第13話
「おれがやる」
ぼくを押し退け、ジョビーが手を挙げた。
「どういうつもりだ?」
「約束しただろう。チャンスを掴み取るんだって」
「酔っ払いを相手にするのとはわけが違うんだぞ」
「解からないさ」笑って見せてから、ジョビーはぼくに顔を近づけて小声になった。「みんながおれに注目している間に、お前は逃げろ」
「そんなこと――」
「今度はおれが身体を張る番さ。大丈夫だよ。ここには何十万って観客がいて、リングの上は中継されてる。ぶん殴られても殺されたりはしない。家に忍び込まれたくらいの恨みで、番組をぶち壊しにしたいなんてブレットだって考えないだろう?」
「まだ決まらねえのか」
ジョビーはリングに上がって、マイクを催促した。
「チャンスをくれると言ったな」モニタにブレットが頷く様子が映し出される。「おれたちがほしいのは、お前の〈キューブ〉だ」
ぼくはジョビーと約束した。ぼくたちを利用してきた連中を見返してやろうって。
ジョビーはぼくと約束した。ぼくたちを利用してきた連中を見返してやろうって。
チャンピオンとして王座に君臨し、興行の成功もかかっているブレットに、観客を白けさせるような選択はできない。チャンスを与えると言い、ジョビーがリングに立った以上は、ブレットはそれに応じて、用意があることを証明する必要がある。
観客のためにも。なにより、王者としての威厳を保つためにも。
「やはり、それが狙いか」
青筋立てたブレットはリングに上がると、胸元から〈キューブ〉を取り出した。
「あんたを倒して、そいつを頂く!」
ジョビーの啖呵に、会場が盛り上がる。やり過ぎだ。会場のテンション。試合の展開。興行の成功。ブレットには気にかけることが幾つも有って、そこを引っ掻き回せば混乱させることだってできたかもしれないのに。今のブレットにあるのは憤りだけで、その矛先はぼくとジョビーに集中してる。くそっ。これで、どうやって逃げる?
運営スタッフがジョビーを取り囲んで、身体にセンサーを取りつけたりグローブをはめたりしてる。ぼくもジョビーの後を追おうとすると、ブレットの護衛が立ちはだかった。
「セコンドだ。あいつが選手なら、立ち会う権利があるだろう」
ぼくと自分の手下がもめているのに気づいたブレットは「通してやれ」と言った。
ジョビーの準備が整うと、薄い煙が炊かれた。そして、再び煙の中からブレット・ホログラフィが現れる。
「いいか、ジョビー。引き際を弁えろよ。逃げる算段は考えるから」
「負けが決まったみたいに言うな」ジョビーは笑った。「約束しただろう? 見返すチャンスだ」
ゴングが鳴った。ジョビーは自分の頬を叩いて気合を入れた。ブレット・ホログラフィはジョビーに手招きする。右に左に跳ねて、ジョビーは軽快さをアピールした。バーの喧嘩で通用したからって、こんなところに持ち出すもんじゃないだろう。前のめりになったり、後方に下がったり。パンチを誘っているつもりか? だけど、ジョビーのフェイント虚しく、ブレット・ホログラフィは諸手を広げて笑ってるだけだ。
フェイントが通用しないとみると、ジョビーはブレットに殴りかかった。ブレット・ホログラフィはその場から動かず、上体を逸らすだけでジョビーの連打をかわす。パンチを外す度、ジョビーは苛立ちを露わにする。どでかい一発を食らわせてやるつもりか、ジョビーは大きく振りかぶった。しかし、拳を振り上げた隙を突かれ、逆にブレット・ホログラフィから一撃を顎に食らった。
「ま、まだだ」
ジョビーは相手との距離を取った。実況者がチャンピオンの一撃を耐えたジョビーを賞賛した。違う。ブレット・ホログラフィが手を抜いているんだ。観客の声援を受けながら、ブレット・ホログラフィはジョビーに追撃をかけた。ジョビーは相手のパンチをかわしながら距離を保つ。ジョビーが器用だと思うな。ホログラフィのパンチは、ぼくの目でも追える速度だ。ジョビーは逃げるように、ブレット・ホログラフィはそれを追うように、リングを回る。途中でぼくと目が合うと「早く行け」って口を動かした。「行けるか」ってぼくは返す。
ジョビーが対戦相手から気を逸らしたそのときだった。ブレット・ホログラフィはジョビーとの距離を一瞬で詰め、高速の一撃をジョビーに見舞った。
本気の一発だ。たったの一撃で、ジョビーはリングの上に引っ繰り返る。ジョビーは起き上がれない。ブレット・ホログラフィは覆い被さるようにジョビーを見下ろし、白目を剥いたジョビーの腹に拳を入れた。ブレット・ホログラフィは止まらない。腹に、顔に、肩に、顔に。ジョビーへ連打を加えていく。友人がぶん殴られているのを前に、ぼくは呆然と立ち尽くした。観客席のどこかからブレットを呼ぶ声が疎らに聞こえ、ブレット・ホログラフィの連打に合わせて、コールは次第に大きくなっていく。スタジアムのモニタは殴られ続けるジョビーの顔を映してる。拳が飛んできて、その度にジョビーの顔は腫れあがり、歪んでいく。
観客が沸いた。新時代の幕開けを期待しているわけでも、伝説の存続を確信しているわけでもない。ただ落ちぶれた奴が成功者に打ちのめされる光景を楽しんでる。
ぼくはリングに駆け寄りながら二本のポールを銃で射抜き、リングネットをよじ登ってから、もう二本のポールを撃った。リングの近くで悲鳴が聞こえて、スタジアムにどよめきが奔る。
このあとの計画は? あるもんか。
これ以上は見ていられなかった。それだけだ。他人の痛みに共感できない鈍感な連中が、ジョビーの苦痛を娯楽みたいに消費してる。そんなのを許せるか?
ブレット・ホログラフィは、侵入者のぼくを睨んだ。
「どうした。睨むだけか?」
くだらない。ブレット・ホログラフィはセンサーを付けていないぼくに、触れることすらできやしないんだ。勝ち誇って何になる。ぼくは急いでジョビーの身体に貼りつけられた、センサーを外した。ポールのセンサーを壊され、ジョビーにも手出しができなくなったブレット・ホログラフィは靄のように消えていく。実況が何か喚いて解説役がほざいているが関係ない。
「何……やってんだ」
辛うじて意識はあるようだった。
「救護は?」
ぼくがリングの外に怒鳴ると、脇の区画で待機していた救護班がブレットの方をちらちら見ながらやって来る。そして、躊躇いを見せながら登ってきた。傷の手当をするためにいるのか、雇い主の顔色をうかがいにきたのか、はっきりしろよ。
試合を潰されたって感じた者がリングにゴミを投げ入れ、ハプニングに興奮してる者が野次を飛ばす。ぼくが数発銃をぶっ放すと、それもすぐに収まった。
ブレットはリングに上がってきて言う。
「その機材がいくらするか解かってるのか?」
「やり過ぎだ。あんたも……会場の連中も」
ブレットは手下が自分に続いてリングに上がろうとするのを制止した。
「どう落とし前をつける?」
「ぼくが相手だ」
会場のどこかのマイクがぼくの声を拾ってる。
「ホログラムは壊れた。あんたの出番だ。ブレット・ジョーンズ。あんたのリングだろう。いい加減、偽物に任せるな」
スタジアムがブレットの名を呼ぶ声に包まれる。メインモニターがぼくと、ジョビーを交互に映す。
「馬鹿野郎……」息も絶え絶えにジョビーが言った。
「ぼくが時間を稼ぐ。お前のパンチならブレットに通用しなくても救護班くらいは殴り倒せるだろう?」
「お前は……どうする」
救護班がリングロープを潜ろうとしてる。ぼくは手短に言う。
「盗んだ銃は一丁だけじゃない。〈キューブ〉を奪ったら、観客を人質にして逃げ出すさ」
すると、ジョビーは手を差し出した。
「それならおれにも貸してくれ」
「それは――」
「もう一丁あるんだろう? 助かった。正直、おれはもう息をするだけで一杯一杯だ」
ぼくは狼狽えるのを咳払いで誤魔化すと、弾倉が空になった銃をジョビーのズボンの隙間に捻じ込んだ。
「いいか、撃ち尽くしたらすぐに逃げるんだぞ」
救護班が連れてきた介助ロボットが、舌みたいな担架を広げる。それに乗せられたジョビーは拳を掲げた姿で連れて行かれた。
「別れの挨拶はできたか」
「老いぼれ相手に死ぬつもりはないさ」
「おれが老いぼれたかどうか、その身体に教えてやるよ」
ブレットは言いながらぼくに迫ってきた。「試合」をやるつもりじゃなさそうだ。喧嘩とも違うだろう。ショーを台なしにされた憂さ晴らし。リンチ。
多分、そんなところ。
上等じゃないか。頭にキテるのは、こちらも同じだ。
このあとの計画は?
もう一度言うが、そんなものはない。
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