第3話 黒猫とタロット

<裏路地>


健介「やっぱ重いや、これ…」


腰に刺した慣れない重量感と小走りの切迫した状況とは反比例するように、健介の胸には暖かいものが広がっていた。


健介「家族、かあ」


幼い頃から姉と2人で生きてきた健介にとって、その言葉は特別な響きを纏っていた。


健介にとって与那嶺組は、新しい家族だった。

不意に、健介は組に入った日の事を思い出す。



<シャッター街>


平和クラブメンバー「今更抜けたいだなんてよぉ、調子が良すぎるんじゃないのー?ケンちゃんヨォ!」


健介「うあっ…」


平和クラブメンバー「リーダーの指名だからさあ、何かと頼りないあんたについて来たじゃんよ、それを…」


健介「すまない…でも、金を稼がないといけないんだ」


当時、健介が所属していた巴楽町のチーム”平和クラブ”では内紛が起きていた。

前リーダーがバイクで事故に遭い、重体。

病床でリーダーが指名したのは健介だった。


健介をはじめとして、その指名に誰もが納得していなかった。


平和クラブメンバー「美人の姉ちゃんに諭されちゃった?」


健介が金を欲した理由。

それは確かに姉だった。

しかし、諭すなんてことは、姉の寛子は一度だってした事がない。


健介「…違う、アネキは」



健介は回想する。


小林「お姉ちゃん今日から帰り遅くなっちゃうかも。ごはん冷蔵庫に作ってあるからね、ケンの好きなオムライスだよ~、チンして食べて。じゃあ、いってきます!」


健介「あーい」


小林「あ!洗濯物だけお願いできるかな?お姉ちゃん居ないからって、ハメを外さないように!」


健介「はいはいはいはい」


小林「はいは2回まで!じゃあね!」


健介「気ィつけてー」


寝ぼけ眼で、二人暮らしのアパートから、駆け足で出ていく姉を見送っていた。


回しっぱなしの洗濯物を干すべく立ち上がると、テーブルに置かれた書類が目に付いた。


健介「これって…」


その資料にある取材対象は、この国に住んでいれば誰もが耳にするであろう、危険カルト教団のものだった。

潜入取材、契約済みの書類。


健介「有事の際には、か」


報酬が普段の仕事より明らかに多い。


健介「…ったく、抜けてんだから」


レンジで温めたオムライスには、ケチャップで名前が書かれていた。

母が亡くなってから、姉はいつも料理を作ってくれた。

どんなに忙しくても、オムライスだけは必ず作り置いてあるのだ。


健介「…ガキじゃ、ない、んだから…う、うう…」


何故か溢れ出す涙で、「けん」の2文字が滲んだ。



姉が危険なカルト教団のリポーターに志願したと知ったとき、健介は己の不甲斐なさを呪った。

その理由が生活苦ならば、原因は健介にあると思った。

無理して働いて入れてくれた大学も、中退してしまった。

それから始まった自堕落な日々。


今の自分に出来ることは、少しでも多く金を稼ぐ事しかなかった。


平和クラブメンバー「なんとか言えよ、泣き虫ケンちゃん」



健介「俺が、しっかりしないと…自分で決めたんだ」


気弱さの奥に芯がある健介の目元は、姉によく似ていた。


平和クラブメンバー「…もういいや、フクロ」


人気のない夜のシャッター街で、健介の周りにフラストレーションの塊が集まっていく。


相手は誰でもいいのだ。


社会や家庭への鬱憤を晴らせれば、彼らはなんだってやる。

健介にもその気持ちは痛いほど分かる。

分かるからこそ、耐えるしかない。


健介「…すまなかった」


メンバーは鉄パイプを握り直す。


平和クラブメンバー「…おめえの謝罪は軽ィンだよ!」


健介は贖罪の運命を受け止める覚悟を決めた。


鍵和田「はい。そこまで」


点滅する切れかけの街頭に、そのシルエットが照らされていた。


健介「…ッ!?」


平和クラブメンバー「か、カギさん…?」



鍵和田「まーたお前らかあ、チンピラが騒いでるっつーから来てみりゃあ…」



