縁結び、始めました

路地猫みのる

第1話 あやしげなお仕事(でも公務員らしい)

 もうすっかり濃い緑色になった桜の葉を、五月のさわやかな風が揺さぶる。白い雲がのんびりと空を泳ぎ、暑くも寒くもない快適な気温と、からっとした空気の気持ちのよい正午だった。

 でも、気持ちのよい天気の日にみんなが気持ちよくなれるかというと、そういうわけでもない。

 バイト先のコンビニの軒先で、ペットボトルと缶・ビンを仕分けしていたかおりは、クリーム色の軽自動車に左右から乗り込もうとするカップルを、ちらちらと気にしていた。

 かおりの結論は「こりゃもうすぐ別れるな」という冷たいものだった。べつにことさら意地悪な気持ちで、彼らのちょっとした言い争いを途切れ途切れに聞いていたわけではない。ただ、見えてしまうから、分かってしまうのだ。彼らの間にゆらゆらと漂う糸は、擦り切れて傷ついてくたくたになっていて、もうこれを癒すのは難しいだろうということが。

 薄い赤色は、おそらく結婚1~2年ぐらいのの夫婦の色。この夫婦が戸籍上の家族でいられる時間は、そう長くないと見た。

 そう結論づけて、でも何かアドバイスをするわけでもない。かおりは複数のごみ袋を手早くまとめると、若干臭うため口呼吸をしながら倉庫の扉を開け、ごみ袋を放り込んだ。あまり粗雑に扱うと先輩に怒られるので、それなりの秩序を持って積み上げる。長居したい場所ではないので、こちらの作業も手早く済ませ、倉庫にカギをかけ外の水道で手を洗うと、ハンカチで水滴を拭いながら店舗内へ戻って行った。

 コンビニの中ではもうクーラーが働いていて、少し肌寒い気がしたが、まだ衣替え前の長袖制服なので耐えられないほどではない。それでもあまり客のいない店内はひんやりと冷たい気がして、奥から在庫を出したり、イートインコーナーを清掃したり、体を動かす仕事を積極的に引き受けた。

 その合間に漏れるため息は、あまり大きなものではないので誰にも聞こえていないと思う。でもやっぱり、ため息をつかないではいられないのだ。「あぁ、このさわやかな風にも、えにしの糸を癒す力はないのだな」と。そう思うと、どうしても自分の左手の薬指に視線が行ってしまう。「あぁ、どうしてわたしのえにしの糸は、誰にもつながっていないのだろう」と。そこには、たしかに赤い糸がある。でも、どこへもつながっていないのだ。ゆらゆらと揺れる赤い糸の先っぽは、散髪に失敗した前髪のようにざんばらに途切れてしまっているのだった。


 かおりの土曜日のシフトが終わるのは14時。遅めの昼食のためにサンドイッチを買って、コンビニを出たのはそのちょうど15分後だった。

 あのクリーム色の軽自動車は、もう駐車場には見当たらなかった。

 我知らず、かおりはホッとため息をついた。なんと言えばいいものか、ああいう糸を見るのは哀れというか、気持ちが滅入るのだ。鮮やかな濃い赤色で強固に結ばれた両親の糸を、毎日見ているからかもしれない。擦り切れたジーンズの膝のような、自分の糸を思い起こさせるからかもしれない。とにかく、他人事とはいえ傷ついた糸を見ることは、かおりを明るい気分にはさせなかった。

 そんな風にぼんやり駐車場の一角を見つめていたら、近寄ってくる人影に気付くのが遅れた。

 濃紺のスーツを着たサラリーマン風の背の高い男と、やや長めの茶髪を風に遊ばせた黄色いパーカーの少年が、いつの間にかかおりのすぐ近くにまで歩み寄っていた。とても友人同士には見えないが……と思っても、声には出さない。しかし、わずかに表情には出てしまっていたようだ。

「おどろかせて失礼。私たちは、怪しいものではありません」

 堅苦しい声と口調で、サラリーマン風の男は言った。

 どこの世界に「わたしは怪しいものです」と自己紹介する阿呆がいるんだろう、と心の片隅で考えながら、かおりは営業スマイルを作った。この駐車場内で声をかけてきたということは、自分がここの店員(アルバイト)であることを知っているお客様である可能性が高いと考えたからである。

「いえ、こちらこそぼーとしていまして。なにかご用でしょうか?」

「はい。あなたをスカウトしにまいりました」

 銀縁のめがねをクイと押し上げて、なぜか誇らしげに男は答えた。

「……スカウト? ひょっとして、この道の南に新しくオープンするっていうコンビニ関係者の方ですか?」


 スカウト。一言でいうと「引き抜き」である。しかし昨今この言葉は、芸能界へのお誘いという、実に魅惑的な響きを帯びている。

 かおりが高校生のころ、「読者モデルにスカウトされたの!」とはしゃいでいた同級生がいた。憧れのモデルに会えるかもしれない、ゆくゆくは自分も雑誌の表紙を飾れるかも! と大いにはしゃいでいたことを覚えている。バランスの取れた肢体、艶やかな巻き髪とよく通る声が印象的な同級生だった。

 そのことを記憶していたから、ほんの一瞬「雑誌かなにかのスカウト」という可能性が頭をよぎったことは確かだ。しかし、かおりは即座にそれを否定した。否定できる明確な理由があると、彼女は思っていた。

 とりたてて特徴のない、日本人らしい髪の色。バイトがあったからと言い訳もできるが、それらを首の後ろでひとくくりにしただけのファッション性の欠片もない髪型はいつものことである。百円均一で買った鳥モチーフのヘアゴムは、お気に入りのひとつではあるが、安物であることはすぐに分かるだろう。もう何年も着ているロゴTシャツ(書いてある英語の意味は分からない)、某有名量販店のアプリ限定割引で買った伸縮性が自慢のモスグリーンのスキニーパンツ。靴は、メーカー名すら覚えていない白っぽいスニーカー。紫外線対策として、薄手の黒っぽいカーディガンを羽織っているあたりが、唯一の女子力ポイントだとも言える。

 そんな自分に「雑誌かなにかのスカウト」が来るはずはないだろう。とすれば、先日店長がぼやいていた、近所に新しく出来るコンビニの件くらいしか思い浮かばない。かおりのコンビニ店員歴は、高校在学中から6年におよぶ。


「いいえ、私は公務員です」

 男は流れるようにあざやかな所作で四角いビジネスバッグから名刺入れを取り出し、慣れた手つきで名刺を差し出した。

 反射的に受け取ったそれを、かおりは思わず音読してしまった。

「市役所特別外務部少子化対策課 課長 菊池 誠一朗……」

 なるほど、たしかに目の前の人物は公務員っぽい雰囲気をかもしだしている。アイロンのかかった控えめなストライプのシャツ、折り目のついた濃紺のスラックスと、その一式であろうジャケットをきちんと折りたたんで小脇に抱えた骨ばった手。曇りのない銀縁メガネの奥の瞳は少し目じりが下がっていて、声よりよほどやわらかい印象だ。三十代半ばに見える青年に威圧感はなく、まじめな中間管理職、というイメージがしっくりくる。

 そこは、納得できた。

 それから? 特別外務部少子化対策課ってどこ? そりゃ市役所の内部なんて全然詳しくないけど、ニュースとかに出てくるような部署じゃないよね? だいたい公務員ってスカウトでなれるもんなの? あ、市役所監督のもとで開かれるイベントの一時的なスタッフ募集とか?

 一通りの可能性を探ってから、かおりは、名刺に落としていた視線を思い切って上げた。


 菊池は、口元を少し緩めてこう言った。

「我々とともに、我が国の少子化に関する抜本的な対策を実行していただきたいのです。

 バッポンテキナショウシカタイサク……と頭の中でリフレインするカタコトの単語。正直なところ、これまでの人生で日本の少子化について頭を悩ませたことなど一度もない。自分の“糸”の行く末を知ってからは、いつか素敵なウェディングドレスを着て旦那さんとの間に三人くらいは子どもが欲しいな――などという夢は抱かなくなった。そんな自分に、よもや少子化に関する抜本的な対策を実行するなどというスカウトが来ようとは。

(いやいや待て待て、ゼッタイあやしいよね?)

 新手の詐欺、もしくは犯罪への入り口ではなかろうか。

 男は「我々」と言った。だとすれば、その一味であろうパーカー姿の少年にも何らかの役割があるはずである。

 かおりが困惑気味の視線を向けると、少年はにっこり微笑んだ。花がほころぶような、という表現がふさわしい、華やかな笑みだ。風に煽られる茶髪と原色に近い黄色のパーカーが浮ついた印象にならないのは、シンプルな白色のロゴTシャツと、ネイビーのハーフパンツ、某有名スポーツメーカーのスニーカーという、全体的にスポーティなファッションでまとめているからだと思う。多くの女子が「見て見て、美形がいるよ。でも、かっこいいっていうか弟系ってイメージよね」などと噂話をしそうな、クリっとした大きな瞳の、人懐こい印象の少年だった。

(同じロゴTシャツで、なぜこうも違うものか……)

 ちょっとした現実逃避の意味で、かおりは自分のTシャツと少年のTシャツを見比べた。同じ白地のありふれたデザインのロゴTシャツのはずなのに、少年のそれが輝いて見えるのは書かれている文字が筆記体だから、そういうことにしておく。

 さて、本題に戻り、この愛嬌ある美少年が犯罪に加担しているとすればその役割は何であろうか。この可愛い容姿で相手を油断させる、導入剤のような役割なのか。しかし、公務員と名乗る堅苦しい男と組んで動いているのでは、効果が半減しそうだ。だとすれば……。

 かおりの思考を、愛らしい声が遮った。

「お姉さん。ボクのハーレムに入って、ボクの子どもをたくさん産んでくれない?」

 形のよい唇がつむいだその言葉の意味を理解した途端、かおりは真っ赤になって、ぎゅうぅぅとコンビニの袋を抱きしめた。サンドイッチがつぶれるかもしれないなどということに考えは及ばなかった。

 意味なくあわあわと口を開いたり閉じたりするかおりに対し、少年は華やかな笑みを絶やさず、優雅な仕草でコンビニのすぐ隣にあるカフェを指さした。

「どうかな? よかったらお茶でもしながら、ボクたちの行く末をじっくり話し合わないかい?」

 かおりは、すごい勢いで首を振った。もちろん横に、である。

「あ、わわ私の子宮がそのような重大任務に耐えられると、お、思いませんので、しつれーしますっ‼」

 そうして、高校卒業以来久しぶりの全力疾走で、その場を逃げ出したのだった。

 

 渋面のサラリーマン風の男とこらえていた衝動を爆発させて大笑いする美少年のふたりは、コンビニの買い物客に奇妙な目で見られていたが、やがて駐車場から隣の喫茶店へと歩み去って行った。

 町はずれにひっそりと建つコンビニは、ようやく本来の閑散とした姿を取り戻すことができた。


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