3、雨降る日。 3rd:One day when it rain.

 僕とフィーリアは同じ岩に腰掛けると手を絡め合った。

 僕はただ静かに、目の前の現実離れした光景を眺めていた。…雪、フィーリアに告白し、人間ではなく竜なのだと告げられ、雲の上の大陸?に着いた。―なんか現実じゃないみたい、そんな気分になる。

 だがフィーリアと繋いだ手の温もりと、微かに濡れ肌に吸い付く服が、今目に映る光景が現実だと告げてくれる。「―あのね」とフィーリアは口を開く。


「私たち竜族は、今から10万年近く前に、竜母龍たつのははおろちっていう一頭の古龍と、竜皇コルベルンという一人の人間から生まれたの。竜母龍と竜皇の間に6匹の竜の子が生まれた、それが六祖竜。―竜族にとっておろちは神に等しい存在。…龍が下界に居住まうと災害しか招くかないから私たちの祖先は龍と共にこの地に住む事になったの。かつては他の種族からも神と崇められていた龍たちはとても長生きで心優しいの。自分たちの存在が他種族に悪影響を及ぼす事が許せなかった。

―例えそれが人による裏切りでもね」

 

 フィーリアはポツポツと龍や竜に纏わる事を語りだした。


「―5000年前、龍たちは、地上から去り雲の奥深くにあるこの《アーフブル》に住む事を決めた。龍はその途方もない寿命を以てして語り継げないほどの悠久の昔にこの地に降り立った。まだこの星が朱く燃えていた頃から、己らが星の行く末や、星から生まれる種族に深く関わらない掟を立てていたの。―だから私たち竜族も最初の六氏ろくうじ会議で下界に降り立つ事を禁じたの。六祖竜《カムラミ》の子孫である私たちカムラミ一族も最後にアーフブル移り住んだ身だけど同じ竜族。従う義務があるんだ」


 とフィーリアは言うがその言葉に僕はふと疑問を覚えた。掟で下界に降りてはいけないと定まっている状態で、フィーリアは何故何年も僕と学校に通えたのだろうか。

 僕はその疑問をフィーリアにぶつける。

「じゃあ、どうしてフィーリアは、その、何年も僕と同じ学校に通ってたの?」


 フィーリアは少し言葉を選びつつ言う。


「…本当はいけないんだけどね。六氏の長がそれぞれ治める領地があるんだけど、うちのカムラミ一族は《竜之國》を統治してる。は発覚してから初めてでしょ? 私、一族でそれなりの地位にあるから黙っててくれるの。―だけど他の氏族にバレちゃって。まあどっちにしろ地上に長く居すぎると良くないし、だから今日夕立にしてもらって《アーフブル》の門を開けて入ったんだ」 

 

 夕立…、雲の中にこのアーフブルがある。フィーリアの話を聞く限り、龍や竜族はヒトに対しまり良い感情を抱いていない。ヒトが容易に立ち入る事の出来ない雲の上はうってつけの場所だろう。


「アーフブルの入り口って夕立の…ううん何でもない。忘れて。―で、なんでフィーリアは僕と同じ学校に通ってたの?」


 それなりの地位にいる人物が一族(?)の存亡にまつわる情報を流したら不味いだろうと判断し、途中で話題を変えることにした。というかフィーリアの顔色が露骨に変わったしな。

 というかフィーリアも僕の質問に答えず煙に巻こうとしたっぽいし改めて聞くには丁度いい。

 フィーリアは逃げきれないと観念したのか、少しだけ溜息を吐いた後に口を開く。

「―優くんはもう覚えてないだろうけどね。私はずっと前に君に会って助けられたことがあるの。それから君のことが好きになってね―内緒で下界に降りちゃった」



 それを皮切りにフィーリアは、僕とフィーリアの出会いの物語を紡ぎ始めた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 それは今から10年前。僕がまだ小学校に入りたての頃、今日と同じ雨の日のことだった。

 今日ほど雨足は強くなく、パラパラと地面を優しく洗う程度の小雨の中。

 僕は家の近くの道を合羽を着て歩いていた。


 近年。空と大地の境目がぐちゃぐちゃに入り交じり曖昧な上、空が汚され、龍が頻繁に下界に降りる為、アーフブルと下界の境界がほとんどない事象が多発しているらしい。

 その所為でフィーリアは下界に落ちてしまったそうだ。フィーリアもまだ幼くアーフブルを回っていた時に、いきなり地面が抜けてそのまま地上に落ちてしまったという。

 

 僕はその日おつかいを頼まれ、家の近くにあるコンビニに向かっていたのだ。

 水溜まりを見かけたら無性に突っ込みたくなる、幼児特有のアレを発症し、長靴で突撃してまわり当初の目的を失いかけていた。

 新たな水溜まりを見つけ、いざや突進せんとしたその時。微かだが、小さな何者かが助けを求める声が僕の耳には届いた。


 道の向こう側の田んぼから鳥か何かが確かに鳴いていたのだ。成長しつつある青いと、背の高い草が多い茂る、夏特有の田畑。

 僕は稲と草の根を掻き分けながら声の主を探す。


 別に助けようなどという大層な理由があるわけではない。

 ただ単に、どんな生き物の声なのかという知的好奇心を満たしたい。

 そんな手前勝手で利己的な理由で声の主を探していた。


 合羽のフードが草に攫われ、頭が雨に濡れ、手や足が擦り傷だらけになったが気にしない。そうやって見つけたのが―。


 雀につつかれてる、首の長い白い、腹鰭や尾鰭のある小さな鳥(?)だった。あちこち擦り傷だらけで、雀に突かれて痛むのか時折、小さく呻く。

 だけど―。


「…うわぁ。きれい」


 確かに擦り傷だらけで痛々しいが、空を覆う雲の隙間から微かに覗く日の光を反射し七色に輝いていて美しい。

 物の良しあしが分からない餓鬼でも思わず見惚れてしまう。

 呆然と見ていたが、再び鳥が鳴いた事で我を取り戻した僕は鳥に近付く。


「しっしっし」


 手をただその場で振るい、堂々と歩くだけ。それだけで雀たちは鳥を突くのを止め、一目散に飛び去る。


 僕はそれで満足しその場を立ち去り、コンビニに向かい歩き始めた。


 僕が気まぐれで助けたその鳥が、そのつぶらな瞳で僕を真摯に見つめていたと知らずに。





 そして帰りに再び茂みに寄るとそこには黒髪の可憐な少女が佇んでいた。

「あれ?ここにいたとりさんは?」

 と僕は問う。

「…わたしのペットだよ。ありがとう。たすけてくれて」

 可愛い笑顔で少女は僕に言う。僕はどぎまぎしつつ見栄を張り応え

る。

 出来る限り素っ気なさを、自分なりのクールさをだそうとした結果だ。


「…どういたしまして」

 俯きながら答えるが、自分でも顔が真っ赤になっていることが分かる。頬が熱い。

 そんな僕の様子が面白かったのか少女はくすりと笑い、そして真剣な顔付になる。


「きみのなまえはなんていうの?」

「…ゆう。なかやま、ゆう。ぼくのなまえ」


 すると少女は僕の名前を何度か反芻すると、花が咲き乱れたような笑みを浮かべ僕にこう言った。若干頬を赤く染めながら。


「ゆうくん。たすけてくれてありがとう。…ふふ、だいすきになっちゃった//ゆうくんのこと」


 風が吹き、僕がはっと顔を上げた時にはもう。そこには少女は居なかった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 フィーリアの話を聞き、昔あったことを鮮明に思い出した。成程。

