第2話 諭吉とアニキ

【中華居酒屋 「福耳」】


鍵和田昌悟は嘆いていた。


中華居酒屋 <福耳>のテーブルに置かれたシウマイの豆を睨みながら、養命酒を煽る。


鍵和田「養命、養命…」


シウマイの豆が、気味の悪い目に見えてくる。


ママ「カギさん、元気ナイネ?」


鍵和田「いやさあママ、最近馴染みのないワードが多くてさ。養命酒の養命なんてもう、そっちの響きだよ、モロに」


ママ「よく分からないケド、4000年の歴史ヨ」


鍵和田「そうだねえ、17年は大人しくしてたのになあ」


ママ「とにかく、クウ・ネル・セクロス。これで安泰、モーマンタイ!」


鍵和田「ははは!ママと話してると、気が楽になるよ。ここの方がよっぽど教会だ、アーメン」


鍵和田は拝むポーズを取る。


ママ「出すのはラーメンだけどね」


ママの、時々ネイティヴな日本語になるという、何年も日本に居るにも関わらずいつまでもカタコトを貫く外国人タレントのような特性が、鍵和田は好きだった。


ガラガラの店内で、常連らしいやりとりをしていると、入り口の扉が開いた。


ママ「イラッサイ…って、なんだ菫か」


菫「なんだってなによ…あ、昌悟さん。お久しぶりだね!」


鍵和田「おお、菫ちゃんかあ!大きくなったなあ!…胸とか」


菫「いや、さっき会ったばっかだし!セクハラやめなよ、もー、せっかくかっこいいんだからさあ」


鍵和田「そうだったっけえ?女体の神秘だなあ!はっはっは」


鍵和田は笑い飛ばす。

菫の熱っぽい言葉ごと、笑い飛ばす。



菫がヤカンのように沸騰する様子を眺めていた鍵和田のポケットで、プライベート用の携帯が震える。


着信画面を見ると、鍵和田は隣のテーブルに座っていた部下に声をかける。


鍵和田「ケン、ちょっと電話。一応入り口張っといて。なんかあったら、こっちに」


鍵和田は仕事用の携帯を指さした。


健介「了解です!終わったらついでに今月のスロ雑誌も買ってきますよ!」


鍵和田「ありがとね。ほい」


一万円紙幣を健介に渡す。


健介「あざっす!」


鍵和田が身を置く世界において、金は重要なファクターのひとつだ。

その捉え方を間違えば、天にも地にもその場所は変わる。


鍵和田にとって金とは、人情がある上で初めて意味を持つ、プラスαの存在だった。

高級志向の生活より、心の金持ちを心がけて来た。


健介も元来謙虚な性格だが、それを分かっていて、不相応なチップに言及をしない。


菫「…ほんと、甘いんだから」


位置についた事を確認すると、鍵和田は途切れたばかりの最新履歴から、リダイヤルのボタンを押す。


この相手は決まって3コール半で応答する。

何か異常がなければ、この男には法則性があった。


鍵和田「おう、なんかあった?」


亮太『お疲れっす。裏口でミョウチクリンな連中に絡まれました。1人は能面みたいなの付けてたけど、カギさんなんか知ってます?』


鍵和田「能面?…いや、心当たりないな。うちにはそんな悪趣味なやついないし」


亮太『まあ、そうだろうと思いました。今回の仕事と関連性があるかは微妙ですけど、カギさんの名前も知ってたし、一応警戒してください」


鍵和田「他に情報は?」


亮太『確証はありませんけど、能面の奴はおそらく女です。他の2人も見たことない顔でしたね。裏口を狙う辺り、情報が漏れてるかも』



鍵和田「オッケー、オッケー。こっちでも足掛かりを掴めるよう手回しとく。いつもすまねえな」


亮太『愛する諭吉とアニキの為なら、例え火の中カルト教団の中…』


鍵和田「キモいぞ亮太。中で変わった事は?」


亮太『特にないですね。異常の平常運転っすよ。強いて言えば、禊とかって来週上脱がなきゃいけないらしいんすよ。流石に肌色テープがそろそろキツイかも』


鍵和田「ンー、そりゃまじいな。そっちもどうにか若いもんとグー○ル先生の知恵を借りて考えとくわ」


亮太『ありがとう。…あ、あと、今日は珍しく可愛い子に会ったなあ』


鍵和田「へえ、お前も地味にそういうの興味あるんだな」


亮太『カギさん程じゃないけどね!』


鍵和田「ははは、お前に言われちゃ形無しだ。んじゃまあ、また密に連絡頼むよ」


亮太『うっす、失礼します』



通話の切断を確認すると、もう一度周囲を確認する。


