第17話 幸福と大黒柱

<駅前>


歴史的事件後、数年が経過していた。

西区の商店街は封鎖され、次々と事業は撤退している。

シャッター街の廃墟になるのに、そう時間はかからなかった。


鍵和田にとってこの数年は、長いようで短い、そんな数年だった。

少しは与那嶺組長に近づけただろうかと、今でも毎日思いを馳せる。


対馬太一。

あの時の警官の顔を次に見たのは、ニュースに映る無機質な証明写真だった。


彼はあの後、教祖と対峙し、街を解放した。

しかし、その事実は警察上層部にもみ消され、対馬一家はスケープゴートに仕立て上げられた。

獄中の尼斑教祖に情報を横流しし、街をカルトの狂気に陥れた罪人。

それが世間に根付いた彼のイメージだ。


その後法廷に上がる前に、対馬太一は死亡した。

死因は確かではない。


鍵和田「死人に口無し…やり切れないな」


その事実を知るのは、次期与那嶺組長に任命され、警察組織と内通した鍵和田と、一握りの者だけだった。

内通と言っても、署長に個人的な賄賂を送り、情報を買収したに過ぎないが。


鍵和田「息子は、孤児院か…」


彼に頼まれた息子。

菫を施設に届けた際に、一目見た少年。


対馬一家に何があったか、鍵和田には定かではなかったが、少年は左目を失っていた。


残されたその片目は、怒りに煮えたぎっていた。

幼くしてあれ程の意思を宿せば、太一の息子だという事実に上乗せされる形で、大人から嫌悪を向けられているはずだ。


身体の成長に精神の成長が伴っていない大人は、思った以上に多い。

そんな大人は、その逆の成長を遂げた子供を嫌悪する。

生きてきた時間という絶対的な権力を行使し、子供を縛り付けるのだ。

鍵和田の父親や、小学校の教師もそうだった。


鍵和田「亮太…」



彼は今も、あの事件の中で、理不尽な暴力に抵抗しているのだ。

頼るべき家族もなく、たった一人で。


鍵和田「なんとかしてやらねえと。菫ちゃんと俺の、命の恩人…太一との約束だからな」


今日もその施設に向かい、菫の顔を見てきた。

太一の息子とは歳が離れていた為、別の棟だった。

初めは鍵和田の顔を見ただけで記憶を呼び起こすトリガーになり錯乱した菫だったが、成長するにつれ、次第に鍵和田に対して警戒を解き始めている。


鍵和田「やあ、菫ちゃん!元気ブリブリか〜?おじさんまた来ちゃったぞ」


菫「しょーごさん、しょーごさん!あそぼ!新しいクレヨンある!」


鍵和田「おっ、いいねえ!またヘタクソとか言うなよ〜?」


菫「しょーごさんってね、えごころ、ないし!えへへ〜ひげー」


鍵和田「ヒゲやめっ、くすぐったいよ、菫ちゃ〜ん」


それでも、精神の傷は癒えない。

施設ではほとんど口を利かず、画用紙を黒く塗り潰すばかりだと言う。

きっと彼女は、一生PTSDの症状と向き合わなければならないだろう。


巴楽町児童養護院。

その中には菫や太一の息子のような、あの日の、プレミアム・フライデーの被害を受けた子供で溢れかえっていた。

当時その子供達は、大人の都合など知る由もなかった。


いずれは引き取って、保護者として人生を背負ってやりたい。

国が突貫工事で増設した灰色の施設などではなく、彼らが世間の目に怯える事もなく、笑って過ごせる場所を作りたい。

その為には、組長を失い失墜した与那嶺組の権威を、復興しなければ。


それが鍵和田の当面の目標だ。


鍵和田「ん?…激マブい女。と、あっちゃ〜、またあいつら…」


駅前の中央広場で、車椅子の女性がナンパされている。


平和クラブ「待ち合わせ?良かったらお話しない?暇つぶしに!車椅子とか、俺押すの超上手いし!ばあちゃんも足悪くて、」


女性「…………ね」


平和クラブ「お?やっと話した!なんて?」


女性「しね」


平和クラブ「ファッ!?」


