④
空き教室のドアを開けると、上原さんはいつものように教卓に座って足をぶらつかせていた。
「待った?」
「ううん、私も今きたとこ」
時計を見ると、針はちょうど約束の時刻を指している。僕は最前列の真ん中の席に、彼女に向かい合うような形で腰を降ろす。2人の距離は、約2メートル。お互いに手を伸ばしたら届きそうで微妙に届かない、そんないつもの距離。
「そういえば、こないだの課題は間に合った?」
最初に話題を振ったのは彼女だった。
「昨日持ち帰って徹夜で終わらせたよ」
「じゃあ間に合ったんだ」
「あぁ、おかげで今日はずっと眠かったけど」
それから暫くの間、雑談は続いた。話自体は本当に大したことのないものだけど、上原さんの声が、表情が、仕草が、僕を淡い充足感で満たしていく。
……あのとき、僕は彼女に嘘をついた。松本浩志は二組の藤沢の事が好きらしい、と。もしかしたら見抜かれてしまわないかとも思ったが、幸い彼女はいつものように「そっか、残念」と言うばかりだった。だから、こうして今日も僕たちは密会を続けている。
「……ところで、稲葉くんは好きな人いるの?」
「なんだよ急に」
「ほら、普段は私が聞いてもらってばかりでしょ?逆に稲葉くんはどうなのかなって」
じっとこちらを見る上原さん。
「うーん、あんまり考えたことないかも」
また嘘をついた。好きな人なら目の前にいるけど、なんて口に出したら彼女は一体どんな顔をするだろう?と思う気持ちはあるけれど、さすがに実行するだけの勇気は無い。
「ふーん、そっか」
「まぁ今は勉強とか部活でいっぱいいっぱいみたいなとこあるし」
きっと、これから先も僕が上原さんに思いを告げることはないのだろう。このままいずれ卒業を迎えるか、あるいはどこかのタイミングで彼女の恋が成就するか。もしかしたら、そのうち僕の嘘がばれて破綻してしまうのかもしれない。いずれにせよ、ハッピーエンドとはいかないのだろう。それでも僕はこの半ば自傷めいた行為を繰り返す。こうして彼女の側にいるために。
「僕のことはいいから、そろそろ本題に入らない?」
「うん、えっとね……」
上原さんがゆっくりと口を開き、N+1回目の始まりを告げた。
「私ね、実はいま好きな人がいるの」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます