2、龍の世界。 2nd:The dragon's world 『Arffbull』 .

 本当に唐突だが、小さい頃の経験は大切だと思う。何事も経験が何よりも大切だという事実を僕は今、ようやく理解出来た、と自負している。


 さて。僕が何故、急にそのような事を言い出したのかと言うと、答えは単純だ。

 今、僕は竜と化した?と言うより元の姿に戻ったフィーリアの背に乗っている。

 昔、よく山に行って木登りしていたので、その木登りの要領でフィーリアの背中をよじ登って見たら見事成功し今に至る。

 勢いでフィーリアに対し色々と言ったは良いが、いざフィーリアを前にして如何

様にして背に登ったらいいか分からず、内心、結構焦ったが本当に助かった。

 危うく口だけの阿呆になる所だった。人生とは何事も経験だね。


 フィーリアの背に跨り、うなじから生える触手をしっかり掴み、フィーリアの身体にしがみ付く。

 それを確認したフィーリアは嘶くと尾鰭を勢いよく振り、泳ぎはじめる。

 イルカに乗った事がないので良く分からないが、イルカに乗ると恐らくこんな感じだろうなと思える乗り心地だ。苔をよじ登る鰻の如き動き腰が痛い。


 大粒の雨が降り注ぐが、雨粒は僕たちの事を避けているようで、僕たちに当たる事は無い。


 雨の中を進み、風を切り裂き、雲を目指す。

 地上に見える校舎が。体育館が。街が。どんどん豆粒の様に小さくなっていく。

 ―古く老朽化した校舎。夕立により湖の様になってしまった校庭を尻目に、僕たちはただ只管に空を昇り続けた。


「何処に向かっているの!?」

 ―僕は叫ぶ。


『竜とおろちが住む場所は、人とは違う世界。雲の中にあるの』

 再び雷鳴が轟き、僕の耳を打ち鳴らす。


『入口は雷鳴轟く積乱雲の中にあるの。私の力じゃこれ以上雨風を防げなくなる。入口が近くなるにつれ雨足が段違いに強くなるから気を付けてね』

 フィーリアは優しくそう言ってきた。確かに雨足が若干だが強まってきた気がする。大地に降り注ぐ雨粒のほとんどが僕たちを避けているが、その内のほんの数滴がポツポツと顔面に当たりはじめてる。


 上空では、雲と雲の間を稲妻が駆け抜け、黒く大きいな積乱雲が堂々と浮かぶ。

 ピカッと雷が雲の中を照らし、何かの影が雲に映る。何だろう。確かめようとしたその瞬間。強い追い風が吹き荒れ煽られた。

『雲の中に入るよ!』

 ―フィーリアが叫ぶと同時に、視界は一気に変わり、一瞬にしてずぶ濡れになった。真っ黒に視界が染まるが、稲妻が迸る度に、雲の一点が紅く点滅する。迸る稲妻は伝承にある龍の如く、雷雲の中を走り抜ける。

 

 稲妻の光を受け光り輝くフィーリアの鱗はまるで宝石みたいで、見るだけでも大変美しい。


 降り注ぐ雨粒が額に当たると、とても冷たいが平気だ。空を強かに泳ぐフィーリアの温かな体温が、冷え行く僕の身体を温めてくれる。

 だんだんと、吹き荒れる風が強くなってきて振り落とされそうになるが、フィーリアの首に腕を回す事でしっかりと掴まり直る。

 

 今度は3つの雷鳴が同時に轟き、凄まじい轟音が雲の中に鳴り響く。

 そんな激しい雷雨の中を堂々と泳ぎ続けるフィーリアはとても美しく思わず見惚れてしまう。

 そんな僕の目線に気付いたのか。不意に振り返ったフィーリアとばっちり目が合い少しだけ恥ずかしくなった。目が合うもフィーリアは直ぐに前に向き直り、嘶く。

 こんな状況でも見惚れてしまう僕に対し笑ったのだろうか。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

『もう、雲を抜けるよ』―フィーリアは告げる。そして―。


 雲を抜けると、その瞬間に、眩い太陽の光が僕の網膜を焼き、ほんの少しだけ視界が真っ白に染まる。そして僕の目に飛び込んできたのは―。

 今迄見た事がない美しい晴天の青空と大きな白い雲だった。

 島程はある大きな鯨の形をした雲が一つぽつんと浮かび、眼下には一面、雲海が広がっている。

 さっきまで僕たちを襲ったひどい雷が嘘と思える程に素晴らしい満点の青空。地上の快晴なんぞ吹けば飛んでしまう本物の青空を前に、僕はただ言葉を失い、呆然としてしまう。僕という存在がちっぽけに感じられる。

 所々、紅く光る雲があるのは、地上で稲妻が迸り続けているからだろう。


 太陽が眩しく思わず上を見上げると、そこにはが泳いでいた。

 いや、厳密に言うと鯨とは少し違う。2本の長い触手は風に靡き、神秘的な幾何学模様が、こめかみと腹部で輝き光を放っている。

 そして決定的に鯨と異なるのは、口から雲を吐き出している所だろう。吐き出すと吐息が雲へと変化していく様は、見ていて美しい。

『あれがおろちだよ。私たち竜は雲を呼ぶ事しか出来ないけど龍は違う。ずっと昔から雨雲を生み出し続けてきた旧い存在なの。体の紋章がその証よ!』

「―あれが龍。…凄く神秘的だね」


 鯨龍(勝手に名付けさせて貰うが)の口から出る白い雲は、やがて黒く変色していき、雨雲へと変化しつつ、ゆっくりと雲海に沈んでいく。あれが僕らの世界の雨雲になるんだ。

 世界中の雨は龍の吐息なんだと僕は思った。何故かは分からないがきっと正しい想像なのだろう。

 その鯨龍の周りには、遠くて良く見えないがキラキラと輝く何か屯い飛んでいる。中央に浮かぶ鯨の形をした雲の他に雲が無い訳ではなく、その雲の周りを白い雲を取り囲み円状に回っている。


