1-04『宙から降ってきた幼女』

 シグと校門で別れ、特に急ぐ用事もなかったので自宅へと帰還することにした。

 彼女は夕食の材料を買いに市街地へ。どうやら今日もまた僕の家に泊るらしい。

 もはや半同棲をしているつもりだが、それにしても最近はやたらと入り浸られている気がした。


 あたりは既に陽が沈んでいて、夜の帳が明けようとしていた。


 僕の住む貸家は二階建ての建築の一階角部屋だ。

 南向きの建物なので日当たりもいい良物件であるが、何故か他の部屋に住んでいる人がいない。

 数年前に住人が集団自殺したといわれる、いわゆる事故物件っていう奴だった。集団幻覚が原因だったとか。

 その手の噂を信じたことがないので気にせずに生活をしているが、一度も幻覚を見たことはなかった。


 帝国中心部に移り住んでから早一年と少し。

 シグと半同棲するようになり、部屋の住み心地はさらに良くなった。

 やはり、持つべきものは朝夕食を作ってくれる幼馴染なんだなって。

 僕は部屋の鍵を開けようとした。


 ――その瞬間、部屋の内側で盛大な激突音、破砕音が鳴り響いた。


 何事か、と思いすぐに部屋の扉を開ける。

 廊下を飛びぬけたところで、思考が停止した。


「……天井に穴?」


 何度も目を擦って確かめてみたが間違いではない。

 部屋の天井に、人が一人ほど飛び込んでできた穴が空いていた。

 天井に空いた穴の先には、真っ二つに折れ曲がった倒壊済みのベッドがあった。

 普段、シグが宿泊していく際に使っているものだ。

 空から差してくる星明かりが部屋を照らす。二階の空き家をも貫通してきたらしい。


 いや、いやいや。そんなことはどうでもいい。問題は、半壊したベッドの上だった。


 ベッドの上で紫髪の幼い女の子が丸まっていた。

 歳はおそらく、九か一〇か。

 その身体はあちこちが荒んでいて、痛々しい。

 ただ、不思議なのが――彼女の纏うドレス。身体が傷だらけなのに対して、衣服には皴の一つもない。


「おいおい、嘘だろう……?」


 頭を抱える。理解が追いつかない脳が、必死に僕の目の前に広がる現状を拒もうとしていた。無理だった。


 どうしたことだろう。というか、真上から落ちてきたよな……? 死んでいるのでは?

 僕が次に取るべき行動を決めかねていると、少女の身体はもぞもぞと蠢きだした。

 ゆっくりと、大きな瞼が開かれる。


「んぁ?」


 邂逅。少女は折れ曲がったベッドに身を預けつつ、首を傾げていた。

 いや、僕だって事情が呑み込めていないんだよ。


「あ、えーと」


 変に警戒されたら、憲兵に捕まってしまいかねない。冤罪だが、晴らすのも難しそうだ。

 だって、相手は幼女だし。事情聴取を受けても、証言を憲兵が鵜呑みにするとは思えない。

 次に繋ぐ最善の一言を探していたら、


「まおーさま?」


「…………へ?」


 少女がなにやら物騒な単語を口にしながら、僕の方を指した。


「今、なんて」


「だから、まおーさまだよね、あなた」


 まおーさま……魔王様。魔族を統べる王のことだろうか。


「いや、僕は人間だよ」


「うそ、ぜったいまおーさま」


「いや、人間だ。そもそも魔族はもう――」


 過去の遺物だ。

 一〇〇年前まで魔界大陸を統治していた魔族。その王こそが、魔王。

 彼は人間界側との戦争で死に、それを最後に魔族の国は滅びた。

 魔界大陸は人の手に渡り、残った魔族は隷属民として開拓のためにこき使われている。


「でも、あなた……、まおーさまの匂いが、濃い。すんすんすん」


「え、あ、? 何? 体臭が酷いってこと?」


「まおーさまの匂い、安心するの」


 成程ワカラン。どうして、僕のことを魔王様、だと? 匂いが似ているだけで他人の空似なのでは?


 そもそも僕の生まれは人間だ。父と母も同じく人間なので、その子供も必然的に人間である。


「……むっ、やっぱりまおーさまだっ」


 少女が僕の顔を指す。

 が、その指が徐々に斜め下へと移っていく。

 指の動きが、右腕の付け根でようやく止まった。


「そこ、紋章。それ、まおーさまの」


 そこでようやく僕は自分のみに起きた異常を認知する。


「おい、なんだよこれ……」


 服ごしに肩が赤黒く点滅していることに気づく。

 人の拳ほどの大きさの複雑な文様が光っては消えて、消えては光っている。

 それは、かつての戦闘で刻まれた、不思議な『痣』だった。


 ――僕が、生まれた傷がじゅくじゅくと疼きだしている。


 ※※※


 使


 ある日を境にして失われたのだ。


 僕にはかつて妹が存在した。かつて、だから今はもういない。故人である。

 彼女の死因は……、薬物中毒。


 故郷を襲った賊によって薬漬けにされた挙句、純潔までも奪われて亡くなった。


 ――その時、憎しみとともに僕は魔術を暴走させて、山賊を皆殺しにした。


 その対価……かは分からないが、ともかくその『暴走』のせいで僕は魔術が使えないどころか、魔力を視認することが出来なくなった、同時に、右肩の『痣』を認識したのである。


「その、模様……、やっぱりあなたがまおーさまなんだね?」


「いや、言っている意味がよく分からな――」


「まおーさま、なんだね……、」


「勝手に話を進めないでくれよっ」


 こちらの疑念などどうでもよかったらしい。紫髪の幼女がぱぁぁ、と顔を明るくした。


「よかった、出逢えた」


 また、出逢えた? 眼前の少女とは言葉を交わしたことなどない。そもそも初対面だ。


「じゃあ、さっそく……奪っちゃうよ、唇」


「いや、どうしてそうな――っ」


 反駁の声も挙げられぬまま、一歩手前から飛び上がった幼女が僕の身体にしがみつき、唇を奪った。


 二筋の眼光が煌めいて、至近距離でじっと見つめる。


 ……ちょっと待ってくれ超展開もいい加減にしてくれ僕が何をしたと言うんだ何の陰謀だこれはあれか幼女に欲情させることで憲兵さんのお膝元へ連行させようとする陰謀か陰謀なのか!?


