1-03『二重の意味で修羅場』

 聖樹迷宮一〇層の探索。


 その話を切り出されたシグの雰囲気は一変した。アンセルが体感気温を五度下げたとしたら、彼女はさらに一〇度は下げてしまったのだろう。鳥肌がぶわっと全身に浮かぶ。一本の毛も生えていない僕の心臓は、止まりかけた。シグの逆鱗に触れることは無駄に死を近づけることと何ら変わらない。


「――アンセル・セロージュ生徒会長、それは冗談抜きで仰っていますか?」


 シグの目に映っているのは間違いなく、疑念と怒り。


 何を疑い、何に対して怒っているのか。彼女の僕に対する過保護な性格を見ればすぐに歴然とする。つまり、シグは――魔術の一つも使えない僕を、聖樹迷宮の第一〇層――最近になってようやく踏破された現状最深部の層に放り込むというアンセルの暴挙に怒っている。怒り狂いそうなのをギリギリで踏みとどまっている。


 彼女の双眸は威嚇に乗った肉食獣のそれだった。

 生まれたころからの幼馴染だ。僕のことならほぼ何でも知っている。


 だからこそ、僕に無理をさせるアンセルに対して激昂の姿勢を向けるのだろう。


 テーブルの上で鎮座するカップがかたかたと小刻みに震えた。心霊現象ではない。魔力が蔓延るこの世で、幽霊とか妖怪とか怪異とかその類のものの存在は浮遊する魔力塊として証明されていた。


 おおかた、シグから漏れた魔力がカップに伝っているのだろう。かんしゃく玉が割れたシグならこれくらいの感情表現はよくやる。なんとも幼いが、その幼さが計算づくであることくらい、僕は分かっていた。


 そもそも、シグのように魔術の扱いに長けた人間が、無意識に魔力を外に漏らすことなどありえないのだ。自分の扱う魔力の統制くらい朝飯前なのだから。ゆえに、故意。威嚇の手段の一つなのだ。


 今だけは、僕のこの目が魔力を見られなくてよかったと心の底から思えた。きっと、見えていたらシグとアンセルの漏らした魔力の流れを理解できてしまうから。学院最強二大巨頭の衝突だ。一介の魔術師だったら、卒倒しているのではないか、あまりに剥き出しな感情の大きさに。


「ええ、冗談じゃありませんわ。わたくしは本気なのですよ?」


 対するアンセルはシグの尋常じゃない威圧をもろともせず、凛とした面持ちのままカップを口に運んだ。

 魔力を介さなくても五感を刺激する、纏う空気の違い。強者のオーラ。

 アンセル・セロージュという『学院最強』の片鱗が露わになる。

 これでもまだ、片鱗に過ぎないだろうが。


 一位と二位の差がはっきりと浮き出る構図。


 幼馴染という贔屓は残念ながら、実力の下じゃ完全完璧に機能しない。

 舌打ちが僕の耳元に届いた。

 悔し気に顔を歪めるシグを横に差し置いて、アンセルが僕の方へと向きを居直す。


「……というわけです、ロキさん。お願いします、――貴方しか頼める人がいないのよ」


「断れないの、知ってて頼んでますよね、会長」


「そんなの当たり前じゃない。約束は約束よ?」


 風が鳴った。隣で軽く床を踏む音があった。

 鋼が滑る音とともに、生徒会室で風切り音が唸った。


「いい加減にしてください、先輩」


 アンセル会長の首筋に、鋭い切っ先が当たる。

 ――シグの右腕はいつの間にか両手剣を振るっていた。


「へえ」


 対するアンセルが漏らしたのはただ、感嘆の息。


「魔力で編んだ剣を周囲に纏っておいて、いつでも取り出せるようにしておいた。

 ――そんなところかしら」


「チッ……!」


 鋭い舌打ちとともにシグは剣を下ろす。切っ先の鈍色から空気の中へと融解していった。


「ロキ君、無理なら無理って言って。ボクだって君を守れる確証はないんだから」


 隣で、シグがソファに勢いよく飛び込んだ。こちらを見つめる彼女の目には苛立ちが募っていた。

 最強対最強のドッグファイトが開始五秒前に迫っている。……笑えない冗談だ。


「ちょっと待ってくれ、待ってください二人とも」


 まくし立ててくる二人を落ち着けながら、核心に迫る。


 是か非の決定は僕がしなければならない。他人に責任を転嫁するのは魔術が使えようが使えなかろうが、弱者の立場に甘んじていることを指し、道理に反していた


 ゆえに――、たとえ社会的な弱者だったとしても、決定せねばならないことは僕自身で決める。


「ひとまず、どうして僕を選んだのか教えてください会長」


 アンセルとシグに視線で静粛を訴える。二人はすぐに静かになり、同じ所作でソファに居直った。咳払いも同時。ひょっとしたら仲が良いのかもしれない。


「……貴方たちは先日聖樹迷宮で起きた怪死事件についてご存じですか?」


「はい、大雑把に伺ってはいます。ですが、詳しいことは、まだ」


 世間では『迷宮魔術師殺害事件』として捜査がなされている。最近のニュースはそれで持ち越しだ。これがただの魔術師殺害事件だったならばただの殺人事件として捜査が行われたのだろう。


 よくある話だ。魔術師は任務を遂行する上で他人の恨みを買うような仕事を請け負うことも多々ある。


「最近ようやく到達したばかりの第一〇層でその変死体が見つかりました。死体は二〇代前半の女性のもの。発見されたときには四肢がバラバラにされていて、刳り貫かれていた両目だけは今も行方不明」


「それはかなり猟奇的ですね。ただの、殺人事件だったとしても」


 事件に対して淡々とした感想を述べる。殺人事件への反応としては希薄過ぎるのかもしれない。

 昔からそのような性格をしているのだから仕方がない。


「でも、――あり得ない」


 僕は。

 きっぱりと事件の実在性を否定した。

 ただの猟奇殺人も、『迷宮』が頭に嵌められただけで一気に難解なものへと昇華される。


「迷宮で死亡事故が起こるなんて、全くもってあり得ない。発生確率は隕石に当たって頭蓋が砕けて死ぬよりも低いはずです」


「だからこそ、この事件を引き受けたのよ。実に、面白いでしょう?」


 猟奇殺人を娯楽にするな。


「……ああ、確かに生徒会長のおめでたい天才頭脳なら、面白いって感じるでしょうね」


 アンセルの口端がいたずら小僧のようににぃ、と吊り上がった。

 何か壮大な悪巧みを考えているように見えなくもない。

 シグはぷい、と顔を背けたまま無言を貫いている。

 発される言葉がなかろうが、彼女の不機嫌さは空気が知らせてくれた。

 どうにも、ピリピリと炭酸水をぶち撒かれたような感触が首筋を迸っているようだ。


「野暮でしょうけれど、会長は知っているんですよね?」


「……何を? って返すのも野暮になるかしらね」


 分かりきっているなら前置きするな。

 視線で訴えると、ニマニマと悪い顔で「貴方も生意気になったものね」と軽口を叩いてきた。


「迷宮内で人間が死ぬことは有り得ない。何故なら、ギルドによって徹底的に管理されているから」


 迷宮を管理する組織、それが『ギルド』と呼ばれるものだ。

 特に、聖樹迷宮の管理に徹するのはギルド本部と呼ばれる一番規模の大きい団体である。


 世界各地には聖樹迷宮ほどではないにせよ、それに準じた迷宮と呼ばれる探索区画が存在し、それらの管理はギルド本部から枝分かれした、ギルド支部が担っている。


 彼らの業務は主に三つ。『冒険者の登録・管理をする』こと、『迷宮の最深部を開拓する』こと、そして『後に探索に訪れる冒険者が絶対に死ぬことのない階層を生み出す』ことだ。


 迷宮内には常に魔獣が蔓延っている。


 魔獣とは魔力によって構成され、実態を持った異形の化け物だ。いくつかの階級で分類され、上位種こそ人間と同等かそれ以上の思考回路を持っているらしいが大半は獣と同等だ。


 本能剥き出しの怪物と太刀打ちしたら、どんな人間でも絶対に生還できるという保証はない。

 本来の迷宮ならば、死人なんて数えきれないだろう。


 だが、ギルドによる徹底管理が功をなして、ここ数年は迷宮内での死亡者がゼロである。

 どんな仕組みで『人間を死なせない』のかは企業秘密らしいが……。


「――殺人事件が起きるのは有り得ないんですよ、仕組みは分かりませんけど死人がゼロなんですから」


「そう、毎年ゼロ人っ! いい響きよね。不完全と完全、不可能と可能の両端を孕んでいるんだもの」


「会長のその理論だと、まるで不可能な迷宮での殺人が、可能のように聞こえるのですが」


「そういうことよ。――不可能は可能なの。必要なキャストは冴えない名探偵。……あら、ちょうどここにはキャストとして十二分に機能する後輩の男の子が何も知らない様子で……ほら、たった今首を傾げている」