 地上では決して見る事が出来ない。美しくも儚い、幻想的で壮大な風景に僕は胸を打ちひしがれ、少し怖くなった。人間である自分がひどく場違いに思えてきたからだ。

 ここが龍と竜が住まう世界、フィーリアの故郷か。成程。確かに、こんな綺麗で美しい場所で生活する者になら、僕らの住む地上は大層、住みにくいだろう。

 

 と妙な感心をしていると「ぐへッ」―フィーリアが急に方向転換をした所為で危うく転げ落ちそうになる。

 何事かと問い質そうとした、その瞬間―。


 木管楽器の雄大な音色の様な、大轟音の鳴き声が背後から聞こえ、質問をしてる場合ではなくなる。


 後ろを慌てて振り返って見てみれば、そこには。頭上を空高く泳いでいたが、いつの間にか後ろに回り、その大口を開けて、次々と雲を呑み込みながら進む鯨龍の姿があった。

 控えめに言っても恐怖しか感じない、迫力満点の絵面である。

 「雲を食べている」。そんな表現がふさわしく感じる。鯨龍は僕たちの存在など気にも留めずに、ただ悠然と前に向い泳いでいる。

 

 フィーリアは、鯨龍に呑み込まれない様に、全速力で泳ぎ逃げている。腰と尾が激しく揺れ動き、翻弄されるが、落ちないように必死にしがみ付く僕。

 風が僕の顔面にぶち当たり痛い。そして目が開かない。だがフィーリアを信じてしがみ付くしかない。さっきまで上に居た筈なのに、いつ間に後ろに回ったのだろう。


『…龍は雲を食べて生きるッ。―あと少しで着くから頑張って!』

 フィーリアの言葉に、僕はより強く掴まる事で応える。

 後ろを振り返る事は出来ないので分からないが、鯨龍からだいぶ離れたのではないだろうか。さっきまで後ろにあったプレッシャーが感じられなくなった。


『…着いたよ。私の故郷に』

 目を開けるとそこは―。


「―綺麗だ。…美しい」

 

 頭上には2つの虹が掛かり、湯気の様にあやふやだが入道雲の様に高く聳え立つ山がある。先ほど見えた鯨みたいな雲を目指し進んでいたのだから着いたのだろう。

 下にも当然その雲の一部が広がっているのだが、僕の見間違いではないのなら、草原や森まである。そして太陽の光を受け、蒼く輝く川まで流れている。


 ―雲の上に、草原や森だけでなく、川まであるとは驚いた。


 触手が生えたエイや、空を泳ぐマグロ。亀や鹿のような何かまで空を泳いでいる。

 島の上も、蛇のような竜などが泳いでいる。まさにフィーリアの故郷と云うべき場所だ。一筋の雲みたいなものが近付いてきた。僕はそれに思わず手を伸ばす。

 それは透明な蝶の群れだった。透明な蝶は、僕の腕の周りに集まる。するとくすぐったさが僕を襲う。舐められているのだ。不思議と嫌な感じはしない。


『―それは龍の血が流れる竜蟲だよ。優くんの腕に付いた露を舐めとってる。もうすぐ地面に降りるよ』


 そう言うと同時にフィーリアは泳ぐ高度が下がりはじめる。地面がどんどん、近付いていく。蝶も僕に纏わりつき一緒に降りる。そして地面に着いた。


 僕はフィーリアの背から、ゆっくり降りると、足の鰭の付け根にしがみ付く。

 草原や森があるが、雲の上なのだ。もしかしたら地面に足を付けたらそのまま落ちてしまうかもしれない。

 震える僕の頭を、触手が優しく撫でる。すると僕の身体は現金なもので、フィーリアが触れた途端に震えが収まった。僕はその触手を掴むと降りる決心をした。

 そして、恐る恐る僕は足を降ろす。そーっとそーっと、慎重に。最初は爪先を地面に付け力を込める。そして足が抜け無い事を確認するとさらに足に体重を掛ける。

 それでも足が抜け無い事が分かり、更に両足を地面に降ろす。当然、触手を掴んだままだ。それでも抜けないみたいで僕はゆっくりと触手を離す。


『どう?生まれて初めて雲の上に立った感想は?』

 僕を振り返りいたずらっぽくフィーリアは言う。多分にやけいるのだろうな。そんな笑うような反応したかな?そう思いつつ答える。

「少し怖いけど…控えめに言って最高かな」

 そう言いながら、落ち着いて余裕が出来た僕は、周りを見渡す。


 地面は綿の様にもこもこで、どこか柔らかい。そんな地面に、緑色の硝子みたいな透明度の高い植物が、あたり一面に生えている生えている。

 同じ様な樹木は太陽の光に反射しキラキラ輝き、その葉の間を蝶や蝉の竜蟲が飛び交う。湖のほとりに、ウナギの様に長い胴と4本の触手を持つ生物が、髑髏を巻き休んでいた。

 

 僕は腕に蝶の竜蟲を纏わせたまま後ろを振り返る。そこには人の姿に戻り、両手を後ろに組み、にこやかに微笑むフィーリアが居た。

「―竜と龍が共に住まう最後の地。我らが最後の楽園アーフブルへようこそ。この地に住まう竜族と龍を代表して歓迎するよ」


 そんなフィーリアの言葉に応えるように、何者かの嘶きが鳴り響いた。

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