1-02『生徒会長アンセル・セロージュの提案』

 講義が終わると、学内アナウンスで生徒会室に呼び出しを食らった。


 特に問題を起こしたわけではない。


 どうせ、生徒会長が雑務を吹っ掛けてくるのだろう。


 これでも、僕は魔術師が蔓延る学院の生徒会に属していた。それも、会長直々の御使命である。


 ……正直ありがたい迷惑だった。逆らえないのがなんともいやらしい。


 いやらしいけど、会長のわがままを聞く現状に甘えることしか僕にはできなかった。


 ため息。隣で始終眠っていたシグを叩き起こす。


 寝ぼけ眼で「だっこして~」とせがまれたので、ぐわんぐわんを肩を上下に揺らして目を覚まさせる。


 ちなみにこの駄幼馴染は生徒会の副会長を担っている。大丈夫なのか、この学院。


「さすがに人前で『だっこして~』はないと思うけど。恥ずかしくないの?」


「ほら、あの、はい……ええと、人って童心に帰りたい時があるでしょ? だから、だっこしてほしいと思うのは自然の摂理なんじゃないかなーって」


 さいですか。


「ほら、生徒会長のところ行くよ」


「あしらいが雑っ!? いや、ボクに非があるのは分かっているんだけども! もうちょっと弁明を聞いてほしかった、聞き入ってほしかったなあ!」


「聞いたよ、聞き流したけど」


「流すなぁ!」


 他愛のない会話を二転三転しているうちに、学院の本部棟最上階にたどり着く。


 立札が玄関口の手前に立てられ、『生徒会室』という文字が刻まれていた。


 扉の前でノックを二回。ノックの回数で要件の種類が異なる、というのが歴代生徒会に伝わる暗黙の了解だった。


 ちなみに三回だと愛の告白とか。これは現生徒会長が後付けしたものだ。通称『愛情ノック』。何度か、会長の児戯のせいで愛情ノックをさせられそうになったことはあった。その度に上手いこと回避はし続けていたけど。会長のお遊びは心臓に悪い。


 そのうえ、会長本人は、僕が告白せざるを得ない状況に追い込んで、一人でけらけら笑うのだろう。挙句その映像を魔術で記録して、保存するのかもしれない。

 腹の黒い会長のことだ。どうせもうやっている。


 部屋の中から、「どうぞ、お入りなさいませ」と丁重な了承の声が掛けられる。

 年季の入った木製の扉を開くと、真正面のデスクに彼女は腰を掛けていた。愛情ノックは回避した。


「お目見えかしら。――庶務くんに、副会長さん」


 彼女こそが、学院に通う学生のトップ。生徒会長のアンセル・セロージュだった。


 僕は彼女主導の生徒会に半ば強引に吸い取られ、庶務として雑務全般を担っている。


 いわゆる、使いっ走りだ。その分、色々贔屓してもらっているので文句を言える立場ではないが。


 長い金髪を後ろに伸ばし、横顔にかかる二房をくるくるドリルのようにカールさせている。制服の上からでもはっきりと拝める大きめな乳房。それを抱えるように腕を組み、美脚を魅せるように足を組んでいた。


 碧眼がこちらをキリリと射抜く。


 さすがは生徒会長の威厳。半歩後ろに引きたくなった。


 でも、残念かな。完璧な見た目でうなぎ上りの印象は彼女の言動で完膚なきまでに崩壊する。


「ようこそ生徒会へ――キラッ」


「会長、見苦しいですよ」


 ほら見ろ言わんこっちゃない。


 キラッてなんだよ、キラッて。効果音口に出てますから。


 初対面だったら、二、三歩引かれそう。実際引いた経験がある。


 目を背ける。なんで、どうしてこんな変人が生徒会長なんてやっているんだ。


「どうしてって、それはもちろん! わたくしが学院最強だから! わよ!!」


「当たり前のように心を読まないでくださいっ! あと、とってつけたようにお嬢様言葉付けないでください。語尾の『わよ』ってなんですか、鳴き声なんですか」


「いい線行っているわね、大体正解よ」


 さいですか。


 ばちこーん、とウインクにピースサインを重ねた。

 思わず頭を抱えてしまった。隣からよすよすとシグが頭を撫でてくる。


 ホント駄目だこの学校おしまいだ……。


「アンセル先輩、あまりロキ君をいじめないでくださいね?」


「しょうがないなー。可愛い可愛い副会長さんのお願いなら、先輩聞き入れちゃおうかしら~」


「先輩、――割と大マジでお願いしますね?」


 にっこりと。シグが張り付いた笑みを向ける。


 しかし、その眼は一切笑っていなかった。恐怖だった。


 静寂。目線と目線の応酬を傍から怯えつつ、静観することしか僕にはできない。


 この二人、実は術儀式帝国学院の二大巨頭である。


 当代最強にして、学院生徒会長アンセル・セロージュは言うまでもなく学院主席の実力者。その実力は年を経るにつれて、衰えることを知らず、むしろ誰にも引けを取らない素晴らしい結果として残っている。


 若干学院一年生にしてかつて一位の座に君臨していた上級生を木っ端微塵にし、学院の玉座を占拠してから、彼女の噂はことあるごとになされる。


 また、実力とは相反してちょっと痛い性格――オブラートに包めば電波的な性格が一部の層の学生に人気らしい。物好きもいるものだ。


 対して、シグ――シグルーン・ファレンハイトは、学院次席で生徒会副会長。昨年度に入学をしてからというものの、アンセルが一年にして築き上げた難攻不落の生徒会メンバーをことごとく打破し、見事、学院での第二位の座を指す生徒会の二番手、副会長に就任したのだ。


 まだ、アンセル会長には及ばないものの潜在能力は彼女に匹敵するか、上回るかもしれない。


 お互い、名家出身の御令嬢であり、学院における最強の座を総なめにする存在。ライバル視するのも頷けた。


 ……でも、できれば部外者の僕を挟まないでほしい。とても、それはとても筆舌に尽くしがたいくらいに恐ろしくおぞましいものに挟まれているわけだから。


 それに、僕はそもそも生徒会に居座っていい実力の人間じゃない。


 彼女らにとっての僕は虫けらと同等ともとれる下等生物なのだから。


「……フッ、茶番はここまでよ諸君」


「「茶番を持ち掛けたのは会長ですよね!?」」


 シグと声を合わせて反論した。僕らはなかよし幼馴染、横暴会長をぶっ飛ばせ。

 ついでに幼馴染も懲りて欲しい。胃痛がちょっとは和らぐだろうし。


「そうですね。茶番を仕掛けたのは確かに、わたくしです」


 ほのぼのとした様子で手前に置かれたティーカップに唇を付ける。

 緋色の液体が、生徒会室の窓外から差し込む陽の光を乱反射して黄金のように揺らめき、輝きを放つ。


「では、――『茶番を終わらせようかしら』」


 会長の表情が引き締まり、真面目な顔つきになる。

 低めの透き通った声色が厭に胸中に染み渡って、心に凪が訪れたかのような沈静を感じ取る。


 焦りも何一つ浮かばない。威圧もない。


 でも――ああ、確かに茶番はここまでらしい。


 生徒会室の空気ががらっと変わった。厳密には体感温度が五度くらい下がったような、異常気象を想起させる気持ちが悪いくらいの気温変化。少なくとも、僕は天然のものではないと断定できた。


 大窓で覆われた無菌室のような空間から雑音という雑音が一切除外される。

 あり得ない事象のはずなのに、音という音は声以外が鼓膜を通ることを拒絶されている。


 鳥肌が立ち、身体が強張る。

 息を、呑んだ。


「……なんて、ね。緊張しすぎよ、ロキくん。わたくしは貴方に話があってわざわざ呼び出したんだもの。

 喋れなくなってしまったら、元も子もないじゃない」


 真面目な表情を崩し、顔を緩めた会長。


 凍てついた世界が急速に解凍され、再び動き出す。


 応接用のソファに、シグと並んで腰を掛ける。


 会長――アンセルがテーブルに並んだティーカップに紅茶を注ぐ。


「で、要件って何でしょう」


 紅茶を口に含み、飲み下す。

 この時僕は、内心そこまでの面倒事じゃないだろうな、と楽観していた。


 会長は、一見自由奔放な性格ではあるが、身の丈に合わない仕事は部下に押し付けない主義の人だった。


 僕の得意分野は力仕事と書類整理だ。そのことも確かに、彼女は理解している。理解したうえで、適した仕事を山ほど投げてくる。若干のサディスティックを感じながらも、無理難題を押し付けてこないあたりに、彼女の優しさが垣間見えている。僕が激務で毒されているだけなのかもしれないけど。


 まあ、ともかく。この人となりをわりかし信頼している節はあったわけだ。

 だから、


「聖樹迷宮一〇階層の探索、シグルーン後輩と一緒に行ってきてくれないかしら?」


 次に続いた発言を聞いて僕は、顔面から表情が消えていくのを感じていた。


「ええと。……気でも狂いましたか?」


「失礼ね、わたくしは本気よ」


「でも、迷宮って……、僕なんかが潜ったら最後――」


「元に戻れない? あははっ、まさか」


 会長の目は正気を映していた。


「これは治療よ、そして研究でもあるのよ――ロキ・ディケイオさん」


 治療、とか、研究とか……。アンセル会長からそのような単語が放たれてしまっては、僕が断ることはできない。何故なら、その二つの目的を満たす引き換えに、僕は『学院』への入学を許可されたのだから。


 僕は、自分の実力だけでは、生徒会に加入するどころか、『学院』に入学することすらできない劣等生だった。


 根拠は、ただ一つ――、


使? 約束を離反しようとすれば、すぐに退学させることができるの」


 会長は、あくまで穏やかな表情で、事実を突きつけた。


 そう。僕は。ロキ・ディケイオは――、魔術師の蔓延る学院で、魔術師になれない人間だった。

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