第20話

「ブレットは?」

「どこかにいるさ」

 ぼくは、背負ってきたライフルをジョビーに渡した。

「仕返しだ」

「お前……元気だな」

「おれがタフなのは知ってるだろう?」

「……ああ、そうだな」そういう奴だったよ。お前は。「だけど、復讐はお預けだ」

 ぼく指差し、ジョビーは足場の手すり越しに下を覗き込んだ。

「げっ」ジョビーは空かさずニーナに向かって銃を構えた。ニーナの方は向けられた銃口なんかには無関心で、携帯デバイスで誰かとの通話を続けている。

 ぼくはジョビーの銃身を降ろす。「それもなし」

「どうして」

「ぼくたちだけじゃブレットを倒せないし、あいつよりも性質の悪いのがこの街にいるらしい」

「おれよりも?」施設の拡声器からブレットの声がした。「随分、見くびられたもんだな」

 奥から壁をぶち破ってブレットが現れた。

「普通に出てくりゃいいのに」

「それじゃあ、芸がないだろう?」

「まだショーをやっているつもりなのか、あんたは」

 ぼくが溜め息を吐く脇で、仕返しだなんだと言っていたはずのジョビーがへたり込んだ。

「あの壁、金属だろう?」

「そうみたいだな」

「ぶん殴って開けたぞ!」

「全盛期以上の力を見せてくれるってよ」

「鉄を! パンチで! 破ったんだぞ!」

「大層なパフォーマンスを見られて、ファン冥利に尽きるだろう?」

「人間じゃない!」

「怪獣退治だって言ったじゃないか。だけど、まあ、その必要もなくなった。こっちには、あのモンスターと張り合える魔女が味方についた」

「ニーナのことか?」

 ぼくは自信満々に頷いた。

「どこにいる?」

 ぼくは慌てて足元を見下ろした。そして、青ざめる。

「あいつ、逃げやがった!」

――これ以上〈キューブ〉が暗殺者の手に渡ったら、ますますわたしは不利になる。

つまり。つまりだ。〈キューブ〉が暗殺者の手に渡らなければいい。〈キューブ〉を回収できさえすればいいんだ。彼女自身が矢面に立つことはない。ぼくとブレットが共倒れすれば、ニーナは悠々と〈キューブ〉を回収できる。

 だけど、おい。くそったれ。ぼくはもう〈キューブ〉を持ってないんだぞ!

「さっきは悪かった」

 咄嗟にぼくがそう言うと、ブレットは笑った。「今度は何を企んでる?」

「謝りに来ただけだ。ぼくとジョビー。二人で謝る。穏便にいこう」

「謝る? 銃を持って?」

「企んでたのは、ニーナだ!」

 そうだ。ニーナだ。ぼくたちに手を貸す義理はないって、彼女が思っているのなら、ぼくたちだって同じだ。押し付けられた厄介事は、全部ニーナに返してやる。〈キューブ〉の真価を知るブレットなら、ぼくたちよりも〈キューブ〉を手にするニーナを脅威に思うはず。ニーナ。ニーナ・モロー。ぼくとジョビーの生活がこれほどまでに混乱しているのも、元はと言えば彼女に利用されたせいだって言えるんじゃないか?

「死人の名前を使って、言い逃れか」ブレットの笑い声が木霊する。「さては、ニーナのところにも〈キューブ〉を奪いに行ったな?」

 ああ、そうだ。ニーナは世間じゃモデルを引退した死人で通ってるんだったな。

「いいか。このあとの台本を教えてやる。スタジアムでショーを台無しにした小悪党サム・ウィリアムズは、友人を救い出すためにブレット・ジョーンズと拳を交え、無惨に散る」

