1-08『証明と来襲』

 ――朦朧とした意識が徐々に醒めてくる。


 ってか、どうして僕は眠っていたのだろう。記憶を遡ろうとすると頭がズキズキと痛み出した。


 まったく、何ルーン・何ンハイトさんの仕業なんだ……。半目を見開く。緑髪が鼻にかかるところまで迫っていた。濃い茶色のくりくり両目が僕を視線で射抜いていた。


「あ、起きたね……おはよう、ロキ君」


「お、おう、おはよう、シグ」


 目覚めの挨拶を交わし、満足したのか、彼女は満面の笑みを浮かべ――。

 次の瞬間。


「ぶっ飛ばすよロキ君」


「唐突にあがッ!?」


 腑抜けた悲鳴が部屋に木霊する。我が幼馴染は何故か、出逢い頭に頭突きを繰り出してきた。

 視界に無数の星が見える。星空の下に立っているわけでもないのに。青筋をビキビキ浮かべているシグの向こう側には相変わらず自室の天井が見えた。


 心なしか、闇が濃くなっている気がする。寝起きだから目が慣れていないのだろう。


「一回じゃ足りないかな、ロキ君。次は高火力にするけど」


「おいおいおい、冗談はやめてくブベッッ!?!?」


 二度目の頭突き。石頭もいいところだ。

 こちとら脳震盪で酒も飲まずに酩酊しているというのに。


 ――確かに、高火力だった。素の膂力だけじゃどうにもならない『差』が二つの頭突きの間にはあった。魔力が粒となって、空気中で流れをなしている。シグの額から放射状に放たれて、額を直撃した後で波紋状に広がって霧散した。


「――なあ、シグ。今の頭突き、魔術使ったか?」


「……ロキ君が眠っている間にそこの紫髪から聞いたんだけど、魔力が見えるようになったのは本当のようだね。今のは、魔術を使ったんじゃなくて、魔力の塊をぶつけただけなんだけどね」


「わたしは紫髪って名前じゃありませんっ。ローザ・ベルフェロンドですっ!」


「うるさいなあ、部外者さん。勝手にロキ君の身体を変えちゃってさ。


 いったい人の命をなんだと思ってるんだよ。人の命、というか、ロキ君の命を」


「魔王様になる器ですっ! それ以上でもそれ以下でもないっ! 


 あ、でも魔王様なので実質わたしのお婿さんです、へへ」


「あ、なんか今ぶわっと殺意が湧いてきちゃった。どうしよう、ロキ君。ボクこの子の首掻っ捌きたい」


 愛が重いのと、愛が軽いのが交互に押し寄せてなんだか胸焼けしそうだった。視線で火花を散らしている学院次席と魔王妃だったが、すぐにシグは疲れ切った様子で深く息を吐く。


「ねえ、ロキ君。ロキ君がぶっ倒れてから頑なにこの調子なんだよ、この子」


「ぶっ倒したのは君だろうが、シグ。――ローザとは大体話がついているよ。全部が全部本当かは分

からないけど。確認しようがないからね」


 僕はローザと目を合わせる。きょとんとした顔、のち、はにかんでくる。なんでだよ。その周りは異様に魔力が多い。体内に蓄積されたオドが滲んで空気中に溢れているのだろう。魔族の特徴は、現存の魔族史料曰く、身体が凝縮された魔力で作られている、ということ。


 外見上は人間と変わらないけど、周りに浮遊する魔力の濃さが人間とは一線を画す。


 ローザが魔族であることはシグにはもちろん、魔術が使えるようになった僕ですらも知覚できる。裏を返せば、ただそれだけが明らかな真実だった。魔王の王妃だった話とか、僕が魔王の器である話は信ぴょう性がどうしても薄くなってしまう。


「魔族、ね。実験で扱ったことがあるからそれなりに前提知識はあるはずだったんだけどなあ――まさか、ピンピンに生きている個体を見たのは初めてだよ」


 シグはというと感心しながら、ローザに忍び寄りドレスや腕、お腹に手を伸ばしていた。女性と女性の仲睦まじい様子を網膜に焼き付ける。仲がいいのはいいことだ。これにて国交は正常化。


