竜と少年。 The Drake girl and the Boy.
鬼宮鬼羅丸
1、竜の少女。 1st :One drake girl.
ザーザーと雨が地面に降り注ぎ、時折風が窓に当たり激しく打ち鳴らす。
初夏が終わりを告げ、本格的に夏が始まってから数週間過ぎた今日。
夕立の中、学校の玄関に残る酔狂は、僕と、僕の好きな女の子、
少し茶色のポニーテールの女の子で、僕と同じクラスだ。眼鏡を掛けているがとても可愛いクラスの人気者。
片や僕は同じ眼鏡だけど地味で目立たない普通の男の子。
全く釣り合わない事は分かっている。分かっているけども、僕はどうしても雪の事が好きなんだ。
雪はいつも一人で居る僕に優しくしてくれた。
雪は僕に話し掛けてくれた。
地味で暗い、僕のつまらない人生を、明るく照らしてくれた。
そんな人を好きにならない訳がないじゃないか。
夕立のせいで、空が暗く、校舎の明かりの一切が乏しいのに加え、今は夕方。
とても暗い。毎日何気なく通い、何度も何度も見てきた下駄箱と玄関だが、今は別の場所みたいだ。
黒いベールに覆われ、雪の顔は良く見えないが、微かな息遣いと、僕を真っ直ぐ見つめる瞳は確かに感じられる。
息を深く吸ってゆっくりと吐き出す。
多分、いや絶対に断られるだろうけど、僕は今日、絶対に告白するんだ。僕は自分の気持ちに嘘を吐きたくない。
今日は勇気を持って想いを伝える為に、今日、雪を待たせたのだから。
心臓が早鐘の様に鼓動する。このまま外に心臓の音が漏れ出てしまうのではないか。そう思えるくらい心臓が荒々しく拍動する中――。
「…雪さん、僕は、僕は貴方が大好きです。僕と、付き合ってください」
ああ、やっと言えた。やっと伝える事が出来た。僕は今、下を向いているから分からないのだけれども。
きっと雪は嫌そうな、不愉快な顔をしているんだろうな。
嫌われる事になったとしても今迄通りに接してほしいな。―何て都合が良すぎるか。などと考えながら、恐る恐る顔を上げると―――、「―え?」
湯気が出るのではと感じる程、真っ赤に染まった顔を、両手で隠した雪がそこに居た。気のせいか瞳は熱を孕み、潤み、輝いていた。
完全に予想外の出来事に呆然としていると雪さんは口を開いた。
「ひ、
と雪は言う。こ、これはひょっとすると―
「優くんはとっても優しいし、かっこいいし、私を助けてくれた王子様だけど」
最後の方は声が小さくて、ちょっと何言ってるのか聞き取れなかったけどそんな事はどうでもいい。
雪さんが僕の事をかっこいいと言ってくれた。何という事だ。何か急に自分のルックスに自信が湧いてきたぞ。
ああ何て幸せなんだろう。夢みたいだ。―ん?そうか、これは夢か。
などとアホみたいな事を考えてしまう僕。
自分と絶対に釣り合わないと思っていた女の子に、好きな子にかっこいいと言われたのだ。うかれてもいいだろう?
しかし、幸せというものは一瞬で過ぎ去っていくもので。
「…だけどごめんなさい。私は優くんと付き合えないの」
雪の一言で鮮やかだった世界は一瞬で色褪せ、頭の中が真っ白になってしまった。
振られるんだろうなと予想はしてたし覚悟もしていたけど、だけど期待させてから振るのはあんまりだ。
僕はその時、初めて神様を恨んだ。期待させるだけ期待させといてこの結果は残酷すぎる。
そんな時だ。夕立の暗い雲がピカッと光り稲妻が天を迸り、雷鳴が轟いたのは。
そして稲妻の光は、涙を流し辛そうに顔を歪ませる雪の顔も照らしていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
稲妻が落ちたのを機に、雨足は更に強まり、強い風が玄関に吹き込んだ。
雨雲は時折、茶色く光り、その度に雷鳴が雲と大地の間を飛び交う。
雪は僕の事を振った。それなのに雪の目から大粒の涙が、どんどん零れ落ち、廊下を濡らす。
その姿がとても美しくて、それでいて不思議で。僕は声を失い、涙を流す雪をただ見つめる事しか出来なかった。
「優くんが私に大好きだって言ってくれて本当にうれしい。…だけど、だけどね。ごめんなさい。ひぐ、本当に無理なのぉ」
嗚咽混じりの声なのに、雪は涙を零さない様に我慢する。
「…な、何で、どうじで今日それを言っちゃうのかなぁ。せっかく帰る決意がついたのに、何で今日なのぉ。心の整理が出来て今日帰れると思もっだのにぃ」
だけどそんな雪の我慢は徒労に終わり、涙腺が決壊する。次から次へと溢れ出てくる涙を雪は両手で拭うが止まることなく溢れる。
「雪さんは…、遠くに行っちゃうの?」
僕の呟きに、雪は真っ赤に腫らした目を僕に合わせる。
「―そうだよ。ずっと遠ぐにある私の故郷に今日帰らなぐちゃいけないのぉ。だから、優くんとはもう会えないし、付き合えないのぉ」
僕と付き合いたくない訳ではない。そう確信を得た僕は言い募る。会えなくなるのは辛いが、僕は君の事が大好きだ、君が何処に行こうと気にしない、と。
だが僕の言葉に雪は、耳を抑え、もう聞きたくないと首を横に振り続けた。雪らしからぬ取り乱しようである。
「無理な物は無理だもん!だって私、人間じゃないんだよ」
―は?何を、雪は言ってるんだ?
