第5話 委員長は頑張り屋である

「まさか小銭こぜにが切れるとは……く、ジャンケンしなけりゃよかった」


 そうすれば金を回収して罰ゲームとして自腹を切ることもなかったのに。

 財布さいふの中の残り千円せんえんは学食に使う分である。少しでも良いものを食いたいからくずしたくはない。

 桜花は今日きょう日直にっちょく弁当べんとうも作ってくれなかった。

 母さんには期待していない。俺のずぼらはあの人の遺伝いでんである。一年の時ちっこい塩むすび二個にこしか持たされず、それ以来一切の弁当を断った。あれは健全けんぜんな男子高校生の昼飯ひるめしではない。

 ……よく考えたら幼馴染おさななじみに昼飯を頼っているというのも健全な男子高校生とは言えないような。……よし! 考えるのは止そう。それがいい。


「まあ飲み物は水道で誤魔化ごまかすか……さて、これからどうすっかな」


 教室に戻ったらしい緑丘みどおかを追いかけるのは、少しあれだ。戻った瞬間しゅんかんからまれて、面倒めんどうくさいことになるに違いない。

 ――というか、あんまり顔を合わせたくなかった。まだ微妙に、胸がどきどきしていた。

 タカヤと武崇には悪いが、コーヒーとほうじ茶はしばらく我慢がまんしてもらおう。なにせ俺もまだなにも飲んでないんだ。


「うん?」


 通り過ぎかけた教室の戸が開いていた。確かここは、辞書やら地図やらが雑多ざったに詰め込まれた資料室しりょうしつだったはずだ。

 ふと気になって中をのぞいてみると、一人の女子生徒が段ボールにせっせと本を入れていた。

 こっちに背中を向けているが、青みがかったロングヘアは知らぬものでもない。

 さっそく資料室に入って、後ろから声をかける。


「おはよう、委員長いいんちょう

「え?」


 声をかければ、彼女はこっちを振り向いた。

 青枠ブルーフレームの眼鏡の奥にある目は、パッチリとしているがやや吊り上がっていて、生真面目きまじめそうな印象いんしょうを与える。

 桜花とは、また違った清潔感を纏っていた。桜花のものが清くて和むものなら、彼女のそれは、凛として涼やかなものだった。お茶と湧水わきみずの違いだ。


「あ、黒高くろたかくん、おはようございます。……あと、委員長じゃなくて名前で呼んでね?」

「別に良いだろ? 委員長は委員長なんだからさ」


 透き通った声を発する口もキリっと結ばれていて、「クールビューティー」というたとえがピタリと当てはまる。

 しいて言うなら、ミントグリーンの髪留めヘアピン唯一ゆいいつ可愛らしいが、それも装飾そうしょくがない簡素かんそなものだった。

 青海あおみスミレ。去年からずっと変わらない、ウチのクラスの委員長である。


「ところで、なにやってたんだ? なんだ、その段ボール?」

「これ? 古語辞典こごじてんよ」


 青海の肩越しになにやらいじっていた段ボールに目を向けると、青海もそっちに目を向けた。

 その中には赤い装丁そうていがされた分厚い辞書がぴったりと、向きさえ揃え並べられて、綺麗きれいに入っていた。

 新しく納品のうひんでもされたのかと思ったが、よく見たら表紙は古ぼけているから、前から使われていたものだろう。

 本当に仕事が丁寧ていねいだ。


「今日、二時間目は古典こてんでしょう? 先生から辞典を使うから用意してほしいって頼まれたから、その準備をね」

「……うん? なんで二時間目の準備を始業前いまに? 一時間目が終わってからでも良いだろ?」


 たずねてみると、青海はこっちにさっと向き直る。なにを驚いたのか吊った目尻の高さに合うように目頭がくいっと上がり、目がより大きく見開かれた。

 だけどすぐさま、じっとりと、にらみつけてくるように細められる。沈着クールに見えても、割りと青海は、感情が顔にでやすいたちだった。


「もう、忘れたの? 一時間目は、一学期いちがっき最初の全校ぜんこう集会しゅうかいがあるでしょう? だから、今のうちにやっておこうって思って」

「……あー、そういえば先週せんしゅう、そんな話がHRであったような、なかったような、どっちでもないような……」

「さすがに、どっちでもないってことはないと思うのだけれど……全くもう、春休み気分が抜けてないのか、それとも一週間経って緊張感が抜けてしまったのかは分からないけど、もう二年生なんだから、しっかりしないとダメよ? 黒高君は少し、というか、だいぶだらしないところが……」


