第16話
そうこうしていると小木が
「おぉい! お疲れやで! 」
上機嫌な顔をしてまぁ、如何にも「やりきりました」といった感じである。にやけ面が鬱陶しい。
「あ、美希ちゃん(東の嫁さんの名前である)花代さん! どうもお久しぶり! 見てくれた俺が走っとるとこ!? 見てない! あかんにちゃんと見てくれんと!」
走ったばかりだというのに体力が有り余ってるいるようだった。激しくうるさく苛々が募る。本当になぜお前が2回走らないのだろうかという疑問でしかない。
「シンちゃん! おいシンちゃん! もうすぐ走る時間やて! くつろいどる場合やないて!」
うわぁきた。めんどくせぇ。
俺はきっと露骨に顔を渋らせていたと思う。だってそうだろう。心身衰弱した状態で応対するにはあまりに荷が重い相手。放置するのが最適解ではないか。
俺は花代が持ってきてくれた赤飯稲荷をつまみながら、やる気なさげに頷くだけ頷いて右から左に流す。しちめんどくさい。やっていられるかという心境に至ったのだ。
「食べとる場合やないらぁ! アップしな! アップ! まだ走るんやでシンちゃん! アンカーやで! しっかりしなかんらぁ!」
「……」
「何食べとるんやて! ちょ、食べとる場合やないて! 食べとる場合や……よく見たら美味しそうやに! 一個ちょうだい!? ええら!? もらうに!?」
「……」
「おっほ〜これ美味い! 何これめっちゃ美味いにぃ! え!? 花代さんが作ったの!? ほん……え、マッジかぁ〜! いや、めっちゃ美味いですよこれぇ〜! シンちゃんもう一個もらうで! いやマジ美味い! シンちゃんアップ! アップ行っといで! その間に全部食べといたるで!」
「……」
黙ってはいたが心中にて奴のセリフ全てに「うるさいぶち殺すぞ」と合いの手を入れていたのは言うまでもない。何がアップをしろだ。何が全部食べておいてやるだ。思い浮かべる言葉は「右ストレートでぶっ飛ばす」である。
「ところで、志村君のチーム、1区走った志村君がアンカー走るらしいぞ」
糞面倒くさかったので強引に話しを変える。付き合っていたら身がもたない。
「え? あぁ……そうなん? まぁ、あそこ元々5人チームらしいでな。誰かがやらなかんかったとは思うけど、でも志村君なんか。大丈夫なんかな」
「何が?」
小木が何を案じたのか、少しだけ好奇心が湧く。
「いや、志村君、高校にやらかした故障引きずっとるらしくて、あんまり走れんはずなんやけど……」
「なんやそれ。もう後遺症レベルやんけ」
初耳である。
俺は不意に聞かされた不憫な話につい方言が出てしまった。
「そうやで。確か膝が変形しとるとかなんとか……だから痛み止め飲んで走っとるらしわ。それでもあんま長い距離は医者に止められとるらしいんやけど」
「はぁ……」
なぜ小木がそんな事を知っているのかはこの際置いておくとして、俺は志村君のトンチキな意思に言葉を失ってしまった。同情や哀れみではなく、そこまで陸上に執着する狂気に恐れを感じたのだ。
「馬鹿なのか? 志村君」
つい出る本音。本当に馬鹿じゃないのか。
「まぁ、走るのが好きなんやろ」
「……」
小木の問いに二の句を失った。確かに好きならば仕方ない。他人が止める筋合いも意味もないからだ。
しかし、なるほど下手の横好きとは言ったものだ。
そんなものだから高校時代に結果を出せなかったのだろう。
無事これ名馬という言葉があるがあながち間違いでもない。怪我をして走れなくなるような人間はしょせんそこまで。大器ではない。競技をする上で肉離れや骨折などは起こるだろうが、一生ものの傷を負うなど最低も最低。あってはならない事態である。それは勿論指導者も悪いのだが、無理をやらかした志村君にも責任の一端はあるだろう。しゃかりきな若い時代の過ち故に理解できない部分もないではないが、そこまで一所懸命になるのであれば先の事態も見越して取り組むべきで、あえて述べれば愚か。カスである。とてもアスリートとは呼べない。
「……可愛そうだね」
花代がそんな事を言った。
確かに可愛そうな奴である。そこまでして陸上にこだわる理由は知らないしどうでもいいのだが、身を滅ぼしてまで続ける意味が何処にあるというのか。別に日本代表でもなんでもないただの市民ランナーが命を削ってまで走るなんてのは正気の沙汰とは思えない。気が狂れている。そんな人間と併走するなど二度とごめんである。
「……まぁなんにせよ、あっちの方が早いだろ。楽しく先行させて、俺はゆっくり走るさ」
ただでさえ不本意な参加なのだ。加えて異常者と付き合うなどと、冗談ではない。
どうせうちのチームは最下位争いをしている頃で、ガチでやっている志村君達とは大分差が開いているだろう。競り合う相手がいなければ無駄に闘争を駆り立てられる事もないだろうし、俺は次の一走は恥を承知でダラダラとヘタレを晒すと決めた。狂人に付き合うなどまっぴらだという所存である。
「いや、分からんで? 実は志村君のチーム、人の入れ替わりが激しくて強い奴あんまおらんらしいんやわ。それにさっき俺がぶっ放してきたでよぉ。案外競ってくるかもしれんで?」
聞きたくのない事実。まぁ確かに志村君のチームはどことなく雰囲気は悪かったが、しかしそれにしたって急造チームといい勝負ができるほど雑魚の集まりではあるまい。
と、たかをくくっていたのだが……
「小木ちゃん! ジョージ11分切ってきたて! あの白いチームより前におるでよ! いやぁ小木ちゃんと佐藤が頑張ったおかげやて!」
東の報せに一縷の望みが轟沈。一瞬の仰天を経て、まさかまさかと現実が染み込み意気消沈となる。そもそも俺は志村君に300mは離されたはずである。それを巻き返し尚も優勢とはいったいどうした事だろうかとコンフュージョン。小木のアホはどれだけ速く走ったのかという話だ。
「当たり前よ! 9分20で走ったでよぉ!」
「……」
絶句する俺とは対照的に、東といつの間にか帰ってきていたジョージが「超スーパーすげーどすばい」などと喝采を送る。1km3分7秒を切るペース。市民ランナーであればそれなりのタイムである。
速すぎだ馬鹿! お前自分のトラック自己ベストと5秒しか変わらないじゃないか!
迫り来る不満を余所に刻一刻と時間が過ぎていく。ジョージが走り終えたという事は次の坂田が走っているはずであり、その次は東。そうして俺へと襷が戻ってくる。いよいよと気が抜けなくなってきた。太陽の熱がより暑さを増していく。こんなはずじゃなかったと後悔してももう遅い。地獄はすぐそこ。さよなら人生また明日である。
ビールが飲みたい……
俺はあまりのストレスにとうとう堪えきれず涙を流し、現実逃避の酒を欲した。素面でいる事が怖く、辛かった。
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