第4話
「どうしたの?」あどけない顔でニーナは言う。「とっても怖い顔」
知ってるぞ、その顔。街頭スクリーンから通行人を見下ろして、化粧水やブランド品をせがむときの表情だ。
「普段からこういう顔だ」
「その声、やっぱり止めた方がいい。似合ってないわ、ウェイターさん」
不審に思われた。減点。採点は好きにしろ。事態はとっくに手遅れだ。
「そうかい」
ぼくはニーナの忠告を無視して、逞しい声色を維持した。そして、腰のホルスターから取り出した拳銃で、彼女の背に二発の銃弾を叩き込んだ。圧縮した空気の破裂に乗って弾が飛び出す仕組みだ。弾の方には麻酔薬が充填されていて先端には注射針がついている。
倒れかかるニーナの身体を受け留め、壁にもたれかけさせた。エスコート代に、彼女の胸元で青白く輝く、キューブがついたネックレスをもぎ取る。
「ドアの向こうは静寂だ」とジャックは言った。
エレベータが着いたのは業務車両用搬入口だ。見当たらないっていうのは、無警戒だっていう保証じゃない。物陰から物陰へ移りながら、室内を見渡す。運送業者のトラックがヘッドライトを点滅させた。
「そいつの荷台を開けろ」
中にはバイクが格納されていた。鋭い形状のカウルで疾走感のある見た目だが、大型の燃料タンクとぼくの太腿くらいはあるマフラーみたいな重厚な装備。巷で浮遊している卵型のエアバイクとは一味違うって感じ。具体的には年季が。
「何だってこんなロートルを?」
「確かに古いが速度はお墨付きだぜ」
「そういうことを言ってるんじゃない」みんなが飛んだり跳ねたりしてるのに、ぼくだけ地べたを這いずりまわるんだ。これでは目立ち過ぎる。「逃走って紛れ込もうとするもんだと思ってたけど」
「現実を知らない物言いだな。山の中ででも暮らしてたか? 市場に出回っているエアバイクには製造時に仕込まれた運輸局の遠隔装置がついている。町中の自動取締装置を経由して機体の製造番号を割り出されたら、スイッチ一つでマシンは墜落だ」
「そんな仕掛け、お前なら取り外すくらい、わけないだろう」
「エアバイクが建物に衝突せず飛んでいられるのは、運輸局が提供する地図データと人工衛星が積んでいる測位システムのおかげだ。そして、二つの情報を連動させているのが、その遠隔装置ってわけ。機械の補助なしに、エアバイクを操れる自信はあるか?」
縦横、斜め。重力に逆らうってことは、進路を選べば済むって話じゃない。空間を管理するってことだ。自分の高度。建物との距離。対向車の進路。家庭用の乗用車の航空化は、本来訓練によって習得できるそれら専門的な制御が自動化されたから実現してる。
「ないよ。ない。悪かった。楽をしたかっただけさ」
「あるって言って欲しかったがな。まあ、そんなもんか」
ぼくはバイクに跨った。「何が?」
「舵を奪われている自覚がない連中と同類ってこと」
「ぼくは自分の身のほどを弁えているだけだ」
アクセルを踏み込む。ビルの外に出ると、警察か警備車両のサイレンが徐々にこちらへ近づいていた。通りには、広告パネルの列。無数のニーナ・モローがぼくに微笑みかける。ファンデーションに、マスカラ。香水。ブランドロゴの隣に写る彼女は、商品イメージに合わせた表情を浮かべてぼくを見つめる。進路の先にも、曲り角の向こうにも。空に浮かぶ広告投影機(アテンショナー)にも。忌々しい。どこまでも付きまとわれている気分だ。
「状況は?」とジャックの声。
「順調だ。三台の車両に航空偵察機が一台、ぼくを追ってる」
「凱旋としては申し分ないな、送迎屋(トランスポーター)。……いや、今はただの運送屋(ポーター)か」
「まだ事は済んじゃいないし、『ただの』でもない」
おかげさまで、強盗兼運送屋だ。くそったれ。
「肩書き(ポスト)は多い方が景気がいい。その調子でもっと増やしていけ」
「ぼくは届ける側だっての」
送迎屋は、分不相応な区画を目指す顧客のために、あの手この手を使ってゲートを突破してやろうっていう仕事だ。大抵の場合、越境は非合法な手段で発覚すればそれなりの処罰を受けることになるから、顧客は慎重にパートナーを探す。この仕事で食っていくためには、信頼関係が欠かせない。たとえ彼らがどこを目指していようとも「知らない、行けない」なんて返事は御法度だ。だから、ぼくは町の構造を把握しているし、乗り物の扱いにも慣れている。
市場や軽食屋なんかが軒を連ねる通りでバイクを乗り捨て、ぼくは近くにあるネオン管の装飾がドギツイ店に駆け込んだ。
「ようこそ、サム」そこは、ジャックがターンテーブルを回すクラブハウス。「パーティはこれからが佳境だ」
「そうかい」ぼくは振り返る。すぐにも追っ手がやってくるだろう。「ぼくはさっさと終わってほしいんだけど」
ジャックは宇宙飛行士(アストロノーツ)って名前で通っている。頭に被った金魚鉢みたいなミラーボールと、会場内のスポットライトの稼動部やスピーカーの出力を操作するナックルガードみたいなコンソール。そして、背中には箱型のスモークマシーンを背負っているんだ。それらしいだろう?
