第5話
無数のフラッシュライトと豪奢なドレスに彩られた世界を生きたニーナ・モローが最期に見るのは、もうしわけ程度の青白い照明と、錆だらけの金属製の壁。どれだけ大勢の人たちに慕われていたんだとしても、最期を看取るのは、ふざけた格好をしているぼく。
そのはずだった。
でもさ。たかがネックレス一つで、そんな終わり方はあんまりだろう? だからぼくは、プランを無視してニーナには眠ってもらうことにしたのさ。
ぼくは馬鹿だが、それでも、アクセサリーと命のどちらに値打ちがあるかくらいは弁えてる。カメラの前でポーズを決めるだけで、大半の人が一生かかっても集めきれないような金を稼げるニーナなら、尚のことだ。宝石の一つくらい盗まれたって「悪い夢をみたのだわー」くらいで済ませられる。
――済ませてくれたっていいだろうに! くそっ! ぼくの特徴が警察に漏れるくらいは仕方ないさ。だけど、パーティを抜け出して仲良くドライブなんていうのは想定してなかった。おまけに、銃を突きつけられながらなんて!
「お互い言いたいことは色々あると思うけど」ニーナは言う。「わたしから話していい?」
ぼくは「ああ」と頷きながら、ハンドルの内側にあるコンソールに目をやる。
中心から外周の持ち手に繋がる支柱に並ぶ幾つかのボタンには、(恐らく)押した結果を象徴するアイコンが刷られている。その内の、車が爆発している物騒なイラストを無視すると、残りは五つ。ニーナに頭をぶち抜かれる前に当たりを引けたらいいけれど、そもそも当たりがある保証はない。
「あなた、名前は?」
「サム。・・・・・・サム・ウィリアムズ」
バックミラー越しに、ニーナが空いている方の手で携帯デバイスを弄ってるのが見える。
「へえ、意外」ニーナは言う。「あなた、行政区画の居住許可証を持ってるのね」
「あんたくらいにもなると、そんなことまで調べ上げられるのか」
「おだてたら見逃してもらえるとでも?」
「ぼくはそうしただろう?」
「エレベーターでのこと?」
ぼくは頷く。
「あなたたちが余計なことを始めなければ、こうはならなかった」
「違う。犬だ」
「何?」
「犬だよ。ペットだ。始まりはクソ犬が……。……いや、なんでもない」
バックミラーに映るニーナの、更に奥。リアガラスの向こうに追手らしい影はないけれど、既に彼女は応援の手配を済ませてるって考えておくべきだろう。そうでなければ、強盗の逃走車両に率先して相乗りなんてするか? ……いいや、そうであっても強盗の車に乗り込もうなんて普通じゃない!
「禄でもない話なんだ。まあ、過ぎたことはどうでもいい。それよりも、ぼくたちが何か企てているって解かっていたなら、どうして放っておいた?」
「あなたは察しがついているんじゃない?」
「聞いているのはぼくだ」
ぼくはニーナと、その背景。それから、進路も。色んなことに注意を向けなくちゃならない。
「安心して。誰も呼んでないから」
自分がどんな表情をしているのかってことには無頓着だったし、ニーナの顔が見えるってことは、ニーナからもぼくの顔が見えるってことも警戒してなかった。
「何でもお見通しなのは、魔術ってやつの力?」
「わたしは普通の人間よ。……丁寧に設計されてるけどね」
ほんの一瞬だけ、彼女の表情に陰りが見えたが、車の脇を通ったトラックの影のせいかもしれない。
「あんた、巷で自分がなんて呼ばれているのか知ってる?」
「興味ない」
「あんたたちの業界で生き残るためには、自分の市場価値を把握しておくのは大事なことだろう?」
「わたしは他人に自分の価値を決めさせない」
「広告塔が良く言うよ」
助手席のドアガラスが突然割れて、座席が強く蹴飛ばされた。バックミラーに映っていた銃口が助手席からぼくの頭に向く。ぼくの心臓は胸を突き破りそうなくらいに跳ねている。
「脅かすな!」ぼくの声は裏返った。「死んだらどうする!」
「わたしの秘訣は、あなたが奪ったその〈キューブ〉。――知ってるでしょう?」
「しょせんは石だろう!」ぼくは鏡越しにニーナと睨み合った。「ちょっと、珍しい」ニーナの視線がノーと告げてる。「そこそこ貴重な?」これも、ノー。「……違うのか?」
ニーナは緊張を解くと溜め息を吐いた。
「呆れた。本当に知らないで盗んだのね。それなら、今日のことは忘れなさい。その方があなたのためよ」
ニーナから逃れる手段は二つ。ぼくが降りるか。ニーナを降ろすかだ。問題もある。どちらにしろ、どうやってそうするかだ。
「そうもいかないんだ。仲間と犬の命が懸かってる」
「無料(タダ)が嫌なら、鉛弾と交換でもいいけど」
「あんたのお宝はズボンのポケットだ」
ぼくはゆっくり〈キューブ〉を取り出して、ニーナに差し出した。
「聞き分けが良くて助かるわ。人殺しにはなりたくないもの」ぼくから〈キューブ〉を受け取ったニーナは続けた。