「あの時の鳥と女の子がフィーリアだったんだね」

 と僕は言う。フィーリアは小恥ずかしげに頷く。


「あの日私は優くんにとっても救われたんだ。…それで好きになっちゃったの。あの日から龍も見回りを始めて地上に行き辛くなっちゃったけど、ここ最近ようやく監視の目が甘くなって下界に降りたの。優くんと同じ場所に通いたくて。下界の事、人間の事を一生懸命勉強して、優くんと毎日を過ごして一生の思い出になるためにね」


「僕は…あの日の事忘れてたよ。ごめん。…だけど思い出すことが出来た。よかった。僕の初恋の人が大好きな人でさ。―運命って不思議だね。あの日、君が下界に落ちなかったら。僕がお使いを頼まれてなかったら今とは違う人生を歩んでたんじゃないかな?僕は明るくなれなかったかもしれない」


 僕のきざったらしい台詞に、フィーリアはくすりと吹き出す。

「…ふふふ。またそんなこと言っちゃって。―?」

 

 僕とフィーリアは同時に上を向いた。辺りに影が差したからだ。


 頭上には空の色と雲が透けて見える、大きな亀が泳いでいた。鰭はとてつもなく大きく、何本も生えている。眦からは太くて立派な触手が2対伸びており風を孕み靡いている。腹や鰭、そして尾にある幾何学模様は美しく神秘的だ。とても神々しく直視するのを憚われる、雄大な、神の如しおろちだ。

 だがその龍は、どこか弱弱しく、身体の周りを竜蟲や竜が寄り添っている。まるで老人を労わる若者のように。じっと見つめていると身体が朽ちているのが解る。

 揮発性の高い燃料のように龍を構成する表皮が空気中に溶け、長い間風雨に晒され続けたプラスチックのように身体がボロボロに崩れていく。


 龍の死―その言葉が脳裏を過った。


「―アーフブルの〈守護龍〉アルバルファルデン。…初めて見た」


 フィーリアは歴史上の偉人を見るような、何処となく崇拝に近い眼差しでアルバルファルデンを見上げていた。


「250万年という長い間、このアーフブルを守り続けた神龍だよ。あの様子じゃあ、もう」


 250万年。…僕たち人類には想像もつかない年数だ。人類からしたら永遠にも等しいだろう。永遠にも等しい時を、アーフブルを守り続けたという神龍を、僕は畏怖の念を込め見つめ続けた。


 アルバルファルデンは、大きく口を開け、息を深く吸い込んだ。

 そして唄を詠った。アーフブルの大地を揺らし、風を巻き起こし、アーフブル全土に轟いているだろう。聞いているだけで様々な感情が湧いて来る。


 孤独、―痛み、苦しみ、悲しみ。無数の憎悪に苦しみと哀しみ。そして僅かな喜び。怒り。空一面を覆いつくす白い塊に地上一面を焼き尽くす業火。


 どうしてだろう。ただ聞いているだけなのに様々な感情が沸き起こり、アルバルファルデンの見たであろう幻想光景が目に浮かぶ。胸を焦がすような熱い想いが僕を襲う。そして一筋の涙が僕の頬を濡らす。

 何故かは分からない。ただどうしようもなく悲しくて、次々から次へと涙が溢れてくる。


「――龍はね。ぐす、はるか昔にね、文字を捨てたの。…それでね、ひぐ、死ぬ間際に唄を残す事にしたの。想いや記憶全部を唄に込めて、大地と空に刻み込む。そうやって龍はね、自分の想い、と、生きた証を語り継いできたの」


 フィーリアが涙ながらに言う間にも、アルバルファルデンの身体はどんどん崩れ、溶けて無くなっている。



 そして、実際はほんの数分の出来事だろうが、何時間にも感じられた龍の唄は終わりを告げる。

 哀愁と、温かな安らぎが込められた最後の嘶きと共にアルバルファルデンの身体は弾けて雲となり、下界へと消えて逝った。

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