第4話

 競技場に到着すると駐車場にはそれなりに車が停まっていた。


 もの好き共め。そんなに呼吸困難と筋肉酷使から生ずる狂気に触れたいのか。


 心中にて市民ランナーに悪態をつき蔑するも、その侮蔑がブーメランとなって自分に突き刺さるのだという発想はなかった。この時、俺は未だに傍観者の立場であり、これから走るのだというのを忘れていてすっかりと他人事の体で物を考えていたのだった。


 忘れていたといえばメンバーである。

 駅伝というからには最低でも各区間を走る人間が必要なのだが、好き好んで苦痛を得る為に金を払って参加する奴が周りにいるのだろうかと疑問だったのを思い出したのだ(ちなみに俺の分の参加費は小木が出すという話となっていたのだがそれでは格好がつかぬと後日黒ラベルを2パック送り結果的に足が出てしまった)。


「そういえば、他に誰が出るの?」


 思い出したからには聞かぬわけにはいかぬだろう。俺は営業職だが人付き合いが苦手な質で、どうにも会話というものが下手なのだ。赤の他人が来るというのであれば心の準備が必要だし、円滑に付き合うためには為人を把握し気を回さなければならない。


「あぁ、東と坂田とまっつんとジョージ誘ったで。東とジョージは今日子供連れてくるって言っとったで」


「え、あいつら結婚したの?」


「結婚したてぇ。ジョージなんかお前、2人目やで」


「まじかぁ……」


 並ぶ名前は皆中学時代の同級生で一安心できたのも束の間。まさかの子持ち発言に思わず感嘆仰天。東とジョージなど昔はイースト菌やら奇妙な顔面やら酷い言われようをしていた生粋の不細工で女子から目を合わせてはいけないと露骨な嫌がらせを受けていたのだが、人生とは分からぬものであると唸ってしまった。


「嫁さん変な顔しとるけどな」


「……」


 小木の要らぬ一言を聞き流す。人の幸せにケチをつけるべきではない。


「とりあえず着がえよまえ」


 俺の無言に意を察したのか小木は些か興が冷めたように呟き競技場へと歩き出した。程度の空気を読むくらいの事はできるのだなと、少し見直す。しかし何となく気まずくなってしまったので、話を変えて会話を続ける事にした。



「使うのは外周だけだよな?」


「あぁ。タータン使う必要ないでな」


 競技場の使用は有料で400円かかるのだがロッカーのみならば100円であり、ビールとジュース程の差がある。駅伝の練習なら外周のロードコースを使えばよく、小木の言う通りわざわざ400mトラックを走る必要もない。100円払ってロッカーとトイレだけ使うというのもなんだかもったいない気もしなくはなかったが言っても仕方がなく、俺は「そうか」と返事をして後ろをついて行った。


「あ……」


 突然立ち止まる小木。何事かと思えば、競技場の入り口前でストレッチをする集団を見ていた。誰ぞ知り合いでもいるのかと思い、俺も視線を向ける。

 しかし、分からない。ただのいい歳した市民ランナーグループ(しかも全員でウィンドブレーカーを揃えるという滑稽具合である)がそこにいるだけなのである。


「あれ! 佐藤君じゃん!」


 異な事に、その内の一人と目が合うと、そいつは俺の名を呼んだのだった。はてと思ったが、昔から人の顔と名を覚えられぬ性分であるから(おかげで仕事でえらく苦労する)、きっと知り合いなのであろうと愛想笑いを浮かべ「どうも」と頭を下げた。


「久しぶりやん。こっち帰って来とったんや。まだ走っとるの?」


「え、いや、今日はたまたまで……」


「なんやそうなんか。やっぱり大学でイマイチやったから、実業団とかには行けんかったんや」


 そいつはえらく失礼な言い方をする奴であった。確かに大学での成績は芳しくなかったが、本人を前にして明け透けに吐く言葉ではない。


「……走るの嫌いなんで」


「え、そうやったん? それなのに今日走りにきたん?」


「まぁ……頼まれて……」


「へぇ……」


「……」


 ニヤと嫌味な笑顔浮かべ、そいつは「まぁいいや」と集団へと帰っていった。俺はすっかりと気が悪くなり、小木に向かって鼻息を荒らげる。


「なんだあいつ。誰だあれ」


 慎ましい憤慨の意思を示すと、小木は「えっ」と驚いた声を出して俺に目を向けた。


「お前覚えとらんの?」


「知らん。人の名前を覚えるのは苦手だ」


「ほら、おったやろ。中学で一番早かったけど、お前が3年の頃に抜かした……」


「……あぁ、なんていったっけ。確か、し……しむ……」


「志村君やて」


「あぁ。そうそう。志村君。そういえば高校から全然名前聞かなくなったな。あいつ」


「故障ばっかしとったらしいよ。だからほぼマネージャーやったけど、卒業してから自分でチーム作ってこの辺の大会出まくっとるんやて」


「ふぅん……市民ランナーのクセに偉そうだな」


 この無自覚に発したアスリート目線の傲慢な発言に今でも思い出され自己嫌悪に沈む。血涙滴るほど憎んだ陸上から未だに脱却できていない証明であり、走るのをやめた人間が言っていいセリフではないからだ。


「まぁ、あいつも思うところがあったんやろ。ずっとトップやったのにお前に抜かれて、高校では活躍できんくて……いい噂は聞かんけど、しゃあない部分はあるんやろなぁ」


 しみじみと語る小木の口調はいやに穏やかで達観めいたものであったが、それは恐らく、自らの境遇と志村の姿を重ね合わせていたように思える。

 小木とは小学生からの中で、俺が陸上を始めたのも奴が半ば無理やり誘ってきたからであった。当時、小木は県下でそれなりに名の通った選手であり、俺も目標の一つとして、奴を見ていた。

 だが3年になると俺は秘めていたランナーの資質が目覚め連戦連勝。逆に小木はどんどんと遅れを取るようになっていった。その屈辱や劣等感たるや、俺が大学の時に味わったそれとは比べ物にならぬだろう。それまでやれ韋駄天だなんだのともてはやされていた子供が、俺が成績を残すようになると途端に掌を返され、二番手三番手の評価を受けるようになったのだから。


 しかしだからといってそんな昔の事をいつまでも根に持っていても始まらん。志村の奴は捉われ過ぎいる。たかだか陸上如きで性格がひん曲がるとは、実に哀れだ。いや、実らぬ努力と執着が如何に人を変えるか知らぬわけではないが、よくも知らない相手に暴言スレスレの嫌味を投げつけるのは看過できぬ。最低限の対人マナーくらいは守るべきであろう。


 その点小木は、左様な素振りを見せずに俺と関係を続けているのだから大したものだ。調子が良く下品だが、そこだけは認めてやってもいいと思っている。


 ただ……


「お、ブサイク2人が来たで! 子供もブッサイクやなぁ!」


 仮にも友人の子供を見て平気で罵声を飛ばす

聊爾りょうじっぷりには、目も当てられないが……

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