第21話 悲哀と憤怒
<コンテナ地区>
どれくらい眠っていただろう。
誰かの話声が聞こえて、その2人の足音は去って行った。
嫌な夢を見た気がする。
晶悟さんがひとりで行っちゃって、私は置き去り。
いつもそう。
1人でカッコつけて、背負いこんじゃう。
親分ぶるくせに、本当はナイーブで。
そんな晶悟さんが、私は好きだった。
小さい頃から、ずっと。
だから、追いかけた。
彼の置いていった武器を持って、能面をつけて。
追いかけたんだ。
私は、重い瞼を開く。
菫「晶悟、さん?」
火の消えたタバコを咥えたまま、右眼球のない晶悟さん。
菫「…嘘。嘘。起きてよ、起きて」
私は彼の方に這いながら、何故か、1番幸せだった時を思い出していた。
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ママ「あんた料理バカクソヘタクソネ!貸しなさいヨッ、このヒンヌー教!あーあコーフィも特濃みりゅく入れなきゃ飲めたもんじゃナイワ!」
幸祐里「な、何よこの歩くグロCG!私だって、もう、負けてらんないのよ!も、燃える男はブラック・コーフィなの!ほら、味見!」
ママ「カプッ。…ヴォエエエエエエエエエ」
ベランダから、ママと幸祐里さんの声が聞こえる。
私は、幸せだった。
また家族が出来たんだ。
もう、寂しくない。
菫「ねぇ、しょーごさん、あのカマ、うるさいね?」
鍵和田「す、菫ちゃん、幸祐里の口の悪さは真似しなくていいから…」
私達はベランダで夜空を眺めていた。
ベランダは晶悟さんの喫煙所だ。
私は、彼がベランダへ出ると、ついて行く。
子供のくせに、あの頃の私はませていたんだと思う。
2人っきりの時間が好きだったんだ。
思い出すと、ちょっぴり恥ずかしい。
菫「えへへ、しょーごさんかっこいー!ひげー」
鍵和田「ヒゲやめっ、…なあ、菫ちゃん、そろそろお父さんとか、ぱ、ぱ、パパ、とか?呼んでみないか?」
菫「えー、やだっす」
鍵和田「まだだめか…」
私は彼を、今でも、お父さんと呼んだことがない。
菫「お星、きれいだねぇ」
鍵和田「お、スケッチか。どれどれ」
私のスケッチブックには、描きかけの星空。
菫「あ…」
晶悟さんが、黒く塗りつぶした前のページをめくってしまった。
将来の夢。
そのテーマで、養護院で描いた一枚だ。
それをからかわれて、恥ずかしくなって、塗り潰してしまった。
菫「そのページ、お友達に、ばかにされたの」
晶悟さんは私にスケッチブックを返すと、いつものように、優しく語りかけた。
鍵和田「…星の光はさあ、ここに届くまでに、俺や菫ちゃんの何倍も何倍も、たくさんの時間を超えて、やってくるんだって」
菫「ふむふむ…」
私はスケッチブックに夢中だった。
塗り潰してしまった絵を、次のページにもう一度描き直してたんだ。
話半分、絵に半分で集中していたと思う。
鍵和田「きっと光…ヒカリくんにも、色々あったんだと思う。辛い事も、楽しい事も!それでもここに、俺たちに届いてる。だからさ…」
菫「ヒカリくん、がんばった?」
鍵和田「うん。だからね、ヒカリくんは、菫ちゃんに教えてくれてるんだ」
菫「なにをー?」
鍵和田「菫ちゃんが頑張った事、菫ちゃんが辛かった事、菫ちゃんが楽しかった事。…その全部が、無駄じゃないよ!って」
菫「ほうほう?」
鍵和田「菫ちゃんが好きなお絵かきも、きっと誰かに届くよ!同じように悲しかったり、楽しかったりした人に。きっと、きっと届く!だから、その夢に自信を持っていいんだよ?」
菫「できたぁー!」
私は、描いていた新しい絵を晶悟さんに見せた。
菫「えへへ、私の夢はね…」
鍵和田「おっ、これは…俺?と、菫ちゃんかな?」
子供タッチの菫、鍵和田手を繋ぐ絵。
菫「晶悟さんの、お嫁さんになること!!!」
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鍵和田の亡骸に寄り添った菫は、空を見上げる。
菫「ねえ、晶悟さん…星、見えないよ…?」
鍵和田の言葉を胸に、菫は今日まで絵を続けて来た。
どんなに辛い時も、絵だけは辞めなかった。
菫「この前ね、私の絵が、はじめて売れたんだよ?晶悟さんのおかげだね…セリアちゃんって子が買ってくれたの」
鍵和田は応えない。
「よかったなあ!菫ちゃん!はっはっは」
そんな声が、聞こえてくる気がした。
菫「セリアちゃん、絵が好きな子でね、なんだか、昔の私みたいで…嬉しくて…泣いちゃって…。届いたんだよ、私の気持ちが。晶悟さんの言う通りだね…続けてきて、よかったって、思って…それでね、それで…う、うう、うっ、うっ…」
菫は、PTSDの症状、過呼吸になりながら、涙を拭く事もせず、話し続けた。
菫「はっ、はぁ、…その絵のテーマ、はっ、くはっ、な、何だと思う?はっ、は、はぁ、ヒントはね、晶悟さんが、教えてくれた、テーマ」
「テーマは、なんだい?」
菫「家族、だよ」
同じ気持ちを抱いたセリアに、それは届いた。
菫「…好き。晶悟さん、好き。大好きだよ…うぁぁぁぁ!うっ、うう、うう…晶悟さん、晶悟さん…!」
その会話を最後に、菫は実現会の処理班が接近してくる事を悟る。
信者「おい!誰かいるぞ!」
菫「…これ、借りるね?」
菫は、鍵和田の鞘とデザートイーグルを回収し、姿をくらませた。
<メデァカルプラザ 病室>
泣いたら負けだ。
健介はそう、自分に言い聞かせていた。
組の連絡網で、鍵和田の訃報が届いてから、丸一日が経過していた。
病室の健介は、鍵和田の留守電を、繰り返し再生していた。
『…寝てたかな?…あ、鍵和田。
ケン、怪我の調子はどう?
大事にならなくて、ほんと、よかったよ…よかぁねえか、はっはっは』
健介「……カギさん」
『っと、本題。
組のもんには伝えてないが、ケン、お前だけには伝えて置こうと思う。
これから俺は、実現会の新教祖…亮太とナシつけてくる。
もしものときは、お前が皆に伝えてくれ。
まあなんだ、心配すんな!
大黒柱は無敵だからよ!
なんか恥ずかしいな、これ…』
何度も何度も、健介はこの留守電を再生している。
何度も何度も、溢れそうな涙を堪えた。
『この際だから言っとくか。
ここだけの話、次期組長はお前に決めてる。
組の奴らにも、これを聞かせてくれ。
まだ早いけど、いずれな。
…ケン、燃える男ってのはな、腕っ節の強さなんかじゃない。
燃えてるのはハート、優しさだ。
お前は誰より、そいつを持ってる。
ケン、お前は強い子だ。
優しさを、捨てるなよ?
はっはっは!臭かったかな?
それじゃあ、行ってくる。
皆を、菫ちゃんを…』
そこで、留守電は途切れていた。
健介「燃える男は、泣かない。そうだよね?カギさん」
そんな健介の姿を、小林は何も言わず、見守っていた。
再生が終わる度に泣きだしそうな弟の横顔は、何度見てもやりきれない気持ちになる。
小林「…健介、お姉ちゃん下の売店行ってくるけど、何がいい?」
健介「コーヒー」
小林「いつもの、甘いやつでいい?」
健介「…ブラックで」
<繁華街 回想>
鍵和田「カァー!今日もやられたやられた!」
健介「最近パチ屋渋いっすよね〜、はあ」
健介はすっかり寂しくなった財布を見つめる。
亮太「立ち回りが甘いんだよ、2人はさ!」
健介「そう言う亮太さんは〜?」
亮太「マイナス8k」
健介「ほらぁ、絶対勝てないんすよ、パチスロとかって…」
鍵和田「今日はみんな揃って養分だ!よし、残念会!おじさんの奢りでな!」
健介「やったー!どこ行きます!?」
亮太「マジっすか!?さすがアニキ!」
鍵和田「お前ら本当調子いいよなぁ、はっはっは!」
<福耳>
健介「カギさんの銃、かっこいいよなぁ〜俺も早く持ちたいなぁ」
亮太「デザートイーグル?あれ、反動がすごいって聞くけど…健介にはどうです?カギさん」
鍵和田「あんなもん撃ったら、ケンは腕が外れちまうよ!絶対な!」
健介「そんなぁ〜」
亮太「絶対って言葉、好きじゃないなあ?…なあ健介、めっちゃ練習してさ…この世に100%なんてないって事を、オッサン達に教えてやろうぜ?」
健介「うおー!燃えてきたァァ!」
鍵和田「おいおい、オッサンは酷えなあ!はっはっは!
失敗も、成功も、人生の味さ。パチスロのように…」
亮太「微妙にカッコよくないっすよ、それ…」
鍵和田「なんだとぅ!?おじさんはなあ、こう見えても天に愛された男なのだぜ?」
亮太「あーあ、また始まっちゃったよ、酔うと始まる武勇伝」
健介「あれですか…」
亮太「長くなるから、今日は健介が代打で!」
鍵和田「ほ〜う?カッコよく決めてくれよ、ケン!」
健介「バイクのキーは1発で唸った!そして俺はそのゲーム、公道ノンブレーキチキンレースをはじめた!人生を諦めかけた俺は、アクセルを緩めない!全ての信号は青。気付くと、そのコースを走り切っていた。俺は天に愛された男、鍵和田晶悟!…こんな感じっすか〜?」
鍵和田「うん、まあ…いや、俺そんな語り口だった?恥ずかしいな、おい!」
亮太「今のは泥酔バージョンだな?」
健介「さっすが亮太さん!分かってるぅ!」
鍵和田「まあまあまあ、とりあえず、俺が言いたいのはだなぁ…」
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健介「流れに身を任せろ。自分に偽るな」
鍵和田が遺した言葉を、健介は口に出してみた。
健介「俺は…」
健介は、病室を抜け出した。
<ババ・ヴァンガ>
健介はバイクを走らせ、閉店した雑貨屋の扉を叩く。
ここに来るまで、一度もブレーキを握らなかった。
信号は全て、進めを示していた。
馬場店長「あら、ショウちゃんのとこの坊やじゃない。どうしたのよ?」
健介は、左腕のスーツを捲る。
健介「カギさんと、同じものを」
<繁華街>
雑貨屋を出た健介は、携帯を開き、通話ボタンを押す。
菫『…はい』
健介「菫さん。いや、元平和クラブリーダー。お話があります」
菫『いい。私も同じ事考えてるから」
<シャッター街>
菫「黙祷」
シャッター街は、静まり返っていた。
平和クラブの面々は、菫に召集され、シャッター街に集結していた。
リーダー不在以降内輪揉めが絶えない、新参も、古株も、顔を合わせていた。
黙祷が終わると、菫は立ち台から声を上げた。
菫「鍵和田は、実現会に殺された。みんなの力を貸して欲しい。…健介」
菫が声を掛けると、入れ墨を剥き出しにした健介が現れる。
健介「…」
平和クラブ(新参)「おい、どういう事?菫さん、事故って抜けたんじゃねーの?」
平和クラブ(新参)「その辺りよくわかんねえ。でも後任に健介を指名したのはガチだろ?」
平和クラブ(古株)「馬鹿か。最近出入りしてた能面が菫さんなんだよ…」
平和クラブ(新参)「んだとテメェ!分かるように説明しろや!」
平和クラブ(古株)「健介なんかに付いてたお前らに…痛ってぇな、ゴルァ!」
平和クラブ(古株)「やめろ!今はカギさんの敵討ちが先だろうが!」
内部分裂の亀裂は、もはや抗争に発展しかけていた。
その喧騒を、爆音が鎮圧する。
健介「静かにしろ!!!」
雑音を、空に放ったデザートイーグルの銃声と、健介の声が切り裂く。
平和クラブ(新参)「うわっ!びびったぁ、健介の奴、銃持ってるぞ!」
平和クラブ(新参)「あ、あれって確か、カギさんの…」
平和クラブ(古株)「なんかあいつ、雰囲気違くねえか…?墨入ってるし…」
健介「みんなにお願いがある。聞いてくれ」
健介は菫と肩を並べた。
健介「俺は…弱い。ヤクザになっても、やっぱり俺は、弱いんだ。みんなが付いて来なかった理由を、改めて思い知った。だけど、ひとつ、分かった事がある」
平和クラブの面々は、様々な感情を抱えたまま、健介の言葉を待つ。
健介「カギさん。あの人が居なかったら、今の自分は無かった。…それは、みんなも同じじゃないか?」
菫「…っ」
菫は下を向く。
健介「…俺たちに出来る事ってなんだ?社会から弾かれた、俺たちに出来る事。…カギさんは、実現会を止めようとして、死んだ。
俺たちを蔑んだ社会から守って、叱って、小遣いをくれて…そんなカギさんが、止めようとしたんだ。…人は死んだら帰ってこない。俺は母さんを失くしてる。父親みたいだったカギさんも、イカれたカルトに奪われた」
健介にとっても、平和クラブにとっても、鍵和田は父親のような存在だった。
平和クラブに集う若者の多くは、あの事件後、レールを踏み外した。
それを知り、鍵和田は平和クラブを保護していた。
菫「…だから、その意志を継ごう。あの、真導実現会は、きっと何かを始める。いや…きっともう、始めてる」
健介「これは、俺たちにしか出来ない。警察も、国も、頼りにならない。それはみんなが1番知ってるはず。…俺は、弱い…弱いんだ。ちっぽけで、姉貴1人守ってやれない。その姉貴も今、実現会に取材に行ってる。守りたいんだ、姉貴も…カギさんの意志も!だから…頼む。力を貸してくれ。嫌になったら降りてくれて構わない…」
健介は立ち台の上で土下座をする。
その痛切な姿に、平和クラブは心を打たれていた。
平和クラブ「…かまわねえぜ!」
平和クラブ「やろう!俺たちで街を守ろう!」
平和クラブ「健介、お前に付いてってやる」
平和クラブ「俺実は姉ちゃんのファンなんだ!許せねえ!」
平和クラブ「ダブルリーダーって事か!?」
平和クラブ「菫さんも帰ってきてくれた…だよな、菫さん!?」
菫「いや、リーダーは別。それと、切り札を用意した」
菫が合図をすると、小柄な青年と、能面の人物が立ち台に登った。
木犀「…」
健介「彼は、逃亡中の…某国の王子だ。全力で、守ってくれ」
能面「…」
平和クラブ「あれ…あのお面…?」
平和クラブ「菫さん、は、隣にいるし…」
能面「………」
菫「現時刻を持って彼を、平和クラブの新リーダーとする!」
立ち台を下りた健介は、腕の痺れを抑えていた。
菫「あんた、そんなの撃てるの?そんな身体で…」
健介「亮太さん、いや…対馬亮太は」
健介の瞳に、怒りの火が灯る。
菫もまた、同じ怒りを共有していた。
健介「奴は俺が、こいつで仕留める」
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