平和クラブメンバー「す、すいません!でも、こいつが…」


鍵和田「お前らの謝罪も、大概軽いぜ?」


平和クラブ「………」


鍵和田の威光の前に、場の若者は静まり返っていた。


健介「………」


鍵和田はどこかに電話をかける。


鍵和田「あー、署長?今押さえた。もう勘弁してよ、俺も暇じゃ…」


署長『そいつら俺の言うことなんて聞きゃあしねえ。あんたも若者の未来を奪いたかねえだルォー?』


鍵和田「相変わらず人が悪いな。そんなんだから説得力に欠ける」


署長『俺は明日釣りに出かけンのよ。知ってる?釣りの朝は早いのよ~?』


鍵和田「あんたを見てると安らぐよ。この国の縮図だ」


署長『体制の中じゃ善なんて擦れてく、そんなもんさ。あんたみたいのが亜種なのよ~』


鍵和田「んまぁ、署長には福耳の件で借りもある。今後も”共に生きる”道を探そうよ」


署長『そのつもりだ。事実、巴楽町の治安もあんたに任せりゃ安泰だ。俺は昇進、可愛い娘の食卓にはステーキが並ぶってわけ』


鍵和田「登るウナギにその太い首を絞められない事を祈ってる」


署長『へいへい、相変わらず硬えなあ、カギちゃん。んじゃな、綺麗な丸に収めといてくれよ』


鍵和田「それができりゃあミサイルなんて飛んで来ないって…じゃ、また」


鍵和田は通話を切ると、向き直る。


鍵和田「まあ、大体の事情は聞いてる。双方の気持ちもわからんでもない。そこでひとつ、心優しいヤクザからの、細やかな提案なんだが…」


全員が息を飲む。


鍵和田「健介…だっけ?」


健介「…?は、はい。小林健介、です」


鍵和田「与那嶺組は、今人手不足でな。クソ署長にまでコキを使われて、てんてこ舞いだ」


健介「は、はあ…」


鍵和田「若いボディガード…この街で動ける、平和クラブの元リーダーなんてのが居ると…おじさん、助かっちゃうんだけど」


健介「え、それって…」


鍵和田「ま、よく考えて。金の心配は要らないとだけ言っておく」


健介「あの、お、俺…俺なんかで、だって全然リーダーも、うまく出来なくて」


鍵和田「…夕方のTVに出てる、可愛い姉ちゃんのファンなんだ。どっちにしろ…サインはくれよな?」


健介「…はい!」






あの日、鍵和田に拾われなければ、今の健介は居ない。



姉は最後まで組に入る事に反対していたが、カルトの取材が本格化してからは口出しの機会も減っていた。



健介「もうすぐ、デカイ金が入るから。そしたら…」


姉を危ない仕事から救い出す。

どんな手を使っても。

それが今の健介の目標だった。



健介「…待っててよ!」



健介は走り出す。

前を向いて、走り出す。





<繁華街 裏道>




コンビニ店員「アリガトゴザッシャー」



対馬亮太はSNS画面を開く。


リョチゲ@ryo_chige


『待ってて!…ニャーンつって』



コンビニの前で安タバコをふかしながら、投稿ボタンを押す。



亮太「…ん」


同時に、もう一つの秘匿アカウントに通知が入る。


新しいフォロー1 メメント・モリ男


亮太「メメント・モリ…”死を想え”だっけか。洒落が分かる奴だな」



購入した二品のうち、おしるこを取り出す。


※30回ほど上下によく振ってからお飲みください。下に豆が沈殿する事があります。

吹きこぼれましても、それは振りすぎたあなたの自己責任です。



亮太「んな脅されても…それ以前に恥ずかしくて30回も振れね…う、マジで全然出てこない」


-今後気をつけよう。おしるこよく飲むし。-


亮太「自己責任、ね」



リョチゲ@ryo_chige


”都合のいい言葉 自己責任

言うのは簡単、痛みを知らぬ故

本当の被害者が被害者ヅラを許されない

弱い者から淘汰 ボロを出せば飽和

弾筋も追わず、次の目標へ

叩け、潰せ、搾取しろ

無知蒙昧、忘れるな

その痛みは、円環する”



