第10話 隻腕隻眼の剣士
木枯らしのひどい晩秋、仁州の街道よりいささか離れたとある場所で、暖を求めた旅の賢者により古い遺跡が見つかった。
そこは、今は廃墟となっている旧神関連の宗教施設でも墓地でも不要な物の捨て場でもなく、個人の慰安所として作られたものだった。そして賢者はその一角、浴槽と思われる場所に、あわただしく泥と一緒に埋め込まれたひとかたまりの遺物があることに気がつき、知り合いの動画修復者のところにそれを持ち込んだ。
せいぜい数世代前のものであろうと思われたその遺物は、化学的に合成された薄い半透明の巻物だった。そして調べていくうちに、歴史的に途方もなく古いものだと知った動画修復者は、混乱しながらも現在の動画のわざで復元した。
復元された画像は全部で600枚余に及ぶ連続したもので、隻腕隻眼の、中世の剣士と思われる男が、十数人の町の不良に取り囲まれたところを、剣でなぎ倒しながら奥へ進む場面がしるされていた。修復者はさまざまに試したあげく、この画像は1秒30駒、全部で20秒ほどの連続した場面と解釈する以外にない、と見極めた。
修復者の上位権限者は、その動画を一般公開する際の意見として、次のような言葉を添付した。かつて世界は1秒を30に分割する非連続的な時空間に支配されていた、と。
別の現役哲学者は、それは単に無限に分割できる世界の切片にすぎない、と反論した。
複雑な論争と実証、そして研究装置の開発が進められ、以後、世界は1秒30駒で作っても問題はない、ということになった。その理屈をもとに無数の、うつつとは異なる動画・動漫画が創造され、ヒトは神を敬いながら、しかし自らの知の及ばざるところにも、しきりに考えを及ばすことになった。
つまり、世界がわれわれにも作れるものだとしたら、われわれ、さらに神は、われわれの知の及ばない何物かによって作られたものかもしれない、という考えだ。
木枯に岩吹きとがる杉間かな 芭蕉
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