的な事象を知らない場合が多すぎる。

 知る由がない、というか魔術師の大体は始祖神教だし。『科学』自体が禁忌とされているし。

 科学を知らない彼らにとって魔術が『奇跡』で『絶対』なのだ。

 あらゆる事象をも覆す文字通りの『奇跡』に盲信しなければならないのだ。


 事実、魔弾に空気抵抗が生じたとしても、空気抵抗をも覆す魔力の量でゴリ押しすれば実質、空気抵抗を無かったことにできるわけだし。


 科学的視点から見た魔術はなんとも、原始的なゴリ押し理論で成り立っている。


 魔術師は扱える魔力の量により、良し悪しが決まる。より多くの魔力を操作できれば、より強い魔術師だ。何故なら、ゴリ押しが利きやすいから。なんとも単純なパワーカースト。


 当然、術に使用する魔力の量が多ければ多いほど、その魔術の威力はより強力なものになる。ここで魔弾と魔力の弾丸の話に戻ると、当たり前だけど魔弾の方が強い。でも、同じ魔力量だったら物体として生じる分魔弾の方が遅くなる。速度で一枚上手。ただし、当たったとしても掠り傷。


「でも、掠り傷くらいが、ちょうどいいんだ」


 直後。弾ッ! と半透明の銃弾が天井に当たる。天蓋に波紋が広がる。貫こうとして、その威力はすぐに半減する。辛うじて、曖昧に形を保っていた弾丸は空気中に霧散した。やはり、敵は空を征していた。緊張感が高まる。


「ロキ君。――逃げよう、場が悪すぎる」


「名案だ、シグ。――ローザも、行くぞッ!」


「え、あ、ちょ……!? 襟首掴まないでくださいっ!?」


 オロオロしている暇は一秒たりとも与えられていない。肌が粟立つ。

 殺気、直上から。瞬発的な判断力でローザを引っ張りながら背後に跳ぶ。


 ドガガッッ、と木造の床を容赦なく穿つ針があった。

 針は、上から伸びている。


 空間の歪曲。歪み切った煤だらけの空が僕に牙を剥いたのだ。

 体内から熱が奪われていく感覚がやけに鮮明で末恐ろしい。

 獲物を見落とした針が、ずっぽりと床から引き抜かれる。


 針だ。銀色の、あからさまに金属製を訴える素材。それが首を傾げるように、ぐにゃりと先端の向きを変えてきた。水銀を想起させる粘質だ。あるいは、磁性流体が磁力の方向に向けて鋭利な棘を放つさまに似ている。


 針は、僕の方へ。いや、厳密には、僕の腕にぶら下がった紫髪の少女へと。


 ゴォッッッッッッッッ!!!! と轟音が鼓膜を震わす。

 無風を貫いていた空気が突如として指向性を得る。


 冷や汗が一筋、こめかみを滴ろうとして、暴風にかき消された。


 ――おいおい、何も見えなかったぞどういうことだよどう考えても相手してるのは並みの魔術師じゃない並みどころか一級品だ、歴代生徒会にも匹敵するんじゃ……!?


「ロキ君ッ! 窓突き破って、脱出するよ!」


 是非の問いに対して、僕が答えるよりも前に硝子が割れる音があった。聞くな。


 そこからはもう、先陣を切ったシグの後ろをついていくのみだ。ローザの襟首は掴んだままだけど、さほど苦ではなかった。魔族の身体には重力が働いていないのかもしれない。


 背後で「うぎゃぎゃー!? 魔王様ぁ!? 感動の再会を果たしたのにこの仕打ちはさすがにないですよ!? ないですったらないですよ!?」とローザがわーきゃー喧しくしているが構っている余裕はない。


 ひょいっと持ち上げて、胸の前で抱きかかえてやるとぜえぜえと肩を上下させながらも静かになった。先頭を走る緑髪がふわりと逆立った気がした。気温が体感三度下がった。気のせいであってほしかった。


