1-07『断章』
――歯車が回ったようね、ローザも仕事しているし、もうそろそろアタシも動かなきゃ。
彼女が目覚めたのは暗闇の中だった。そこはどうやら物置のようで、彼女と同じような人型が数体、カプセル状の容器に込められている。中は蛍光する緑色の液体で浸されているものの、呼吸することはできる。
不思議な感覚だが、一〇〇年も浸されていると慣れてしまうものだった。
――さすがに公衆の面前で裸体を晒すのは乙女として恥ずかしいけど。
カプセル内の彼女は衣服を着ることを許されていなかった。秘部を隠すように丸まって、眠っているように見せかけている。怪しまれないためにも。
人魔大戦の末に人間軍に拉致され、ことあるごとに麻酔に掛けられ解剖をされた。
でも、――一〇年前、その地獄に蜘蛛の糸が一本垂れ下がった。
魔王様の器となる者が現れたのだ。
――条件も揃った。ローザが魔王様の力を器に注入した。なら、もう――逃げ出すときよ」
彼女は。魔王妃の片割れだった。
ゆえに、自分を閉じ込める檻を引きちぎることなど造作もなかった。
硝子の割れる音とともに、液体が割れ目から溢れ出す。緑色の瀑布が無機質な床を埋めていく。
濡れていた赤髪はすぐに乾かされた。魔力源の中心部が近いおかげで、衣服を編む魔力もすぐに手に入った。
裸体を包み込むように魔術を展開。少女の身体に布が巻かれていく――。
白と黒の二色が真っ白な肌を覆う。
「やっぱりアタシは、」魔力同士が結合を終える。「こうでなくっちゃね」
彼女が羽織ったのは、ロングスカートのメイド服だった。完全に彼女自身の趣味である。
警報音が部屋に鳴り響いた。急がねばならない。
彼女は、物置を出た。
――すぐそこに、強く握られた拳が迫っていた。
「ッ――!」
咄嗟の判断で重心を落とし、手前に飛び込む。避難経路は事前に把握済みだ。
足元に魔術を展開して、床を叩く。一歩踏み込むだけで音を超える速度に到達する。
が――、
「一〇〇年眠らされても、身体能力は高いままかァ! 魔族ッてのはやッぱり、面白えンだなァ!」
すぐ隣まで追っては迫っていた。学者然とした白衣を纏いながらも、その奥からは引き締まった傷だらけの肉体が垣間見えている。オールバックの銀髪に悪い目つき。ギャングの方が様に合うような男だ。
――これでいて、宗教に染まっているのだから、人間、見た目によらないねえ。
「もう片方の魔王妃にもちょこまかと逃げられて、苛々していたところなンだよ。――そのメカニズム、解剖して確かめてやろォかァ?」
「非人道的で悪趣味よっ。正直なところ、気持ち悪くて吐き気がする!」
「勝手に言ッておけッてのォ!」
腰を捻じり、曲線の軌道を描いて音速の拳が迫る。肩と肘に無数の魔法陣が展開され、身体能力を展開しているのだろう。
「くたばれよォ、魔王妃、アリア・ベルフェロンド」
――だが、拳は一歩及ばない。
「さようなら、魔術師まがいの科学者さん」
非常口に手を掛けた瞬間、少女の身体は雲散霧消した。
ちなみに、非常口には外側から鍵がかかっていた。
当然、赤髪の少女が逃げるのを阻止するためだ。
「チッ! 魔族めがッ、身体の組成が一〇割魔力だから隙間が一ミリでもあれば身体を空気中に溶け込ませることで通り抜けできるってかよッ!!」
背後から彼の部かが到達する。遅い、遅い遅い……。鋼のような肉体から熱が放たれていた。
「オイ、貴様らァ! すぐに地上に連絡を入れろ! アイツを呼べ! ――このままじゃ、教皇サマから殺されかねないぜェ! まァ、その前にオレが手前らをぶッ殺すンだろうがなァ!」
顔をマスクで覆った部下の肩が震えあがった。たちまち「承知しました!」の声が重なり、各々脱兎のごとく走り出す。対し、銀髪の学者は、耳元に魔力を集中させた。外部との交信を繋げる。
すぐに目当ての相手は連絡に応じた。
敬虔さだけは一人前だ、と銀髪の男は内心でほくそ笑む。
『――――第四席様ですか?』
「ああ。要件はたった一つだァ。
――オレが直々に赴く。それを合図にして、前の会議で命令したことを実行しろ」
三秒。沈黙。聴覚を通して、相手の僅かな狼狽を察し、くつくつと噛み殺すように嗤った。
『……畏まりました。グスタフ・ロムニエル第四席のため、教皇様のため、絶対に命令を遂行いたします』
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