第17話
「助けておいて、殺すのか?」
思わず声を荒げたが、銃口に怯えたわけじゃない。銃口がなんだ。既にいくつもの銃口がぼくに向いている。追ってきている警察。それから、連続殺人犯。くそっ。こっちだってまだ何一つ問題を解決できちゃいないっていうのに。暗殺者だって? 余計なことに巻き込んでくれたもんだ。
「可能性を一つずつ排除したいの。だから、答えて」
「ぼくは丸腰だぞ。でなければ、あんなに殴られない」
ニーナはぼくとしばらく睨み合った。耐えかねたぼくが先に口を開く。
「前を見ろ」
「……そうね」ニーナは溜め息を吐いた。「今は共通の問題がある」
「意外とあっさり引くんだな」
「どの道、こんな街じゃ信用できる人なんてほとんどいない。それよりも、あれよ」
区画一つ分向こうの道から大型の車両が列を成してやってきた。装甲車か? 実物なんて初めて見るけど。
「信号無視と速度超過の取り締まりにしては、大袈裟過ぎないか?」
「あれが警官や州兵に見える?」
「まさか、ブレット? ぼくたちは空き巣に入ろうとしただけだぞ!」
「ブレットだって、自分も死体の仲間入りになるんじゃないかって警戒してる。あなたのこと、疑ってるのかもね。……入ろうとした?」
「未遂だ。クソ犬のせいで。庭で追い駆け回された」
進路を合流させた装甲車の一団は、先頭を走るパトカーを弾き飛ばした。あいつらで勝手に共倒れになってくれないだろうか。
「〈キューブ〉を持ってるから狙われるって解かってるのなら、手放したらいい」
「それはできない」
「あんな石ころが命より大事だなんてことあるか? なんなんだ〈キューブ〉って」
ニーナは急ハンドルを切り、ぼくはドアの取っ手にしがみつく。
「かつて、人々は一つだった」
「何の話?」
「〈キューブ〉の話。わたしたちになる以前のわたしたち。〈キューブ〉のことを知る人たちは〈前人類〉って呼んでる。宇宙を見下ろし、万物を生み出し、生命を導いた。それが、あるとき――」
「あるときって?」
「ずっと昔。大いなる存在だったわたしたちはあるとき無数に分断されて、肉体と知恵は人間に。星や命を生み出す力の一部は結晶になった。それが〈キューブ〉」
「馬鹿げてる」
「ブレット・ジョーンズと殴り合ったとき、何も感じなかった?」
「それは――」
「無敵のブレット・ジョーンズ。ブレット・コンストラクションの大成功。秘訣はどれもたった一つの〈キューブ〉よ」
正面の道路で火花が散った。視線をミラーに映すと、装甲車の窓から覆面が顔を出して、ぼくたちに銃を向けている。
「ブレット・ジョーンズは〈キューブ〉で力の量を操ってる。〈キューブ〉の光が届く範囲であれば爆風もパンチも、その威力は思いのまま。増やすことも減らすこともね」
「そんなこと……」
「できていたでしょう。それとも、鍛錬だけでリングを跳ねさせるなんてことが人間にできるとでも?」
「……あんたの〈キューブ〉にも、そういう力が?」
「いいえ。〈キューブ〉はその一つ一つが違った力を持っている。ブレット・ジョーンズはエネルギーを操って、わたしは――」
ニーナがハンドルを切ったのとほぼ同時に、助手席のサイドミラーが銃撃で吹き飛んだ。
「生き残るために必要なことって何だと思う?」
「逃げ切る秘訣の方が今は知りたいね」
「同じよ」
「トップモデルになることと、検問掻い潜ることを一緒にできるとは思えないけど」
「要約すれば、大抵のことは共通してる。違いは、ディテールだけ」
「それで?」
ブレットの手下の発砲をぼくたちの攻撃だって勘違いした警察までもが銃を抜いた。ぼくは振り返って叫ぶ。
「止めろ! 運転してるのは、あのニーナ・モローだぞ!」
背もたれから身を乗り出すぼくの服を、ニーナが引っ張る。
「余計なことしないで!」
「ニーナが余計なことするなって!」
通行人の一部がぼくたちに注目して、ニーナがぼくをぶん殴った。
「カーチェイスなんかしてたら、目立つのは当たり前だろう? 誰もぼくの言ったことを間に受けたわけじゃない」
だから、警察の銃撃も止まない。くそっ。
「あんたは、こんな状況をどうやって切り抜けてきた?」
「計画と軌道修正。まずは目的を見据えることね。道のりと現在地をしっかり把握すること。それと、進路が逸れるか、ルートそのものが外れてたって気づいたら、間違いを放っておかないこと。何事もプロセスの積み重ねよ。終わり良ければ全て良しなんていうのは、博打と一緒」
「ビジネスセミナーで聞けそうな解説だな。未来志向ってやつ?」
「準備と実行。気に入らなかったら、それだけ覚えて」
「それで、何を準備してきたって?」
「これよ」
ニーナは胸元から〈キューブ〉を取り出した。
「その〈キューブ〉で銃弾をどうにかできるって?」
