1-06『魔王様』
「おいおい、さっきは魔王になれって言ったくせに手のひら返しかよ。
それとも僕に魔王は務まらないか?」
確かに僕は王になる器ではない。
無理かもね、って諦められるのも理解できる。
「いいや、違う。魔族の王は民草を統べる力と優しささえあればなれる。魔王様の力を得たロキ様は適任です。
でも、――もうこの世界に同族はほとんどいないんです。王が生まれたところで付き従う部下は両手で数えられるくらいしか残っていないかもしれない。明確な数は把握していませんが」
表情に諦めが色濃く刻まれている。眼からは光が失われていて、黄昏たように抜けた天井を見上げていた。
魔族は、人と一〇〇〇年にも渡り戦争を繰り返していた。
俗に言う『人魔大戦』なるものだ。
しかし、争いは一〇〇年前に人間軍の勝利で終結した。
戦争で募った人民の鬱憤は魔族へと向けられ、虐殺をされていった。
魔族が生息していた魔界大陸は今では人間軍による開拓地と化し、生き残った僅かな魔族が奴隷としてこき扱われ、今この瞬間も何人かが命を落しているのだろう。
立ち直れないかもしれません。――ローザの後ろ向きな発言が脳で反芻する。
きっと、魔王が現れたところで魔族はもう、立ち直れない。
今更王がいたって魔族は衰退の一途を辿るだけだ、と彼女は悟っているのだろう。
「……ローザ、さん」
「昔のこと思い出してたらちょっと呆けてしまいました。すいません。それと、わたしのことはローザって呼んでくれませんか。せっかく出逢えた魔王様なんですから、できるだけ、距離を縮めたい、です」
「でも、僕は君の愛した魔王様の『代替品』じゃないのか?」
ローザは言葉に詰まったのか、顔を背けた。
「魔王の器っていうだけで、僕が魔王になる前にはちゃんと、魔族として魔族を統べていた、本当の王様がいるはずなんだ。きっと君はその真の王様に惚れていたんだろう?」
「さあ、……どうでしょうね。ずっとずっと昔のことですから忘れてしまいました」
嘘だ。忘れたんじゃなくて、思い出したくないのだろう。
掘り返したくないのだろう。人魔大戦の終結を確実にしたのは、人間軍による魔王の討伐だったのだから。
長い長い、ひたすら、途轍もなく長い間、彼女は独りだったのだろう。
愛した人がいなくなったのに。
――なのに、どうしてローザ・ベルフェロンドは泣かないのか。
それどころか僕を受け入れようとしているのだろうか。
そう、僕は魔王の器だ。中身までも先代の魔王の代わりを務めることはできない。
「……魔王様は消えていません。いつだって、器になった王様の中に根付いています」
苦しげに、彼女は言葉を繋げた。
「――ずっとずっと昔から、何代も前から隣で見てきた魔王様は皆、心優しく正義に満ちたお方だった。だから、きっとロキさんも例に漏れないでしょう。
わたしは、魔王様になったお方が好きなのです」
だとしたら、いかにも淫魔だよ、ローザは。なんて、心無い言葉をかけられるわけがなかった。
彼女は、魔王に憧憬を抱いている。魔王になった者たちに惹かれている。
なんて強い信念なのか。僕は、言葉を失ってしまった。
「ロキ様、あなたはもう劣等生じゃない。魔王様の力を引き継いだんだから魔術だって不足なく使えます。
誰にだって負けない、最強無欠の王様になれます。
――ですが、その力をどう使うかは貴方次第なのです。
あなたは魔王様になる器を持ちながらも、王になる必要はないの」
「王になる必要は、ない……? ローザさ……ローザは、王を求めているんじゃないのか?」
「本当は求めているのかもしれない。
でもそれ以上に魔王の器が誰に渡るかを気にしているのかもしれない。
そして、もう――安心したから、あとは貴方の正義のために使えばいい。
だって人間に力が渡ってしまったのですから。敵対する種族に渡ってしまったんです。
魔族と人の正義は違うでしょう?
