第13話 夕暮れと邂逅

朧理沙は回想する。

対馬亮太に出会った日。

全てが変わったあの日の事を。




【5年前】




私の脳は、止まっているのか。

はたまた超高速、故に止まって見えるのか。


どちらにしても、時間だけは流れていく。


この場所では、無秩序に、流れて、流れて、止まって、流れて、堕ちる、新世界。


陰口。

悪口。

悪評。

暴力。

圧力。

差別。

弾圧。

正義。

悪。

義憤。

義憤。

義憤。

義憤?


理科教師「えー、質量保存の法則、これは中学でもやったとおもうがァ、」


それらは、質量だ。


発した本人から、言われた側の人間へ。

総量は変わらないまま、保存される。


理不尽でも、上書き保存。


その法則の規模を拡大すると、戦争の縮図。


黒板が拡大。

黒板が縮小。

黒板が拡大。

万華鏡の黒板。

黒板を爪で引っ掻く。

耳鳴り。

耳鳴りが拡大。


歴史教師「このように、中東では紛争が絶えず繰り返されており、その理由の殆どが宗派の対立、というわけなのです。北の某国では、独裁政治から餓死者が後を絶たない…うう、うっ、後を、絶たない!この国に生まれた事は、とても恵まれていて、幸せなのです!カンシャ、カンシャ、はいTAKE8192!ワントゥスタート!」


生徒「カンシャ、嬉しい。カンシャ、楽しいカンシャ、幸せ。カンシャ、家族。カンシャ、学校。カンシャ、先生。カンシャ、世界。カンシャ、カンシャ…」


歴史教師「はァーいカットゥ!よく出来ましたァ!盛大に拍手!」


拍手喝采。


感謝。

親。

宗教。

カルト。

宗教家。

事件。

当事者。

遺族。

加害者の娘

責任。

責任とれ。

出て行け。

命。

命。

大切。

命は大切。

両親にもらったから大切。

両親。

キモい。

ウザい。

消えろ。

死ね。

死ね。

死ね。

死ね。

死んだ方がよくなーい?

そうそう、遺族のためにもさー

つか、まじでなんか喋れよブス

カルトの戒律なんじゃない?

うわーありそー(笑)

やっぱり君、死んだ方がいいよ?





私は、死んだ方がいい?