 首を傾げたところですべてを悟って顔を青ざめた。


「ぼ、僕は探偵っていう柄じゃないですからっ!」


「相応しいか相応しくないかは監督であるわたくしが決めることよ」


「暴君の政治だ!」


 魔術の一切使えない社会的弱者かつ、会長の忠実な部下たる庶務は静かに付き従うしかなかった。


 応接のテーブルにちょこんと置かれた煌びやかなティーカップの持ち手を指で挟み、カップの縁を口につける。ちょうどよく紅茶が冷めていた。一番煎じの茶はどうにも舌をざらつかせるし、渋みが強かったが。


「――でも、論理のない動機だけじゃロキ君を利用する理由になりませんよ、先輩」


「でも、貴方はロキさんじゃないわよね、シグルーン・ファレンハイト副会長。選択権はないでしょう?」


「幼馴染を納得させてください。だって、ロキ君を守るのはボクなんですから。治療と研究、するんでしょう? だったら、その内容まで教えてくれないと――、許しません」


 冷酷無比な視線がアンセルへと向けられる。普段の座学を熟睡していかにも無学そうな君の口から『論理』の二文字と『動機』の二文字が紡がれるなんて思ってもみなかったよ。もっと馬鹿っぽい言葉、幼い語調で反抗するものだと内心馬鹿にしていたから拍子抜けしてしまった。


「むっ、ロキ君。今、ボクのこと馬鹿にした目で見たっ」


「とんだ誤解だ。シグは元々馬鹿だからな」


「より酷かった!? 幼馴染をもっと大事に扱ってほしいんだけど!?」


 ――僕と言葉を交わすとなると、シグはあからさまに表情が緩める。

 たとえ、敵が目と鼻の先で迫りくるとしても。


 一見、ただの弄られキャラみたいな風貌だ。

 けど、時と場面さえ間違えればキャラクターは一気に異常性が跳ねあがる。


 シグルーン・ファレンハイトはどこの誰が敵であろうとも、僕の前では気を緩めたような仕草を無意識に貫徹する。昔からだった。


 昔から、僕の顔が視界に入っていたらにへら、と気の抜けた笑みを浮かべながら、片手で魔獣を屠ったりする。狂気的な絵面だ。幼馴染じゃなかったらトラウマものだろう。裏を返せば幼馴染だからすんなりと受け入れてしまった節がある。


 異常を見て育ったので見る目が異常になるのも頷ける。慣れって怖いね、という話だ。


 ――シグのネジがぶっ飛んでいるのは元来の性質なのだ。


 正と負の無邪気さを無意識に、また、意識的に使い分ける。


「ロキ君を使うんだったら」


 涙目を拭うと、キリリと怜悧な目線が蘇る。


「まずボクを納得させてくださいね?」


「大丈夫よ、シグルーンさん。さっきまでのはちょっとした茶番、後輩の緊張感を和らげるためのわたくしなりの御配慮というものよ? 当然、納得できる理由を用意していますから。

 ――でないと忠犬さんはわんわん五月蠅いですものね」


 成程。その暗喩は正しい。隣でぷんすこしている幼馴染の頭に一対の犬耳を幻視した。


 シグが緑の短髪を逆立てて目線の火花をバチバチと放っている一方で、会長はお構いなしに一〇枚ほどの紙きれを机上に持ち出した。


 ……どことなく、既視感のある表紙だ。文書は論文形式で、文字が紙の一面をびっしりと埋めている。


 表題には――『ロキ・ディケイオ 一年次研究論文』の文字が。


「おいちょっと待ってください会長どうして去年の僕の論文を持ってるんですか禁帯出ですよ!?」


「会長権限で学院図書館から複写して貰ってきただけよ。最近の図書館は便利ね、許可を取れば文書を転写して持ち出せるんですもの」


 まさか、去年度の論文を引き合いに持ち出されるとは思ってもみなかった。完全な不意打ちである。

 一週間かけずに急造したツッコミだらけの論文だったので恥ずかしいったらありゃしない。

 なんだよ、罰ゲームか?


