第二章 冬のはじまり
魔王ユニファズ
魔王ユニファズ──そう呼ばれる存在が世界に現れたのはおよそ五〇〇年前のことだ。
漆黒の髪と朱金の瞳を持つ魔族であったとされるが、本当のところはわかっていない。そもそも魔族と呼ばれる種自体が謎に包まれているのだから。魔王、と、そう呼ばれているが、人間であったとも、あるいは異界からの来訪者であったとも伝えられる。
彼は西方諸国に現れ、瞬く間に世界を蹂躙した。死と破壊に満ちた、悲劇と災厄の時代の始まりである。
だが、魔王の支配は長くは続かなかった。やがて彼は予言者ウィフによって討伐される。詩人たちの歌によって広く知られている通りだ。
魔王ユニファズは一振りの剣を手にしていた。魔王とともに姿を消したとされる伝説の剣──それが、魔剣グラティファイである。
※
「寒い……、もう冬なんですね」
ギゲルフは小さな肩を震わせて、白い息を吐き出した。
ギゲルフの視線の先──礼拝所の最奥にあるのは、夏の終わり以来、この場の主となっている一振りの剣だ。破れた天井の瓦礫やソラグ像の破片は取り除かれているが、地面に深く突き刺さった剣は動かすことも出来ず、そのまま据え置かれている。
見上げるばかりの大きさに、あふれるような存在感。射し込む光と下から嘗めるように照らし出す淡い灯が、その姿を一層玄妙に演出している。
周囲には一時期ほどではないにしろ、見物人の姿も散見された。剣の調査のために魔術兵団から派遣された魔術師の姿が絶えずあるのも、彼が礼拝所の一角を我が物顔で陣取っているのも、すっかり見慣れた光景となっている。
調査といっても、大がかりなものではない。調査に当たっている魔術師は一人だけ。それも、ハーフエルフではなく若い人間の魔術師だ。それと、助手の子供が一人──こちらはギゲルフよりも幼い。剣についてはまだ何もわかっていないと言うし、調査というのは形ばかりなのかもしれない。
剣が現れたのは夏の終わりのことだ。奇しくもその場に居合わせたギゲルフは、その時のことをはっきりと覚えている。
何もない空間に突如として光が生まれ、気がついたときには剣が存在していた。
そろそろ街が目覚め出そうかという早朝だった。
供物を捧げるため礼拝所へ向かっていたギゲルフは、開かれたままの正面の大扉の向こう──礼拝所の中から光が漏れているのを見つけたのだ。
すでに誰かがいるのだろうかと、中を覗き込む。だが、内部に人の姿はなかった。並ぶ柱と祭壇、その先にたたずむソラグ像。いつもと変わらない見慣れた光景だ。ただ、あふれる光がある。それだけがいつもと違っていた。
「この光は、どこから……?」
光の源を探して、ギゲルフは周囲をぐるりと見回した。
光を発するようなものは見当たらない。どこが、というより空間全体が発光しているようだった。
ギゲルフがそうしている間にも光は徐々に強さを増し、やがて目を開けていられないほどになる。
眩しさに目をつぶる。同時に、なにかが大地を震わせた。まるでなにか重い物が落ちて、地面を揺らしたかのように。
光が消え去ったとき、あたりの様子は一変していた。天井には大きな穴があき、ソラグ像は台座ごと、跡形もなく砕け散っている。床には無数の瓦礫が散乱し、そして──
「……これは……、剣……?」
立ち尽くしたまま、惚けたようにギゲルフは呟いた。
ソラグ像のあった場所に、見上げんばかりの巨大な剣が突き立っていた。
「剣が、降ってきた……?」
未知の物への恐怖と興味、心の天秤は後者へと傾いた。まだ埃がもうもうと舞い上がるなか、散乱した像の破片を踏み越えて、ギゲルフは剣の元へと近づいていく。そうしておそるおそる触れた手に、冷たい金属の感触が伝わった。
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