「銃弾はどうにもならない」
ぼくたちの車は対向車線に突っ込んだ。
「何考えてんだ!」
「乗ってるのは、死人と無法者よ。今更交通ルールを守る必要なんてある?」
「行儀良くしろなんて言ってない」正面から対向車が突っ込んで来る。ニーナはアクセルから足を離さない。衝突の寸前ってところで対向車は進路を変えて、ぼくたちの脇を通り過ぎて行った。「死にたくないって言ってんだ!」
対向車が迫る。ぼくが叫ぶ。後ろからは銃撃が続いて、また衝突の危機がやってくる。ぼくが悲鳴を挙げる度にニーナは笑って、後方ではぼくたちの真似をして対向車線を走るブレットの部下たちが事故を起こした。
「言ったでしょう。あなたとは違うって。わたしは事故を起こさない。スタジアムの警備員の動き、おかしいって思わなかった?」
「ぼくを無視して、ぼくを探しているみたいだったけど……」
「それが、この〈キューブ〉の力」
「どういうことか良く解からないんだけど」
「流れを操れるの。心……というか、思考のね。書き換えるなんて大袈裟なことはできないけど、刷り込む――思い込ませるって感じね。誰しも優先順位って持ってるでしょう? 〈キューブ〉の光を介して、指示を挟み込むの」
「つまり……気分を変えるってこと?」
「間違いじゃないけど……。何よ」
「いや、なんというか。その……君に比べていまいち……地味だなって」
言うとニーナはそっぽを向いた。ハンドルを握ってるんだから、前を向いてほしい。
「馬鹿にしたつもりはないんだ。ただ、ブレットのを体感したばかりだから、ちょっと意外で」
「地味かどうかは使い方次第よ」
ニーナは車を更に加速させる。自動制御装置が警報を叫んでる。ぼくも叫んでる。フロントガラスの向こうでは対向車両がぼくたちにぶつかる寸前で進路を脇に逸らすって光景が何度も繰り返された。色んなところから響くクラクション。鳴り止まない車内のアラート。ヘッドライトの明転。明転。騒音に耳を塞がれ、もう駄目だって思う瞬間が何度も続いて、ぼくの心臓は破裂しそうになる。
「度胸がないのね」ニーナは言う。「安心して。橋から突き落とされるよりは安全だから」
「あのときの仕返しに、こんな馬鹿げたことを?」
「昔の言葉では、この力は神託って呼ばれてた」
「話をはぐらかすなよ」
「今では流行(トレンド)。他人から刷り込まれた美意識や欲求を自分の嗜好だと思い込んで、飽くなき消費を続けてる」
「もしかして、その〈キューブ〉、コマーシャルのときにも――」
「ええ。使ってる」
「それが魔術の正体ってわけか」
「幻滅した? でもね、この街で生き抜くためには必要な力なの。成功者の椅子は少ない。後釜に納まりたいから、誰もが他人の失敗を期待してる。微笑で牽制し合いながら、足を引っ張り合って。巻き添えを食らわないためには、相手を蹴落とすか、誰にも触れられないような高みに登るしかない。どんな業界でも同じよ。地位を確立して、大衆を支配しようと思ったら、特権が必要になる」
「必要? そんなもの、なくても生きてる人はごまんといる」
「あなたみたいに? 掃き溜めみたいなところで、愚痴を言い合うのが生きるですって?」
「あんたの言う世界は狭過ぎるんだ。確かに、ぼくやジョビーの未来は暗い。こき使われる毎日だった。だけど、それだけの人生でもない。あんたが見下している連中が何に喜んでいるか。どれだけの価値があるか。自分の感動は本当に上等なのか。もっと多くを見てみろよ。無視しないでさ」
何か言い返したいことがあったのだろうニーナは口を開くが、後方からの銃撃に邪魔された。フロントガラスにヒビが入り、ぼくたちは揃って身を竦める。
「武器は?」
ニーナはドアポケットから銃を抜いて、ぼくに見せる。「これだけ」
「それだけで……どうするつもりだったんだよ」
言ってから、ニーナは穏便に済ませたかったと言っていたことを思い出す。
「とにかく、撃退手段を考えないと」
ニーナは鼻で笑った。
「どうせ、人なんか狙って撃てないくせに」
車が通り過ぎる。クラクションが鳴る。悲鳴が聞こえる。それから、背後で大きな爆発が起こった。
「何だ、あれ」 ぼくはバックミラーに映った光景を信じられなくて、態々後ろを振り返る。「……何だ、あれ」
「何って、追手でしょう?」
「……手だ」
「だから、追手でしょう?」
「違うんだよ」ぼくはバックミラーを掴んでニーナにも見えるよう角度を変えた。「『手』が追っかけてきたんだ」
煩わしそうに背後を確認したニーナは鏡を二度見した。「何あれ」
ぼくたちを追いかけて、街中の人を騒がせているもの。
それは、巨大な腕だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます