第9話

「爺さんの言ったことは概ね正しい」

 最貧区画(ウェイストランド)の一角にあるバーで、ジョビーは不機嫌そうにグラスを煽った。バーと言っても、店を取り仕切っているのは、地元の酔っ払い連中が廃棄場から盗み出して修復した旧式の給仕ロボットで、収益はどこに渡るでもなく、バーを維持するためだけに使われてる。屋外で飲酒をしたら叱られる、品行方正な街特有の、パブリックスペースみたいなもんだ。

「何が?」

 大抵の場合、ぼくとジョビーは一日の終わりをカウンター席で過ごし、次の日の朝を酔い潰れて迎える。

「チャンスの話だ。まさか、〈キューブ〉が二つあるとはな」

 ジョビーがグラスを空にすると、給仕ロボットが酒を注ぎにきた。廃棄されたロボットとはいえ修理には職人の技術が結集されており、彼はグラスを見誤ることも注ぐ量も正確に測るけれど、三度に一回くらいは注文を聞き間違えるっていうチャームポイントがある。客は客で酔いが回った連中ばかりだから、今が何度目の注文か把握している者は誰もおらず、舌の方だって上手く回らないので自分と給仕ロボットのどちらが注文を間違えたのか自信がない。

 ついでに言えば味だって解っちゃいないだろう。

「黙ってたのは悪かったよ。だけど、爺さんとの交渉に持ち込むためには、ブルーノに知られるわけにはいかなかったんだ」

 ムスタファ。その素性について調べてくれってジャックに頼んだら、調べるまでもないって、返ってきた。

「姓はラムジ。ムスタファ・ラムジだ。その顔も名前も知らずに生きていられる奴が、まだこの世にいるなんて思わなかった」

 ジョビーにも聞くと同様の反応を示したから、ぼくをからかうためにジャックが大袈裟なことを言ったというわけでもないようだ。

「北欧の海底に眠る埋蔵資源の採掘で財を成したラムジ家は、長男であるムスタファに最高の教育を施し、事業拡大の先陣を切らせるためアメリカに送り込んだ。……はずだったが――」

 ムスタファは家族に中指を立てた、とジャックは言った。

「渡米してから数年間、ムスタファは姿を晦ました。家庭向け電化製品の訪問販売、小さな証券会社の営業マン。失踪期間中は家業と無関係な仕事を選んでいた」

 半生を語ったインタビュー音源は、成功を夢見るビジネスマンのための自己啓発教材として販売もされている。

「一週間昼飯を抜けば買える値段だ」

 ジャックが通販サイトの商品紹介ページを送りつけてきたから、ぼくは「その価値はあるか?」と聞いた。

「多分、ない」

 通販サイトへのリンクが記されたメッセージはゴミ箱行きになった。

「それで、どうやって街の不良を束ねる座に着いた?」

「公には、ムスタファ・ラムジはそんな経歴を持っていない」

「そうだろうけども」

「あいつが再び表舞台に現れたのは、一本の映画のクレジットだ」

「俳優? 監督?」

「プロデューサー」

「……ああ」

「オンデマンド配信限定作品から興行師(ショーマン)としてのキャリアが始まったムスタファ・ラムジはいくつかの配給会社やテレビ局を買収し、今や長者番付の頂点を不動のものにしている」

 ジャックは言った。「ムスタファは最高のチャンスを掴み取ったんだ」

 ジョビーは言う。「お前は最高のチャンスを掴み損ねたんだ」

「チャンス?」ぼくはギプスを巻かれた腕を突き出す。「これ以上、工具で改造されろって?」

「ニーナやアンソニーみたいな連中が持っていて、あのムスタファが喉から手が出るほど求めていたんだぜ。〈キューブ〉には珍しいだけじゃない何かがある」

「何かってなんだよ」

「何かさ。ともかくそう易々と手放してなかったら、お前はビッグになれたんだ」

「ぼくはそんなこと望んでない」

「望めよ」そう言って、ジョビーはグラスを傾ける。「望むべきなんだよ。電話一本で呼び出されて、あれをやれ、そこに行けって命令され続ける。おれたちは何て言う? 『はい』だけだ。自分で考えることなんて何もない。言われたまま、自分より弱い相手をぶん殴って、他人が稼いだ金を横から巻き上げる。相手がおれたちより強けりゃ、尻尾を巻いて逃げ出す。それが毎日。ずっとだ。どんな人生だよ」

「のし上がったって同じさ。手下を顎で使って金を集めさせる。その金だって毟り取られた金だ。他人任せで、無責任なのは変わらない」

「おれならそうだろう。おれがボスになれば、ブルーノみたいな連中の真似事が精々だ。……だけど、お前は違う」

「違わないさ」

「いいや、違うね。お前は誰も見捨てなかった。ニーナも含めて、全員を生かそうとした」

「仕留め損ねたんだよ」

「誤魔化すな。お前は失敗したんじゃない。選んだんだ。命と将来がかかっているって状況で、お前はブルーノの言いなりにならなかった。それが、何だ。押しつけられたことには立ち向かえるくせに、チャンスが来たら弱気になりやがって……チャンネルを変えるな!」

 天井の隅にぶら下がっている旧式のテレビのことだ。ジョビーの怒声に反応して、リモコンを握っていたスキンヘッドをした小太りの男が、こめかみを引き攣らせながらこちらにやってきた。まあ、喧嘩が始まるだろうが、ぼくは心配してない。

