第27話

 世界がどうなったのかを見せてやる。ニーナはそう言って、ぼくを車に乗せた。

「サム・ウィリアムズ。驚いた。あなた、ウィリアムズ家の跡取りだったのね」

 余程愛着があるのか、ニーナ・モローはフロントが拉げてサスペンションがイカれたままの車を走らせてる。ぼくは助手席に。ドックは後部座席で口を大きく開いてる。頬が風で膨らむのが楽しいのか、空気でもいいから何か食いたいってアピールなのか。

「私生児ってやつだ。本当の家族じゃない」

 信号は折れて、街角のスクリーンパネルにはヒビが入っていた。大通りには乗り捨てられた車が散乱してるから、ニーナは小道を選んでる。

「だけど、血は繋がっているし、父親のヘンリー・ウィリアムズに他の子はいなかった」

 街中の至るところで見たニーナ・モローはパネルから、スクリーンから、姿を消した。

「正しい人だった。会ったことがあるの。ずっと前のことだけど。……多分、この町で唯一正しかった人」

「唯一、ね。世間から見れば狂人だったってわけだ」

「あなたから見たヘンリーは?」

「クソ野郎」

 ニーナはぼくを横目に見て、すぐに視線を進路に戻した。

「あなたはどうして、ただの人に?」

「捨てられたと思うか?」ニーナは何も言わない。「半分は正解。世間から見れば、ぼくたちはヘンリー・ウィリアムズに捨てられた」

「ぼく『たち』?」

「ぼくと母親だ。ビビったんだよ。世間に批難されるかもしれないってさ。選挙を控えていたらしい。そういう話だ。コンサルタントのアドバイスってやつ。プライベートの問題を政敵に突かれそうだから未然に対処しろって。ヘンリー・ウィリアムズが潔癖でいるために、ぼくたちが吊るし首だ。ぼくたちはわけも分からぬ内に転がり落ちた」

「そんなことする人だとは思えないけど」

「大丈夫だ。間違ってない。これが最善なんだ。そう言う裏で、奴らはぼくたちみたいな不都合な事実を追い出す。それがこの街のやり方だ」

 そういう人たちを救いたかった。善人になりたかったわけじゃない。親父と同類になりたくなかった。あいつらが見捨てた人たちの助けになれたら。街の片隅に追いやられた人たちを一人でも多くパラダイスに連れて行けたら。成功や幸福を独占している連中に中指を立てるよりも、効果的な嫌がらせになるだろう?

「未練はなかったの?」

「かつては誰もが何かだった。過去の身分なんて、それだけのことさ。ジョビーと知り合ってからは、ぼくはヘンリーの隠し子じゃなくて、サムとして生きることができた。そのことの方が大事だよ」

「自由になるって、どんな気分?」

「しがらみがなくなるのを単純な解放だと思うのなら、それは誤解だ。……初めは怖かったよ。拠り所になるものが、ある日突然奪われるんだ」ぼくは瓦礫の山を指す。「こんな感じに」

「……もしも、自分が生まれたのはここじゃないどこかだったらって、いつも考えてた。脚光を浴びているのは本当のわたしじゃない。誰かが思い描いて一人歩きを始めたファッションモデルの理想像。わたしはここにいるのに、本当のわたしの姿はどこにもない。みんなが別人のことを指してわたしだって呼んでる。ここにいるわたしは何時だって無視され続けてきた」

 ニーナは続ける。

「だけど、自分が築き上げてきたことがこんな風に崩れ散ったら、その偽物のわたしすら消えちゃった。拠り所がない。そうね。その通り。自分は世の中のどこに在っても通用しないんじゃないかって気分。……こんな世界で生きていることに意味があるって思う?」

 ニーナは半壊したビルの隙間を指差した。

「なんだあれ」そこには見覚えのないものが建っていた。雲を貫きそびえ立つのは……。「塔?」

「ハズレ。あれは……脚よ。ムスタファ・ラムジが造り出した巨人の脚。〈新人類〉って彼は呼んでた。あの日、わたしたちを追いかけてきた〈両手〉。あれも成長して、雲の上で身体と繋がってる。二ヶ月かけてね」

 ムスタファの言葉を信じるなら、とニーナは言う。

「彼が集めた〈キューブ〉が核になっている。巨人の血肉になっているのは、あの〈追手〉と一緒で世界中の人々」

 ムスタファの言葉を信じるなら、とニーナは言う。

「あれが、人類のかつての姿。多分、スケールダウンしたね」

「どうしてこんなことに……。ぼくがいない間に何があった?」

「〈キューブ〉を奪われた。あっさりとね。あなたを消してからの〈追手〉は、それまでとはまるっきり別物だった」

「別物って?」

「手の本質。あいつの力は掴むこと。あの巨大な手は、何でも望んだものを掴めるの」

「そりゃあ、あれだけ大きければ……」

「不要なものを無視してね」

「どういうこと?」

「距離も、わたしたちも無視できるの。空間を捻じ曲げるみたいに。あの手が握り拳を作って開いたら、わたしとブレットの〈キューブ〉はあいつの掌の上。……わたしたちは茶番を演じさせられたのよ。あなたが〈キューブ〉を持っているかを確認するために」