僕が問い質すよりも先に、雪は眼鏡を外し、長い髪を解いた。
解かれた髪はみるみると抜びていき、茶色だった髪色は美しい白銀へと変化していき、肌は雪の様に透き通った白に染まっていく。
瞳の色は黒色から群青色へと変化し、耳はほんの少しだけで鋭くなる。背も心なしか高くなり、身に纏う雰囲気も若干だが変わった気がする。
人ではなく、何か別の物が、そう大自然の脅威が、たまたま人の姿をとった、そう感じさせる。
突然の出来事に目を白黒させていると、雪は僕に、追い打ちをかけるかの様にこう叫んだ。
「私は蝉時雨雪なんかじゃない!私の名前はフィーリア!人でもない只の竜なの!」
何を雪は言ってるんだろう。竜って―。竜は火を吹くトカゲだろ?けど君は人じゃないか?
「
「ほらね?怖いでしょう。私ずっと優くんを騙してんだよ。私って最低の女だよね」
本能ががんがんと警鐘を鳴らす。
早く動け、行動をしろと。このままじゃ取り返しのつかない事になるぞ、と。それでも動けない。
「怖いよね。好きな人が人間じゃないって知ってさ。ずっと騙しててごめんなさい。もう二度と優くんの前に現れないから。さようなら」
見ているだけで胸が張り裂けそうになる、痛々しい泣き笑いの表情を浮かべ
違う。違うんだ!僕は君の悲しむ顔が見たいわけじゃない!君が何処かに行ってしまうのが怖いんだ!!―と言えればどれ程良かっただろう。
結局、心の中で思うだけで口は全然開かず、身体は金縛りにあったかの如く、全くと言っていいほど動かなかった。
外は雷鳴が鳴り響き、激しい豪雨が降る注ぐが、傘をささずに歩き続けている。
制服が濡れるが、さして気にする様子もなく、校庭に辿り着くと、両腕で己の身を抱きしめ、
すると雪の、フィーリアの身体は、ゴム製品の様に伸び、手足は完全に胴と同化し、鈍い銀色の鱗に覆われはじめた。
顔は長く鰐の様になり、鋭利な牙が生え揃い、二本の太くて長い竜で云う角に似た触手がこめかみの上ら辺から飛び出て、背骨からも同じく無数の触手が生えてくる。
胸からは胸鰭のような立派な翼が、お腹っぽい所から腹鰭のような翼が生え、金魚のような尾鰭を揺らしている。
そのフィーリアの姿は、伝承にある竜に近い様な近くない様な。だがどこか威厳がある。
鰭をゆらりゆらりと動かし宙を舞う。その様は、まさに水中を泳ぐ魚類のそれと似ており、空を泳ぐ魚類を彷彿させる。空を泳いでいる。そのシンプルな、飾り気の無い表現が、今のフィーリアには相応しい気がする。
フィーリアはその場を二度程、くるくると髑髏を描く様に泳ぐと、僕の目を、その鋭い眼差しで睨み付ける。
今思えばあの時、フィーリアは僕の言葉を待っていたのかも知れない。だが情けないことに僕は、蛇に睨まれた蛙の様に、その場を動く事が出来なかった。
しばらくするとフィーリアは僕に見切りを付けたのか、僕から視線を外すと空を見上げた。そして鰭という鰭と全身を使い、ウナギが岩を登る様に、空を登って行く。
空を真っ直ぐ見上げただ一直線に雲を目指す。そんなフィーリアの姿を見てようやく僕の身体は自由を取り戻し、声を出せるようになった。
全力で玄関の外に向い、走りながら叫ぶ。
「待って!!フィーリア!」
聞こえないかも知れない。
だけど僕は咽が枯れるんじゃないかと感じる位、声を振り絞る。頼む。頼むから。止まってくれ。僕の事を待っていてくれ。そう願う。
傘を差さずにずぶ濡れになるが知って事ではない。僕は気にせず走り続ける。
そして、上を見上げると。そこには―。
5つの触手を蠢かせながら、僕の頭上で佇むフィーリアが浮かんでいた。良かった。一息吐く僕。だが安心は出来ない。このままではフィーリアは何処かへと去ってしまうだろう。フィーリアは間違いなく竜だ。いい加減認めよう。
「雪さん。いいや、フィーリアさん。僕は君が人間じゃなくたって気にしないよ。信じてくれ。人間の姿は可愛いけど―今の姿もとても綺麗だ。大好きだよ」
我ながら、よくこんな歯が浮くような台詞が、すらすらと出てくるものだ。さき程までの逡巡は何だったんだと自分につっこみたくなる。自分の中で何かが吹っ切れたのかも知れない。
何やら小恥ずかしい事を言っている気がするが、そうでもしないと今度こそ、二度とフィーリアに会えなくなる、そんな気がした。
僕は無我夢中に言葉を紡ぐ。嘘偽りのない心から、魂の言葉を。