鍵和田は後ろから近づき、平和クラブに肩を組む。


鍵和田「よぉ、イチロウ。ばあちゃんの介護の息抜きか〜?」


平和クラブ「か、カギさぁ〜ん、しねって、しねって言われたっすよ…なんて日だ…」


鍵和田「そ、それは同情する…けどな、ナンパとかダサいぞ。男たるもの…」


平和クラブ「一人の女を愛して貫け、ですか?耳にタコですよそれ…なんか古いしィ」


鍵和田「はっはっは、とりあえず女子供には優しくな。ほら、行った行った!これでみんなとジュースでも飲め!」


鍵和田はスーツの内ポケットから札を手渡す。



平和クラブ「いつもありがとうございます!…あ、ばあちゃんが今度うちのミカン渡したいって言ってました!それじゃ!…ちぇ、マブかったのになあ」


平和クラブのイチロウはキャップのツバを弄りながら去って行った。


鍵和田「マブいって、お前も大概古いよ、はっはっは…」


平和クラブ。

あの事件後、スラムと化したシャッター街を拠点にするギャング集団。

社会から弾かれ、行き場を無くした若者が集まり、コミュニティを形成する。

与那嶺組の組長を継いだ鍵和田は、彼らを統括していた。



鍵和田「すみません、なんかうちのがご迷惑おかけしたみたいで…気は良い奴らなんです!私からも謝罪をさせて下さい。申し訳ありませんでした」


車椅子の女性に向きなおると、鍵和田は深く頭を下げた。


そっぽを向いていた女性は、開口する。


女性「あんたらみたいなチンピラ、大っ嫌い。口を揃えて気は良いとか根はいいって言うけど、迷惑行為を帳消しにする理由にはならないから」


その通りだと、鍵和田は思う。

かつての自分も、平和クラブも。

そして暴力団という立場に身を置く今の自分も。


鍵和田「本当に、申し訳ありませんでした」


鍵和田は、膝をつき、土下座の体制を取ろうとする。


女性「ちょっ、やめてよ!頭あげて!あんたみたいなイカツイのにそんな事されてんの見られたら、箔がついちゃうじゃない!」


鍵和田「…お詫びに何かご馳走させて下さい、お時間があれば」


女性「いいからもう…結局ナンパ?」


鍵和田「…かもね。はっはっは」


鍵和田の笑顔を見た女性は、間を置き、答える。


女性「でもなんか、あんたは…じゃあ、コーヒーがいいな。ブラックで!へへ、パシりってやつ?」


十分箔が付いてるのでは?

鍵和田は心の中で呟く。

気の強い女性は、鍵和田のストライクだった。


鍵和田「…喜んで!」


鍵和田は駅前のチェーン喫茶店でコーヒーを2つ注文し、中央広場に向かう。


鍵和田(悪いなイチロウ…俺も人間だ。後でばあちゃんに”ひとめぼれ”5キロ、送っとくからよ)



鍵和田「お待たせしました」


女性「敬語やめてよ。なんかキモいから…見た目とギャップが」


鍵和田「おう。…これでいい?」


女性「なんか面白いね、”カギさん”?」



鍵和田「なんで名前を?」


女性「さっきのガキンチョが」


鍵和田「はっはっは、なるほど。となると…」


女性「さゆりん」


鍵和田「え?」


女性「さゆりんって言います」


鍵和田「よ、よろしく。さゆり…ん。さん」


女性「あははウケる!絶対似合わないと思った!」


鍵和田「なにぃー!?」


初対面で鍵和田をおちょくってくる女など、例外中の例外だ。


女性「サユリ!よろしくね、カギさん」



それから、二人の会話は弾み、込み入った話に発展していた。


鍵和田「その…足。どうしてか、聞いてもいいかな?」


幸祐里「私ね、養護院の先生なんだ!もう…元、先生か。あはは…今はニートで、たまにこの広場に来てて…」


鍵和田「ああ…」


幸祐里「その養護院の子にね、遊具から突き落とされちゃって。その子、凄く辛そうで、左目も失くしてて、なんとかしてあげたくて。でも、近づきすぎちゃったみたい。最後は…本当、先生失格だ」


鍵和田「…今、その子は?」


幸祐里「私はすぐ退職したし、なんとか事実を隠せたから、まだ院に居る。と、思う。あの子は何も悪くないもの。悪いのは、あの日街で暴れたチンピラと、カルトの奴ら…それから、国の偉い人」


鍵和田は黙り込んでしまう。

自分もその当事者だ。

被害は今も、広がり続けている。

そして幸祐里を傷つけた、左目を失った少年は…



鍵和田「済まなかった…」


鍵和田な目に涙が溜まって行く。


幸祐里「なんで、カギさんが謝るのよ。なんで、ヤクザが泣いてんのよ…私まで、泣きたくなるじゃない…広場に居たら、泣かなくて済むのに」


鍵和田「いつもこの広場に?」


幸祐里「息がつまるとね、ここに。人がたくさんいれば気を張るから泣かなくて済むし…歩けなくても、外にいたら、風を感じられるから…」



鍵和田「…風、感じさせてやる」


鍵和田は立ち上がり、車椅子を押す。


幸祐里「えっ、えっ?」



鍵和田は、自分のバイクが停めてあるシャッター街の倉庫へ向かった。


<シャッター街 >



半ば強引に車椅子を引かれ、二人はシャッター街を歩き出した。

切れかけの街灯の明かりがなんとも頼りなく、無人の商店街を照らしている。


道中、何度かリヤカーを引く浮浪者を見かけた。

嫌な感じにギラつく視線も感じる。


幸祐里「ここら辺も変わっちゃったよね」


鍵和田「なんというか、退廃的だよな…」



事件以前は普通に商店街だった。

夕方には主婦が買い物して、休日には家族連れも多いような。

今は見る影もない。

平和クラブと浮浪者の掃き溜め。



幸祐里「あの噂、本当かも」


鍵和田「ああ、政府がオリンピックに向けてここらに悪い印象のものを…ってやつ?」


政府の暗部を知る鍵和田には、あながちあり得ない話じゃないと思える。

明らかにこの街には所謂、負が集結している。


幸祐里「中央通りの火災、暴動…あの日、何があったんだろうね…」


鍵和田「さあ…」


鍵和田は中央通りの中を見た。

あんな惨状を説明するのも、幸祐里を怖がらせるのも気が引けた。

嘘は好きじゃないが、止むを得ずの場合もある。


こういった状況に直面するたびに鍵和田は思う。

嘘をつかないとか誰にでも優しいとか、美徳扱いされがちだが、究極のエゴなのだと。


鍵和田「なんか暗くなっちゃったね、ごめんごめん!…そして到着でありますっ」


鍵和田はポケットからキーを取り出し、向かう先には、バイク。


オレンジ色のヴェスパだった。


なんというハイ・センス…!

