第23話

 ムスタファは勝ち誇ったような笑みをぼくに向けた。血縁を暴露したくらいで、何をいい気になってんだ?

 ぼくはニーナとブレットに聞こえるよう、声を振り絞る。

「そういうことだけど、サインが欲しかったら後にしてくれ」

 そして、ぼくはムスタファに笑い返してやった。

「ぼくが有名人の息子だったらなんだ?」ぼくが動じなかったことが不満なのか、ムスタファは眉を潜めた。「自力で事業を興したって聞いてたのに、もしや、あんたは権威主義者だったのか? それとも、親父のファン?」

「誰があいつの……」

ぼくの身体を絞める腕の力が強くなる。息が苦しいってことを、ぼくは開いてる手を使ってニーナにアピールした。ニーナの〈キューブ〉が輝き、ムスタファの腕の力が僅かに緩む。できればもう少し頑張ってほしいところだけど、ニーナの機嫌を損ねたから窒息したなんてことになったら笑えない。ぼくは親指を立てて健闘を称えたけれど、やっぱり、彼女は褒められて喜ぶタイプじゃないみたいだ。

 ムスタファの方に視線を戻すと、その背景でジョビーが何か企んでいるのを見つけた。目が合うと、ジョビーは身振り手振りでぼくに何かを伝えようとした。オーケー。何も解からない。だけど、ぼくにできるのは時間稼ぎくらいだってことは、あいつだって承知のはずだ。一先ず、ムスタファとの会話を少しでも長く引き延ばすよう努めよう。

「あんたはぼくに何を期待した?」

 ジョビーはブレットと何か密談してる。それから、ジョビーは天井を指して、ブレットも同じところを見た。

「ニーナやブレットから〈キューブ〉を奪うだけなら、ぼくを使うこともないだろう? 欲しいものを手に入れるなら、殺しだって躊躇わないあんただ。自分でやった方が確実なのは間違いない。……だけど、あんたはぼくを引きずり出した。〈キューブ〉の奪い合いの場に……。……どうして?」

 会話を引き延ばす。そのつもりだったのに、何時の間にやらぼくは、自問自答を始めていた。

「あんたがぼくに期待したのはブレットから〈キューブ〉を奪うことじゃなかった。そうだな?」

 突拍子もない力なんて持ってない、金で使われるだけだったぼくに、望むものは何でも自力で手にしてきたこの老人は、何を望んだ? いや、そうじゃない。ムスタファの望みなんてぼくに解かるわけがないんだ。考えることはそこじゃない。ぼくがニーナやブレットと対峙したら、ムスタファは何が起こると考えていたのか。

「あんたは、ぼくが何かを起こすって考えてた。負けるにしても、ただ負けるんじゃない」

〈キューブ〉の力に抗おうと、ぼくが何かをやらかす。そこに、ムスタファが望むものがあるはずだけど……。駄目だ。見当がつかない。自分のことなのに。ぼくは他人がぼくにどんなことを期待するのか、さっぱり解からない。

「ピンチになったぼくは、何をすると思う?」

 ぼくはニーナに問いかけてみる。

「冗談を言う」

「いや、そうじゃなくて」

 ぼくはムスタファに気づかれないよう、ジョビーたちを指す。時間稼ぎに協力してくれってニーナに伝えるためだ。

「あなたの狙いを聞かせて」ニーナは言った。「〈キューブ〉でなければ得られない、必要な何かがあるのなら、手を貸してもいい。それで手打ちにしてくれるならね」

「商談のつもりか?」

「あなたの得意分野で闘うのは癪だけど」

 良く言うよ。人の心なんて思い通りのくせに。

「かつて、我々は一つだった」

 どこかで聞いた話だなってぼくは思う。

 ムスタファは言った。「わたしは、かつての姿を取り戻したいのさ」

〈前人類〉ってニーナは呼んでいたか。

 ――ずっと昔。大いなる存在だったわたしたちはあるとき無数に分断されて、肉体と知恵は人間に。星や命を生み出す力の一部は結晶になった。

 そうとも言っていた。

「その〈手〉。人……なのね」

「今や、彼らは『彼』であり、〈新人類〉の礎だ」

「それだけのものを造るのに、どれだけの人を犠牲にした?」

 ぼくは話についていけてない。人間が材料だって?

「おい、なんだ。いきなりシリアスな話か?」

「他人事じゃないんだぞ。サム・ウィリアムズ」ムスタファは言った。「お前も共犯者なのだから」

「何の話だ」

「材料となった人間の話さ。手首から指先を、この程度の質にするのでさえ数百人を使う必要があった。それをどこで手に入れたと思う?」

「知るわけないだろう」

「……お前、〈ポーター〉なんかを名乗っていい気になっているらしいじゃないか」

「それがどうした――」

 材料? おい。まさか。ぼくの表情を見て、ムスタファは笑う。

「パラダイスには希望がある。苦しい生活から逃れるための仕事や福祉。大物になるためのチャンス。平穏と安心。そういうものを期待して、ダンプ地区からゲート越えをしようと決意した者たち。それが、お前の顧客だ。不遇と抑圧に立ち向かう……わたしから言わせれば怠慢と未熟の報いだが、悲惨な状況を覆そうと諦めない者たちに、お前は手を差し伸べてきた。新しい生活を始めた客の背を見送るたび、お前は希望の使者になったつもりに浸っていたんだろうが……」

「言うな」

 ぼくの声は力なく、ムスタファには届かない。届いたところで止めなかっただろうが。

「自分が送り届けた客はどこに辿り着いたのか。お前は見届けたことがあるか?」ブレットは続ける。「人伝に聞いた話でしか事情を知らない土地に踏み入り、これまで培ってきた常識とはまるで違う環境に晒され、そのことにどれだけ困窮しようとも、頼れる者は一人もいない。生活の場所を変えるということは、そういうことだ」

「お前は……手を差し伸べる振りをして、そういう人たちを利用したんだな」

「彼らは自らが参加していたコミュニティを、自ら築き上げた人との縁を放棄して、こちら側にやってきた。ある日、突然、いなくなったところで、心配する者も不思議に思う者もいない」

 ぼくはニーナに合図を送るのに隠していた手で、ムスタファをぶん殴ろうとする。だけど、僅かに届かない。

 ムスタファはぼくをあざ笑う。

 ムスタファがぼくをあざ笑うその後ろで、ブレットが跳んだ。天井を這うパイプを掴み、それを割った。割れたパイプから勢い良く蒸気が噴き出し、ムスタファを背後から狙った。待機していた〈左手〉とぼくを押さえつけていた〈右手〉がムスタファを包み込んだ。〈両手〉の動きを抑制しようとしたのか、警備ロボットが〈両手〉を包囲した。両手揃って〈追手〉は消えかけるが、主人を護るため、懸命にその場に留まった。

 中身を放出し切ったパイプから蒸気が消える。ぼくは〈追手〉が再び動き出す前に距離を取った。〈追手〉はゆっくり両手を開き、ムスタファは〈追手〉の隙間からブレットとジョビーを睨んだ。

 警備ロボットは一斉にテレビ番組のチャンネルを切り替えた。若かりし頃のブレットの試合。敵の猛攻を食らい、瞼や頬を腫らして倒れる姿。テレビ番組のチャンネルが切り替わった。ブレット・ホログラフィに大敗し、醜悪に歪んだ顔が世界中に晒された瞬間の中継。警備ロボットを操るジャックは、どうしてあんなものを映し出す?

〈追手〉が二手に別れて、右手がニーナを、左手がブレットを襲う。ブレットはニーナのために突風と水流を巻き起こし、自身は素手で左手と立ち向かう。

「勢いを殺すだけでは、その手は止められんぞ。ブレット・ジョーンズ」

〈左手〉がブレットを捻じ伏せるのを見て、ムスタファは笑う。

 ニーナは竜巻を〈右手〉にぶつけながら、ムスタファに〈キューブ〉の力を行使してるみたいだけど、ムスタファは表情一つ変えない。

「わたしの心を惑わしても、その手の意思は変わらない。ニーナ・モロー」

 ムスタファはぼくを振り返る。

「どうした。サム・ウィリアムズ。仲間のピンチだぞ?」

「言っただろう。あんたはぼくを買い被り過ぎだ」

〈キューブ〉もなければセキュリティをハッキングする技術だってない。羨望を集めることも、強靭な身体だって。

 ぼくはムスタファの背後を見て目を丸くした。撃てなくなったライフルを振り被って、ジョビーがムスタファに迫ってる。

「いたな。そういえば、もう一人」

 ムスタファのその一言の直後だ。一発の銃声が響いた。ぼくとジョビーの銃は濡れて使えない。ニーナに拳銃を構えている暇はないし、ブレットは〈左手〉との格闘の最中で両手が塞がってる。

 辺りを見渡して、ぼくは銃口から硝煙を挙げている一台の警備ロボットを見つけた。そして、倒れた人影。

「ジョビー!」

 ぼくは倒れたジョビーに駆け寄り、その上体を抱え上げた。

「もう駄目だ……」ジョビーは切れ切れに言葉を発した。「なんだか、眠くなってきた」

「駄目なもんか」

「やっぱり、無茶だったかもしれない」ジョビーは言った。「だけどな。お前に相応しい男になりたかったんだよ」ジョビーは咳込む。「背中を追いかけるんじゃない。背中を預けられるって信頼が欲しかった」

「そんなもん、とっくに……」ぼくは頭が回らない。「お前以外にいるもんか」

 ジョビーはゆっくりと、震わせながら腕を上げ、ぼくの肩を小突いた。

「お前は負けるな。……這い上がれ」ジョビーは言う。「泣いてる暇があるなら……ムスタファの尻に蹴りの一つでも入れてみろ」

 一人で勝手なことを言い終えると、ジョビーは瞼を閉じた。

「死んだ真似はよせ」

 ジョビーは何も言わない。

「目を覚ませよ」

 ぼくはジョビーの閉じた瞼が再び開くのを期待する。こんなのは嘘だって、誰かが言い出すのを待っている。冗談だって。これまで何度だって失敗してきた。今度も失敗だった。だけど、ここで終わるはずがないって。ぼくはジョビーの身体を揺する。しかし、ジョビーの瞼がもう一度開くことはない。

「終わるなよ。ここで終わりにするな。惨めなままじゃ終われないって、お前が言ったんだろう!」

 無数の警備ロボットがぼくたちを包囲する。

「お前がここまで、ぼくを連れてきたんだ。夢を見ろって。……お前がいなくなったら、ぼくに何が残る」

 警備ロボットがチャンネルを変える。映し出されたのは、神父だ。

 モニタの神父は、埋葬のときの常套句を読み上げた。

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