楽園に蔓延る怪物

第10話

 パラダイス地区にある、ドーム状の居住施設の最上階。紫外線を遮断する全天ガラスの下には、広大な草原と池がある。爽やかな日差しが目に眩しい。岸辺の木陰でブレット・ジョーンズは大きなグリルの前に立っていた。金網の上の肉は、ぼくとジョビーの二人がかりでも食べきれないくらいのサイズだけど、恰幅のいいブレッドと比べると、一人前のステーキ肉に見える。

「かつて、炎は神への合図だった」

 ブレットはコンロの中の炭をトングで転がし、隆々とした筋肉を筋張らせ、太い指で、換気調節用のツマミを器用に捻る。その傍らで、彼の部下が具材の準備を進めていた。

「解るか? 贄は煙となって、天に昇る」

 グリルから少し離れたところに焚火台があって、金属の棒を架けるY字型の脚が二つ立っていた。ブレットのバーベキューに招待されたぼくとジョビーは、金網の上で揺らぐ熱気を見つめる。

「神は煙を味わい、人間は肉を喰らう。同じテーブルを囲うことで、一時の間立場を共有し、対話する」

 ジョビーはコンロの上で煙を挙げながら脂を滲ませている肉に唾を呑む。ぼくは溜め息を吐いた。ぼくたちの生理反応は食欲が原因ではない。

「つまりそれって、これがぼくたちの言い分を聞いてくれるためのパーティってこと?」

 ブレットは豪快に笑った。ブレットの手下たちは、ぼくたちを括りつけた金属の棒を持ち上げて、棒の両端をY字型の脚に引っかける。棒に吊るされ、これからこんがり焼かれようとしているのは、鳥でも豚でも牛でもなく……ぼくたちだ。

 こんなはずじゃなかったのに。

 話は三日前に遡る。ブレット・コンストラクションを経営するブレット・ジョーンズは、自社建設した第三者名義のセカンドハウスを郊外に保有している。ブレット・コンストラクションといえば、国家規模の都市開発に携わり、外国でもその名が通用するほどのゼネコンだ。それほどの会社の社長が、健全性を犠牲にしてまで自分との関与を隠蔽した拠点を持つというのは、脱税以上の理由がある。ある……らしい。

 ぼくとジョビーは一週間かけて装備を整えた。ブレットがひた隠しにしている、そのセカンドハウスに忍び込むためだ。今回はパーティ会場を襲ったときみたいな誰かや何かに変装するっていう手は使えない。ブレット邸に出入りできるのは、彼の三親等以内の血縁者か会社創立当初から在籍している信頼の厚い社員だけに限られる。姿を見られたその時点で、両手に手錠ってわけ。

