第2話

 このビルにいる中で、唯一のぼくの仲間。ぼくと同じ給仕服を着て後から駆けつけたジョビーは、深刻そうな面持ちでトイレ・ミーティングに加わった。

「顔を見られた」ジョビー蒼白した顔で、洗面台の鏡の中の自分と向き合っている。「きっとニーナはおれたちの計画に気づいたんだ」

「まさか」ぼくは鼻で笑う。「大女優様がウェイター相手に本気で色目を使うかよ」

 これからやる事の壮大さに物怖じして気がまいっているんだろう。ぼくたちは最低だし、くだらないことばかりやってきたけど、「こんなこと」はやったことも、やろうと思ったこともない。

「だけど、話かけていた。『お友達と同じ職場で仕事なんて羨ましい』って」

「職業病みたいなもんさ。人気取りが仕事だから誰にでも愛想がいいし、目敏い」

「けど――」

「ジョビー。確かにニーナは有名人だ。ゲートの向こう側(高所得者区画)に住んでいて、そこら中の街灯広告の看板を占拠してる。どこにだってニーナはいる。だけど、それだけだ」

 ジョビーは鏡越しにぼくを見た。

「金や美貌じゃ、他人の頭の中は覗き込めない」

「本当に覗き込めるって話だぜ」ジャックが囁く。「魔女って呼ばれているの、聞いたことないか?」

 どうせ、そんなの、彼女に捨てられた連中の当て擦りだろう。

 ぼくは閉まっていた個室便所のドアの一つを開けた。

「だから、ぼくたちは科学を使うのさ」

 ロープで便座に拘束されて涙目になった青年が涙目でぼくを見上げてる。懸命に何かを喚いているけれど、その口は雑巾で塞がっていて聞き取れない。彼の名前はアンソニー。下についてるノックスっていう苗字はこのビルの名前にも使われている。

 ぼくは青年のジャケットのポケットを弄った。掌に収まるくらいのサイズの通信デバイスを探り当てる。光沢のある黒いボディに金色のブランドロゴが刷ってあった。特注品っていう証。製造ナンバーの刻印入りだって取り巻きに自慢しているのを、会場で見かけた。

 ぼくはジャックが用意した端末を使って、青年のデバイスから情報を吸い出す。吸い出された情報は、この端末を通じてジャックの下に送られる。写真や動画データはジャックの趣味に利用されて、デバイスが記憶している青年の生体情報は、このビルのセキュリティを突破するのに使われる。

 ぼくのデバイスがデータの受信を告げた。

「お裾分けだ」

 そう言ってジャックが送りつけてきたのは、膨大な量の女性のプライベート写真だった。ぼくは溜め息を吐きながら全件削除する。

「真面目にやってくれ」

「お前こそ。ノリが悪い」

「ジャックは何て?」

 顔を洗っても、ジョビーの不安の色は拭えないみたいだ。

「滞りなく準備は進んでいるってさ」

 ジョビーの顔色は変わらない。

「大丈夫さ」ベルトで挟んでいた拳銃を抜く。「ぼくたちなら、やれる」

 買ってもらったばかりの玩具を自慢する子供みたいに笑ってみせる。

 自分が撃たれるって勘違いでもしたのか、銃を見てアンソニーが喚きだす。すると、隣の個室から水の流れる音がして、初老の男が出てきた。男はドアを支えたまま拳銃とぼくの顔を見比べ、硬直した。口が開く。今にも悲鳴を挙げそうだ。

 ぼくはゆっくりと銃をしまい、男の肩を叩いた。

「今日のパーティは、ホストにとって、特別大事なもので」ぼくは言う。「ですから、わたしたちは給仕だけではなくて、何か問題が起こった場合に備えるよう仰せつかっている。例えば――」

 今日のパーティのホストが初老の男が涙目で何かを訴える。吠えているみたいだ、とぼくは思う。

「例えば、妙な騒ぎを起こすゲストを大人しくさせるとか」

 ぼくは男の肩から手を離した。

「解かっていただけますね」

 そして、手を差し出した。男は顔を引き攣らせながらぼくと握手をすると、手も洗わずにトイレから出て行った。

「おれたちのこと、あいつが誰かに言い触らす心配は?」

「ないさ」ぼくはもう一度手を洗うはめになった。「パーティ会場には、ぼくたちと同じ格好をした奴らが何人もいるんだぜ?」

 振り返るとへたれたジョビーが壁にもたれかかっていた。

「もっと堂々としろよ。それじゃあ、まるで大ピンチの最中だ。違うだろう?」

 ジョビーはこれが、ぼくたちの転機だって期待していた。

「そうだ。……ああ、そうだ。おれたちは人生を変えるんだ」

 手を洗い終えたぼくはジョビーに、そして自分にも言い聞かせるように呟く。

「さあ、始めよう」

 ジョビーの期待通りだ。これはぼくたちの一生に訪れた大転換。

 その良し悪しはともかく、全てが変わり始めていた。

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