『全力』をつくせる人間になりたかった

全力を尽くすことは良いことだ。

昔からずっとそう教えられてきた。

小中高と学校生活では全力でやっている人が、

『頑張っている』というだけで褒められていた。


確かに何事にも全力を尽くし、活動的にできる人間ほどうらやましいものはない。

時間は有限でありそれを最大効率で活用できる人間は有能だ。

それは筋の通った評価方法だ。


しかしながら、かれこれ20年間怠惰とともに生きてきた私は思ってしまう。

『何事も全力』のみを評価することは本当に良いことなのだろうか?


人それぞれにはそれぞれのキャパシティがある。

そのキャパシティが回復する時間だって人それぞれだ。

時間は有限だ。でも私の容量だって限りがあるのだ。


個人のキャパを超えているものを抱えて、走り回ることを

一方的に素晴らしいといわないでくれ。

自分のキャパを見越してゆったり休みながら、周りに協力を頼みながら

歩いて行くのも、見方によっては大切なこと何ではないだろうか。


もちろん先に言ったように、できる人間はすごいんだ。

それはそれでいい、すごい人はすごい人で良い。

でも誰もかもすごくなれるわけでない。

そうなりたいとは思っても、そんな風には振る舞えない。


そう振る舞えないから、

そう振る舞おうとしても途中で息切れしてとれてしまうから

『手抜き』が必要なんだ。『怠ける』必要があるのだ。

休憩をして自分の呼吸を取り戻すために。


世間は、頑張った人間は祝福し

何もやらなかった人間をせめたてるけど

もう少しこういう人にも優しい世界になってもらいたいな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

爆発を望むこころ @Tokiha-midoriba

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