「そこだよ。腑に落ちないのは。どうして、ぼくが持ってるってあいつは決めつけてるんだ」

「知っていたからよ」

「何を?」

「ヘンリー・ウィリアムズも、生前は〈キューブ〉を持っていたってこと。連続不審死事件の話をしたとき、あなた言ってたよね。ジェイク・コールマンを知ってるって。ヘンリーの部下で、彼の死後、事業を引き継いだ。そうでしょう?」

「そこまでは知らないさ。一度会ったことがあるだけだ。ヘンリーが……親父が開いたパーティで挨拶をして……プレゼントも貰った」

「事業を継がせるほどの信頼を寄せていた相手なら、〈キューブ〉だって引き継いでいるかもしれない。ムスタファはそう思ってジェイクを襲ったけど――」

「持っていなかった?」

「だから、ヘンリーと唯一の血縁関係のあなたなら、〈キューブ〉を持っていると考えたものの――アテが外れたみたいね」

 ぼくがヘンリーから相続したのは、ゲートを潜るのに必要な生体パスが組み込まれた腕時計だけ。それ以外にも金やら土地やら美術品なんかがリストにあったけれど、あいつの遺産で暮らすことになるのを屈辱に思ったぼくは、時計以外の相続を断ったんだ。

「〈新人類〉が三ヶ月経ってもまだ沈黙しているのは、多分、そのせい。〈キューブ〉が一つ足りないから、身体の構築に手間取ってるんじゃない? 必要なものが揃ってないのに計画を転がしたわけまでは知らないけど」

「三ヶ月、経ってるんだよな? 下水道の件から」

「ええ。それが?」

「ムスタファは、これ以上待てなかったんだよ。もって半年って医者に言われてた」

「寿命ってこと?」

「どうやら、あいつには生きている内にやり遂げたいことが、まだあるらしいな」

 ぼくは車のカーナビを弄る。「向かってほしい場所がある」

「何をする気?」

「ヘンリーの遺産だ。金目のものはぼくに分与されて、事業に関わるものはどこか――さっきの話によれば、ジェイクが管理を任されてたんだろう」

「それで?」

「相続品のリストの中に、宝石の類はなかった。だけど、奇妙で今でも記憶に残ってるものがある」

「奇妙って?」

「土地の名義だ。その土地だけは、ぼくが家を追い出される前から、ぼくのものとして登記されてた」

カーナビが案内を開始した。本来ならフロントガラスに進路が投影されるはずだけど、ニーナの車のフロントガラスは銃撃で粉砕されてる。音声案内を聞き逃さないようにするしかない。

「まずは、車を修理したらどうだ?」

「修理を引き受けてくれる人がいないんだもの。燃料だって乗り捨てられた車から拝借するしかなかった」

「ヘンリーが何かを隠せて、ムスタファの捜索から逃れられるとしたら、そこが一番、可能性が高い」

「まさか、〈キューブ〉を探す気なの? 今更ヒーローにでもなろうって?」

「あんたに戦えなんて言うつもりはないよ。誰がどう見たって負け試合だし、何の公算もない。諦めた方が利口に決まってる。だけど、負け方ってもんがあるだろう。…食事制限とか、ダイエットとか大変だったんだろう?」

「何の話?」

「体型維持の話だ。それだけの美貌があるくせに、あんな――」

 ちょっと、待て。今、ぼくは勢いに任せて恥ずかしいことを言ったんじゃないか?

「あんな、肉の塊の一部になっていいのか?」

 美貌だって。彼女のことを美しいって認めたみたいじゃないか。

「微笑みかければ、誰もが振り向く」ぼくはニーナが余計なことに気づく前に捲くし立てることにした。「それが、ニーナ・モローだろう。あんなものになることを、受け入れるなよ」

「別に、あんなものになるのを認めたつもりは……。それよりも今、わたしのこと――」

「それなら、なんだ。潔くないか? あっさり諦めたら、プライドを守れるとでも?」

「今、わたしのこと、ちょっと褒め――」

「そういえば」ぼくはニーナの問いかけを遮る。「あんたは負けたことがなかったんだな。だったら、教えてやる。潔さなんてのは、勝った奴が負かした相手を洗脳する方便だ。道徳的価値があるって納得させて、再挑戦する機会を放棄させるんだ。そうすれば、一人分の可能性を摘んで、自分の地位は安泰だ。……そんなのは止めてくれ」

「……サム?」

「戦わなくていい。だけど、逃げてくれ。屈しちゃダメだ」

 ムスタファみたいな連中を見返してやろう。ジョビーと交わした約束は果たせなかった。分不相応な野望に待っていたのは、分相応の取り返しがつかない絶望。ジョビーは挑むチャンスすら断たれてしまった。

「……幸せを信じたかったんだ。自分が誰かの成功を手助けできる奴だって証明できたら、ぼくはこの街の、幸福を独占する連中とは違うって胸を張れるし、幸せは奪って手に入れるものじゃないって実感できた。だけどそれがどうだ。実際は……幸せを夢見て、幸せになろうと決心した人たちを、ムスタファの陰謀に引き摺り込んだ。……ぼくは、その落とし前をつけなくちゃならないんだ」

 ぼくがここで止めたら、全てが確定しまう。ジョビーとの約束は果たせず、幸せを望んだ人たちを食い物にして、ムスタファは自分の幸福を成就させる。

 ぼくは、そんな未来に屈したくない。

「対抗する手段があるのなら、ぼくにはまだやらなきゃならないことがある」

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