気がつくと私は、屋上から街を見下ろしていた。


朧「し、しゅ、宗教なんて…だ、大嫌い!」


ここから見える灯のひとつひとつに、家庭があり、会社があり、店があり、学校があり、宗教施設がある。


おぞましい人々の、慎ましい暮らしが、そのひとつひとつの中にある。

動物のように、コミュニティを形成して。


そこから弾かれた私は、もう人間ですらない。

人は、関わりの生き物だ。

それはお母さんが所属していた振動心理教の人々から感じた、事実。

その宗教が、大きな事件を起こした。


群れからはぐれたら、人間という動物は、生きてはいけない。


でも、私は1人になった。

縋り付く事を諦め、1人になった。



朧「も、もう、私は、受け入れない。な、なにも」


どんなに歪んだ感情でも、それが自分に向けられているうちは…

少なくとも存在を許されていたんだ。


けれど、その感情を受け取るもの。

センサーが壊れてしまった。


世界のどこかで自分の悪口を言う誰かがいない安心感。

世界のどこにも自分を思い出す誰かがいない安心感。

安心感と引き換えに、失ったものの大きさ

それに気付いたのは、取り戻せなくなった今だった。


ひとりの時間は好きだ。

しかしあまりにもその時間が長ければ、

ジワジワと心はひび割れてゆく。

最低限の関わりが人を人であると自覚させる。


私は、人ではなくなった。


ここに留まるべきではない。

この世界は、私を認めない。


そう思うと、足の震えは止まり、一歩前へ踏み出せる気がした。


暗い私。

醜い私。

醜いから、嫌われた私。

上手く話せなくなった私。

どもる私。

吃音の私。

誰にも愛されない私。


朧「生きることは、地獄、だから」



寂しくなるほど綺麗な夕焼けも。

鳴り止まない耳鳴りも。



この一歩で、全てが終わる。


朧「響く耳鳴り、い、幾星霜」



???「なにそれ、ポエム?」


朧「えっ、」


後方から唐突に響く声に、足は止まってしまった。

せっかく、もう少しだったのに。


そう思うと、急に蓋をしたはずの怒りの感情が堰を切り、溢れ出した。


朧「邪魔しないで!」


振り返ると、入り口の裏、日陰になっている場所に人が座っていた。


今の今まで気づかなかった。

そんなに動転していたんだ、私。


全身ボロボロの制服、傷だらけの金髪の男子が、ヘッドホンを付けて、難しそうな本片手に、煙草を加えていた。


ヘッドホンを首に下ろすと、彼は再び開口する。


亮太「辞世の句ならさあ、もっとカッコイイのにしない?8小節のスクラッチとか入れてキメようよ、ラオウみたいに」


朧「な、なに。邪魔しないで、…い、いつから?」


亮太「大嫌い!らへんから、止めてたかな?」


彼はヘッドホンを指差す。

音楽を止めて、聞いてたって事だよね。


朧「さ、最低…!」


亮太「何?イジメ?」


朧「べっ別にイジメとか、な、なひ」


ストレスから発症した後天性の吃音症で、思うように言葉を紡ぐ事が出来ない。

それもまた、私の絶望に加速をかけていた。


特にハ行の子音が苦手だった。



亮太「今嘘ついたね」


朧「なんで、わ、わかんない、くく、くせに!」


彼は今度は本を指差して、笑った。

よく見ると、表紙にボディランゲージ入門と書いてある。

それは私も聞いた事がある。

肉体言語…目は口程に物を言うとか、そんなやつだったはず。

他人と関わると常にキョドッてる最近の私にも通用するものなんだろうか。


亮太「結構面白いんだよね、これ。てか、今のはボディランゲージじゃないけど」


朧「じゃあ、な、なんなの」


亮太「校舎の屋上から飛び降りなんてね、イジメが原因って相場が決まってる。あとその髪。そういや今期のアニメにもあったな…あれ、なんだっけ?ど忘れ」


朧「ら、ライトニング…?」


亮太「あー!それそれ。バンドのやつね。へえ、君もアニメ好きなんだ?」


朧「う、うん…さ、最近はあんまひだけど」


亮太「んまぁ、好きなもんがあるから幸せとか、そんなの詭弁だよな。好きなもんも楽しめないから苦しいんだっつーの」


朧「ほ、ほんとだおね!…だ、だよね」


なんだか、この名前も知らない男の子と話していると、安心する。

クラスの人達とか、世の中とか、そういうものに囚われてない、というか。

吊り橋効果かもしれないけど…


亮太「しっかし、許せないね…そういうの。俺も身に覚えあるし。君、何年何組?」


朧「さ、三年、にくみ」



亮太「三年二組、三年憎みじゃあ、人生もったいないかもね、センパイ」


朧「ダジャレ…屋上、さ、さむっ」



亮太「ダジャレじゃないッ、リリック!まだ勉強中なの!…んじゃ、ちょっと待っててよ」


彼は本を閉じて立ち上がる。


朧「な、な、なにするの!」


亮太「極力迷惑はかけないから。あ、マジで寒かったらこれどうぞ、汚れてるけど…ほいさッ」


破けたブレザーを投げ渡される。


亮太「45分は生きててくれ」


そう言うと、彼は階段を駆け下りて行った。


朧「う、うん、わかった…」


夏の終わり、九月の夕方。

屋上は少し肌寒い。


ブレザーを着てみると、彼の体温が残っていた。


朧「あ、あったかい…な。…う、うう、う、うう、うあっ、うう…」


急に、涙が溢れて止まらなかった。


久しぶりに人とまともな会話をして、急に自分がしようとしていた事の意味を実感したら、涙腺はどんどん決壊する。


最近はもう、泣くことも忘れていたのに。


朧「う、ぐすっ、あ、ブレザー、よ、汚れちゃう…洗って、か、返そう…うう、うう、う


やっぱり、夕焼けは寂しくなるんだ。

だけど今は…

彼の体温と綺麗な夕焼けが、麻痺していた心を溶かしていく。

そんな気がした。


ブレザーのポケットにボディーランゲージ入門が入っていた。

これを読めば、彼に近付ける気がした。


朧「…そ、そんな気持ち?」


この気持ちが、俗に言う…?

