第7話
川の流れに揉まれていたぼくは、気づけば青果運送用のトラックの荷台で揉まれてる。車体がうねるたびに右へ左へ。両手を縛られ、頭巾に視界を奪われているせいで受身も取れない。壁だか、床だか、荷物に身体を打ちるごとに下手くそな運転手への恨みが増す。見えないはずが、どうして自分の居場所が解かるのかって? 寒いからだよ。縛られて冷やされる理由は知らないが、荷台を冷やせる車両なんて限られてる。右へ左へ。木箱だか、野菜だか、果物だかを蹴飛ばす。
「痛えぞ!」ぼくじゃない悲鳴だ。
「ジョビーか?」
「そうだよ。くそっ! 蹴飛ばしやがって!」
「運転手に言え! ……それから、何がどうなってる!」
ジョビーの回答を要約すると、1.ジャックが着替えの服に仕込んだ追跡装置を辿って、ぼくを見つけて自宅で介抱した。2.強面の連中がトラックに乗って現れた。
そしてこれ。どうやら、ブルーノ流のエスコートらしい。荷台から引きずり出されたぼくたちは、あいつを怒らせたら生きて帰れない、とかなんとか運転手に散々脅された。ぼくができたのは空笑いだけ。誘拐犯たちはぼくが心底ビビってるって思っただろうし、実際にその通りだった。
頭巾をもぎ取られて、コンクリート壁のかび臭い部屋に転がされる。結露だか雨漏れだかが、床の水溜りに波紋を作っていて、テーブルの下や荷物の上には埃の山。廃墟とはちょっと違う。茶色い合皮のソファや狩りの獲物でも保存するのかってくらい大きなクーラーボックス、ツールキャビネットなんかは最近持ち込まれたように見える。テーブルの上にはラジオペンチやガスバーナー、万力に……鋸? 部屋の汚れと違って、それらの道具は細かなところまで手入れが行き届いていた。使い道について今はちょっと考えたくない。
「ニーナはどうしておれたちの計画に気づいた? やっぱり、本物の魔術とか」
人目を盗んで、ジョビーはぼくに耳打ちする。
「まさか。便所でぼくたちがしていた話を聞いていたのさ」
「女子トイレに届くほど騒いだ覚えはないぞ」
「盗聴器だ」
「……ニーナにそういう性癖が?」
ぼくは溜め息を吐く。
「あの場に誰がいたか、もう一度思い出せ」
「おれたちと、ブルーノの手下。それと、おれたちにビビッて手も洗わずに逃げた腰抜け」
「そいつのことは忘れていい」ぼくは話を急く。ドアの向こうから階段を降りる足音が聞こえたんだ。「もう一人居ただろう。便座で引っくり返っていた奴が」
「ビルのオーナー?」
「アンソニーだ。あいつの身体のどこかに仕掛けられた盗聴器が、ぼくたちの話を拾った」
「ニーナはアンソニーに気があった?」
「ある意味では、な」
ドアが勢い良く開き、男たちがぞろぞろと入ってきた。一部は見覚えがある。ぼくたちと一緒にウェイターや兵士に変装していた奴らだ。それから、他の連中よりも二回りほど身体が大きい屈強な男が一人。そして、男たちの先陣を切っているのが、ブルーノ・コロシモ。ドックの小便を浴びた男だ。
コスプレ男たちがぼくらの背後に陣取り、筋肉達磨は工具が並ぶテーブルの前に立った。取り巻きの一人が椅子をぼくたちの前に運び、ブルーノがそこに座る。
「無様な姿だな」
ブルーノの嘲笑を無視して、ぼくは後ろの奴に聞く。
「命懸けで働いた奴をいびるのが、あんたのボスか?」
ぶん殴られた。
「それで、どうしてぼくたちは捕まっているんだ?」
「逃げ出さないようにさ」
ぼくはジョビーと顔を見合わせた。
「その気があったら、ウェイターになれって言われたときにそうしてる」
「それならどうして仕事が終わってすぐに顔を出さなかった?」
ジョビーが顎でぼくを指す。
「こいつが『無様な格好』だったから」
「起きたのも久し振りだ」ぼくはジョビーに聞く。「あれから何日経った?」
「四日目だ。車の中で日付を跨いでいなければ」
「そんなに?」
ぼくがワザとらしく驚くと、ブルーノは「黙れ」と怒鳴った。
「雑談をするために呼ばれたわけじゃないって解かってるだろう? 〈キューブ〉はどこだ」
「無い」
「無い?」
今度はジョビーが驚いた。こっちは演技じゃない。