図らずも幸祐里はテンションが上がっていた。


幸祐里「かっこいいね!もしかしてベースとか弾けたりする!?」


鍵和田「へへへ(笑)お主、さてはコアなオタクですな?」


幸祐里「お主こそ…、ステッカーまで再現とはなかなかのもの。やばい、超乗りたい」


鍵和田「最近見たアニメに感化されて、買っちったんだ。まさか幸祐里ちゃんも知っとるとは、いやあ、時代時代!」



アニメオタク特有の妙なシンパシーを感じ、ひとしきり笑いあう。


鍵和田「バイクなんて久々だったが…

なんだかこのヴェスパ、しっくりくる。

このハンドル、初めて握った気がしない」


幸祐里「え、初めてなの…?」


鍵和田「あ?ああ、運転は問題ないよ?」


幸祐里「新品?」


鍵和田「中古。はい、足固定すっから」


幸祐里はいとも容易く持ち上げられ、シートに乗る。


幸祐里「ちょっ、まじ!!?でも、久々にアガるゥ」


鍵和田「さすが先生、状況の飲み込みが早いな…よっしゃ、行こかァ!」


幸祐里「しゅっぱーつ!」


メットを被った幸祐里が後ろで騒いでいる。


背中に無視できない柔らかい感触が。


エンジンの音に負けないよう、鍵和田の欲望が、腹から声を出す。


鍵和田「もうちょいしっかりつかまった方がいいかもねー?」


幸祐里「カギさんのえっちー!」


鍵和田「バレてる。…はっはっは」


夜のシャッター街、コンテナ地区をツーリングする。

灯台の光が、コンテナと二人を照らす。


心地よいエンジン音と共に、心が通じ合った、そんな気がした。



<駅前>



翌日、鍵和田は仕事の合間に何度か広場を覗いたが、彼女の姿は見えなかった。


その翌日、そのまた翌日も、彼女は現れな

い。


鍵和田は広場でタバコを吹かそうと、百円ライターを出す。


鍵和田「かっこつけて、連絡先聞かなかった…古臭いのも考えもんかなあ?…あ、オイル切れ。はあ〜」


幸祐里「あのぉ、良いジッポライターを入荷してるんですけどぉ」


鍵和田「え??…幸祐里ちゃん?」


鍵和田が振り向くと、小さい紙袋を持って車椅子に座る、幸祐里の姿があった。


幸祐里「…はい」


鍵和田「これ、俺に?」


幸祐里「あれからお礼がしたくて、何件も探して、気づいたら毎日夜で。ほら、私足遅いし…でもね、途中あのガキンチョに会って、車椅子押してくれて、カギさんは百円ライターだからって、最近出来た雑貨屋さんを紹介してくれて、ババ・ヴァンガってとこなんだけど…」


幸祐里は頬を赤らめながらマシンガンのように語る。


鍵和田「開けていい?」


幸祐里「あ、うん…センス、自信ないけど」


紙袋の中の小箱を開けると、十字架のデザインされた、ジッポライターが出て来た。


鍵和田「…連絡先なんて、要らねえ」


幸祐里「え?え?やっぱ、ダサかった…?」


鍵和田は息を深く吸う。

デザートイーグルの引き金を引く、その瞬間のように。


鍵和田「俺と、家族にならないか?」


幸祐里は目を丸くしている。


幸祐里「あ、え、…うん、いい、けど?」


鍵和田「…マジ?」


幸祐里「でも、私ニートだしお金ないし歩けないし性格悪いし貧乳だし」


鍵和田「俺はケツフェチだから!」


幸祐里「は、はぁ??馬鹿なんじゃない?…でも、嬉しい、かな…」


鍵和田「ありがとう…ひとり、引き取りたい子がいるんだ」



<ベランダ>


鍵和田は幸せだった。

仕事も軌道に乗り始め、与那嶺組の権威も復権しはじめている。


マンションを借り、養護院から養子として引き取った菫と、3人の生活。


あの日出会った格闘家ホームレスは、鍵和田と署長の細工で国籍を偽り、日本語を学び、中華料理屋を始めた。

身分がバレる事を恐れるあまり、性別が曖昧になってしまったが。


ママ「あんた料理バカクソヘタクソネ!貸しなさいヨッ、このヒンヌー教!あーあコーフィも特濃みりゅく入れなきゃ飲めたもんじゃナイワ!」


幸祐里「な、何よこの歩くグロCG!私だって、もう、負けてらんないのよ!も、燃える男はブラックなの!ほら、味見!」


ママ「カプッ。…ヴォエエエエエエエエエ」


ママは足の不自由な幸祐里の補助をしてくれている。

なんでも一人でやりたがる幸祐里に、ママの存在は心強い。


鍵和田が知らなかった暖かい家庭が、そこにはあった。


菫「ねぇ、しょーごさん、あのカマ、うるさいね?」


鍵和田「す、菫ちゃん、幸祐里の口の悪さは真似しなくていいから…」


二人はベランダで夜空を眺めていた。

ベランダは鍵和田の喫煙所だ。

菫はそこにいつも付いてくる。


菫「えへへ、しょーごさんかっこいー!ひげー」


鍵和田「ヒゲやめっ、…なあ、菫ちゃん、そろそろお父さんとか、ぱ、ぱ、パパ、とか?呼んでみないか?」


菫「えー、やだっす」


鍵和田「まだだめか…」


菫は鍵和田の事をまだ、父とは認めてくれない。


菫「お星、きれいだねぇ」


鍵和田「お、スケッチか。どれどれ」


菫のスケッチブックには、描きかけの星空。

なんとも無しに前のページをめくると、そのページは真っ黒に塗りつぶされていた。


心的外傷後障害。

黒く紙を塗り潰すのは、PTSDの子供によく現れる症状だと、クリニックの医師に聞いた。


菫「そのページ、お友達に、ばかにされたの」


鍵和田は菫にスケッチブックを返すと、いつものように菫に語りかける。


鍵和田「…星の光はさあ、ここに届くまでに、俺や菫ちゃんの何倍も何倍も、たくさんの時間を超えて、やってくるんだって」


菫「ふむふむ…」


菫はスケッチに夢中だ。


鍵和田「きっと光…ヒカリくんにも、色々あったんだと思う。辛い事も、楽しい事も!それでもここに、俺たちに届いてる。だからさ…」



その後、菫に何を言ったか、鍵和田はよく覚えていない。

とても恥ずかしい事を言ったような、むずがゆいような感覚だけが、鍵和田の記憶だった。


<繁華街>


そんな日常が過ぎ、クリスマスの日。


鍵和田「遅くなっちまったな」


予想外のトラブルに手間取り、事務所から出る予定時間から大幅に遅れていた。


鍵和田はまだ開いている店を探して走っていた。

全盛期より、体力が落ちているのを痛感した。


鍵和田「はあ、はあ…馬場さーーん!」


馬場店長「あら、ショウちゃんじゃなぁい?どうしたのよ、聖夜にハアハア言っちゃって」


鍵和田「ま、まだ店開いてる?」


馬場店長「閉めたわよ。聖夜だもの、ワタシ夜の営業があるもの…でも特別。入りなさいな」


<雑貨屋 ババ・ヴァンガ>



鍵和田「俺、結婚したんだ。式はまだだけど…是非馬場さんも来てよ!そんで養子の子にプレゼント…絵の具とか、そういう絵の道具みたいなの、ある?」


馬場店長「ちょっ、急展開ねあんた。…あらそう、おめでとうだわね!墨入れた頃とは偉い変わり様じゃない。そうね…ちょっと待ってて」


鍵和田はそわそわと店内をうろつきながら、馬場店長を待つ。


馬場店長「これなんか、どうかしら?」


馬場店長はレジに絵画セットを広げる。

工具箱のように、段になっているタイプだ。


鍵和田「うわ、すげえ!…けどこれ、高いんじゃない?俺、今手持ちが…さっき平和クラブに小遣いやっちまってさ」


馬場店長「ほんとにあんたはお人好しね。馬鹿が付くわよ。…結婚祝い。受け取って、ショウちゃん」


鍵和田「馬場さん、あんた、そこらの男より男前だ。菫も連れて近いうちまた遊びにくるから…ありがとう!それじゃ!」



走って店を出る鍵和田を、馬場店長は微笑みながら見送っていた。



<裏路地>


鍵和田「はあ、はあ、もうすぐだ」


この裏路地を抜ければ、菫と幸祐里の待つ、マンションに到着する。


走りながら、風鈴街の外れにある公園を一瞥すると、一人の男がベンチで俯いていた。


鍵和田「…ッ!?あれは…」


その男の手には、見覚えのある鞘が握られていた。

遠目でも血痕を確認できる。



<公園>


鍵和田「お前、それを、どこで…」


男は顔を上げる。

その顔には、返り血がこびりついていた。


男「与那嶺組…鍵和田 晶悟」


男は鞘を抜き、鍵和田に突き立てる。

鍵和田はその手を掴み、捻り上げた。

与那嶺と刻印されたその鞘は、音を立て、公園の砂に突き刺さる。


鍵和田「…っ!テメェ、どこのもんだ!?」


男「この鞘に、見覚えがあるだろう…?最後に見たのは、いつだ…?」


あの日、コンテナ地区の、菫の両親を殺した信者。

その身体に、突き立てたまま。


鍵和田「…まさか、あん時の」


男は涙を流しながら、叫ぶ。


男「カルトに染まっても、罪を犯しても…たった一人の、血を分けた息子だったんだ!…それを奪われる気持ち!あんたも家族が居るなら、分かるだろう!?…同じ気持ちを味わえよ!!!ヤクザならその覚悟が出来てんだろう!」