 ぎょろっと肉食獣の眼光で睨まれた。気のせいじゃなかった。


「……ロキ君。ローザ・ベルフェロンド、さん」


「オッケー、落とし前は付けるから仲間割れはやめてくれ」


「んなこと分かってるよ、ばか。――同じこと、ボクにもしてよね」


 うーん、絵面が犯罪的だ。体格差のせいで。


「なんか言った?」


「いや、なんにも」


 心を読むな。


 ……それにしても、街は静かだ。静かすぎる。見れば、人通りも皆無だ。


 聖樹帝国のような一大大国の中心地だ。深夜ですら、常に人の通りはあるはずなのに、明らかにおかしい。


 人間の代わりに横たわっているのは濃密な、瘴気。思わず口を塞ぐ。


 ――いや、違う!? 瘴気ではない。瘴気を錯覚させるほどの濃密な、魔力の波だ。


「ま、魔王様! 背後から途轍もない速さで敵が迫ってきています!?」


「いや、後ろからだけじゃない。徐々に近づいてきているね――四方八方から」


 背後、そして四方八方。二人の反応に遅れて肉薄する魔力の匂いを感知する。やはり、リハビリが足りない。最悪だ。囲まれている。


 手癖で腰に提げた鞘から、制服のローブの内側から剣を引き抜く。普段護身用で持ち歩いているものだ。


 ――無策で武器を引き抜いたわけではない。剣術は魔術が使えない代わりに鍛えたものの一つだった。


 ある程度の力任せな魔術師だったら返り討ちにできるくらいの技量は持っている。

 そこに魔術が加わったことで戦闘スタイルに幅が利くだろう。

 剣でリーチが長くなれば危険を冒してまで至近距離に近づかなくても、必殺の技は繰り出せる。


「ロキ君。……術式は覚えてる?」


「座学だけは完璧だ。どこかの熟睡野郎とは違ってな」


「ムカつくけど事実だから言い返せないっ! でも、実践は一味違うよ。

 ――ローザさんは戦えるっ?」


「え、ええ。多少感覚が鈍っていますけど、それなりには」


「手伝って。さもないとボクたちは、危険だ」


 学院第二位の肝は表面上座っているように見えた。だが、その手は既に細剣の柄を力強く握っている。


 事の重大さが皮膚をピリピリと虐め倒す。


「まずは、上、だね」


 シグが天蓋を指す。部屋の天井と同様、空を映す空間は未知の力で歪められていた。空は実像ではない。目を閉じなくても、その淀みははっきりと観測できる。


 北極星を中心に星々の光が時計回りにくるりと軌跡を描いている。最初はただ一つの星の周りで光が揺らいでいたが、光は撹拌するように逆回転や半回転、あるいは振り子や、不規則な線をなぞっていく。


 景色酔いしそうだ。振り切って、目を瞑る。感覚神経を研ぎ澄ませる。魔力感知の精度が急上昇する。魔術師の世界の解像度が増していく。この世界は、魔力ありきで発生している。目で見ているものが、耳で聞いているものがすべてではない。


『魔術師の戦いにおいては、魔力の流れと匂いに縋るべきだ。

 五感の一部を削れば、その分魔力の感知能力は跳ね上がる』


 ――魔術理論の基礎の基礎。魔術師ならば教授を受けずとも本能で理解している。その当たり前を実践しただけで、魔術師の世界に片足を突っ込める。魔術が取り戻せたことへの実感が秒を追うごとに濃くなる。


「ロキ君。ローザさん。――ボクが盾を作るから、合図があったら魔力の方向へ飛び出して! 攻撃魔法なり、剣戟なり――好きなように暴れてね!」


「任せろ」


「分かりましたっ」


 短い返事は、真上から迫る風切り音で打ち消される。

 魔力の針が束となって、無数に大地へと降りかかる。


 しかし、至って冷静だ。目を閉じたままでも、シグの解き放った術式の強固さが見て取れるからだ。数層にも及ぶ術式の壁をドーム上に構築。四面楚歌なる盤面で完全無欠のシェルターと化していた。


「隙は少ないだろうね。術者は三〇人くらいかな。ローテーションで攻撃をしてくるだろうから、キリがない。ボクの魔術にも限界はある。絶対は有り得ない」


「だったら、隙を作ればいい」


「簡単に言ってくれるよ、ボクの幼馴染君は」


「信頼を証と受け取ってくれよ」


「素直だからそう受け取っておくことにするけどさ。へへ――じゃあ、行くよ」


 一瞬だけ、シェルターが膨張する。魔力の針が打ち負けて、その場で崩壊、霧散。

 隙が、できた。防御の魔術が解除される。


「狙うべき――針の出所は、真正面だ!」


 右足にかけた重心を前方へと加速。

 引き抜いた剣で、ただひたすら魔力の解き放たれる一点を突く。


「はぁっ!」


 掛け声とともに、腕が伸びきる。斬った感触はない。

 それでよかった。想定内だ。

 魔術で視認ができない実体を暴くには、魔術で打ち消す他ない。単純な話だ。

 魔術という、たった一つの冴えた解がある限り、僕だって対等に渡り歩ける。


「【虚穴】――、飲みこめよ、何もかも」


 繰り出したのは闇魔術のなかでもとりわけ平易な術式。切っ先で魔方陣が展開。効果、魔術を構成する魔力を分解し、取り込む。ただし、取り込める魔力の量には限度がある。でも、並みのものだったら、どんなものでも僕の糧にはなる。


 でも、どうして開口一番、【虚穴】――闇魔術なんかを使ったのだろう。無意識に、だ。


 あまりメジャーな術ではない。名前こそ知ってはいたけれど、実際に使用している人間を見たことがない。そもそも『闇魔術』と定義された魔術自体がマイナージャンルなのだが。まだエレメンタル――四大精霊の力を借りる精霊魔術――を行使する者の方が多いくらいだ。一応、魔術における主要属性だが。


 魔術への属性付与は各々の術者が勝手にやっている場合がかなり多い。だから、ある二人の術者が同じ術式を使ったとして、それぞれが違う属性として認識していれば、それらはそれぞれ、同音異義の全く異なる魔術として実世界に顕現することになる。


 公式がないからこそ、解釈が広がる。――魔術の興味深い側面だ。

 どうせ、魔術師として生まれ変わったんだ。研究内容の一つにしてみるのも悪くはなかろう。

 魔術は正常に機能し、術者の魔術を吸収。

 薄っすらと、魔力の靄の向こうで白衣の男が唇を歪めた。


「ローザッッ!! 叩き込め、全力で!」


「了解、魔王様ッ! ――【楔・鎖・磔】」


 続けざまに闇魔術が射出。

 ローザの呼気とともに、ドドドドドドドドドッッ、と殺到するように濃密な魔力が大気へと吐き出される。

 それらは形を成さなくても、人一人を気絶させるくらいの瘴気と化していた。

 人間の脳で処理しきれない量の魔力を人間が取り込んだ場合、思考は混濁する。

 また、体内の器官は膨張し、裂傷を引き起こす。

 通常は本能的に量をセーブできるが、無理矢理捻じ込まれた場合は機能しない。


 初歩的な暗殺方法の一つに、魔力を消して相手に近づき、殺す瞬間に、溜め込んだ魔力を解放、接吻を通して、魔力を吹き込むというものがあるくらいだ。


 ローザの放った瘴気は、彼女が呼吸のリズムをわずかに崩していくうちに形を変幻していく。

 精密な魔力操作。魔王妃の称号を冠するには相応しい実力だろう。


「殺到してください!」


 呼吸が、声となる。魔力は術へと移り変わり、僕の指さした方角へと集中的に降り注いだ。僅かな呼吸と舌使い。僅かに、彼女の喉が震えているのはま、魔力で生み出された楔や鎖へとそれぞれ支持を出しているからだ。通常の言語ではなく、彼女と魔術の間で結んだ、独自言語によって。


 術の到達。金属音のようなものがあたり一面に反響する。

 鼓膜が小刻みに震えて、聴覚が撹拌される。人間の肌に傷を負わせた音では、ない。


「効いて、いない……!?」


「――ああ、その通りだよ魔王妃サン。これっぽっちもォ、効いていねェ」


 刹那。ローザの創造した拘束具が一切合切弾け飛んだ。

 カシャン、と音を立てて金属の代替品が大地を跳ねる。捩じ切れ、バラバラになって弾け飛ぶ。

 魔力の霧が晴れた。


 眼前に白衣の男の姿が、月明りを浴びてくっきりと浮かび上がる。


 ツーブロックの銀髪。白衣に下半身は黒のスーツ。ただし、薄い上着は半開きになっていて、その奥から傷が多い、引き締まった筋肉が垣間見える。研究者の恰好がここまで釣り合わない人間を以前に見たことはないし以後にも見ないだろう。無頼呼ばわりされる方が正しいような風体だ。


「お前は、誰だ?」


 問う。心なしか、声が震える。

 眼前に立ちふさがる男は、明らかに強者の顔つきだ。

 強者とは弱者を食らうことでより強靭になっていく。その成れの果てを網膜に焼き付けた。


 纏う空気は生きている。目を閉じれば、仄白い悪鬼に心臓を掴まれたような錯覚に陥る。剣を握る力はおもむろに強くなった。魔力野が瞬間ごとに精密さを増していって、感じ取れる魔力の量が跳ねあがる。


『精神を鎮めていけばいくほど、魔力が君を味方してくれる』


 ――何度も読み込んだ、魔術の教本。その最後に記されていた格言を思い出す。


「オレの名は、グスタフ・ロムニエル――始祖神教幹部、五賢司祭の第四席」


「へえ。国教のお偉いさんが一般人に何の用だよ」


 剣を銀髪の男――グスタフ・ロムニエルの正中線に沿わせるように構えた。

 切っ先に魔力を集中させる。


「魔王様、あの男は、わたし達魔王妃を暗い部屋に閉じ込めて、被検体として何度も解剖した者です」


「あァ、その通り。でも、実験解剖に使い始めたのはここ数年の出来事だぜェ? なんてったって、オレが幹部に就任したのは五年前だからなァ。物置に眠っていた手前ら魔王妃をオレの手で有効活用してやったンだよ」


「そう、か。なら――、潰さなきゃ、気が済みそうにないな」


 感情が魔力を渦巻かせる。


「ハッ! やる気かァ、そうかそうかァ! じゃあ、徹底的に――オマエを潰す」


「オマエじゃない、ロキ・ディケイオだ」床を蹴る。風がブーツの裏を蹴上げた。「今はひとまず、魔王様の代理というていで、名乗っておくよ」


 ……直後、魔力の奔流が、激突へと変換される。

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