第19話 欠伸と裏切り

<第3ワークプレイス リンカネル>


亮太「ふぁ〜ああぁ」


街頭のカメラをクラッキングした朧特製モニター。

そこに裏路地で喫煙する健介と鍵和田の様子が拡大され映し出されていた。

その映像を前に、亮太は欠伸をする。


亮太「なかなかどうして…粘るね。あの女、違う場所を教えたか…」


SNSの慈眼信者の中の、浅見ハルの熱狂的なファンを利用し、自分と浅見ハルが西区で打ち合わせをするという、デマ情報を流した。

しかし、鍵和田と健介は東区の路地裏にいる。

彼らの居場所を探すのに大分時間がかかっていた。


デスクでは犬養が、亮太のPCで信者のフォローリクエストを承認しては、個人にマッチしたダイレクトメッセージを送っている。


犬養「…」


タイピングの音が響く。


犬養の心理操作は巧みだった。

彼もまた、人間を信用していない。

不信の強さこそ、他人を操る絶対条件だ。

故に、亮太はネット関連の情報操作、信者層の拡大、その作業を犬養に一任していた。



朧「亮太、寝不足?クマできてるよ。日に日にパンダ感が増してる」



亮太「中国の年間パンダレンタル料、一億超えるらしいよ、赤ちゃんパンダが生まれるとさらに追加料金。パンダより金かけるとこ、あんのにな。パンダ様様さ。…最近寝不足なんだよねー」


セリア「亮太、眠れナイト?」


ソファで読書に集中し、そのまま眠っていたセリアが、こちらに意識を向けたようだ。


朧「あ、セリちゃんおはよ。…なんかモヤモヤだね。パンダの赤ちゃん、可愛いけど…ホットミルクとか飲んだらいいかも?柿神さんもよく飲んでるし」


亮太「最近の研究じゃ、ホットミルクは逆に睡眠を阻害する、で確定らしいよ。刷り込みとプラセボ、恐ろしいね。柿ピーみたいなのには覿面の効果だ」


朧「でも、あの人は元々パンダみたいな化粧しててよく分かんないよね」


柿神は”サプリメント”の生成に追われ、二階に篭りっきりだ。


亮太「あはは、最近毒が出てきたなあ、理紗は」


亮太は朧の呼び方を変えていた。

彼なりに、距離を縮めたい気持ちの現れだ。


朧「ど、毒の塊の、側近なので!」


セリア「他に言いたい事、ある癖に、ポイズン」


朧(しーっ、秘密だって約束でしょ!?)


朧はセリアの口を押さえた。


セリア(呼吸が、苦しい、こんな世の中じゃ…かはぁっ)


朧もまた、亮太に歩調を合わせようと努力している。


亮太「ひでぇなあ、俺は噂の慈眼様だぜ?」


朧「あんまり、無理しないで」


亮太「ありがとう」


朧「えへへ、モーマンタイです」


セリア「やはり俺の青春ラブコメはまちがってい、ぐぼぁ」


朧「悪い子にはあんぱんを詰めますっ」


セリア「もぐもぐ、うんめぇ、こしあんだぁ!」


セリアの表情が明るくなる。


朧「風鈴街の、有名なパン屋さんのだよ!あんこが好きな誰かさんもいるし、今度またいこっか?」


セリア「い、いぐぅー!」


亮太「馬鹿かお前らは。…なあ、吾妻さんさあ!」


亮太は地面にあぐらをかきながら、手を揉んでいる吾妻に話しかける。


吾妻「…ウィ?」


亮太「あんた、よく左手の、親指の付け根とか揉んでるよな」


吾妻「う、うん?気持ちいいからぁ、エクスタシィ!」


吾妻は据わった瞳で亮太を見つめる。


亮太「心臓と、肺。そこらに効くツボだ。違う?」


吾妻「…?」


亮太「格闘家とか、傭兵の人なんかがよくやるって聞いたんだけど…癖みたいに。命に関わるからね」


吾妻「ニャにがいいたいニャン?」


亮太「あんた、元傭兵?ラリッてんのも演技。俺はあんたに薬を渡した事はあっても、摂取したのを見た事が一度もない」


朧の実現会名簿資料は、完成度を増していた。

地下闘技場の八尾長で逮捕される前、2月ほど、中東への渡航歴があった。

傭兵というのは、その情報からの亮太の憶測だが。


吾妻「教祖様はお見通し、か…」


吾妻は貫き通した演技を辞める。


犬養「…」


犬養のタイピングする手が止まる。


亮太「どういうつもりだ」


吾妻「…革命」


亮太「は?」


吾妻「あんたは、革命を起こす。そうだろう?」


亮太「……まあ」


吾妻「それに乗っかろうって腹さ。それだけだ。俺はこの腐った国が嫌いでね」


亮太「反政府思想から、ゲリラの傭兵…とんだ右翼野郎が身近に居た、って事?」


吾妻「リンカネルにいる四人、それに朧さんは、他の信者とは違う。それぞれが意思を持って、あんたについて来ている。…演技をして済まなかった。だってあんた、警戒心すごいだろう?」


亮太「参ったねこりゃあ…まあ、結果オーライだよ。吾妻さん、銃の扱いは?」


吾妻「一通りは」


亮太「先月殺った署長のピースメーカー、あんたが使ってくれ。足がつかないように」


吾妻「了解」


亮太「…」


亮太は思案する。

そして、迷いを切り捨てる。


亮太「早速仕事…革命の手助けをして欲しいんだけど…」


吾妻「ああ、従うよ」


亮太「モニターに映ってる与那嶺組の二人、そろそろ痺れを切らす頃だ。分散したタイミングで、若い方を襲え。先月の借りを返すんだ」


先月、吾妻は亮太から指示された与那嶺組の闇討ちを仕損じていた。



吾妻「…任せてくれ」


亮太「今回は銃は使うな。奴はおそらく銃を持ってない。手傷を負わせるだけでいい、殺すなよ」


吾妻「やむを得ない場合は?」


亮太「…任せるよ」


吾妻「慈眼にかけて」



吾妻は携帯ナイフ、防犯スプレー、亮太からの無線を受け取るイヤホンモニター、その他の武装を装備し、裏路地に向かった。



<裏路地>



健介「おしるこ、最近減ったなあ。前は結構あったのに」


健介は2個の自販機を回りおしるこを探したが、空振りに終わっていた。


健介「カギさんの亮太ラブも困ったもんだよ…おしることか似合わなすぎ…あ!あったあああ!」


健介はやっとおしるこが販売されている自販機を発見し、歓喜する。


健介「3発ツモ」


小銭を入れ、あたたかいのボタンを押す。


自販機がガタンと音を立てる。



健介「君に会いたかった…すりすり、あっつ!」


健介はおしるこを回収すると、鍵和田が待つ裏路地に戻るべく、再び走り出す。



------------------



亮太(無線)「あーうん。そこそこ、その角右ね」


吾妻は亮太の指示に従い、走る。

目標はすぐそこだった。


亮太(無線)「んで突き当たり折れて、自販機あるから」


吾妻「はっ、はっ、」


吾妻は呼吸を整えていく。

鼻から二回吸い、口から二回吐く。

そして親指を立て、手の甲を前に。

江戸時代の飛脚が、長距離を移動する為に身に付けた、先人の知恵だ。



健介「…!?」


亮太(無線)「到着〜。んじゃ、頑張って!」



無線の回線はそのままに、吾妻は構える。


吾妻「…」


健介「くっ、なんか見た顔だな…あ、シャッター街のメガネと居た人…何の用だよ!」


吾妻「仕事だ、悪く思うな…」


健介の懐に踏み込む。

ボクサーのそれは、健介に対応できるスピードをゆうに超えていた。


健介「グハッ…」


吾妻の拳が健介のボディに食い込む。


吾妻「って、無理か」


健介は地に伏せ、立ち上がる。


健介「…いってー、なにすんだ急に!…痛ッ」


吾妻「ほう…タフじゃないか」


吾妻の拳を食らって立ち上がる一般人は中々いない。

反射で脇腹の急所も外している。


健介「喧嘩、あんま好きじゃないけど…」


健介は構える。

ボクシングの基本形。

吾妻から見ても、様になっている。


吾妻「なるほど?」


健介「元いじめられっ子のヤンキーは、ボクシングとか習ってる率高いよ。…すぐ辞めるけど」


吾妻「平和クラブ、だったか…元リーダーなんだろう?」


健介「だったらなんだ」


吾妻「お前ら若者がそんなんじゃ、この国はますます腐る一方…叩き直してやる、来い」


吾妻は指で健介を煽る。


健介「ヤンキーも…それなりに辛いんだッ!」


健介の打撃を、吾妻はガードと回避で全て捌く。


健介「くっそ…遊ばれてる?」


吾妻「どうした、打ってこい」


健介「このッ…」


またも、健介の打撃は吾妻を捉えない。

ガードから伝わる手ごたえの無さが、健介の焦燥感を煽る。


健介「うァァ!当たれ、当たれェ…!」


健介の打撃は次第に弱まり、もはや吾妻に当たってもダメージは望めない。


吾妻「…もういい。沈め」


吾妻の繰り出すジャブを、健介の目は追いきれない。


健介「…くっ、あ」


健介のガードが崩れ、顔面が露出する。

その隙を、まるで流れ作業のように、吾妻のフックが切り裂いた。


健介「ぐあっ…」


吾妻「恨むなら、この国を恨め」


吾妻のアッパーは、健介の顎を完璧に捉えていた。


直撃を受けた健介は、立ち上がれない。


健介「ぐあっ、く、くっそ、また、また俺はァ…!カギさんの、足手まとい、姉ちゃんの、負担に…チクショウ、チクショウ…」


吾妻「なんだ、泣いてるのか。情けない。それでも日本男児か?…姉、確か小林とかいったな」


健介「…姉ちゃんを、知ってんのか?」


吾妻「ああ、あの知性の足りないアナウンサー。現代メディアの象徴だ…次の取材辺り、慈眼の天罰が下るだろうよ」


健介「…おい、てめぇら、がァ」


健介は踊る膝を気力で押さえ、奮い立つ。


吾妻「なんだと…」


元プロ格闘家の本気の打撃を食らい、2度も立ち上がる一般人など。

この国に、まだこんな若者が。


吾妻の胸は、高鳴っていた。


健介「…姉ちゃんに、手ェ出してみやがれ…殺すぞ…」


健介は怒りに任せ、溢れ出す脳内物質の限り、踏み込む。


健介「俺が、守るんだァァッ!!!」


吾妻「心意気や、よし!…買ったァ!!!」



吾妻はその全力を持って、健介に打撃を繰り出す。


健介「あがぁっ、ぐぁ、うっ…」


健介の意識が途切れるまで、その打撃は止むことはなかった。


足元に倒れる健介を一瞥すると、吾妻のズボンが、固く掴まれていた。


吾妻「意識はとうにない、か…」


その手を払うと、イヤホンモニターから通信。


亮太(無線)「吾妻さん、やりすぎ」


吾妻「申し訳ない、つい。…骨のある若者だ」


亮太(無線)「健介の奴、頑張っちゃって…ッ!?鍵和田がそっちに向かってる!って、遅いか…」


吾妻「なにっ!?」


鍵和田「遅いと思って来てみれば…」


亮太(無線)「その人は素手で敵う相手じゃない!ナイフで牽制して、退け!」


鍵和田「ウチのもんにオイタをかましたのは…あんた?」


吾妻はボクサー時代から、様々な相手と対峙して来た。

この男は、只者ではない。

潜った修羅場の数が違う。

吾妻の格闘家、傭兵としての勘が、肌にヒリつきを与える。


吾妻「いつか、手合わせ願う」


柿神が調合した違法スプレー。

射程距離に飛び込み、その噴射口を鍵和田の顔面に向ける。


鍵和田「ッ!?」


スプレーは、鍵和田の右目を捉える。


鍵和田「あがぁっ、アアア…」


鍵和田は目を押さえ、痛みに耐える。

吾妻はそのまま撤退しようとするが、肩を掴まれた。

凄まじい握力。


吾妻「……なっ?」


そのスプレーは、人体に有害な化学物質が混ぜられている。

まともに食らえば、数日は目を開けられるはずがない。

しかし、鍵和田は両目を見開く。

その眼光で吾妻を睨みつけた。


鍵和田「…よぉ、亮太に変われや。繋がってんだろ?」


鍵和田は自分の耳を指差す。


亮太(無線)「…吾妻さん、インカムを渡して」


鍵和田はインカムを装着する。


鍵和田「久しぶりだな、兄弟。…仕事サボって、何やってんだよ…」


亮太(無線)「サボってないよ。ちゃんと実現会にいる」


鍵和田「残党の調査に行ったお前が、その頭じゃ、世話ねぇだろ…」


亮太(無線)「逆らえない大きな流れ、だよ」


鍵和田「…話をしよう、二人だけで。明日19時、コンテナ地区。銃はなしだ。…いいか?」


亮太(無線)「ああ。分かったよ。…じゃ、また明日」



鍵和田は無線を吾妻に返すと、健介に駆け寄る。


鍵和田「頑張ったな、ケン…お前は強い男だよ」


気絶した健介を背負うと、鍵和田は吾妻に開口する。


鍵和田「あんた、ブレてんじゃないか?…力の使い道を間違えるなよ」


吾妻「貴様…」


鍵和田「今日はもう止してくれ。こいつを病院に運びたい。…あんたも長生きしたいだろ」


そのまま鍵和田は背を向け、病院に向かった。




<メディカルプラザ 入院室>


健介は、自分の無力に泣いていた。


窓の外を見ると、冬の空気が目に見えるようだった。

亡き母親の、シチューの味を思い出す。


小林「健介。お姉ちゃん、仕事休もうか?もう、心配で心配で…」


健介「いい…、俺は大丈夫だから。もう、自分の人生を生きてよ…俺は、大丈夫」


小林「お姉ちゃんね、何も言わなかったけど…今回ばかりは言わせて。健介、ヤクザなんてもう、やめなさい」


健介「…ここで引いたら、男じゃない。カギさんはきっとそう言うから。…姉ちゃんも、実現会の取材だけは…」


小林「私だって、引けない…あの取材だけは」


健介「姉ちゃんが譲らないの、初めてだね」


小林「やっぱり姉弟だから、私たちって…」


健介「馬鹿同士、やり抜こうよ。姉ちゃんは、俺が守る。今度こそ、死んでも守るから。このままじゃ、母さんに顔向けできないや」


小林「…もう、そんなボロボロでカッコつけて!泣かせないでよ、アホ健介」



冷たい病室に、二人の心だけが、くっきりと浮かんでいた。





<菫のアトリエ>



『…あっ、ソングライターの浅見ハルってアーティストとコラボの噂があるんですけど、その現場を張れば、もしかしたら…』



『その話、詳しく聞かせて』



菫は福耳の観葉植物の植木に仕込んでいた小型レコーダーの再生を切る。



菫「やっぱり、上手くいかなかった」


小型レコーダーで、福耳内での鍵和田や健介の会話を全て把握していた菫は、亮太の先手を打った。


亮太が流したデマ情報の、浅見ハルとの待ち合わせ場所。

その場所と真逆の場所を健介に伝えた。



菫「…でも、どうやって東区の裏路地が分かったんだろう…健介、大丈夫かな。晶悟さんの目も…」


木犀「…」


菫は部屋の隅に目をやる。

体育座りをする北の王子がこちらを見ている。


菫「…あんたには悪いけど、後で働いてもらうかも」


木犀「…?」


菫「まだ分かんないけどね!また来る、ママが居ない時に」


菫はコンビニで購入した食料や生活用品が入った袋を置き、下の店に降りた。

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