「無いってなんだ? もう冗談を言ってる場合じゃないって解かるだろう?」
「本当に無いんだ」
「どういうことだ」と、ブルーノ。
「話せば長くなる。まずは馬鹿げたくそみたいな仕事を引き受けたことからだ」
「なあ、サム。お前の愚痴に付き合うほど、おれが気長だと思ってるのか?」
ブルーノは懐から拳銃を抜いた。
「警備隊を撒くところまでは首尾良く進んだ。問題は逃走車両の隠し場所がニーナにバレていたってこと」
「ニーナ? ニーナはお前が殺したはずだろう」
「・・・・・・殺し損ねたんだ」
「そんな嘘が通用すると思ってんのか?」
「嘘だったら、こんな怪我はしてない」
ブルーノはテレビを付けるよう、部下に指示した。映し出されたのはニュース番組で、観光街に設置された監視カメラが記録した映像をコメンテーターが分析していた。中央に捉えられた橋を通る古びた車が、突然運転席のドアを開ける。そこから人影が飛び出して橋から転げ落ち、車の方は速度も落とさぬまま数度蛇行して、川の中にダイブした。
ニーナ・モロー。顔写真。行方不明。スタジオの連中は悲壮感を顔に浮かべてる。
「連日連夜、話題はニーナ・モローだ。緊急編成で組まれた特番のせいで〈シャーク・バイト・チャレンジ〉の中継も放送延期。おまけに、信頼して仕事を任せた奴は、戻ってくるなり〈キューブ〉は無いと言う。……なあ、サム。サム・ウィリアムズ。 おれの楽しみはどこ行った?」
ブルーノがそう言うとジョビーが「それは確かにイラつくな」って便乗した。
「お前はどっちの味方なんだ」
ブルーノは立ち上がった。「おれはとっくにキレてんだ」
それから、ぼくの後ろに立っていた巨漢に顎で合図を送る。「だから、お前と問答を繰り返すつもりもない」
テレビ画面は切り替わり、コマーシャルを映してる。ニーナが勧める傷害保険だって?
「最初から、あんたに言い訳なんてするつもりはないさ」
ぼくが頭を下げるべき相手はこいつじゃない。ブルーノの態度と格好を見てみろ。レザージャケットに染みのついた穴あきパンツ。社交界に精通しているっていう柄か? まさか。こいつはニーナと何の接点もない。どうせ、〈キューブ〉の真価だって知らずに求めてる。では、どうして? 簡単だ。こいつも誰かに〈キューブ〉を盗んでこいって指示を受けているからだ。
巨漢がぼくを工具類の方に引きずる。ぼくには成す術がない。ぼくはテーブルの脇に座らされ、拘束を解かれた。
巨漢はぼくの左腕をテーブルの上に乗せる。ブルーノはにたりと笑って並べられた工具の中から金槌を掴んで、ぼくの腕に振り下ろした。ギプスが砕け、その衝撃が骨まで響く。ぼくは悲鳴を挙げて、ジョビーが止めろだとか離せだとか喚いた。ブルーノは笑いながら、何度も金槌をぼくの腕に振り下ろした。
ギプスはボロボロに砕け、ぼくは死ぬ思いで巨漢の拘束を振り解き、床をのた打ち回った。
「いくら痛めつけられたって、無いものは無い!」
「まだ懲りないか」ブルーノは巨漢を見た。「次は反対の腕だ」
「待ってくれ」とジョビー。「サムは嘘だけは吐かない奴だ」いや、吐くけど。「そいつが〈キューブ〉は無いって言うなら、本当に無い」
ぼくの右腕がテーブルの上に差し出される。左腕の痛みを堪えるぼくに、右腕を庇う気力は残っていなかった。
「お前たちのことを信じてやってもいい」ブルーノは言いながらラジオペンチに持ち替えた。「だが、それって仕事をしくじったってことだろう?」
ブルーノはジョビーを見たまま、ラジオペンチでぼくの右手の爪を引き抜いた。またしてもぼくは悲鳴を挙げる。指から爪が引き剥がされた痛みの後、些細な風が、露わになった爪の下の肉を突き刺していく。
「元はと言えば、おれとあんたの問題だろう! サムは関係無い」
「ああそうだ」ブルーノは言う。「お前がこいつを巻き添えにした」
ニーナから奪った〈キューブ〉をぼくがどこかに隠したって信じてるブルーノは、ぼくを易々と殺したりはしない。だけど、ジョビーはどうだ? ドックの小便シャワーを浴びたブルーノには鬱憤が溜まってる。追い詰められたジョビーと怒り狂ってるブルーノの間にこれから何が起こるかなんて、考えるまでもない。