「だけど、これだけじゃないでしょう? あなたがパーティ会場で手に入れたもの」
ニーナの何でもお見通しって感じの微笑が、ぼくは気に入らない。
車は富裕層の区画をぐるりと周回する環状線を抜けて、東側に隣接している湖へ続く。沿岸部は観光街と化していて、ホテルのオーナーたちによる景観の争奪戦の末、道は入り組み、建物は岸から湖面へとせり出している。
「何のことだか」
「とぼけたって無駄よ。あなたがアンソニー・ノックスと接触したのは知ってるの」
「誰だ、そいつ」
「ビルのオーナー」
「ああ、確かに会ったな。酒を注いだ。全部便器に流れたけど」
「そういうことじゃなくて――」
進路の奥。橋を見つけたぼくはニーナの言葉を遮る。
「この辺りでレクチャーだ。あんた、移動はお抱えの運転手に任せているだろう?」
「なんの話?」
「この車がどうやって動いているかってことは、この際忘れてくれ。あんたに必要なのは止め方だ」
ギアを落とせ。ブレーキペダルは解かるな? サイドブレーキはこれ。そして、無闇にハンドルを切ったりするな。ぼくは思いついたことを矢継ぎ早に羅列していく。自動運転(オートクルーズ)が主流になったのに伴い、観光エリアの車両専用橋からは景観保全のために手すりが取っ払われている。ぼくはアクセルを踏み込んだ。身体がシートに押し付けられ、シートベルトをしていないニーナは座席を転がる。
橋の両端には歩行者の通行を抑止するための安全バーが設置されていて、センサーが車両の往来を感知するとバーが上下する。法定速度を超えた車両にセンサーは応じず、交通法違反の警告を鳴らすが、行儀良くバーが挙がるのを待つつもりは端からない。安全バーをへし折り、車体は更に加速する。
「ちょっと!」ニーナが横から顔を出してきたけど構うもんか。ぼくはシートベルトを外しながら車を橋の端に寄せる。
「何を考えてるの?」
余裕が崩れたな。ざまあみろ。
「何って、この関係の終わらせ方さ」
「意味解かんない」
ニーナはぼくからハンドルを奪おうと手を伸ばす。車を止めたければブレーキを踏めって、ぼくはもう一度アドバイスした。
「その〈キューブ〉さえ取り戻せれば、あんたは後のことなんてどうなったって構わないんだろうけど、ぼくはそうもいかないんだ」
ニーナの横顔は間近で見ても、寸分の狂いもない。焦りに塗れてたとしてもだ。
「歳は幾つだっけ?」
美術品みたいに洗練された目鼻立ちの奥に、不釣合いな幼さが潜んでいる。
「そんなことよりも、前に集中して!」
「〈キューブ〉に執着したら、あんたはぼくを撃つって言った。だけど、手ぶらで帰ったら、ぼくたちは君じゃない別の誰かに撃たれるだけなんだ」
加速。加速。更にぼくたちはハイになる。
「あんたがぼくを脅して、ぼくは抵抗を諦めた。残る道は――結末は一つだ」
警告。走行中です。警告。速度超過です。警告。運転席のドアが開いています。
「ニーナ」ぼくは彼女の名前を呼んだ。「君がぼくを追い詰めたんだ」
ぼくは開いたドアの方に上体を傾けた。身体が外に放り出される直前、目を見開くニーナと視線が重なる。
そのとき、なぜか。ぼくは父親だった男のことを思い出した。家庭というものを失った日のこと。渡された手切れ金で買ったアパートの一室。ぼくを放り捨てた男が、偶然街で再会したときに見せた、あの目を。
側頭部、肘、脛。路面に打ちつけたところに衝撃が奔り、そこから麻痺が全身に広がっていく。気を失いそうになったが失わなかった。次第に麻痺よりも擦り傷や打ち身でできた痛みの方が勝っていく。気を失った方がマシだって感じた。いや、気を失わずに済んで幸いか? 遠くからサイレンの音が聞こえる。くそっ。何が「誰も呼んでない」だ。呻き声と共に身体を起こしたぼくは、足を引きずりながら橋から飛び降りる。景観保全のために薬品洗浄された川に身を投げ出す。水面までの距離は大したことないって思っていたけど、着水まで随分かかったように感じられた。
落ちてる間に考えたのは、ぼくはどこまで落ち続けるんだろうかってこと。運転席から転げ落ちて、川に飛び込んで流れ着くのは――ってそういう話じゃない。ここにいるのも、ニーナ・モローの命を狙ったのも、全てはぼくやジョビーの本意じゃないってこと。円満な家庭から、街を見下ろせるペントハウスの窓から突き落とされて――ってそういう話でもない。普段のぼくたちは高所得者専用居住(パラダイス)地区に不釣合いな身形で、明日の飯も満足に食える保証はないって暮らし振りだ。着せられた制服も、握らされた武器も、どれもが借り物で、正体すら解からないものを追い続けて転がり落ちていく。
偽者の身分に、他人事みたいな目的。ぼくっていう人格が自分から切り離され、切り離されたぼくの人格は、他人の思惑が織り成す波間を漂っている。
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