そんなものとは無縁な、宗教施設で生活させられていた私には、まだよく分からない。


最初のページを開いてみる。


「ふむ、ふむ…た、たしかに面白い、かも」


最初の項目を読みふけっていると、唐突に私は現実に引き戻される。


スピーカーがハウリングしていた。


朧「っ?な、なに?」


鳴り響いた粗い校内スピーカーのハウリングノイズに、私は驚いた。


亮太(スピーカー)「エェー、テステス、マイクのテスト中~!チュクチュクシャーッ…やっぱヒューマンビートボックスは難しいですね!本日は夕焼けなり~」



朧「え、え??さ、さっきのひと?」


亮太(スピーカー)「エェー、わたくし、金髪ロン毛のイケメン転入生でございます。恋人より好きな人が欲しい。よろしくな?ええー、本題。簡潔に伝えますので…」


私は不安になる。

これ以上刺激しないで…。


亮太「耳かっぽじって聞けよ腐ったミカンどもが!」


うわぁー、やっぱり、嫌な予感しかしない…

さっきの感動を返して…



亮太「…誰かが道を誤ったとして、そいつを大多数で袋叩きにする行為は誤りじゃないのか?

どうしてその結果に至ったのか、まずはそこを想像してからでも遅くはないんじゃないのか?ましてや、その理由が、本人の意思と無関係の事なら」



校舎全体が騒めく。


亮太「…………」


彼は急に間を開けた。

スピーカーのノイズだけが響く。

私はあるTV番組の特集を思い出す。

独裁者、ヒトラー。

演説の前に、彼は民衆が耳を傾けるまで、黙り込んだと言う。


亮太「…」


いつの間にか、部活動で騒がしいはずの校庭は静まり返っていた。

彼の言葉を待つかのように。


亮太(スピーカー)「…さっきの会話、録音してた。これ以上繰り返すようなら、ネットにばら撒く。俺結構デカめのブログとかやってるしィ?一瞬だぜ、ネットは。

詳しくは伏せるけど、まだ先の長い明るい人生、こんなとこで棒に振りたかないよなぁ?先生方も、ねえ?お先真っ暗は嫌でしょ?」


朧「ど、どゆこと…?」


亮太(スピーカー)「あーあと、これ聞いてなかった奴らにも伝えてあげな?連帯責任だから。分かるよね?そういうの好きでしょ?」



教師達が扉をドンドンと叩く。


教師「開けなさい!こら!金髪、お前ェ、アレだけ言って前髪も切って来なかったのか!開けなさい!ゴラァ!」



亮太「健康診断書類読んでねえのか、お互いさまだな。あ、そうだ。校長あんたサツと連んで悪いことしてるよね!いーけないんだーいけないんだー先生にィ、って、あんたが先生の長か。聞きたい事あんだけど?」



教師「こんの、クソガキィ!なんで相沢さんの事を知ってる!?転入早々こんな問題起こして…お前こそお先真っ暗だぞ!」



亮太「最初から俺に先なんてねぇんだよ。…あっ、そっちの第2マイクもボリューム全開だから。これ多分近所にも聞こえてるよ。んじゃ、アデュー!」


教師「待てェ!窓から逃げた!先生方、追って!はあ、はあ、薬、薬…」



スピーカーが静まった後、空を眺めては不安に苛まれ、彼はそのまま逃げてしまったのかと鼻をすすっていると、本当に45分程で戻ってきた。


さっきより服が乱れている気がする。


亮太「お待たせ、センパイ」


朧「な、殴ったりした…?」


亮太「いんや、全く。そっちの肉体言語は嫌いだし」


朧「じゃ、じゃあ」


彼はズボンのポケットからスマホを取り出し、レコーダーの再生ボタンを押す。


レコーダーに録音された音声が流れる。


生徒「ああ、あのカルトの娘?なんか暗いよなー、ジメジメしてて。学校中からすげーイジメられてて、見てて辛くなるんだよなー」


亮太「同調圧力だね。いつも見てるだけ?」


生徒「先輩に逆らえないしさあ。一回下駄箱に画鋲と鼠の死体入れた。まあ、いいリアクション見れて笑えたけど。てか君、転入生?」


亮太「1番やってる先輩の名前、わかる?」


生徒「ああ、あの人と同じクラスのヤンキー系のグループ。確か、愛華とか言ったなあ。ケバい人。ぶっちゃけブスだよ、怖くて言えないけど」


亮太「君、鼠よりちっさいなあ。鼠に謝れば、ついでに画鋲にも土下座して刺されば」


亮太はレコーダー切る。



朧「なに、これ…」


亮太「ごめんね。辛いだろうけど」



再びレコーダー音声が再開された。


亮太「愛華さんだよね?」


女生徒「え、そうだけど。なに君?可愛い~。見たことない顔だね!2年~?」


亮太「同じクラスの、あの、髪黒くて長い人いるじゃないすか?めっちゃキモくないですか?」


女生徒「やっぱ有名になってんだぁ、本当キモいわぁ。今クラス総出で追い出そうと頑張ってんだ!今日とかハサミでザク切りにしてあげたの!君も手伝ってくれるの?」


亮太「文明開化の音がしましたか?で、どこまで追い込むの?」


女生徒「文明開化って、まじうけるー。ここだけの話、自殺かな?はは、あいつにそんな度胸あるわけないケドォ!」


男生徒「ギャハハ、胸だけはデカイし、まわしてえな!」


亮太「そのハサミで短小息子切っちゃえ」


男生徒「あ?先輩に向かって…」


亮太「年齢に縋るしかないんだ。他に何もないから。弱いものイジメ、楽しい?俺から見たらあんたらが1番弱いけど」


男生徒「んだとゴラァ!ブッコロ」



スタンガンの迸る音と共にレコーダーが切れる。


再びレコーダーが切り替わる。


亮太「すみません、三年二組の担任の先生ですか?」


女教師「ええ。どうかした?」


亮太「クラスでイジメとかってあるんですか?」


女教師「ないですよ」


亮太「話変わりますけど、宗教ってどう思います?危なくないですか?」


女教師「そうねぇ、出来れば居なくなってほしいわ。怖いもの」


亮太「怖いですよね…居なくなる?誰が?」


女教師「言わなくても分かるでしょ?ほら、あの子。こないだ捕まった女信者の娘の」


亮太「ふーん、じゃあねケバブ」



亮太はレコーダーの電源を切った。



亮太「このインタビューを、校舎に残ってる奴らにクラス満遍なくしてきた。…ごめん、これしか思いつかなかった。けど、明日から表立った事は無くなると思うから。…その髪みたいな事は」


