第22話

〈追手〉を前に、ジョビーは腰を抜かし、ぼくとニーナはたじろいだ。

「この手、お前のだったのかよ!」

「おれ? いやいや。心外だな。おれのだったとしたら、こんな醜悪な格好はしないさ。なあ? 爺さん」

 爺さん? 誰のことだ。

 照明が消え、室内の大半が闇に覆われる。水柱が天井に開けた穴から差し込む月明かりと、警備ロボットが映すホログラム。そして〈キューブ〉の輝き。警備ロボットが放つホログラムの淡い光に照らされながら、〈追手〉は指の関節をぎこちなく伸び縮みさせる。

「お前が件の首謀者か」

 巨大な腕の形をした怪物を前にブレットは堂々と胸を張る。

「声が震えてるぞ」

 茶化したら睨まれた。ブレットにも、ニーナにも。

「なんだあれ」とジョビー。

「お前が簀巻きになってる間、ぼくたちはあれに追い駆け回されたんだ。……ニーナ」

「解かってる」

 何が解かってるのか。それは、現れた〈追手〉が右手だけってこと。

「ブレット! もう一体、どこかに隠れてる!」

 ぼくが言った直後に〈左手〉が水槽から飛び出して、ブレットに掴みかかった。ぼくは頭上を見る。そして、すぐさまニーナを突き飛ばす。ニーナは悲鳴を挙げたあとに文句を言いかけたが、ぼくを振り返って閉口し、それから言葉を選ぶように続けた。

「お礼が先? それとも、心配するべき?」

〈右手〉に掴まれたぼくは、なんとか抜け出そうともがきながら返事をする。

「まずは、あんたに操られて身代わりになったんじゃないって確証がほしい」

「……そんなことしてない」

「よし。それじゃあ、次は握り潰されないよう祈っていてくれ」

 ニーナは拳銃を構えた。ぼくはそれで助かるなんて期待しない。予想通り、というか、前例と同様に、銃弾は〈追手〉の皮膚を跳ねた。跳弾が天井を這っているパイプを貫き、パイプに開いた穴から蒸気が噴出す。それを諸に食らった〈追手〉は怯んだのか、身体(手だけだけど)が透過して、ぼくを地面に落っことした。

 衝撃には強いが、熱には弱いのか? ぼくは床に打ちつけた後頭部を擦りながら考える。

「何か言うことがあるんじゃない?」

「次から外を出歩くときは、ウィッグじゃなくてヘルメットを選ぶんだな」

 ニーナは頬を膨らます。「必要だったのは、あなたの方じゃない?」

 なんて言っているうちに、消えた〈右手〉が再び現れた。

「どうする?」

〈まずは、下味に塩と胡椒をまぶします〉

 料理番組を空中に投影する警備ロボットが〈右手〉を包囲する。

〈それからお好みのハーブ、ガーリックを合わせて、オリーブオイルでマリネします〉

「おい、こいつら、どうやって相手する」

ブレットは〈左手〉と取っ組み合いをしながら叫んだ。

「あなたは手当たり次第、色んな力を増幅してくれればいい」

 ニーナが言うと、ブレットは水槽の水を噴き上げさせ、空調設備の排気口から突風を起こした。室内はさながらハリケーンの真只中って感じだ。水流やら風の舵をニーナが引き受けるつもりなんだろうが、それはブレットの頭を弄ってやるわけだから――。

「それって、全部あいつ任せってことじゃないか?」

「ブレットが頑張ってくれてる隙に、わたしたちは〈追手〉を操っている奴がどこにいるのか突き止めるの。犯人さえ見つければ――」

「ニーナがどうにかしてくれる?」

「ええ。任せて」

 ニーナは突風と水圧で〈右手〉を吹き飛ばし、ブレットは〈左手〉を気合でぶん投げる。……ぼくの出番はないんじゃないか?

「わたしたちにあれの相手をずっとしてろって?」

 ブレットが自慢の拳を振るっても、ニーナが水流を槍のようにして貫いても、〈追手〉は何度も立ち上がる。圧されることはないが、決め手に欠けるって感じだ。

「解ったよ。雑用係は任せてくれ」

ぼくとジョビーはニーナたちの争いに巻き込まれないよう気をつけつつ、分担して捜索を始めようとした。持たざる者には華やかな舞台なんかなく、スターのパフォーマンスを縁の下で支えるしかないのさ。

「その必要はない」

 警備ロボットの群れが、合唱するみたいに音声を再生する。この声は――。

「……ムスタファ・ラムジ」

 ニーナやブレットと格闘していた〈追手〉は急に交戦を止め、悠然と物陰から現れた老人の背後に並んだ。

「家臣みたいに引き連れて、王様気取りか?」

「お前にはブレット・ジョーンズの〈キューブ〉を奪えと言ったはずだ。サム・ウィリアムズ。それがどうして、仲良く漫談なんかをしている? しかも、死んだはずのニーナ・モローまで連れて」

 ブレットの睨みは凄まじく、ぼくは思わず腰が引けた。

「ぼくは始めから生き延びるために必要なことを選んでるだけさ。あんたの言うことを聞かざるを得なかったから、ブレットの屋敷を襲った」

「襲う前に捕まったろ」とブレットが横やりを入れた。

「ニーナからも〈キューブ〉を奪った」

「奪い返されたでしょ」とニーナ。

 ぼくはムスタファのことを一端脇に置いて、ニーナたちの方を振り返る。

「ちょっと黙っていてくれ。こっちは全部あいつの計画だっていうのを、それとなくあんたたちに伝えようとしてたんだよ!」

「見栄を張ってるのかと思った」

 ぼくは咳払いをしてムスタファに向き直る。

「ともかく、だ。ぼくがあんたに従ってたのは、生きるためだからで、あんたを崇拝しているわけでも、同情したわけでもない」

「金を受け取っただろう」

「全部軍資金に消えたよ」

 ジャックのせいだけどな。

「あんたこそ、ぼくを騙したな。色んなところで殺して回って。ぼくはそんなことに加担するつもりはなかった」

「お前のことを見込んだから、わたしは投資をしたんだぞ?」

「だとしたら、買い被り過ぎたんだ」

 ムスタファが一歩前に踏み出す。すると、〈右手〉が突進して、ぼくを壁に押さえつけた。

「これがあんたの隠していた力?」

 もがいてみるが、振り解くことはできそうにない。解かり切っていたことだけど。

「本当にお前が日銭を稼ぐのだけで精一杯で、束の間の休息も酒に溺れ、根拠のない幸運が訪れることを夢見るだけの小僧だったとしたら、二度も〈キューブ〉の奪取を任せたりしない」

 ムスタファはニーナとブレットの反応を見た。

「なんだ。お前たちは知らなかったのか」

 そして、自分を睨むジョビーの視線に気づいたムスタファは言う。

「お前は知っているらしいな」鼻で笑い、続ける。「だから、こいつの腰巾着か」

 ジョビーは何も言い返さない。ビビッてるのか?

「サム・ウィリアムズ。こいつはこの街を造った男、ヘンリー・ウィリアムズが遺した子供だ」

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