剣、そして
はじまりは、これ、だったのかもしれない。
背丈の優に数倍はあるその剣を見上げ、シセラは小さく息をついた。
セーヴェルではさして珍しくもない、エルフの若者だ。街生まれではなく、森で育ったという点では多少なりとも
長く尖った耳が特徴の、人に近しい姿を持つ森の種族。人間にすれば十五歳ほどだろうか、まだ少年といってよい年頃に見えるが、実際はその数倍の年月を生きている。精霊を祖に持つとも言われるエルフの寿命は人間より遙かに長く、無限とすら言われているのだ。
シセラの前にあるのは、巨大な剣だった。
本来、その場所に祀られているのは神殿の主たるソラグ神のはずである。けれど今、神像の代わりにそこにあるのは一振りの剣だ。
セーヴェル王国、王都ギエフ。〝森の街〟として知られるこの街は、ケトラ河の両岸に、森を割って作られている。
街を臨む小高い丘の上にはセーヴェル国王ユウェル一世の居城が聳え、そして、城と向かい合うもう一つ丘に、至高神ソラグの大神殿がある。
剣はその、ソラグ神殿の礼拝所に突き立っていた。
何故そこにあるのか、それは降ってきたから。
セーヴェルの短い夏が終わりを告げる九月のはじめ、どこからともなく剣は──まさに文字通り──降ってきたのだ。礼拝所の天井を砕き、ソラグの像を無数の瓦礫に変えて。
誰が、なぜ、どこから。あらゆる疑問に対する答えはなかった。誰も、答えることは出来なかった。
ソラグの怒り、あるいは何らかの神慮ではないか。そう噂する者があれば、一方で、古代王国の遺産だという者もいた。古代の遺物が、余人には理解し得ぬ不思議の力によって現出したのだと。
いや、あれは魔剣グラティファイに違いない。かつて魔王ユニファズが手にしたという、あらゆる願いを叶える伝説の魔剣。
様々な憶測が飛び交ったが、そのどれもが推測の域を出るものではなかった。
人が振るうにしては巨大すぎるその剣を、はたして誰が使っていたのか。どこからやってきたのか。今に至るまで何ひとつ分からないまま、剣は現れたときそのままに、祭壇の奥に置き据えられている。砕けたソラグ像の代わりだとでもいうように。
──すべてはこの剣から始まっている。そんな気がする。街で起きているあの事件も。
剣が現れ、それを追うように事件が起きた。そこに何らかのつながりがあるのではないか。そう考えてしまうのは、ただの杞憂だろうか。
「魔王ユニファズの呪い、か……」
冷たい金属の輝きを見つめながら、シセラはそっと、胸にさげた聖印を握りしめた。
※
空がもっとも綺麗なのは明け方なのかもしれない。
黒かった空はやがて白み、紅に染まった後に青さを取り戻す。
シセラはこの、黒から白へ、そして紅へと変わる時間が好きだった。
静寂の中に張りつめた清冽なものが満ちていき、大気の中には鮮やかな気が溢れてゆく。闇の紗幕は光の天幕へと変わり、月や星は空の王たる太陽へとその場を譲る。
朝焼けに染まる空の下、薬草園を見て回り、それから神殿の一角に建てられた小さな建物へと向かう。シセラは神殿に起居する治療師だ。神の奇跡ではなく、主に薬草と、エルフの持つ技を使う。
治療院の戸を開けると、寝台の上に少年が身を起こしていた。昨夜運び込まれた、事件の生き残りの少年だ。
見た目はシセラと同じくらいだろうか。とはいえ、エルフであるシセラと人間である彼とでは、生きてきた時間の長さに大きな隔たりがある。
「おはようございます。もう、起きても大丈夫なんですか?」
声をかけるが、少年からの返事はなかった。聞こえなかったのだろうか。そう思って、もう一度声をかける。
「あのー……、おはようございます」
シセラの言葉は届いているのだろう。だが少年は、ただきょとんとした表情で、シセラの顔を見つめている。
口が利けないのかとも思ったが、なにやら小さくぼそぼそと呟いているから、そうではないのだろう。ふと、シセラはある可能性に気がついてこう訊ねた。
「……言葉、わかる?」
シセラの雰囲気から、何かを訊かれていることは理解できたのだろう。困ったように少年は首を傾げると、ひたすらに首を横に振り始めた。
ああ、とシセラは呻いた。どうやら言葉が通じていないらしい。
どうしたものか。困惑するシセラを
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