第13話

「嫌だ! 区間変えてくれ!」


 冗談じゃないと必死に頼み込む。そもそも生贄を勝手に決める事が異常であるわけだから「俺はやらぬ」と突っぱねてもいいくらいなもので懇願する事がおかしいのだが穏便な性格が災いし強く出られなかった。

 だいたい何故だ。何故俺が2回も走らなければならないのだ。何故俺だけ貧乏クジを引かなければならないのだ。こんな理不尽許されるわけがない。明らかな人権侵害である。


「やってくれよ佐藤。お前しかおらんのや。経験者やし」


 そう肩を組んだのは東であった。何故だか知らぬがフレンドリーな態度。そこそこの距離感が絶妙なバランスで付き合いやすかったのだがこう間を詰められると考えものだ。

 いや、確かにおかしか仲間意識を持つ兆候はあったが、言うほど関係性は良くないはずで、少なくとも「お前しかおらんのや」などと謎の信頼関係感を出されるような間柄ではない。何をどう間違えて友好度が上がってしまったのか理解に苦しむ。


「小木……小木が走ればいいだろ!」


 俺は正論にて抵抗を見せる。小木とて俺と同じ元陸上部。やってやれぬ事はないだろうし、そもそもメンバーを招集したのがこいつなのだから一番に男を見せるべきではないかという議論へ誘導しようとした。


「すまんなシンちゃん。俺は無理や」


「な……」


 無駄であった。小木の馬鹿が早々に弱腰を見せると、皆はこぞって「やはり佐藤や」と口を揃え囃し立てた。これが同調圧力。数の力である。槍玉に挙がった人間がどうなるかは、考えるまでもないだろう。


「佐藤!」


「佐藤!」


「佐藤!」


「佐藤!」


「佐藤!」




 叫ばれる佐藤コール。小木も右に倣えで「シンちゃん」呼びではなく苗字呼称である。こういうところが小心者だ。まったくいやらしい人間である。


 もっとも、俺もすぐに人の事を言えない芯のなさをを晒すのだが……




「分かったよ! やってやるよ!」


 そう。いよいよ屈する。何と無益か。

 どうしようもない啖呵を切ったところで得るものはといえば人を虚仮にしたような賛美と奇声ばかり。どれを取っても一文の得にもならぬし、名誉どころか不名誉な武勇を勝手に仲間内で語られる始末となるだろう。はっきりいえばやり損。やる意味などまったく存在しない蛮行以下のゲロムーヴでしかない。

 しかしやらねばならないのだ。これは掟といっても過言ではない。郷に入れば郷に従え。民意は絶対。多数決という非民主的なる民主制度に翻弄されるのは田舎に住む者の定めである。今回はたまたま俺がババを引くはめになったのだ。死ぬほど嫌だが、断りたいに決まっているが、この街で安寧な生活を送るためには受け入れるしかなかったのだ。


「じゃあ、あと1時間で開始やで、アップしとれよ。開会式は俺らが出るでよぉ」


「あぁ……」


 観念し、言われるままに開始するウォーミングアップ。賽は投げられた。もはや取り返しはつかない。向かは広場。行うはロースピードランニング。走る為にはまず走らねばならない。哲学めいた心情は、かつて抱いたパッションの名残り。少しずつ身体を慣らし、戦闘に向けていく。

 そしてアクシデント。汗をかいて実感する気温の高さ。

 照りつける陽差しに眩暈。春の終わりとはいえ直射日光は熱く、心身の力を削ぐ。人殺しも止むなしな太陽の煌めき。


 毎日走っていたとはいえその時間帯はいずれも夕方であった。俺は迂闊にも、日中の温度対策を怠っていたのだ。


 帽子を持ってくればよかった。


 呆然と後悔。己が迂闊に溜息。これではいたずらにスタミナが削られていくと焦燥。帽子の効果を欲する。

 キャップ如きと侮るなかれ。これが案外馬鹿にできない。頭部に太陽光が当たらぬだけで随分体力の消費が違う。

 トップクラスの争いともなれば僅な差で雌雄が決するような事もざらにあるわけで、もっといえばレースの開始前から勝負は始まっているといっても過言ではない。どのような些細な点においても気を配らなければ勝利など掴めないのだ。つまるところそうした対策を怠った俺は最の悪。走る前から一歩も二歩も遅れをとってしまったといえる。


 


 とはいえそれはあくまでアスリートの話で、俺は一般市民ランナー以下のジョガーでしかなく、勝つとか負けるとか以前に完走できるのかを心配すべきでり、帽子にしたってなければないでアップの時間を調整すればいいだけの問題であった。


 ……やめた。


 それに気が付いた俺は木陰に入り座り込んだ。レース開始まで約40分。もう少しのんびりとして、適当に走ろうと算段を立てる。そもそも遊びなのだ。こだわる必要はなく、疲れない程度に走ろうと、そう思った。


「あれ。佐藤君じゃない。アップかい?」


 その矢先に気安く嫌味な声をかけてくる奴がいた。志村君であった。


 嫌な奴が来た。


 咄嗟の嫌悪に顔が歪んだ気がした。取引先のハゲ頭より会いたくない相手であるからそれも当然。きっと俺は志村君の顔を拝んだ瞬間酷く皺が寄っていたに違いない。


「まぁ……」


 そんなものだから返す言葉も素っ気なく冷たかった。明け透けに人を小馬鹿にするような輩にはハト派の俺でも許容できん。親睦お断りの不倶戴天である。


「そうかい。なら君は1区を走るんだね。実は僕もそうなんだよ。さすがに県下五指に入っていた君に勝てる気はしないのだけれど、胸を借りるつもりでやらせてもらうよ」


「そうか」


「そうとも。それじゃあ、スタートの時にまた」


 ……


 ほとほとつくづくな奴である。

 すっかりと気分を害した俺は一刻も早く志村君が目につかぬ場所へと移動し、ぼちぼちと動き始めた。嫌な人間とは離れるに限る。関係を持たぬのが一番だ。


 そうして俺はレース前の仕上げを行なった。

 勿論の事やる気などあるわけがなくいつまで経っても心晴れやかとはいかなかったが、正味15分のジョギングと申し訳程度の流しを入れると身体にはすっかりと火が入り臨戦態勢となっていた。悲しいかなこれも元ランナーの性。一度走るとなったら相応に覚悟が完了してしまう。万全とは言い難いが、一応、走れる状態にはなっていた。後は如何に試合の展開に合わせるかである。


「1区の選手。そろそろスタート地点に集まってください」


 気の削がれる間の抜けた招集令が響き、人が犇めく。俺は温まった身体を冷やさぬよう、ウィンドブレーカーの上着だけ羽織り人の群れへと紛れた。


 汗と筋肉と薄荷の臭いが、懐かしく、嫌な気持ちにさせた。

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