名で通っているとは言ったが、ぼくはあいつの本当の名前を知らない。
「ジャック。便宜的にそう呼んでくれ」
初めて会ったときも、あいつは光を吸い込むような黒色のフルフェイスのヘルメットを被っていた。
曰く、「おれは混沌だ」
ヘルメットの内側には無数の人格がいるらしい。ジャックというのはその内の一人であり、彼を形成する一部という話。どこまでが冗談なのかは判別できない。
「おれは混沌だ」
なにせ、やること成すこと、全てが冗談みたいな奴だから。
ホールで踊っている客の一割は、ジャックが場内に設置した投影機から出力されている立体映像だ。あまり精巧とはいえないディティールだけど、ピンクや紫のライトが点滅して、青や緑のレーザービームが飛び交う中では、中々見分けがつかない。耳を潰すような爆音と鮮やかな光に溺れてみれば、衝動を共有する良き隣人。
ぼくはサングラスをかける。ジャックのプレイに合わせてダンスしている立体映像は、ぼくの視界から消え去った。立体映像が見えなくなると、群衆の中に一筋の道ができあがる。辿った先は、会場の裏口だ。
ぼくは人混みに引かれた逃走経路をなぞる。ワイヤーに吊るされながらホールの空を漂うジャックは、会場に煙を吐き散らしながら腕のコンソールを操作して、ぼくが通ったところの立体映像を消していく。すし詰めの会場内だから、観客は空いたスペースを我先に確保したがる。
「ファラオの軍勢が海に呑まれた!」
会場が青く染まり、壁面に無数の泡のエフェクトが投影された。人波が押しては返して、ぼくが歩いた道筋を揉み消していく。
警備隊に有って、ぼくにないもの。保身ってやつさ。堂々と社名を制服に貼りつけている警備隊には、ダンスホールで腰をくねらせている人々を撃ったり恫喝したりできない。入口付近の客は、重装備の連中に気づいているだろうけど、騒ぎ立る気配はなさそうだ。主催者自身が出鱈目な格好をしているんだから、何が現れたって余興の一環って考える。フロアに響く爆音と瞬く数多の輝きに酩酊する善良な市民は、まさか自分が大捕物の渦中にいるなんてことは想像すらしていない。
通用口で待機していたローディに、着ていた上着を渡す。ローディはぼくの上着をジュラルミンケースに片付けると、代わりのジャケットを渡した。兵士のコスプレもウェイターの仕事着も、街中で着続けたらジャックの同類だと思われてしまう。
裏口から外に出ると、そこは不法にゲートを潜ってやってきた貧困層の溜まり場だ。大半はぼくの客だった人たちで、ぼくに恩と、素性を当局に暴かれる恐怖を感じてる。だから彼らは、ぼくのことを密告しようなんてことは考えない。細い路地を跨ぐネオン。マッサージ店、漢方薬店に酒屋。ぼくは精肉店の看板を掲げた入口を進む。店主のチャンはこの辺りの肉屋には珍しく、本物の肉へのこだわりがあるみたいで、挽肉にだって人工肉や添加物を混ぜたりしないって評判だ。店先に並んでいる肉はいつだって新鮮だけど、ぼくは彼の売る肉を食おうとは思わない。ロース、バラ、ヒレ、スネ。扱っている部位も多様で値段だって手頃なんだが、問題はそれが何の肉かを店主が絶対に語らないってこと。
店先には誰もおらず、調理場に入ると人の胴くらいはあるあばら付きの肉塊を解体しているチャンがいた。通りすがりに軽い挨拶をして裏口から出ると、そこは建物の中庭。奥に地下へと続く階段がある。
所狭しと廃材が並ぶ小部屋の隅で、工具を構えて拡大鏡を覗き込む老人。リーはチャンの父親で、この一帯の経済を取り仕切っている銀行家だ。電子決済の履歴から消息を辿られることを嫌う者がこの辺りには多いせいで、未だに紙幣が出回っている。そこに目を付けたリーは、廃材の売買の傍らで現金と
電子マネーの両替を引き受けた。だから、銀行家って呼び名が付いたってわけ。
「随分、大騒ぎをしているらしいな」
「させられてんだ」
「面倒に巻き込むなよ」
「長居はしないさ。頼んでいた車は?」
リーは拡大鏡に集中したままドアを指差した。
「鍵は開いている」
ぼくが車庫に入ると、出入口のシャッターがひとりでに開いた。スポーツカータイプのマシンはリーが廃材で組み上げたハンドメイドで、塗装こそお粗末なものの、市販されているものにはないイカした機能が備わっている・・・・・・らしい。キーは助手席に転がっていた。ぼくはエンジンを起動する。アイドリングが始まると、猛獣の唸り声みたいな音が車庫に響いた。
「うるさい、うるさい」
乗用車における巷のトレンドは静穏、静穏、静穏だ。流行に逆行して、態々周りを威嚇するみたいに騒ぎ立てるこれがイカした機能ってやつか? 余計なものを付けてくれたもんだ。……なんて文句を言ったところで代わりの手段はない。ぼくは騒音を我慢してギアレバーを握った。
「ほんと、どんな趣味をしてるのかしら」
その声に、ぼくはバックミラーを見る。
事態は概ね順調だった。追手は上手く撒けたし目当てのブツも手に入れた。ジョビーたちが捕まったって報せもない。ただ一点を除いて。
「焦らず、騒がず」声は言う。「出発して?」
ミラー越しの後部座席。そこにいたのは、銃を構えたニーナ・モローだった。
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