 溜息ためいきをついた委員長は、つらつらとお小言こごとのような注意を始める。

 委員長として適当人間である俺に目を付けるのは分かるが、幼馴染の桜花も含めて、二人以上に気を引き締められるのはさすがに自分が情けなくなってくる。

 だけどこれも性分しょうぶん。そうたやすく直せるものでもない。……いや、直した方が良いのは重々承知しているけど。


「あー、おう、その辞書、さっさと持っていこうぜ?」

「……あ、そうだったわね」


 俺の指摘で気を取り直した青海は、サッとしゃがんで段ボールに手を掛けて持ち上げようとする。

 しかし中身は分厚い辞書、それもクラス全員分となるとかなりの重さになるだろう。

 女子の青海には、ちとつらいだろう。


「大丈夫か委員長? 持ってやろうか?」

「う、ううん……大、丈……!」

「いや大丈夫じゃねえな!」


 よっこいしょ、なんて掛け声も出さず、ぐいと持ち上げる青海だが、後ろに重心がいって一、二歩あと退じさる。慌てて腰に手を回して、空いた手で段ボールを下から支えた。

 青海の腰は細く柔らかくて、30冊近い辞書を持つには、頼りなかった。

 重心が暴れる前で助かった。青海は難なく体勢をととのえて、俺も青海から手を離す。

 

「ありがとう、黒高君。助かったわ」

「ああ、構わね――」


 ……段ボールの上に、豊かな二つの膨らみが乗っている。

 さすがに緑丘ほどではないが、それでも高校生にしてはボリュームがある。下から段ボールに持ち上げられた胸は、窮屈きゅうくつそうに制服ブレザーを引き延ばしていた。

 真面目まじめな気質が裏目うらめに出ている。校則こうそくにも厳しく書かれていないのに、しっかりボタンが留められたシャツとブレザーに押し込められた胸は、段ボールの平野へいやそびえ立つ双子山ふたごやまである。

 いまがた触った細い腰からは想像もつかないほどの大きさだ。


「……あの、黒高君? もう大丈夫よ?」

「お、おうそうか」


 青海から、ゆっくりと手を離して一歩退ける。

 青海は「よいしょ」と身を軽く跳ねさせて、段ボールを持ち直した。同時に、乗せられた胸もたゆんと跳ねる。

 前々から思っていたことだけども……委員長って意外と、というか、結構スタイルいいな。キリッとした雰囲気で、そんな印象は薄いけども。


「や、っぱり、ちょっと重いわね……」

「ああ、うん、重そうだな……小玉こだまのメロンと同じとか聞いたことが……」

「は? メロン? ……――ッ!?」


 いぶかしげに、まゆ非対称ひたいしょうに曲げた委員長。だがしかし俺の視線が、自分の胸にそそがれていると気付いた瞬間しゅんかん、顔を真っ赤にして声にならない悲鳴ひめいを上げた。

 ……しまった。口が滑った。

 胸を隠そうとしたのか腕がピクリと動き――段ボールに乗ってた胸も左右に揺れて――しかし段ボールをはなすわけにもいかず、少しパニックになってしまったらしい。

「これはヤバい」と咄嗟とっさに駆けよって、段ボールを引ったくって腕を自由にしてやる。

 すると青海は、さっと後ろを向いてなおかつ腕で胸を隠した。

 青海は真面目で、平時は頼れる委員長だが、この通り不測の事態には弱いところがある。……いや、今起きた不測の理由は俺にあるからそこは反省はんせいしなきゃならないが。

 

「……えっと、ごめんな委員長。とりあえずこれ、教室まで持っていけば良いんだな?」

「い、いいわよ大丈夫! 私が……!」


 大丈夫と言いつつ、さっきの自分の有様ありさまを思い出したのだろう。そろそろ登校する生徒が増え始める頃。

 教室に戻るまでに、「あれ」を何人にも見られる可能性が頭をぎり、口をつぐんだ。

 だが、しかし。


「い、いえ、大丈夫だから。それにそれ、重いでしょう?」

「力仕事なら俺の方が向いてるし、階段だって登るだろ? スカートだって後ろ隠せないぞ」

「うぐ……! でも、やっぱり……」

「何を言われようが、渡すのはだんじてことわる。通りすがったのもなにかのえんだし適材適所てきざいてきしょだ。あんまり全部、一人でやりきろうとするなよ」


 青海は真面目だが、その責任感せきにんかんの強さは少しやわらげた方が良いと思う。委員長あたまなんだから、級友てあしを使うってことも覚えて欲しい。

 これでも引き下がらないなら強行きょうこうしよう。そう、思っていたのだが――。


「……断じて断る。か」

「うん?」


 それは、今日だけで何度か使った言葉だ。語感ごかんがよくて、気付いたら使っている事が多い口癖くちぐせ復唱ふくしょうした青海は、どこか苦笑していて。


「……分かった。ありがとう黒高君。お願いできるかしら?」

「ああ、任された」


 一体なんの心変わりか、青海は素直すなおおうじてくれた。

 正直助かった。持ち続けるのは、ちょっとしんどかった。


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