 見つかることも痕跡を残すことも許されない、仲間も限られたハードワーク。とはいえ、ぼくたちに不安はなかった。

 なにせ、今のぼくたちには大金がある。

意気揚々とミリタリーショップに出かけたぼくたちは、ブルジョワ気分でハイエンドモデルを買い漁った。店から帰ってワークベンチに荷物を広げたぼ

くは……その、まあ、なんだ。ちょっと驚いた。潜入作戦だって言っているのに、爆発物なんてどこで使うつもりだったのだろう。帰宅したぼくには、買

い物最中の自分の考えが解からなくなっていた。

警備を突破するために用意したのは、高級戦闘ガジェットの数々だけではない。

「今度も手を貸してくれるだろう? ジャック」

私生活は全くの謎だけど、電話一本かければどこからでも手を貸してくれる便利な……気が利く友人。念のためと思って、ムスタファから受け取った前

金の額をそれとなく話に盛り込んでおいたおかげか、深夜の電話にも関わらずジャックは協力を快諾してくれた。

「そんな面白そうな話、乗らないわけないだろう」

はしゃぐジャックの背後から盛大な爆発音が何度か聞こえた。

……本当、普段はあいつ、何をやっているんだろう。

都市部から川を隔てた森の中にあるブレットの豪邸は、中世の西洋建築のような装飾の柵に囲まれていて、入り口には常駐の番兵ロボットが立っている

。番兵の許可なく門を潜り抜けようとすれば人感センサーが作動して、付近にある警備会社の駐屯場から応援が集まり、柵を乗り越えようとすれば、死な

ない程度の電流で侵入者が感電する仕組みだ。

どうにか敷地に入れたとしても、まだ油断はできない。屋敷にある一際高い三つの屋根の頂上には、庭を見下ろすように全方位監視カメラが設置されて

いるし、庭に点在するトピアリーにはダンベル型の自動警戒ロボットを収容する拠点が埋設されており、地面に設置された感圧板の信号や異音に反応して

周辺を探索する。

その辺りの警戒網を潜り抜けたとしても、まだまだ油断はできない。屋敷に近づくと、今度は赤外線センサーのフェンスと、振動感知器が付いた窓と屋

根が行く手を阻む。

これでもかってほど張り巡らされたセキュリティを、ジャックはハッキング技術による一手でまとめて片付けた。持つべきものは優秀なクラッカーだっ

てこと。

完璧だった。軍隊でも配備されてなければ、ぼくたちが捕まることはない。

重武装で鼻息荒く庭を横断したぼくとジョビーを待ち構えていたのは、八匹のジャーマンシェパードだった。持つべきものは忠実なペットだってこと。

ブレットは自分の胴と同じくらいの丈はある鉄製の串を研ぎながら、こちらを向いた。

「知ってるか?」ブレットは言う。「肉の調理はファミリーのボスの役目だった。調理人には食あたりから仲間を守る責任がある。調理人には仲間に分

配する食事の量と質を決める権利がある。だから、パーティの調理人は、ボスが務めなくちゃならない」

ブレットは言う。

「お前たちの目当ては何だ」

ブレットがぼくたちに近づくに連れて、この人工草原の気温を管理する送風機から出る風が強まっていくように感じた。


「誰の差し金だ?」

ブレットは串でぼくの首筋を叩いた。

「焼く直前に血抜きっていうのは、ちょっと段取りが悪くないか?」

納得してくれたら儲けものだ。串から解放されたら追っ手を振り払って一目散に逃げ出す。もうぼくの頭には、それくらいしか助かる道が思い浮かばな

い。ブレットの手下の腰には拳銃を納めたホルスターが吊るされているから、成功する見込みはゼロだけど。

「肉の鮮度を悪くするのは、その体温だ。人間の体温は快適だから良く繁殖する。捌けばその途端、皮膚の細菌が刃先を伝って肉に移る。だから――」

ブレットは串でぼくの喉笛を軽く突く。

「だから、どうして家の可愛い犬があれだけ喚いたのかを知るためにも、折角手に入れた食材を上手く料理するためにも、捌く直前まで、お前たちには生

きてもらってる」

ブレットは笑って、鋭く尖った白い歯を見せた。

「解るか?」

「グローブだ!」ジョビーが叫んだ。

ぼくは「グローブ?」って聞き返す。ジョビーは無視して続けた。

「アマプロ通算百連勝を打ち立てたときのグローブのことさ。ニューヨークの博物館に飾られているのは、レプリカだろう?」

「……どうして偽物だと?」

「親指の付け根だよ。擦れて表面が剥がれていたはずなのに、ショーケースの中のグローブにはその跡がない」

「だから、何の話をしてるんだ」

ぼくは小声でジョビーを問い質した。

「知らないのか? ブレットのこと」

「建築会社の社長だろう?」

「何を言ってんだ。いつもバーで見てるじゃないか。テレビだよ、テレビ。いつもやってるだろう。ボクシングの番組(〈シャーク・バイト・チャレンジ

〉)」

「こいつも挑戦者か?」

「馬鹿言え」とジョビーは言った。「主催者だよ。ブレット・ジョーンズ。会社を興す前は世界王座二十七回連続防衛を記録したボクサー。生きる伝説さ」

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