「古い段取りだな。そんなの流行らないぞ!」

「ジョビー! 野次を入れてる場合じゃないだろう」

 ダサいのは同意するけど。

「散ったサム・ウィリアムズ。しかし、友情のために負けると解かっていながらも、再び姿を見せたその意気に心打たれたおれは、堅い握手を交わし、全てを赦すことにした」

 やっぱり、ダサい……って言いかけたジョビーの口を塞ぐ。

「その通りに演じたら、見逃してくれるってことか?」

 死にさえしないっていうのなら、殴られるなんて安いもんだ。

「まさか。お前たちの顔なんか、観客は誰も覚えちゃいない。エンディングでおれと握手するのは、お前たちに似た誰かさ。本物のサムとジョビーは、おれが満足するまで叩きのめされたあと、水底に沈んでもらう」

 ぼくはジョビーの口を塞いでいた手を離す。

「やっぱり、ダサい!」

「大事なのは演出だ」ブレットの胸元にある〈キューブ〉が輝く。「フラッシュとミュージック。それから、爆発だ。音と輝きが観客の頭蓋を揺すって、酔わせる」

 ぼくたちの真下で、水槽の水が沸騰しているみたいに泡を噴出す。

「まずい!」

 水面が少しずつ隆起しているのに気づいたぼくは、ジョビーの襟を掴んで通路を駆け出した。水槽の水が勢い良く噴出し、天井を貫く。

「当たったら死ぬぞ!」

 ジョビーはぼくを追い抜いていく。

「解かってるよ!」

 ぼくたちの真下には、別の水槽。煮え滾ってるみたいに泡を吹き、今にも爆発しそうだ。通路を降りるには、あと三つの水槽を渡らなければならない。全速力だ。死に物狂いで走り抜けたら、今度は階段を上ってきたブレットが立ちはだかった。

「話し合いがしたい!」

 ぼくもジョビーも後退りする。だけど、いつまでもってわけにはいかない。水槽から噴出し続ける水に背後を阻まれている。

「おれが言いたいことはもうねえよ」

 ブレットは自分の背後の足場を踏み抜いた。通路は真っ二つに裂かれ、それぞれが上下に歪んだ。分断された通路の向こう側のブレットは、片足を上げた。こちら側の通路の縁を蹴飛ばすつもりか。壁をぶち抜く拳を持った男の蹴りだぞ? ぼくたちはどうなる。足場ごと吹き飛んで、水柱の中にダイブだ。

 ぼくはジョビーと視線を交わした。二人でありったけの弾丸をブレットに撃ち込む。

「効かねえよ」

 そう。効かない。ぼくたちの弾は、どれもあと少しのところで失速し、ブレットの足元を転がった。それでも、ぼくとジョビーは撃ち続ける。どれ一つ、ブレットには届かない。ぼくたちはライフルを構えながらブレットに駆け寄った。

〈キューブ〉の力は人並み外れてる。しかし、それを操ってるのは所詮、人だ。

 弾丸が眼前に迫るたび、ブレットは瞼を閉じるし、身体が硬直する。自分には当たらないことが解っているからといって、無防備ではいられないんだ。反射っていうのは、理屈で抑え込めるもんじゃないからな。

 銃弾を連打する最中、ぼくとジョビーはもう一度目を合わせる。ブレットの脇を通り過ぎる寸前に、ぼくたちは銃を逆様に持ち替えた。そして、持ち替えた銃をブレットの脛目がけて振り被る。撃たれていたブレットは、銃で殴られるなんて想定できない。脚を打たれたブレットはすっ転んだ。リングで拳を、水槽で水流を、銃弾の威力を操っていたのはブレットの意思だ。ということは、ブレットの意表を突けば〈キューブ〉の超常的な力は行使されないってわけ。

「このあとは?」とジョビー。ぼくはライフルのマガジンを交換しながら振り返る。「決まってるだろう。逃げるんだよ」

ブレットの尻目がけてぶっ放した銃弾は、パンツに穴を開けることすらなく、全てあいつの尻で跳ね返った。銃弾が転がる音。薬莢が跳ねる音。ぼくはそれに乗じてポケットから取り出した手榴弾のピンを抜く。ブレットはゆっくりと立ち上がり、振り向きざまに拳を振り出した。ブレットの拳は銃弾を跳ね返し、跳ね返った銃弾はぼくの耳を掠めた。

「マジかよ」

 ぼくは驚いた振りを……いや、本当にビビったが、同時に勝利も確信した。ピンを抜いた手榴弾が既にブレットの足元を転がっていて、あいつはそれに気づいていない。爆発するそのときまで、ぼくたちは後退しつつ銃を撃つ。弾にブレットの注意を惹き続けろ。

 ブレットの背後にあった水柱が激しくうねり、軌道が変わっていく。ブレットの仕業? ぼくは身構える。しかし、ブレットは眉を潜めた。

「どうした、もう終わりか?」

 水柱が捻れながら二股に別れて、一本がぼくとジョビーを押し流し、もう一本が下から突き上げるようにブレットを飲み込んだ。流れに飲み込まれながら、天井辺りで爆発が起こったのを聞いた。手榴弾が起爆したんだろう。爆発のあと、全ての水柱は水流の勢いが萎み、水槽は落ち着きを取り戻した。ぼくもジョビーも、咳き込みながら起き上がる。階段の側まで流されたぼくたちは転がるように階段を降りた。降りてから、ぼくは銃の様子を確かめる。各部から水が滴っていた。これ以上、使えそうにはない、か。

「なんだか知らねえが、おれは随分と気が利くらしい」

 ブレットはずぶ濡れで言った。

「まさか、お前が自分で手榴弾に気づいたと思ってる?」

「自慢だがな。勘は働くほうなんだ」

 あくまでも自分が爆風を防いだと譲らないブレットだが、その思い込みの正体をぼくは知っている。

「これで少しは頭が冷えたかしら」

 ブレットが開けた壁の穴からニーナ・モローが姿を現した。ニーナはぼくを睨む。

「暴力禁止って言ったじゃない、馬鹿」

 ぼくは咳き込みながら反論した。

「最初に仕かけたのは、あっちの馬鹿(ブレット)だ」

「挑発も禁止」

「……本物のニーナ・モローか?」

「嘘かどうかも見抜けないくらい、ブレット・ジョーンズは耄碌してしまったの?」

「まさか。……いや、しかし、なあ。……死んでないのか?」

 美女を相手に気が抜けたか? ニーナを見た途端、戦意を失いやがって。

「全部彼女の企みだって、ぼくが言っただろう。馬鹿」

 ブレットとニーナがぼくを睨む。解かった。解かったよ。余計な口は挟まない。

「わたしもサムも、あなたと戦う気はなかった。手を取り合いたいって伝えたかったの。理由は……解かるでしょう?」

 ブレットはぼくを見た。「お前、ニーナのボディガードか何かか?」

「そんなところ。本当はもっと内密に会いたかったんだけど」

 ニーナが言うと、ブレットはまたぼくを見た。

「お前はメッセンジャーだったってことか?」

 何のことかって、ぼくは考える。別荘に忍び込もうとしたときのことだと思いつくのに五秒かかった。

「そうだ。その通り」ぼくはブレットに拍手する。「それだ。正解」

 ニーナに向かってこっそり親指を立てたが、ぼくの賞賛は彼女に無視された。

「それならそうと早く言えよ」ブレットは言う。「危うく殺すところだった」

 ブレットはぼくに歩み寄り、片手をぼくに突き出した。ぼくは警戒するが、ブレットが手を出したまま「ほら」と迫るものだから、渋々握手を交わした。

「話し合い、してくれる気になった?」

 ニーナが言うと、ブレットは豪快に笑った。

「そんなわけ、ねえだろう!」

 ブレットはぼくを掴んでぐるんぐるんと振り回し、ニーナ目がけてぶん投げた。

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