「でも、教授陣からの評価は高くて、去年度一年生の最優秀論文賞を受賞したとか」


「基本実技ができれば学院では評価されるから、筆記に手を抜く人間が多いだけって話でしょう?」


 謙遜ではなかった。学院生は実技的な、魔術の実験こそ盛んだが、史学や文学系統の研究は過疎化が加速している。実用性がないとされているからだろう。学院の意向では『実験』の奨励があからさまに行われていた。もう数年もすれば所属している魔法史学科も排斥されかねない。


「――まあわたくしは実技ができて論文も学院全体で最優秀賞を頂いたわけですが」


「謎のマウントやめてください先輩。その華奢な手首を捻り潰したい衝動に駆られますので……っ!」


 シグのこめかみには青筋がビキベキバキッッ!! と音を立てて浮かぶ。

 ズヴァチッッ!! と魔力で錬成された本物の火花が、禍々しい音を立てて二人の間で散っていた。

 どうせ、会長のことだからマウントをとってくるんだろうと予測していたけれど。


 できればお近づきになりたくなかったなあ、と遠い目で学院最強の二人を眺めていた。


「――で、話を戻しますと。ロキさんの去年の論文テーマが『魔術と科学の信頼度から見た魔術黎明期における人間の心理についての考察』だったとか」


「ええ。会長の持ってる紙に書いてある通りですよ。古代文明で栄えたという『科学』と現代の『魔術』の発展の変遷を比較して、そこから分かったことを書き出すだけ」


「そうです、そこなんです! わたくしがロキさんに目を付けた理由はズバリ、『科学』の知識に精通しているからなんですよ」


 いや、訳が分からなかった。精通て。学者じゃあるまいし。


 確かに僕は去年の論文を執筆するにあたり、科学の知識についてはそれなりに文献を漁って手に入れた。しかし、それだけだ。そもそも僕の指導を担当した教授は魔術史が専門であり、科学もかじっていたため、研究室の配属になることを許可されたが、教授自身も科学に関しては素人に毛が生えたくらいの知識がないと断言していた。半分以上は謙遜だったが。学院で講義を開くくらいだから学院図書館の科学史資料はまるまる漁ったらしいが、それでも科学には未解明な点が多いという。


 ――魔術が成立するより前には世界的に用いられていた技術だ、というのにおかしな話だ。


 そもそも『科学技術』全般で、権威が滅多にいないのだ。学会誌もない。先行研究もことごとく少なく、漁っても漁っても科学に関しての論文を発表している人間は僕の知っているところ、僕の担当をしている教授と、あと一人くらいしかいない。


 そんなわけで、先行研究すら碌に見つけられなかった僕の研究は粗ばかりの黒歴史と化してしまった。

 たった一年やそこら独学したところで得られた知識なんて底が知れている。

 学院一位の会長なら当然理解しているだろう。ならば、どうして僕を選出する?


 ――そもそも、科学とその変死事件に因果関係はみられるのか?


「……変死体の死因は絞殺に見せた毒殺だった、という速報は聞いたかしら」


「いえ、まだ」首を振る。


「発見時には口から泡を吐いていた痕跡があったの。憲兵の方で体液の分析をしたところ、特に毒と思われる成分は検出されなかったわ」


「矛盾していますよ、先輩。毒が検出されなかったら毒殺じゃないのでは?」


 訝しげにシグがアンセルを睨む。

 隣の彼女はまだ、事情を掴めていないようだが、僕は既に状況を掴みかけていた。


「いいえ、殺害事件の死因は毒殺ですわよ。公式で発表されましたもの。さて、ロキさん――どうして毒殺が確定したのか、分かるかしら」


「簡単だ」問いは、魔術的じゃなかった。ならば答えはただ一つ。「死者の体液を検出して、実験動物に飲ませたり注射したりしたんでしょう?」


「大正解。さすが、ロキさんですわね?」


「しらじらしいですよ、会長。僕が当ててくること、分かってたんじゃないですか?」


「分かっていたに決まっているじゃないっ! ……だって、ロキさん、分かりやすいんですもの」


 会長は口元をムズムズさせながら、半目を俯けた。そんなに分かりやすいのか?