「ふむふむ。魔力の塊のくせに質感が完全に人間と一緒だよ、ロキ君」


「ちょ、やめ、やめてくださいっ、シグルーン・ファレンハイト様っ!?」


 ローザの、太陽に一切当たっていないような白い肌でシグの指が滑っている。


「あひゃん」と可愛らしい悲鳴が聞こえたが、シグはお構いなく身体中をまさぐっていた。やっていることが中年男性のそれで嫌になる。嫌になるけど、それはそれとして女性同士の仲睦まじい様子はどうして、こんなにも微笑ましいのだろう。


 ともあれ節度っていうものがあるとは思う。

 相手が淫魔だから仕方ないのかもしれない。【魅了】されてしまったのだろうか。


 呆れて一部始終をただ傍観していたら、紫髪の少女は涙目で僕に助けを求めたのだった。とはいっても、僕ができることなんかシグの気を逸らすことくらいだ。気を逸らした程度でシグはローザから離れないだろうけど。


「ほらさあ、ロキ君。この胸が悪いんでしょ、この胸がっ!」


「きゃ、や、やらしいですよっ!? ってこのっ、馬鹿力っ!? 寄せ、寄せないで! ま、魔王様もこっち見ないで~っ!?」


 涙が今にも溢れそうなローザさんだった。さすがに申し訳なくなったので僕はシグを羽交い締めにしてなんとか事なきを得ることに成功した。ドレスはおおかたひん剥かれ、ところどころ肌色が際立っている。理性が魔力野に呼びかけて、自動でモザイク修正がかかった。魔力が見えるっていうのは素晴らしい。青少年を健全に育成することができる。今までモザイク処理がなかった僕はきっと不健全だ。自虐ネタではない、断じて。馬鹿と魔術は使いよう、そんなところだ。


「ふう。ロキ君。少なくとも、ボクは彼女を匿う気はないよ。信教の制約があるから」


「……ああ、始祖神教か。『魔族』は絶対悪なんだったか」


 教義っていうのは難儀だな。難儀でいて、古風が過ぎる。


 始祖神教には禁忌とされることがいくつかある。『魔族』は許されないし、あとは『科学実験』も公には禁止されている。ただし、あくまで入信している人に限られるが。ディケイオ家は無神論者なのでそこらへんいくらでも融通が利いていた。


「ボクとしてはそんなの古い慣習の一つとしか見ていないけどね。けど、始祖神教は腐っても国教だから。

 政治はおろか、司法ともつるんでいる一大勢力だ」


「とんでもない腐敗政治だな。世も末って感じだ」


「そうかもしれない。――教徒なら掟を破れば、すなわち磔刑だね。どんなに能力がある魔術師でも、どんなに金がある資産家でも、どんな権力を持つ政治家でも、始祖神教の大司教には逆らえない」


「どんな理由を付けても――魔族を匿うのは悪だと?」


「匿うのもそうだ。だけど、魔族の話を信じてしまうことも不浄ってされるんだよ」


 ――シグはシグなりの回答を編み出したのだろう。魔族は悪だ、という。僕の意見と相反していても、選択肢に間違いはないんだろう。だって、自分の命と他人の命じゃ、大方の人間は前者を選ぶはずだから。


 彼女の場合は、信教を盾にしているだけで、ただ単純にぽっと出の謎魔族様が気に入らないだけな気がしてならないけど、言及したら噛まれてしまいそうだ。


「魔族か人間か。種族で括るのは悪だよ。少なくとも僕はローザを信じる。信じてあげたいんだ」


「……でも、ボクに告白したところで無駄じゃない?」


「ああ、無駄かもな。だって、信教が設けた決まりごとは絶対だしな。――真実を理解してくれるだけでいい。僕が魔術を編み出せるようになった。それだけでも信じてくれれば、いい」


 シグ一人が信じたところで何も意味はないはずなのに。僕はきっと、この世界で一人ぼっちのローザを誰かに信じさせたかったのだ。魔族だったとしても真実を語れる、という事実を。