「どっちに賭ける?」

 三つ離れた席に座っていた中年の男が声をかけてきた。

「太っている方」

 言うと、中年の男は舌打ちした。「それじゃあ、勝負にならない」

 テレビに映っているのは、ブルーノのアジトでも見た報道番組だ。パラダイス地区で起こってるという連続不審死事件の話のあと、ニーナ・モローの死体が川からあがったというニュースが始まった。そうか、死んだのか。キャスターは「死んだ」って言葉を避けて「見つかった」という言葉を強調する。

 画面が切り替わると、死んだはずのニーナがオーガニック食品の宣伝を始めた。キャスターの配慮はニーナや遺族のためではなく、番組スポンサーのためだったと気づいて、ぼくは酒が不味くなったように感じる。

 ぼくの背後で小太りの男と言い争うジョビーの声を煩わしく感じたぼくは、テーブル席で注文を受けていた給仕ロボットに声をかける。

「おい、ビル」

 給仕ロボットの後頭部には型番が印字されている。〈Bi-11〉だから、みんなビルって呼んでる。

 ビルが店内の騒動に気づいた。ぼくは咄嗟に身を屈める。ビルの目が赤く光った。今にも相手に跳びかかりそうなジョビーと小太りの男の間を熱線が奔る。ジョビーと男はビルの方を振り向き、ビルが二射目を準備しているのを確認すると、堅い握手を交わして解散した。熱線が照射された壁に焦げ跡ができて、小さな煙の筋が挙がっている。

「そろそろ始まるぞ」

 ジョビーは席に戻ると、時計を見てからテレビのリモコンを弄った。一体、何時の間に。睨み合っているときに小太りの男が卓に置いたのを拾ったんだろうか。ニーナの顔写真と深刻な面持ちのキャスターが消えて、どこかのスタジアムが映し出された。盛大な歓声の中心には四角いリング。拳を前に構えてボクサーが対峙するのは、ホログラムで現役当時の姿が再現された歴代のチャンプらしい。

 カメラがリングの二人に接近する。画面を見たビルが熱線のエネルギーを充填し始めたので、誰かが「あいつらは違う」ってそれを阻止した。

「これに勝てば挑戦者は殿堂入りに王手なんだ」

「そうかい」

 ぼくはテレビに目もくれず、携帯デバイスでニーナのニュース記事を漁ってる。警察は事故当時、運転席から飛び出した誰かの身柄を、引き続き捜索しているそうだ。監視カメラの映像の切り抜きは、流通しているものを見ると解像度が荒くて、映像からぼくだと特定されることはないように思えるけど、警察が公開した情報が全てとは限らない。

「ほら、見ろよ」ジョビーはぼくの肩を掴む。「あいつ、また勝ったぞ」

「あいつって、友達気分か?」

 ジョビーはグラスを空にしてから言った。

「良く見ろ。あれがチャンスを掴もうとする男の背中だ」

「……そうかい」

「あいつはおれたちとは違う」

 ジョビーはビルを呼んで、酒を注がせた。

「そうだろうな」

「惨めな毎日だ」

 ジョビーはグラスの酒を飲み干した。

「飲み過ぎだぞ」

「だけど、これからも同じ暮らしを続けていく必要はどこにもない」

 ジョビーは覚束なくなった脚で立ち上がった。

「お前も立てよ」ジョビーは拳を構えた。「さっき殴り損ねた代わりだ」

 ビルがこちらを向く。

「喧嘩じゃない」ぼくが制止すると「ああ、そうだ。試合だ」とジョビーが続けた。

目も据わっている。もう言ったところでジョビーには何も伝わらないんだろう。

「解かったよ。おれたちでムスタファみたいな連中を見返してやろう。……これでいいか?」

「ああ。ここからおれたちは変わるんだ」

 ジョビーは構えを解かない。仕方ないので、ぼくも席から立って拳を構えた。

「いいか。これは試合だ。喧嘩じゃない」

 ぼくがビルに念を押していると、その隙にジョビーが跳びかかってきた。不意のことだったので、ぼくはかわすのを諦め、殴られるのを覚悟したけど、ジョビーの渾身の一発は空振りに終わり、それからジョビーは姿勢を崩してひっくり返った。

 床の上で仰向けになりながら、ジョビーは言った。

「それで、本当はまだ何かあるんじゃないのか?」

「何が」

「〈キューブ〉だよ。まだ他にも持ってるんじゃないか?」

「どうしてそう思うんだ?」

「ただの贅沢品なら、ムスタファはおれたちを殺して奪えば良かったはずだ。だけど、そうはならなかった。お前は知ってたんだ。そうならないって。〈キューブ〉の真価を前から知ってたんだろう? ……例えば、親父が持っているのを見たとか」

 ぼくは溜め息を漏らす。

「だから、何度も言ってるだろう。あの男から引き取ったのはこれだけだ」

ぼくは腕時計を外してジョビーに差し出す。こいつはニーナに認められただけの代物じゃない。区画を隔てるゲートの行き来を無制限に行なえる認証コードが内蔵されている特注品だ。

「いや、それはいい」ジョビーの顔から笑みが消える。「それはお前のもんだ。父親の形見をそんな風に扱うな」

「〈キューブ〉に金額以上の価値があるって思ったわけじゃない。ブルーノのボスがあんなヤバい奴だとは思わなかっただけだ」

 ぼくは組織の全貌を甘く見てた。あくまで金に目が眩んだだけの小悪党共の集団だろうって。くそっ。そのせいで、今度はトップモデルの誘拐以上の大仕事を任される羽目になった。

「ところで、次の仕事って?」

「解かってもらいたいのは」ムスタファは言っていた。「この金額は君にかけている期待の大きさだ」

「解かってもらいたいのは」ムスタファは言っていた。「報酬というのは、仕事に対する責任の大きさだ」

「聞いて驚け。今度は――怪獣退治だ」

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