「君の鱗は良い色をしてるねッ。翼?鰭?もかっこいいし僕は好きだなッ。どんな姿であってもフィーリアはフィーリアだよ。それが例え竜であったしても君は君だ!君は僕を騙したというけどそんな事気にする必要ない!だから。だから。お願いだ。降りて来て」
もう二度とフィーリアに会えなくなる。そう考えるだけで目の前が暗くなる。
どんな生活か想像なんてしたくもない。フィーリアは僕を照らしてくれる太陽なのだから。
「お願いだフィーリアさん」
僕は今、胸を渦巻く想いを
雷鳴がより大きくなり、稲妻と雨が矢のように大地に降り注ぐ。突風に煽られよろけるが気にしない。僕は動じる事なくフィーリアに目を合わせ続ける。
何があろうとも眼を逸らしてなるものか、そう己を奮い立たせた。
「僕は地味で弱虫でいつも日陰に居た。誰にも意識される事が無く、人と関わらないように、じっと暮らしていたんだ。目立つ事を恐れ、怯えるだけの毎日。…人間不信を拗らせた僕にとって16年間、毎日が、苦痛だった」
人間は親しい間柄でも騙し裏切る事を平然とやる。だから見ず知らずの人たちが集う学校が一番嫌いだった。
「だけど、君は、君だけが。そんな僕に明るく接してくれた。邪険に接する僕に、生きる事の楽しさや人の温もり、人生ってこんなに輝いているんだって事を教えてくれた。僕に今があるのは君のおかげなんだよ。フィーリア。君のおかげで学校も少しは楽しくなってきたし、人の事を信じようと思えるようにもなってきた。―君は僕の太陽、僕の真っ暗な人生を照らしてくれる、たった一筋の光なんだよ」
だから卑怯な手も使おう。僕の想いがちゃんと胸に届く事を祈って。
「だから頼むよフィーリア。僕の傍に居てくれ。君が居なくなったら誰が僕の事を照らしてくれるの?誰が傍に居てくれるの?僕にはずっと傍に居てくれる人が必要なんだよ。僕は弱虫だから一人じゃ生きていけない。だから、お願い。フィーリア、僕を置いてかないで。お願い、一人にしないで」
フィーリアの居ない生活なんて考えられない。だから。
―相変わらず雷鳴は喧しく鳴り響くが、どういう訳か雨は降り注がない。僕の居る周りだけ雨が止んでいた。いや、雨がよけていると言うべきか。…そして何処からともなく水の匂いが漂ってきた。
まさかな―と淡い期待を胸に顔を上げるとそこには。
どうせ居ないだろうと思いながら、それでいて心の何処かで願いながら。
「ふ、フィーリア!」
フィーリアが頭上で佇み、僕に降り注ぐ雨を防ぎに、降りて来てくれていた。
今迄ずっと上空に浮かんでいた為、よく分からなかったが。今こうして見上げるとフィーリアはかなり大きい事が分かる。体長8メートルはあろうか。
僕の言葉が届き、フィーリアが待ってくれた事に安堵してしまったのだろう。涙腺が緩み涙が零れてきそうだ。というか既に溢れていた。頬が濡れている。雨粒ではないのは確かだ。
歯を食いしばり涙を堪えようとする僕の頭を、フィーリアはその鰭を使い、優しく撫でてくれる。僕の事を優しく見つめてくるフィーリアの姿が、雪と重なって見える。ああ本当に雪なんだな。目元がそっくりだ。
『あんなに恥ずかしい台詞を言ってくれたくせに泣かないの。優くん』
僕の心の中に直接、声が響く。この優しくて心温まる声の持ち主は、僕の知る限り一人しか居ない。
「―フィーリアさん?」
フィーリアの嘴が動くと同時に、心に声が響いてくる。どういう仕組みなのだろうか?と考えていると声が聞こえてくる。
『―さっきはあんなに情熱的に私の名前、呼び捨てで連呼してくれたのに。…また他人行儀なの?』
少し不満そうだ。僕は面食らったが直ぐに復活する。
さっきは勢いに任せていたが故に少しばかし恥ずかしい。勢いって怖い。
「フィーリア、でいい?」
『よろしい。優くん、ありがと♪』
少しだけ機嫌が良くなったみたいだ。可愛い。―とそんな事、言ってる場合じゃない。どうしても聞かなくてはならない事がある。
「どうしても帰るのかい?」
僕の問いにフィーリアは、悲しげに頷く。
―ならば。
どうしても帰らなくてはならないならば。
僕が付いていけばいい。簡単な話さ。
「じゃあさ。…連れてってよ?僕をさ。君の故郷に」
フィリーアは考え事するようにその場をぐるぐると周るとこくりと頷いた。
もう、しょうがないなぁ。そう言ってる気がする。
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