彼は私の、トイレで不自然に切られた髪に視線を送る。


朧「で、でも…そんな事して、わたしは、助かるけど、きき、君は…?」


他人の犠牲の上に私の安息が約束されるなんて、そんなの…


亮太「いーのいーの!元々アホ校長を潰すために裏口入学したんだ。辞めるのがちょっと早まるだけ」


朧「…で、でも…」


亮太「でももdemoもないよ!…俺には目的があるから。そこに学歴は要らないんだ」


朧「も、目的、って?」


亮太「詳しくは言えないけど…後々は、和製チェ・ゲバラと呼んで欲しいね!」


朧「チェ、チェ?革命家の?」


亮太「そうそう!リスペクトしてんだ。かっけーよなあ」


彼は少年のように目を輝かせる。

胸が苦しい。

こんな感じは初めてだ。


朧「あ、あとで調べてみる」


亮太「きっとセンパイもリスペクトするよ!あ、そうだ。さっきの音声…」


メモ用紙に何かを書き、手渡してくる。


朧「ち、チョベリ場アニメ速報…?」


亮太「そのブログの管理人やってる。コンタクト取ってくれたら音声ファイル送るよ」


私は思案する。

彼が作ってくれた未来について。


朧「い、いらない…。が、学校。この学校は、卒業したい、から」


亮太「へえ?何か、夢とかあるの?」


朧「はずかしひ…」


亮太「俺もチェ・ゲバラ言った!恥ずかしかった!お互いさまだよ?」


朧「…か、科学者。わ、わたしなんかが、おかしい、よね」


きっと顔が赤くなってるに違いない。


亮太「あのさぁ…」


彼は目を閉じ、肩をすくめてみせた。


亮太「自信が無いのって、本当に勿体無い気がする。持っても持たなくてもタダなんだから、絶対持ってる方がいいと思うんですけど」


ハッとする。

この人の言葉には、説得力がある。

きっと他の人が同じ事を言っても、何も感じない。

それはきっと、彼が私と同じ痛みを知ってる人だから。


朧「う、うん…気をつける、こ、今後…でもね、じ、自分をあんまり、好きになれなくて、」


亮太「俺も、訳ありでリアルに居場所がなくてね。これはネットにいる人達を見て思った事でもあるんだけど…」


私は耳を傾ける。

彼風に言えば、かっぽじる…かな?


亮太「もっとリアルの自分を愛して欲しい、もっとリアルの世界を楽しんで欲しいんだ。自分の事を本気で愛してくれる人なんて人生の中でも限られてる。…自分の事を好きになれないなんて、そんな寂しい事言うなよ」


朧「…うん、う。ううっ、うう、うう…」


こんな風に、本音をぶつけてくれる人は、私の人生の中に居ただろうか?

宗教家の人達は、優しいけど、どこか作られた優しさで。

それは両親も同じで。

事件の後は、友達だってみんなよそよそしくて…


亮太「うわっ、ごめん!泣かないで!説教して気持ちよくなるみたいなの、俺好きじゃないんだ!あー、やっちまったぁ」


また泣いてしまった。

今日はなんだか、おかしい。

この人は、おかしい。

私の狂った人生の中でのバグ。

おかしいよ…



朧「…ふ、ふふ」


亮太「…あ、なんで笑ったし!」


朧「なんだか、お、おかしくて…あはは」


亮太「笑った顔がいい」


彼は私の不自然にザク切りにされた伸ばしっぱなしでボサボサの前髪をかきあげる。


亮太「ほら、化粧とかしてさ、ケバくないくらいに…この際髪もショートにしたら?きっと似合う。ショートは俺の好みだけどね、ははっ…痛っ」


彼は笑うと、切れていた口をさする。

傷口が開いちゃったみたいだ。


朧「あ、あの…これ。お、お礼!」


緩いブレザーを羽織った理沙は、夕焼けと顔に傷を作った亮太を見つめる。



私はポケットからイジメ対策に常備していたバンドエイドを取り出す。

こんなものでお礼になるとは思ってないけど…

返しても、返し切れないよ。


朧「じ、じっとしてね?」


恐る恐る、慎重に、傷口にバンドエイドを貼る。


亮太「さ、サンキュー、産休…」


朧「あ、あの、なんで、そんなにボロボロ?」


亮太「あー、元親友と一悶着あってさ~元ね、元。前から気に食わなかった、ウジウジしてて。もうあいつは一生無視だな!目の前でシコっててようが、襲われてようが、盗撮されようが、無視!」