もう――我々の正義を押し付けられないから」
「もう……?」
ローザは僕の目の前で両手を挙げた。降参の姿勢に酷く似ている。
「ほら、あなたも人間なんでしょう?」
諦念と、――蔑みの、目だ。
人間を信頼していないことが垣間見える、そんな侮蔑の表情が降参の裏から見え隠れしている。
「折角魔術が使えるようになったんですよ、わたしで試せばいいじゃな――」
「……ふざ、けるな」
その激情は、マグマが沸き立つように喉元からせりあがった。
言葉は魔力を夥しい魔力を帯びて、放たれる。
「ふざけるなッ! 僕は魔王の器になったとして、どうして僕が君を殺さなきゃいけないんだよ!」
その論理は破綻している。
破綻していて酷く苛立たしいから声が先行していた。湧き上がる感情は単純明快な怒りだ。
「だって、魔族が人間を憎んだように、人間も魔族を憎んだのでしょう……?」
「確かに文明的にはそうかもな。大衆的にもそうかもな。
――何故ならそうした方が人はまとまるから。敵を作れば、民衆は団結する。簡単な群集心理だよ。
でもよ……、全員を一緒くたにして考えるなよ、ローザ・ベルフェロンドッ!」
立ち上がり、ローザの肩を掴む。強く、強く。
「痛い、痛いから、やめて、くださいっ……!」
「嫌がられてもやめないっ、発言を訂正するまでは!」
魅了に侵されたんじゃない。ただまっとうに『理性』で檄を吐出している。
「僕はッ……! 少なくとも、魔族を敵だと思っていない!」
喉が震える。誰かに対して本気で怒ったのはいつぶりだろう。
ヴェルの死んだ直後以来かもしれない。許せない事なんて、限られている。
ローザは僕の中にある許してはいけない一線を踏み越えた。
「どうして……どうしてっ、貴方はわたしを殺さないのですかっ!? その力で魔族を殲滅するっていう考えに至らないのですかっ――!?」
「そんなの」
血走った目で、睨みつける。見つめる。
「僕が出逢った最初の魔族がローザだからだ。君のような魔族に出逢ったから、僕は魔族を悪いやつだと思っていない、思えないんだよッッ!!」
荒げた吐息を何度も吐き出した。目の前でローザは目を白黒させて狼狽えている。
「え……っ、それは、本当、なのですか?」
「ああ。ってか、嘘をついてどうするんだよ」
僕はただ、ローザ・ベルフェロンドの陰気な諦念に「待った」をかけたかった。
根拠のないレッテルを剥がしてほしかった。
それ以上に、僕が敵ではないことを強く刻みたかった。
出逢ってすぐに敵認定されたら嫌じゃないか、誰だって。
「なあ、ローザ。人間のことが憎い?」
「当然、憎いですよ。だって、魔族の皆を……家族を、奪ったのですから」
当然だ。この場で殺されるべきは人間である僕であってもおかしくなかった。
「じゃあ、僕は憎い? 人間にして魔王になってしまった僕を憎んでいるか?」
「……憎めるわけが、ないじゃないですか」
沈黙の末で、彼女は瞳を雫で溢れさせていた。生きている証拠で満たしていた。
「貴方は人魔大戦に関わっていない。
それに、わたしが魔族でも認めてくれましたから。――嘘偽りない本心で怒ってくれましたから」
ローザの目尻に浮かんだ涙が、不意にぽろっとこぼれた。
張りつめていた表情筋を緩める。怒りはここまでだ。僕は彼女に当たりたいわけじゃない。
「僕が魔族の王に相応しいかっていったら多分相応しくないんだろうけどさ。それでも、魔王の力で傷つけてくれとか言わないでくれよ。きっと、その言葉は先代の魔王様に失礼だろうから」
人間の癖に大口叩いている自覚はあったけれども。
でも、やっぱり。
人間のせいで死んでいった魔王の面々を侮辱するのは、僕の道理に違反していた。
魔族と人間が敵対していた理由なんて、本来は人間軍が魔力源を求めて、魔界大陸を攻めていたのが理由なんだから。欲に溺れて、他の勢力を潰す――、聖樹帝国を中心にした愚かしい軍部の責任なのだ。
「ひとまずは、勝手ながら人間と休戦協定を結んでくれないか、ローザ。少なくともローザの居場所をこの部屋に作ることくらいはできるから。王様じゃなくても、それくらいはできるから」
「……っ! はい、わかった、わかったよ、ロキ様――いいや、魔王様ぁ……」
「あと、様付けとか魔王様だとちょっとこそばゆいのでできれば名前で呼んでくれるとっ」
「そこは譲れませんっ! ロキ様はわたしの中で崇拝にあたる人になりましたから! 敬意をこめさせていただきますからっ!」
ローザが顔を球中に沈ませてくる。なかなか強情だった。
「まあ、いいのかな……」
人前でそう呼ばれたら、恥ずかしくて顔が熱くなってしまいそうだが。
ぽんと、ローザの艶やかな紫の髪を撫でる。明確な動機はなく、ただそうした方がいいと思ったから。
気持ちよさそうに目を細める少女の瞳からはぼろぼろと涙がこぼれていた。
めでたしめでたし。
「……で、ロキ君。お涙頂戴の場面は終わったっぽいけど。その女の子は、誰?」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………、あの、はい、シグ、さん? いつからそこに」
「ロキ君がそこのグラマラスな女の子の肩を掴んだあたりから」
「割と早い段階ですねシグルーンさん、どうしたんですか鬼のような形相で」
低い、苛立ちと絶望と憤怒が籠った声だった。首筋に、細剣が添えられる。
あ、これヤバいやつだ。
一瞬にして、僕の世界が絶対零度で染まる。振り返る必要はない。だって、この部屋に侵入してくる相手なんて合鍵を持っている男装令嬢しかいないから。僕の胸に飛び込んだままのローザは、僕の背後に鬼気迫る小柄な『鬼』に気付いたのか顔を上げ、にっこりと太陽のような笑みを浮かべた。
「ところで、キミは、誰? 紫髪の美人さん」
「わたしは、ローザ・ベルフェロンド。魔王様のお嫁さん候補ですっ!!」
「えっ」
いや、何がどうしてそうなった。突っ込もうとして、もう遅いことを自覚する。
ああどうして、どうして魔術が使えるようになっちゃったのかな。
魔力が見られるようになっちゃったのかな。
――――背後に滅茶苦茶、緑色をしたマナが移動しているんだけど、
「ロキ君のっ、馬鹿ぁぁっ!!」
氷の槍に勢いよくどつかれて、僕はローザへと飛び込まざるを得なかった。
事故って偶然の産物だよな。だって、飛び込んだ先が魔王妃の胸の谷間だったのだから。
規格外の柔らかさに屈服していたら、もう二度三度槍に衝突して今度こそ意識がぷっつりと途切れた。
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