ぼくはブルーノを睨む。あいつはジョビーを痛め付ける算段で、こっちの反抗心に気づいちゃいない。ぼくの背後の巨漢もそうだ。他の連中も同じ。関心があるのは、次にブルーノが手にする工具はどれかってことだけ。
ぼくは隙を突いて、ブルーノに突進した。ブルーノは引っ繰り返り、部下が慌てて彼に駆け寄る。ぼくはジョビーに向かって「早く逃げろ」って叫んだ。計画はある。本当だ。まあ、他力本願なところはあるけれど。それでも、切り札もない丸腰のジョビーよりは、ここに残って生きて帰れる見込みはある。
「お前を置いていけるか!」
置いていってくれって。
ぼくは視線でジョビーに訴えたけれど、あいつは何をどう受け留めたのか、頷くと巨漢の腕に噛みついた。巨漢はジョビーを腕から引き剥がして壁に放り投げ、叩きつけられたジョビーは鼻血を垂らしながらすぐに立ち上がる。
部下に起こされたブルーノは、ぶち切れながらぼくの名前を呼ぶ。どういうわけかジョビーもぶち切れて、脚を震わせ、顔を真っ赤にしながら何かを吠え出した。ああ、もうめちゃくちゃだ。
途方に暮れる最中、二人の咆哮の置くから階段を降りる音が聞こえた。
ジョビーがブルーノを狙って突進し、ブルーノの部下がそれを食い止めようとしてる。ブルーノはといえば、銃をジョビーに向けて狙いを定めていた。ぼくは肩を突き出しブルーノの邪魔をする。ブルーノが姿勢を崩した瞬間、銃口から弾が飛び出した。ジョビーの鼻血が撒き散る。ブルーノの部下は銃声に身をすくめた。弾が部屋の壁や床を跳ねる。ぼくは地べたに転がり、巨漢が膝から血を噴出しながら悲鳴を挙げた。そして、ジョビーがブルーノの部下を吹き飛ばし、ブルーノはぼくを罵りながら銃で頭を打ち抜こうとする。
「騒々しいな」低い、物々しい声が言う。「アフター・プロム(二次会)にしても品がない」
「あんた、なんでここに」
ブルーノは部屋の入口を見て狼狽した。
「それはわたしの台詞だ。お前こそ、こんなところで何をやっている」
入口に立っていたのは、白髪交じりの爺さんだった。
「おれは」ブルーノは照準越しにぼくを一瞥した。「こいつがニーナから奪った〈キューブ〉をあんたに引き渡そうと……。そのためにブツの隠し場所を吐かそうとしたんだ」
「吐かせる? わたしには頭をぶち抜こうとしているように見えるが」爺さんは言う。「死人が喋るのか?」
「それは――」
「こいつにも言ったが」そう切り出して、ぼくはブルーノの言葉を遮る。「ぼくはニーナから〈キューブ〉を奪い損ねた」
「お前は黙ってろ!」
ブルーノはグリップの底でぼくを殴った。腹癒せに、ぼくは言い返す。
「飼い主にいいところを見せてやりたいって感じか?」
ブルーノは青筋立てて銃を構えなおした。
「どうやら本当に死にたいらしいな」
銃声。横っ面から鮮血が噴出す。床に血が飛び散り、配管から漏れ出ていた水と混じり合う。渦巻く混沌。沈黙が続いた。ぼくはそれぞれの顔を見上げる。さっきまで盛り上がっていたくせに、意気消沈って感じだ。とりわけ大人しいのは、ブルーノだ。あまりのできごとに、心臓だって止まってしまったに違いない。青褪めた顔色で、側頭部に開いた穴から血を噴出している。
「そいつらに話がある連れて来い」
爺さんは銃を胸のポケットにしまいながら言った。誰に従うべきか弁えているらしい部下たちは、ぼくとジョビーを起こすと、背中を小突いて進むよう促した。
「何者だ?」
階段を上りながら、ジョビーはぼくに言う。
「ぼくの父親じゃないことは確かだ」
さっきの態度を見れば、爺さんがブルーノのボスだってことは明白だけど、彼の名前や肩書きについて、ぼくが知ることは一つもない。
予感は当たってた。ほとんど想定通りに事が運んでいる。
だけど、喜べない。むしろ、気分は急降下だ。
なにせ、ぼくの予測は、最悪の事態が起こった場合を想定しているんだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます