第32話
ぼくがスタジオの屋上に戻ると、ジャックはまだ笑っていた。
煙を挙げる機材の前でジャックははしゃぎ、ニーナは見たこともないような表情で絶望に暮れている。機材と大多数の人々の鼓膜を犠牲にしたエンタメ式イニシェーションは、予想外の代償とニーナのトラウマを除けば、概ね期待通りだった。
彼女が歌い終えたあとも、ニーナの歌は誰かに録音され、録画され、吹き替えられ、面白おかしく編集され、拡散を続ける。誰かが驚く。それでいい。
誰かが馬鹿にする。それも構わない。ニーナと似たような感性の持ち主が共感するっていう奇跡がどこかで起こっているかも知れない。ありえない話じゃないさ。
「ジョビーは?」
ニーナは涙目でぼくを見ると、セットの脇を指した。あ、気を失って倒れてる。
「あんな反応、あんまりじゃない?」
「まあ、君のおかげで沢山の人が助かったんだし」
歌について、ぼくは何も言及できなかった。
今日という日。人々は、ほとんど万能の力を手にした。
世界を独占してきたムスタファの、特権の下支えにされていた人々はここから新たな旅を始めることになる。広大な宇宙に、理想の世界を築くための、それぞれの長い旅路だ。星を作る人もいるだろう。そこに命を芽吹かせる人もいるだろう。 花畑を敷き詰める人だって。何を望んで、叶えたって構わない。強要されることも、否定されることもない。やらなければならないのは、自分の命に責任を持つことだ。
〈新人類〉は四肢の節から塵と化し始めた。ニーナの魅了に感応したのなら、消えた〈新人類〉の血肉は、個の身体と心を取り戻しているはずだ。万能の源だった〈キューブ〉。その力は普遍のものとなり、〈キューブ〉という特権そのものが意味消失していく。
〈新人類〉は裂け目に手を伸ばしていた。しかし、その腕には街を蹂躙していたときの威厳や強靭さは欠片も感じられない。そこにあるのは、図体がでかいだけの、縋る者の腕だ。死に際にありながら、〈新人類〉はたった今まで自分が誇示していた権力の、その先にあると期待した輝きに縋ろうとしている。
だけど、それはもう無駄な足掻きなのだ。人々は新時代を迎えた。歴史の中で繰り返し行われた革命や権力闘争の後のように、これまでの常識や、それを基盤にしていた体制は通用しなくなる。〈新人類〉を特別たらしめる威光は、最早どこにもない。
「奇妙な一日だったよ」
「『わたしたち』は何を想ってこの星を創ったんだと思う?」
悲壮感に打ち勝ったニーナはぼくの隣に立って、ぼくたちは崩壊する〈新人類〉見上げた。
どちらからともなく、二人は手を繋ぐ。
今日という日。ここから世界は拡散していく。
力を手にした人たちは、それぞれが思い思いの景色を描いていく。そこは誰にも邪魔をされない世界で、虐げられる者はいない。それぞれが理想を掲げ、自分の実力を発揮し、自分の想像に挑んでいく。誰かに認められることは必要じゃない。自分で納得できるかだけが肝心だ。
これから何をすべきか自覚した人たちが、一人一人、あるいは誰かと手を取り合ってこの場から離れていく。人々が旅立つ軌跡は、夜光虫の生物発光みたいに淡く輝いた。
旅立った人たちは、これから少しずつ自分の世界を育て、広げていくのだろう。拡大した世界の際で、どこかで誰かと再会することもあるかも知れない。そのときはきっと、互いの力を合わせて新しい世界を築くだろうってぼくは信じてる。
だって、争い合う理由はもうどこにもないんだから。
「おお、おお!」感嘆の声を漏らすジャックを見ると、彼の身体は宙に浮いていた。「これが、これがおれの力か!」
「……飛ぶことが?」
「いいか」とジャックは言って、続けた。
「おれはおれだ。欲しいものを手に入れ、なりたいものになるし、やりたいことをする」
ジャックは浮遊感を楽しんでるみたいで、上昇しながら手足をじたばたさせている。
「だけど、どうしても『それ』になる機会がないものがあった」
「なんだよ、それって」直後にぼくは思いついた。「ヒーローか?」
これまでの立ち振る舞いを考えれば、正義の味方よりも悪の首謀者って感じだけど、あいつのせいで助かったのは間違いない。……あいつのせいで。おかげじゃない。絶対に。
「違う。違う」ジャックは言う。「おれがなりたかったのは――」
ジャックは何か制御のコツを掴んだのか、上昇する速度を上げた。
「おれがなりたかったのは、恋のキューピットだ!」
「……は?」
何かの聞き間違いだって思った。キューピット? 聞き直そうにも、ジャックは奇声を挙げながら高速で星屑の向こうにぶっ飛んで行った。
「なにあれ」
ニーナは首を傾げた。
「さあ」
ぼくも首を傾げる。
「ぼくだって、あいつのことは名前以外知らないんだ」
「これからどうする?」
ニーナはぼくにそう聞いた。
〈新人類〉は散り散りになった。街もガラクタと化していて、人々が積み上げたものはほとんど残っていない。
だけど、ぼくたちには希望がある。手にした力のことじゃない。理想を思い描く頭と、そこを目指して進むための手足だ。
楽園を失った日 @sumochi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます