第18話
肌は岩石みたいに荒れてくすんでいるけれど、あれは生き物の、それも人のものとそっくりの手だ。ぼくたちの車なんか簡単に指で挟んで握り潰してしまえそうなくらいの巨大な手が、宙を飛びながらぼくたちを追いかけてきてる。
「とっても馬鹿げた光景が見えるんだけど」
手は紫色に輝く結晶を背負っており、指の動きに合わせて、あるいは鼓動のように点滅を繰り返している。
「馬鹿げているが、現実らしい」
ニーナはビルとビルの隙間めがけてハンドルを切った。車くらいの大きさならすれ違える幅だが、あの腕ならつっかえるだろう。恐らく、ニーナもそれを期待していたはずだ。しかし、〈追手〉はビルの壁面を抉りながら追跡の手を緩めない。大通りに出ると、ニーナは高架線を昇った。そこは観光客向けのパレードの真只中で、人魚を模した車体の上で外国の民族衣装をまとったダンサーたちが踊っていたり、近世のガレオン船が浮かんでいる。
「あの〈追手〉もブレットの力ってやつ?」
「そんなはずはないけど……。あなた、その呼び方、気に入ってるでしょ」
花火が上がる空の下、ガレオン船が砲塔を鳴らすのを間近で聞く。海賊の衣装を着込んだ船員がぼくたちを指して何かを言うが、こっちに聞いてやる余裕はない。〈追手〉とぼくたちの距離はつまりつつある。
パレードを抜けたところで、ぼくの携帯デバイスが鳴っているのに気づいた。ジャックからの電話だ。一度や二度は無視したけれど、何度も鳴る呼び鈴が煩わしくなって、ぼくは渋々話を聞いてやることにした。
「何の用だ」
ろくでもない用件だったら、ぶん殴ってやりたい心境だ。〈追手〉との距離はパレードに突っ込む前の半分もない。
「中継を見てるぞ。面白そうなことになってるな。文字通り〈追手〉を相手にするって、どんな気分だ?」
呑気なことを言ってるジャックの背後からは爆発みたいな暴風音が聞こえる。
「そんなことが聞きたくて電話したのか?」
「まあな」
帰ったらジャックのことをぶん殴ってやろうとぼくは心に決めた。
「冗談だよ。右手の方を見ろ。〈追手〉の方じゃなくてな」
スタジアムで見た回転翼機がビルの陰から現われ、こちらに向かってくる。
「困っているだろうと思ってな。用意してやった」
回転翼機は羽の下にぶら下げていたミサイルを〈追手〉めがけて数発放つ。頭上を通り過ぎた弾頭を目で追うと、全弾が〈追手〉に命中して、ぼくたちの背後は炎と煙で覆われた。そして、正面からは、回転翼機は下腹部の装甲を開いてぼくたちに接近している。
「お届けものだ」
回転翼機は大きな袋を投下した。落ちてきた袋がぼくたちの車の後部座席に上手いこと収まったのを見て、ぼくはちょっとだけ感心した。
「ちなみに航空機(コイツ)も、お前が貰った金から出てる。どうだ。いいだろう?」
「前金でって……そんなものが買えるほどはなかっただろう?」
「足りない分はお前のツケだ」
「ああ、そうかい」
そのツケとやらがどれだけの額なのか明細を確かめるは怖いが、このまま〈追手〉に握り潰されるよりはマシだろうと自分に言い聞かせる。後部座席に落ちた袋の中には、様々な武器がこれでもかってくらいに詰め込まれてた。
「豪華なのはありがたいけど、ぼくは素人なんだ。扱い易そうなのに絞ってくれよ」
「何言ってんだ。ほとんどはお前が自分で買ったもんだぞ」
「そうだったか?」
ぼくは横長の箱型をした武器を担いで構えた。使い方に心当たりがあるわけじゃない。一番でかくて威力がありそうだからだ。どんな形状で何が装填されているのであれ、引鉄があるってことは撃って使うものなんだろうから、相手を狙って使えばそう予想外なことも起こるまい。そう思って引鉄を引いたが、反応はなし。良く見ると、側面に上げろと書かれたバーがある。セーフティか? 指示通りにすると、透明なプレートが展開し、デジタル出力された照準が表示された。
もう一度引鉄を引くと、数発のロケットが発射された。射撃の反動を相殺するガスが後方から噴出されて、ニーナがその煽りを受ける。ニーナの手元が狂い、車が大きく傾く。
「信じられない!」
乱れた髪をそのままに、ニーナは必死で車体を立て直そうとする。
「さっきからぼくも同じ気分だよ」
爆風に呑まれた〈追手〉を見て、ぼくはカーチェイスの終わりを期待した。だけど、〈追手〉は煙を突き破り、速度を上げてぼくたちに迫ってくる。
「ブレットはエネルギーを操れるんだよな。爆風も」