 ともあれ、毒殺されたことが確からしい。


「でも、毒だったら僕よりも回復魔術師の方々に手伝ってもらった方が」


「……何人か尋ねたらしいんですが、まだ粘液に含まれる物質が解明できなくて。

 それに――『科学的』に発生した毒は、『魔術』で治癒できないようです。風の噂、眉唾ものですが」


「あくまで噂でしょう?」


「噂、ですが、試してみる価値はあるでしょう?」


「ええ。でも、その前に一つだけ、尋ねてみたいことが」


「なんでしょう?」


「その毒は、……魔力に変換できましたか?」


 アンセルは表情を崩さず、首を横に振った。


「素晴らしい着眼点ですね。魔力の性質を隅々まで理解しているようで」


「科学を学ぶ上で、比較材料として、魔術も学んだまでですよ」


 魔力の性質の一つに、簡単に集合離散するというものがある。魔術として体外から放つこと(=集合)が出来る一方、発生した魔術を解体して(=離散)魔力に戻すこともできるのだ。


 その性質が当てはまるなら、毒が魔力である可能性はまだ、否定できなかったが。


「魔力の性質から外れる以上、魔術という線は薄い。となると、次に気になるのが科学、ですか」


 アンセルは深く頷いた。でもまだ、論理性に欠けている箇所がある。


「でも探偵役を選任するんだったら、僕の担当教授に話を持ち込んだ方がいいはずだ。仮にも教授なわけだし、僕よりは確実に正しい推測をしてくれるんじゃないかな」


 正論を返すと、うーむとアンセルは唸ってソファに身を投げ出した。


「本当なら、貴方の担当教授に頼み込もうと思ったのだけれど学会発表が忙しいらしく予定が合わないらしくて。そしたら教授がロキさんを推薦してきて」


「会長の推薦ではなかったんですね……?」


「わたくしとしても、やっていただけると嬉しい」


「人材不足だから大歓迎でしょうね。会長がどんどん仕事を持ってくるものだから、部下はその尻拭いに罅大忙しですよ」


 わざとらしく悪態をついたところで、会長はニコニコ、ポーカーフェイスを崩さなかった。

 腹の黒さも学院最強のようだ。


「でもなんで、わざわざ生徒会へその案件が流れてきたんですか? この国には七剣聖をはじめ、多くの帝国騎士が在籍していますのに」


 七剣聖、というのは聖樹帝国に仕える憲兵の中でも、特に剣の技能に長けた最強な七人のことを指す。

 憲兵として市街の治安維持に努める傍ら、帝国王家の護衛としての役割も担っている超精鋭軍団だ。


「王家は精霊連合国との交流会に出向いたり、魔界大陸開拓区の視察に出ていたりとかで大忙し。それぞれに七剣聖が付かなければならないので、人手不足なのよ」


「く、逃げ道は塞がれた、か。あまりにもご都合主義が過ぎるんですが」


「観念しなさ……ゴホンゴホン、どうぞよろしくお願い致します、ロキさん」


「心の声漏れてますからね、会長」


 ソファを立ち上がり、じりじりと詰め寄ってくるアンセル・セロージュ生徒会長。

 四面楚歌。お手上げだ。


 ――とその時、僕とアンセルの間に一本の両手剣が割り込む。


「先輩。いい加減、弱い者いじめをやめてください。ロキ君が、可哀そうですから」


 底冷えた文句を吐き出したのは他でもないシグだ。

 背後に鬼神の気配を感じるくらいの凄まじい気迫を放っている。

 でも、やっぱり学院最強の顔から余裕は剥がれない。


「あまりかっかしないでくれませんか、シグルーン・ファレンハイト副生徒会長」


「だったらロキ君をパシらないでくれませんか? アンセル・セロージュ生徒会長様の受けた依頼はボクがすべて引き受けるので」


「あら。あらあら。勉学をロキさんに任せっきりで、どの口が仰るのですか?」


 ヴォンッッ!! と風が巻き起こされ、生徒会室の硝子窓が一斉に音を立てて割れた。

 割れた破片は、宙を舞って地面へと散る……ことはなかった。


 硝子は破裂したことで分散していく。

 その一粒一粒が煌めきを放って、アンセルのもとに吸い込まれていく。


 硝子は硝子でも、聖樹の魔力で生み出した魔力硝子ならば破片で切り傷を負うことはない。

 魔力で編まれた素材とはかくも安全なのか。


 ――風の流れはすぐに収まった。


 剣がアンセルの頬を掠め、シグの首筋を魔力硝子の破片が突き抜けようとした。

 少しでも動けば、どちらかの首が飛ぶ緊迫した状況。


 ……ってかなんだこれ。


 依頼に参加するか否かの決定権は僕が握っている。

 なのにどうして第三者による戦闘が始まっているんだろう。


「ねえ、ロキさん?」


「あの……ロキ君っ」


 いつでも致命傷を当てられる姿勢のまま、二人の首がぬるりと僕の方へと向けられた。

 悪鬼が二体。「んひっ」と僕の声帯が恐怖により、無駄に震える。


「わたくしを選んでください!」


「ボクを選んで!!」


「な、何の話だよ! ここは修羅場か!?」


 見紛うことなき修羅場だった。二重の意味で。

 魔術の修羅と剣の修羅。挟まれる一般庶務人。

 泣いていいかな。魔術が一切使えない割に、健闘している方だと思うんだ僕は。

 逆に。魔力が視認できないからこそ、ギリギリ平成が保てているのかもしれない。

 自分の無能が意外なところで役に立っていて、嬉しいような、なんだか釈然としないような。


「あー、僕の意見としては参加してもいいんだけどさ」


「おぉー! ありがとうございますロキさん」


「ちょ、ロキ君!? 正気なの!?」


「正気だよ。でも、一つだけ条件が欲しい」


 カップの縁に手を掛けて、中の紅茶を飲み干した。

 芳醇な香りを鼻腔に残して、僕は人差し指を突き立てる。


「もしも、僕らが予期せぬ危険に遭遇した場合、会長自ら助けに来てくれませんか? 

 ――一応、この一件の責任者ですし、尻拭いくらいはしてください」


「それくらいだったら任せてくださいっ! なんてったって、わたくしは生徒会長なんですからっ!」


 立ち上がった会長は自信ありげに胸を張った。シグの目線が強調された双丘と彼女自身の平べったいそれとを見比べていた。


 あ、睨まれた。鬼神じみた視線が集中。耐えられそうにないのですかさず目を逸らした。


「……ロキ君の、えっち野郎、へんたい、パイデカ教徒」


 あらぬ誤解を掛けられたが、反駁すれば物理的で跳ね返されるので口を閉ざす。


 我ながら利口な判断をしたと思う。


「何を頼まれるか内心どぎまぎしていたけど、それくらいなら朝飯前。ちゃんと君たちの旅路を観察しておいてあげるから。いざというときは二人とも連れて地上に返す。学院生徒会長として誓いましょう」


「信じてます、会長。裏切ったら、末代まで祟りますからね」


「はは、そのときはわたくしが末代になってしまいそうですね」


 違いない、僕は返してカップをテーブルの裾に並べた。


 横でソファから起き上がり心配そうな顔をしてくる幼馴染。彼女は僕に対していつも過保護で、そのおかげで今の学院での生活が保障されているといっても過言ではなかった。


 だからこそ、心から心配しているのだろう。


 シグの緑の髪の上に手をポンっと置く。長い付き合いだから分かること、彼女はこうすればすぐに静かになってくれるのだ。


「大丈夫、いざというときは戦線から離脱するから」


「本当に、知らないんだからね。自己責任なんだから、ね?」


「ありがとう、シグ」


 渋々、シグは剣を鞘に納めた。彼女の首を切り裂こうとしていた魔力硝子は宙で霧散して再び、窓枠に硝子として張り付いた。


 魔術とはなんとも摩訶不思議な力だ。でも、やはり、奇跡と喩えるのは大逸れているという考えは覆らない。


 生徒会室での用が済み、学院本部棟を出ると西日が眩しかった。

それなりに一日が短く感じられた。


軽率に重要な責務を負ってしまったわけだが、果たして自分に探偵役が務まるのか、はなはだ疑問だったし、そもそもそんな御大層な役柄を務めるつもりはなかった。

論理と実証を繰り返すだけ。


だが、まさか科学に対する知識が予想外の形で活かされるとは。

人生は未知数に満ちている。


夕刻五時を示す鐘が鳴った。

手指を組んで、腕を真上に伸ばす。背骨がバキボキと音を立てるのが気持ちいい。

慢性的な疲労が幾分かマシになった、気がした。


「ロキ君はこのあと家に戻るの?」


「うん。講義の課題を片付けようかな。――魔術史学文献購読」


「えっ、課題あったっけ」


「君は講義中、ずっと夢の国で遊んでいるからね。そりゃ、聞いてないだろうよ」


 驚きで固まってしまったシグ。呆れてものも言えなかったので彼女を置いていく。


「ちょ、ちょっと待ってロキ君! いや! ロキ様!!」


「……なんだよシグ。急に畏まった口調になって」


「…………あの、大変恐縮ではございますが、その、課題の方を、ええと、見せていただけませんかねぇ?」


 当然無視した。

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