「ぷは、ちょ、離、せ――って力が強いっ、全然離れな、むがっ」


 身体を引き剥がそうとするとするも、再び口を塞がれる。幼女相手に狼狽えてどうする。でもこの幼女、固く結んだ僕の唇を割って生温かい舌を潜り込ませてきた。大人の接吻、というやつだろうか。


 おい、ロキ・ディケイオ。齢一〇にも満たないような少女に完敗するのか。恥を晒すのか。


 紫髪の少女は決して離れず、舌を介して、できたての唾液を流し込んできた。


 甘い。とても甘い。砂糖でも入っているのか!? それともそういう魔術なのか。甘い。甘くて、蕩ける。蕩けて、気持ちが良くて、何もかがどうでもよくなる――、


 ……媚薬だ。身体が火照っている。少女の髪の匂いはおろか、皮膚から染み出る油脂の匂いでさえ興奮の材料になってしまう。


 だが、同時に。身体の中に何かが流入してくる予感もあった。不思議な力だった。昔々に感じることができて、つい最近まで一切感じられることがなかった、懐かしい力。失った力。失われてしまった力。


 接吻なんてこれまで一回しかしたことがない。


 それも妹の死に際に交わしたものだ。嫌な記憶がぶり返す。


 そのたびに、深い唇の交わりが何もかもをどうでもよくする。後悔を撹拌する。


 しかし、理性はまだまだ残っていた。


 腕に精いっぱいの力をかけて、幼女を一瞬、引きはがす。


「だからっ、君は一体何をしているんだ!?」


「ふふ……っ、これでもとどおり、まおーさまはよみがえる、蘇る、あと少し、あと少しなんだから」


「蘇る!? どこに!? 君は僕に接吻をしているだけじゃないか!!」


「――もちろん、あなたの身体の中で目覚めるの、ロキ・ディケイオ……っ!」


「ちょ、どういう――!!」


 再び、口の中を蹂躙されて甘ったるい唾液を飲ませられる。心なしか腕の力が強くなった気がする。抱きしめてくる肢体が得体のしれない柔らかさを帯びてきた気がする。


 そもそもなぜ、僕の名前を知っている。


 不出来で雑然な悪夢の中をさまよっているような気分だ。


 ――でも、心のどこかには落ち着きを取り戻している自分もいる。どうして平静を保てるのか。

 ――ただ、一つの予感がある。確信めいた予感が訴えている。


 この接吻に至る全ての始まりは、ヴェル――妹、ヴェルキア・ディケイオとの接吻だ。

 魔術を失うことになった原因であり、右肩に痣が生えた理由。

 闇に埋もれ、快楽に呑まれながら、確信する。

 僕のこの運命は、ヴェルとの口づけから狂い始めたのだろう、と。



※※※



 耳元で、囁く声があった。唇はもう離されている。それどころか、紫髪の幼女も消えている。


「これで貴方は、魔王様になる切符を半分だけ、手に入れた」


 ――半分だけ?


「ええ、半分だけ。ゆえに、まだ完全な王じゃない。けど、祝いましょう」


 ――祝う?


「ええ。だって――貴方は魔王に選ばれ、……再び、魔術を扱える身体になったのですから」


 ――嘘だ、そんなはずは。


「嘘だと思うなら、確かめてみなさい。貴方の周りの空気に目を凝らして――」


 重く沈んでいく瞼を無理矢理抉じ開けて、ベッドにもたれながら周囲を見渡した。


 何やら、空気が輝いてみえる。不思議な粒子が、あたりに散らばっている。

 紫だったり、緑だったり。あるいは金色も微かに混じっているような。

 どこかで見たことがある色ばかりだった。


 ふと。からんっ、と。玄関の戸が開けられ、「おかえりー」と声が聞こえた。

 シグの声。途端に、緑色の粒子の量が増えていく。

 ああ、これは。シグの魔力なのか。

 普段、見えていなかったが、こんなにも体内からオドをまき散らしていたのか。


「え、あ、ロキ君!? ってか天井に穴!? なになにどうしたの!?」


 部屋に入ってきたシグの方で、どすん、と音がした。夕食の食材が詰め込まれた紙袋を落としたのだろう。


 一目散に僕の方へと駆け寄ってくる。目尻に涙なんか浮かべちゃって。

 耳元の囁きはもう、聞こえなかった。


「……シグ、」


「あ、ひゃ、ひゃい!?」


 近づいてきた彼女の頬に触れる。人肌の温もりを掌で受け取って、


「――――どうやら、僕は魔王に選ばれてしまったらしい」


「……………………………………………………………………………………………………へ?」


 咄嗟に出てきた謎めいた確信の言葉に、シグはただ、呆然とした声を返した。

 右肩で熱を帯びながら光っていた紋章は誰に言われるまでもなく、元に戻っていた。


 僕だって、よく分かってないよ。何なんだよ、魔王様って。

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