鍵和田「…その鞘で、何をした」



男「俺だって、俺だってなァ、やりたくてやってない!!でも、どうしようも、なかった…どこに怒りをぶつけたらいいのか、分からなかった…!…殺せッ、殺せよ!楽に、してくれよ…」


鍵和田「……こいつは、返してもらう」


男「殺せ、殺してくれよォォ…もう、苦しいんだよ…息子のいない世界に、生きていたくないんだよ!うっ、く、あァァァ…!」


鍵和田は鞘を砂場から引き抜き、公園を後にする。


鍵和田は走る。


あの日のように、革靴が壊れる程。





辿り着いたマンションの一室。

カラ回りの車輪が立てる音、血の海で幸祐里を揺する、菫の慟哭だけが、響き渡っていた。


風鈴街からは、クリスマスソングが聞こえてくる。


鍵和田「クリスマス、プレゼント…持ってきたんだ…遅れてごめんな、菫ちゃん…なあ、幸祐里。幸祐里。起きろよ、幸祐里…」



<鍵和田 自室>




【巴楽町 逃亡中の殺人犯、自主か】


散乱する酒瓶てパチスロ雑誌の中で、鍵和田はそのニューステロップを見ていた。


鍵和田「…はは、自主か。済まなかった。あの時、謝れなかった…生きるって、なんだろうな?…いい歳こいて、見失っちまったよなあ、お互い」


締め切った部屋の中で、酩酊した鍵和田は呟く。


鍵和田「俺も、アル中か、親父もアル中…殺して、殺されて…全部、お互い様…お互い、様…」



この部屋で酒を浴び、外出はパチンコ屋通いだけの日々が、どれ位続いたのだろう。


昼夜逆転の生活で、垂れ流される深夜アニメのキャラクターが愉快に笑う。

最近は女の子のキャラクターがメインの作品が多い。


アニメキャラ「べっ別に、あんたの事なんか…」


幸祐里の事を思い出しては、涙が溢れて来た。


ジッポライターの十字架が、過去の愚かな自分を責めたてる。


鍵和田「幸祐里、幸祐里…う、うう、うう…」


菫をママの中華料理屋に預け、鍵和田は失意の底から抜け出せずにいた。



携帯の着信が鳴る。



鍵和田「…ん?なんだ、署長か…」


鍵和田は携帯を取る。


鍵和田「は〜い」


署長『なんだ、また飲んでんの?カギちゃんさあ〜』


鍵和田「なんだよクソ署長、説教はよせよ…毎日毎日、セルフ説教は、うぃっく、欠かしてないぞ〜いい人やってんのも、うぃっく、疲れたんだよ」


署長『そんなつもりァねえよ。いやな、ニュースみたか?犯人捕まったんだよ。凶器の刃物が見付からねぇって上がうるさくてよ〜、あんたが持ってんだろ?」


鍵和田「ああ、あれね、あるよ、ここに」


鍵和田は床に置きっ放しの鞘をさする。

手に、乾いた幸祐里の血が付いた。


署長『まあなんだ、それは俺んとこで適当に見繕っとくからさ」


鍵和田「あんがとよ、ワイロ署長」


署長『金一封貰ってる俺が言うのもなんだが…組の連中も、平和クラブのガキ共も、みんなあんたを心配して待ってる。あんたがやって来た”いい人”、無駄じゃなかったんじゃねえの?」



鍵和田「俺は…もう…」


署長『真っ直ぐな奴ほど、折れた時は直角に行くのよなあ。対馬の野郎もそうだった…あんた、まさか死のうなんて考えちゃあないよな?」


鍵和田「…なめんなよ、クソ署長」


床には、ロープが放置されていた。


署長『まあもしそんな気持ちになったら、天に全てを任せてみろよ。昔俺らん中で流行ったゲームがあってよ…」


鍵和田はその内容を聞き、署長との通話を切った。



それから、また日々が過ぎる。

あの日から続く当事者の苦悩など知らん顔で、今日も時間は進んで行く。

世間はもう、あの事件を忘れ始めていた。


そんな現実を薄めるだけの日々。

酒と、パチスロがもたらす脳内物質で。


パチスロを打っていると、悲しい事を忘れられる。

一日で10万負ける。

一日で20万勝つ。

一日で5万負ける。

一日で7万負ける。

一日でプラマイゼロ。

一日で6万負ける。

一日で、一日で、一日で。


気づけば、湯水のように鍵和田の口座は吸い込まれていた。


鍵和田「金って、なんだ?」


その現実を忘れるために、また酒を飲む。

浅い眠り。

起きているのか、眠っているのか。

見る夢は、決まってクリスマスソングが流れていた。


鍵和田「さーいれんなーい、ほーりー、ナイ…」


突如鳴ったインターホンに、鍵和田は弱々しい歌を中止し、応対する。


鍵和田「…ん。開いてるよ!…なんだ、また仇打ちかー?どうぞどうぞ、酔っ払い一匹、仕留めちゃって、どう…ぞ」


鍵和田は扉を開けると、菫が立っていた。

成長した菫は、ますます幸祐里に似て来ていた。


菫「はいるよ」



鍵和田「あ、ああ」


菫は無言で部屋の片付けを始める。


鍵和田「な、なあ?片付けとかいいから…これでお菓子でも、あと、酒を…」


菫「うっさい!…うっさいうっさいうっさい!!!馬鹿!馬鹿!晶悟さんの、馬鹿ァ…勝負しろ!このヘタレヤクザ!」


菫は古武術の構えを取る。

ママの使う、雷虎流。

その構えを。


鍵和田「ママに習ってんのか…」


菫「はあぁッ!」


鍵和田「うっ、く」


中学生になった菫の弱々しい掌底が、鍵和田の鳩尾を捉えていた。


菫「泣いてばっかじゃ、ダメなんだもん…泣いてばっかじゃ、変わらない…!…私は強くなるんだ!かっこ良かった、晶悟さんみたいに。守れなかった、幸祐里さんみたいに…」



鍵和田「菫、ちゃん…」



菫「私は、泣かない。世の中にも、負けない。私は、自分を諦めない。諦めないもん…私、私はァ…」



鍵和田「…くっ」


鍵和田は菫の射抜くような真っ直ぐな瞳から目を逸らす。

PTSDに苦しみながらも、菫は戦っていた。

あの日から、その小さな身体で、戦い続けていた。



菫「目を逸らすな!…生きて!しっかり生きて!…うわーーん、戻ってよ、戻ってきて、しょーごさぁぁん、うう、うう、うっ、うう…」



鍵和田の乾いた目に、思い出したかのように、一筋の水滴が伝う。


鍵和田「菫ちゃん。今日は、帰ってくれ」



菫「うう、うう、」


鍵和田「神様が俺を許してくれたら、戻ってくる。約束だ…」


菫「絶対…?」



鍵和田「ああ…大黒柱は、無敵だからよ」



とぼとぼと帰っていく菫の背中を見送り、鍵和田は、仕事用のスーツに袖を通す。


鍵和田「…タイマン張れや。神さんよぉ」



テレビ「今日の運勢!一位は獅子座のあなた!」


鍵和田「当たったら、信じるよ」


<シャッター街>


鍵和田は倉庫のシャッターを開けると、褪せたオレンジのヴェスパが、待っていたかのように、こちらを向いていた。


鍵和田「久々だな」


幸祐里とのツーリング以来の対面だった。


鍵和田はシートに跨り、キーを挿入する。


右回し。


エンジンが唸る。


鍵和田「一発ツモ。…この勝負、貰った。…いつもみたいに、自分だけ安全なとこから見下してろよ。神様」


幸祐里のジッポライター。

その十字架を胸に当て、祈る。


鍵和田「なあ、幸祐里…俺は、どっちに居ればいい?」



鍵和田は署長の提案したゲームを開始する。


アクセルを捻り、エンジンは咆哮し、鍵和田もまた、咆哮する。



鍵和田「クソッタレがァァァァァァ!!!」



翌日、組の事務所には、与那嶺組組長、鍵和田晶悟の姿があった。


鍵和田はまだ、死を許されていない。

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