「なら、証拠を見せてよ。――ロキ君が魔術を取り戻せたっていう証拠をさ」


 突如、風向きが一変した。頬すれすれを魔弾が通り抜けていく。ピッ、と皮膚が切れる音があり、顔の輪郭をどろりとした鉄の臭いの体液が流れていく。続けざまに、シグから魔術が射出。咄嗟に後方へと退避する。


 ズドドドドドッッ!! と。


 巨大な縫い針に縫われるように、魔弾が床をえぐっていった。


「……何を、やらせようと」


「簡単だよ。――魔術は魔術でしか征することができないんだよ」


 続けざまに二発、三発と弾が脇を掠めていく。背後には壁が迫っている。ずっと逃げていられるわけじゃない。ましてや、ここは独り暮らしのワンルーム。戦うにも逃げるにも狭すぎる。シグの最大火力が放たれれば僕はもちろん、部屋も全壊だ。


「ボクの術をキミの術で打ち消せばいいっ! そうすれば、証明になるだろうッ!!」


 弾道が光を帯びて、ピンと張った絹糸の如く軌跡を仕向けてくる。魔力の動きが、はっきりと見える。僕はもう、魔術が扱える。知識として手元にあった呪文の羅列が、吐かれる吐息と音韻の連なりによって。


「打ち消せッ――!!」


 呪いなんかではない。ただの願いで、祈りで、叫びだ。言葉は時として魔力を孕み、舌の上で優雅に華麗に踊る。踊り狂う。口腔内の僅かな共鳴が虚空を伝い、単純明快な音となる。音は塊だ。ある一定の指向性を抱いた力だ。魔力が呼応し互いに惹かれ合うのが声であり、叫びだ。


 ゆえに。ただ一言の「打ち消せ」すらも、――立派な魔術として成り立ってしまう。バリン、と何重にも層になった硝子が一瞬で破壊されたような、甲高い音が鼓膜を震わせた。


「見える。魔弾の軌跡が中折れしているのが」


 術式によって、名前を得た呪いが僕に到達するよりも前に打ち砕かれていた。外側から真空に侵されたかのように、内へ内へと軋み、原型がひしゃげるまで。魔弾は人の手が加えられるまでもなく、急速に萎んでいき、魔力の礫となって空気中へと溶け込んでいった。


「ふうん。ロキ君。本当に魔術を取り戻したんだね。こんなにも、あっさりと」


「……自分でも不思議でならないけどな」


「とか言っちゃって、本当はずっと隠していたとか? 使えること」


「僕にメリットがないだろうが」


「それも、そうか。……あはは、ちょっと勘ぐっちゃった。ごめんね」


 シグもまた驚きを隠せないようだった。加えて、いくばくか疲れたような目をしている。


 ……気のせいかもしれないが。

 しかし、心を負落ち着かせるように胸を擦るとすぐに僕を見上げた。


「おめでとう、ロキ君。もう、ボクが守ってあげなくても大丈夫だね」


「ありがとう、シグ。――最初から守られっぱなしでいるつもりはないけどな」


 天から降り注ぐ光が薄く暗くなっていた。深更の闇に吹き込む風は一変たりともない。シグの、短くて細い腕が差し出されたので、握り返そうと右腕を差し出す。握手する指が触れそうになる。が、


「なあ、シグ」


「なあに、ロキ君」


 天井とベッドを交互に眺めた。


「今日の夜の予定、特に就寝時の予定を教えてくれ」


「うん――ロキ君のベッドに潜り込むつもりだったよ」


 それはそれで色々困らないか、とか余計な茶々を入れないくらいには、僕は聡明だった。


「……その心は?」


「当たり前のことを言わせないでよ。――天井が壊れているはずだったから」


 シグがにやりと不敵に唇を吊り上げた。その目は決して笑っていない。煌々とした怒気が垣間見えている。


「ねえ、ロキ君。……キミがもう、魔術を万全に使えるんだったら、気付かないわけ、ないよね?」


「ああ。……とっくに気付いてる」


 不覚にも。

 魔術を取り戻してしまったがために、シグの言葉の真意が理解できてしまった。

 完全に、完璧に。


「無音、無風、無臭。天井もなぜか暗くなっている。昨晩ローザが盛大にぶち抜いた、というのに」


「えへへ、照れますね。ふふ」


 肝がお座りのようですね、魔王妃さん。青筋が浮かびかけた。


「弁償はしてもらうからな」


「でも、どうせ――天井にいる彼に滅茶苦茶にされるわけですから。


 どうせなら肩代わりしてもらいたいところですね」


「どっちでもいいけどさ。ボクだって迷惑だから。ベッドはともかく、天井が抜けているのはね」


「絶対に僕のベッドには入れてやらないからな。狭いし」


「幼馴染特権は効かない? それ」


 首を振ったら、ちぇっと気の抜けた舌打ちが鼓膜を震わした。悔しそうな顔をするな。

 ――表面上は気の抜けた会話を交わしているが、各々の魔力は緊張感をもってわずかに震えていた。


 恐る恐る見上げる。天井にはもう穴だったものを見つけることができなかった。

 建材が自己再生をした? そんなまさか。

 貧民学生がなけなしの金はたいて住み込める貸家に自己再生なんて大層な設備は付いていない。

 ならば、天井の穴を塞いでいるのは。


「……魔力の動きが盛んだな。さっきまで穴が開いていたところから徐々に広がっている」


「何者か、までは分からないけど。このままじゃ、ロキ君の部屋は処刑場に早変わりだね」


 笑い事とかでは一切なく。


「いるんだろ。隠れてないで出て来いよ」


 修復された天井に向けて声を放つ。音の反響が一切感じられない。

 まるで声や雑音の一つ一つが何者かに吸収されているかのように。

 目を閉じる。網膜越しに実世界は見えない。音も、ない。

 代わりに嗅覚とそして、魔力野が研ぎ澄まされる。


 ――謎の魔力が薄い膜となって天蓋を覆っている。


 天空だけではない。壁も床も、その他の小道具にすら薄く貼りついている。


「まるで、空間魔術だね。ボクたちはもうとっくに制圧されているってことか」


 シグが吐き捨て、直後。僕らの背後で魔力が指向性を持った。

 突き刺される槍のような魔力の動き。標的は、


「――ッ!」


 ローザ・ベルフェロンドが振り向きざまに魔術の剣を繰り出す。虚空から三本、直線を描き、風を切り裂く。無から生じた濃密な魔力を真正面から貫き壁へと追いやる。名はなく、術式も紡がれず。ただし魔力の塊のように曖昧模糊なものではない。


(まるで、鋼のようだ。生半可な力じゃ、壊せないだろう。さすがは、魔王の妃)


 ローザの示した情報が必ずしも真とは限らないが、魔王妃と名乗られても差支えがない気がする。魔族の素性をほとんど知らないので憶測にすぎないけど。


「シグ、ローザ。離れたらまずい。相手の正体は見えないうえに、この部屋は今や包囲網と化している」


「分かっているよ、ロキ君」


「仰る通りですね、魔王様」


 三者三様。体内の魔力を呼び起こす。魔方陣が闇を彩る。


 呼気一つにしても、ノイズになりかねない。息をひそめて、魔力の流れを掴むことに全霊を掛ける。


 無音。壁や天井を覆いつくす魔力の層は次第に厚くなっていく。


(……魔術の発生源は)


 感覚が研ぎ澄まされる。魔術師としての才ではない。

 魔術を失ったことにより結果として得られた第六感が、魔力によってより鋭利なものになる。


(魔術を一度失ったことで、得られたものだって僕にはあるんだ)


 実の妹が死に。自分は魔術を失い。人生のどん底だった日々を思い返す。

 怠惰に日々を過ごしたわけではない。ハンディキャップを乗り越えるためだったら、どんなことでも試した。


 運の巡り会わせで僕は、再び魔術を扱えるようになった。

 赤黒く燃ゆる、右肩の痣が指し示すのは――魔族の王。


「………………………………………見つけた」


 口元から僅かな呼気とともに勝利宣言が吐かれ。

 ――刹那。僕らを包む渦潮の如く、四方八方から魔術の旋風が巻き起こった。

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