「ええ。だけど、あれはブレットの力とは違う」
〈追手〉がぼくたちに急接近した。加速に際限がないのか? 違う。ニーナがブレーキを踏んだんだ。
「何考えてるんだ!」
振り返ったぼくは絶句する。もう一体の〈追手〉が、ぼくたちの進路上に立ち(?)塞がっていたんだ。迂闊だった。相手は腕なんだぞ。両手が揃うなんて充分考えられることじゃないか。〈両手〉による挟撃に、ぼくたちは進むことも戻ることもできなくなった。横道逸れてみろって? 思い返してくれ。ぼくたちは高架線を上ってきたんだ。
「あなたは〈両手〉に叩きのめされるのと、どこまでも堕ちていくの、どちらを選ぶ?」
ニーナは良からぬことを考えているらしい。ぼくは担いでいた武器を放り捨てて、後部座席に積まれた武器袋をシートベルトで固定する。
「叩きのめされたら終わりだ。堕ちるなら――どこまで堕ちるのかにもよるけど、また這い上がれる」
〈両手〉がぼくたちに覆い被さる。車体が押し潰される前に、ニーナはハンドルを切ってそれを回避した。道路の側面に沿う壁は、普通車のタイヤでは乗り越えられないくらいの高さだ。ぼくは落下よりも衝突の衝撃で車の機関部がイカれることを危惧した。しかし、実際に壊れたのは壁面の方で、車はボンネットが拉げ、バンパーが外れたくらいだ。フロントガラスも撃たれたのにヒビが入っただけで済んだくらいだし、セレブの車っていうのは、頑丈に造られているものなんだろうか。
感心してる場合じゃない。壁を突き破ったってことは、あとは落下するしかないってこと。放り出されないようにシートベルトをするべきか、少し迷う。ニーナは躊躇わずベルトを巻いてる。
「このあとは?」
「なるようにしかならない」
打つ手なしか。結局、ぼくは堕ち続ける運命にあるらしい。ベルトを取りつけて無事を祈る。地面まで真っ逆様。臆病なぼくは目を瞑ってそのときを待った。しかし、いくら待っても墜落の衝撃はない。そんなに高いところを走ってたか? 目を開けると、車体は落ちるどころか浮かび上がってる。〈追手〉だ。〈追手〉の左手がトランクを掴んで車体を引き上げてる。
ニーナはアクセルペダルを踏み込み、タイヤが高速で回転するが、吊るし上げられてるぼくたちは逃げようがない。ぼくは後部座席の武器袋から適当に何かを引っ張り出す。大型のライフルだ。口径はでかいが、ライフルにしては、だ。ミサイルを食らって傷一つ負わない奴に、銃弾なんて通用するのだろうか。
どう始末してやろうか吟味しているみたいに、〈追手〉の右手は、ぼくたちの周りをゆっくり旋回してる。やられる前にやれ。銃口が火を噴……噴かない。くそったれ。弾が装填されてないじゃないか。
「役立たず!」
ニーナが拳銃で応戦するが、〈追手〉の岩みたいな皮膚に全て弾かれてしまってる。ジャックが操る回転翼機が〈追手〉の背後を取って機関銃を叩き込むが、まるで通用していない。〈追手〉の右手は街灯を引き抜いて回転翼機目がけて放り投げた。羽を貫かれた回転翼機は煙を上げながら沈んでいく。
「ぼくの借金なんだぞ!」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
回転翼機を撃ち落とした〈追手〉が再びこちらを向いた。その手は、握り拳を作ってる。今度こそ駄目か。世界が暗転する。ぼくが目を閉じたわけでも、気を失ったわけでもない。世界が暗転した。街灯も、広告スクリーンも、ホログラムも、灯りの全てが消えた。車が衝撃に揺れる。そして、街中の消えた灯りが復旧すると、〈追手〉は姿を消していた。
「助かったみたいだけど……どういうこと?」
そんなこと、ぼくに解るわけがないし、どうでもいい。
ぼくは広告スクリーンに、目を奪われていた。送迎サービスの呼び出しコードや近郊のホテルやショッピングモールが主催している無料ショーのタイムスケジュールを映していた映像機器が、椅子に縛りつけられたジョビーを映してる。
「見ているだろう?」ブレット・ジョーンズの声が街に響く。「ショーを台無しにした落とし前はつけてもらう」
「あなたのお友達?」
「そうだな。……逃げ切れなかったらしい」
ブレットはジョビーを映していたカメラを自分に向けた。
「サム・ウィリアムズ。こいつの命は、お前の決断にかかってる」
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