彼は鼻をさすりながらまくし立てた。


朧「い、今嘘ついたね?」


亮太「なぬっ!?」


私はブレザーのポケットを指さした。


朧「ごめ、勝手に読んじゃった。”鼻をさする”の、とこだけ」


亮太「やはり有用、侮るべからず、ボディーランゲージ…」


朧「ね、すごひ、これ!」


亮太「…んじゃ、俺はそろそろいくわ。そろそろ屋上も先生方が探す頃だ。ヤンキーも怖いしさ」


朧「あ、えっと、ブレザー、あ、洗ってかえすから…!」


亮太「あーいいよあげる、それ。寒さ凌いだら捨てちゃって。…あの事件の被害者の君だけには、宣誓して置こうかな。俺の目的は…」


朧「え…?」


彼の明るかった表情に影が差す。

夕闇が、彼を飲み込む。

夜の帳が落ちたら、もうこの人は帰ってこない、こちら側には。

そんな根拠のない予感。



亮太「この国の宗教団体を潰す。跡形も無く、全て。…焼き払う。消し炭になるまで」



この時私は、自分の未来を決めた。


彼が作った私の未来は…



朧「じゃ、じゃあ、わたし、ば、爆弾!勉強して…た、たくさん!爆弾つくる!」



亮太「…かっこいいじゃん。…ま、今はまだ準備段階だけど」


朧「ぜ、絶対、絶対…お、追いつくから!きっと…ま、また、会えるよね?」


亮太「…俺はこの学校から居なくなるけど、この先大丈夫?」


朧「だいじょび!!!あ、大丈夫…」



亮太「なんか可愛いね、それ」


朧「ほ、ほんと?」


憎んでいた吃音を、少しだけ好きになった。

これも、自分の一部だもんね。


亮太「ああ。自信持って!…んじゃあ、センパイ、またどっかで!」






それから、私は彼のブログにアクセスし、そこからたくさんの情報を調べた。

そして、彼の計画が進むよう、手助けをしてきた。

化学の勉強と彼のサポートに、全ての時間を費やしてきた。

大量の趣味アカウントを運用し、彼のtritterアカウントにフォロワーを誘導したり、

彼が作る楽曲の再生数をカサ増ししたり…


時には法に触れるようなこともした。

知識にはあまり困らなかった。

元から機械いじりが趣味の、ネラーだったから。


あの日、名前を明かさなかった彼の本名を探し当てると、その苗字は、私のお母さんが関与した事件で殉死した警官と、同じものだった。

私は今も、あの時の根暗女が自分だと、言い出せていない。

彼は私に気づいていないようだ。


自分でも、この5年間、自分を好きになれるように最大限の努力をしてきた。

吃音もマシになったし、ケバくないくらいの化粧も学んだし、髪型も変えた。

彼が私に気づいてないのは、その結果の産物だと思う。



メメント・モリ男という、ふざけた名前のtritterのアカウントを作り、日夜彼を観測し続けた。


そして、彼は戻ってきた。

あの事件の残党団体である実現会に居れば、いつか会えると信じていた。


メメント・モリ。

人はいつか必ず死ぬ。

遅いか早いか、その差でしかない。


彼に貰った命で、恩返しをするんだ。



対馬亮太。



夕闇に消えていった彼の背中を、私は今も、追いかけている。



洗ったブレザーはまだ、返せていない。






<繁華街orコンビニ前>


物思いに耽っていると、コンビニの自動ドアが開く。

亮太がコンビニに入ってから、かなりの時間が経過していた。


亮太「ごめんごめん!うんこをしていた。踏ん張ってたらウトウトしちゃった、最近寝不足でさ~」


朧「ううん、だいじょび!」


亮太「…その、”だいじょび”ってやつさあ、なんかデジャブなんだけど。元ネタとかあるの?」


朧はいつか、過去を明かすつもりだった。


彼は今、大きな渦の中にいる。

朧は亮太に余計な重荷を背負わせたくなかった。


今はまだ、その時ではない。




朧「…オリジナルですっ」



そう応えながら、朧は亮太の口にこびりつく血糊を確認した。


朧「あっ」


亮太「うん?どした?」



朧はハンカチを取り出すと、亮太へ近づき、背伸びをする。



亮太「…え、な、何?路チュー?取材班のカメラが…」



朧「…じっとしてね?」



誰かに少しでも見せてしまったら。

安心の孤独はそこからひび割れ、不安と恍惚の関わりなしには、生きていけなくなる。

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