片手にビニール袋をぶら下げながら、コンコンと缶を叩きつつ、亮太は風鈴街を歩き出した。



動き出す計画を前に、少しばかり感傷的になっているのはわかっていたが、彼もまた、誰より人間らしい自負があった。


繁華街の刺々しいネオンが、目にしみる。



-そんな時は、誰だって、空のひとつも見上げるものなのかな-


-今夜は、十五夜だ…-



亮太「…?」


亮太は微かに視線と気配を感じる。


亮太「睨むなよ」


風鈴街に佇む、うな垂れた裸婦の退廃的なモニュメントが、彼の行く先を監視し、見据えている。そんな気がした。


亮太「昼間のやつかな…それとも」


夜の繁華街。その往来の中、そして自分の中の罪悪感にも似た背徳感が、神経を過敏にしているだけかもしれない。

そう亮太は思い直しつつも、警戒しながら細い路地を折れる。


亮太「季節間違えてんぞ、セミ野郎」



5分ほど歩くと、閑静な裏路地に面した、小さな公園にたどり着く。


<公園>


亮太「…まだいたか」


足にまとわりつく柔らかい感触に、亮太は微笑する。


亮太「賢いな。ちゃんと待ってたか」



コンビニで調達してきたツナ缶をガサゴソと弄る。


亮太「ほら、約束のブツだ」



亮太を待っていた声の主は、やせ細った黒い捨て猫だった。


亮太は数時間前まで記憶を遡る。


実現会からの帰り道、亮太は公園で一服しながら、フリーメールでやり取りをしていた。


その相手は、先刻非常階段で出会った、朧理沙だ。

当たり障りのない内容だったが、慎重に文字を打ち込んでいた。

しかし、ある時間を境に返信スピードが下がり、ついには途切れていた。


亮太「彼氏等と、ニャンニャン中かな?」


捨て猫「ニャンニャン」


その合間、ダンボールの中で縮こまる猫を見つけた。


手持ちの食料を探すが、腰袋には、人間を寄せ付けない為の道具しか入っていなかった。




そして最寄りのコンビニに向かい、今に至る。



亮太「…全く、人間様の都合にゃ、苦労するよなあ。…お前も、俺も」


捨て猫「ニャー」


亮太「一時的に缶詰めなんか与えるのも、人間様のエゴかな?」


捨て猫「ムシャムシャ…ニャー?」


亮太は缶詰めを頬張る黒猫を、優しく撫でる。


亮太「…自分勝手に捨てるような奴らは、俺が消してやるからさ」


捨て猫に勝手にシンパシーを感じている自分が、なんだか滑稽な亮太だった。

やはり今日は感傷的だと、再確認する。


亮太「…今日の現実を、乗り切る力になれば幸いだよ」


捨て猫「ニャーゴ!!!」



???「ありがとニャン☆…と、言っておるぞ」


亮太「うわッ!?」


???「フォッフォッフォッ、清い魂じゃ。じゃが…」


亮太「な、なんだよあんた。どっから沸いた!?」


???「闇に、飲まれようとしておるな?」


亮太「闇?…とりあえず名前!身分!住所!…は、ココっぽいな」


亮太は公園の植樹の裏にブルーシートを見つけた。

老人の見た目、時間帯からそこの住人であると憶測できた。


???「板蔵、とでも名乗っておこう」


亮太「板蔵の爺さん、ね…んで、なんか用?」


板蔵の爺さんは、おもむろにタロットカードを広げる。


板蔵の爺さん「…………」


亮太「ど、どうしたの?」


板蔵の爺さんはカードを捲る。

凄まじい勢いで捲る。


板蔵のじいさん「フォンフォンフォンフォン、フォンフォンフォンフォン」


亮太「お、おい。じいさん、大丈夫かよ?トランスしてない?」



能天に稲妻が落ちたかのように、白目を剥く。


板蔵のじいさん「クエーーッ」


ピクピクと、打ち上げられた小魚のように痙攣している。


亮太「だめだこりゃ、実現会の連中よりひでえ…」



板蔵のじいさん「屈折する振動、交差する光と闇の胎動。その中で尚、我を忘れない魂…」


亮太「…」


先程口を滑らせた”実現会”というワード。

そこから振動というワードを導き出すことは可能。

亮太は冷静に耳を傾ける。


板蔵のじいさん「お主を見つめる二つの瞳。隠と陽、さながら地中海とインド洋…」


亮太「さりげなく韻踏んだな」


実現会への出入りが、万に一つもバレていない事を確かめる必要があった。


板蔵のじいさん「白髪の赤き隻眼、黒髪の女狐が、お主を導くだろう」


黒髪の女狐。

確かに亮太には思い当たる節がある。


亮太「…へえ」



心理学で言う”バーナム効果”

誰にでも当てはまるような抽象的な事をそれらしく言い、得た情報を元にその範囲を狭めていく。


占い師やエセ霊媒師の常套手段だ。


亮太「俺もよく使うけどね、それ」


それにしてもヤケに見てきたような言い方をすると、亮太は感心する。


板蔵のじいさん「未来は決まっている。逆らえない水流のように。お主はそれでも舟を漕ぐか」


聴く耳を持たない老人に、少し話を合わせるのも悪くない。

そんな亮太の気紛れが、純度の高い本音を紡がせる。


亮太「…舟のオールってやつはさ、漕いでるやつからしたら、後ろに進むんだ」


板蔵のじいさん「ほう…」


亮太「行き着く先が例え決まっていたとして、俺は…」


板蔵のじいさん「大局を俯瞰、理解して尚、進むか」


-進むよ。一度決めたら、止まらないから。-


亮太「先が見えないから、面白いんだろ?人生ってやつはさ。…たどり着くまでの間、せめて楽しむよ」



板蔵のじいさん「荒ぶる濁流は、全てを飲み込むやもしれん」


その時、亮太のポケットの中では、鳴り止まないSNSの通知音が、暴れていた。



亮太「もう、始まってんのさ」


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