鍵和田は亮太を信頼していた。


菫「今の誰ー?」


それとは裏腹に、初めて会った時から感じていた彼の中の底知れぬ部分。

それが不安要素なのか、依頼人として必要な要素なのか、鍵和田は判断しかねていた。


鍵和田「あ、ああ、仕事関係の人だよ。ごめんね、店内で通話なんてしちゃって」


菫「へえ…随分仲がいいんだ」


菫は意図的なふくれっ面を作る。


亮太ならこう言うだろうと、鍵和田は憶測する。


『過剰な表情の変化は、本音の表情を隠してるサインっすよ、特に顔の左半分に注目!』


鍵和田「ん…、そうかなあ?」


朱の中で朱に染まらない。

そんな彼だからこそ、今回の仕事を任せた経緯もある。

歳こそ離れていたが、亮太からは学ぶものが多い。


菫「昌悟さん、私にあんな顔見せない…」


鍵和田「菫ちゃんは気にし過ぎ!俺は野郎のケツは趣味じゃないの。もっとこう、キュッ、キュッと。そう、菫ちゃんのGパンのシルエットのような…」


菫「すぐ誤魔化すし」


鍵和田「最近の若者はすげえや。おじさん心がマッパ・マンだよ」


菫「ふんっ、せいぜい頭を低くして生きてよね!マッパの巨人はヘイチョーに狩られちゃうんだよ!」


鍵和田「す、菫ちゃん…なんの話…?生理かな?」


菫「さいてーーーーー!駆逐してやるうううううううううう」


菫は鍵和田の肩をポカポカと叩く。


それを見かねた福耳の店主は、厨房から口を挟む事を決めた。


ママ「菫!発情期ネ!マタグラ中華スープでお店浸水したら追い出しマスゾィ!」


菫「なんでみんな思考回路がそっちなのおおお…このオカマ、」


ママ「…カギさんに迷惑かけンなよ?」


唐突に店内に響くドスの聴いた男声に、菫は怯む。

何度聞いてもそのギャップと迫力は筆舌に尽くしがたいものがあった。


菫「う…」


鍵和田「まあまあ、ママ。俺も菫ちゃんと話すの好きだからさ」


ママ「おう。…菫、上でお絵描きでもしてなさい」


菫「はあい…」


「お絵描きじゃないもん」そんな駄々が菫の口をつきそうになるが、抑える。

こんな幼さだから初対面の人間に見抜かれるのだと、自省する。


鍵和田「ここにいてもいいんだよ?」


菫「いい、今日は。ピカソになってくる…」


鍵和田「俺はゴッホ派だな」


ママ「ママはタロウ・オカモトがすこネ。ゲイは爆発ヨ」


鍵和田「ママ、爆発は俺が帰ってからで頼む」


菫「…やっぱゴッホになる。じゃあ昌悟さん、またね。絶対、またね」


鍵和田「…あ、ああ?またくるよ」



菫は踵を返し、屋根裏のアトリエに向かって行った。


鍵和田「いいGパンだ」


鍵和田は腑に落ちない諸々を抱えたまま、店に設定されたTVに視線を向ける。



キャスター「先日11日、発射された弾道ミサイルの詳しい着弾点について、防衛庁の正式発表が…」


TVをつければ、連日どこかの局が”この国”の報道をしている。

”ママ”の、本当の母国だ。


この街…つまり、鍵和田のテリトリーで、複数の中国籍を使い分けている状態。

この情勢ではそれも長くは持たないかもしれないと、鍵和田の頭痛の種のひとつだった。


鍵和田「まるでリレーだな」


ママ「ああ…古傷が疼く」


鍵和田「…大丈夫なのか?有事の際は。事が事なら、俺も庇いきれない。菫ちゃんは…」


ママ「手は打ってある。絶対安全とは言えないが」


鍵和田「この世に絶対なんてもんはないさ。特にこのご時世じゃあな」


ママ「いざという時は、菫を頼む」


鍵和田「任せろ。こっちも最善を尽くす」



キャスター「先日行方不明になったと国営報道された、首相の甥に当たる人物の行方は、依然掴めておらず、各国緊張状態が続いています」



次のニュースに変わる頃には、鍵和田の心配事は移ろっていた。


見張りを終え、雑誌を買いに行ったまま、帰りが遅い部下の健介についてだ。



健介『お疲れ様です!』


鍵和田「ああケン?良かった。遅いけどなんかあった?コンビニすぐそこだからさ」


健介『あ、連絡遅れてすみません…バタバタしてて…はあ、はあ、』


鍵和田「ゆっくりでいいから、状況を」



健介『は、はい。あれからすぐ目の前のコンビニ行ったんですけど、売り切れで。裏の方まで行ったんです。そしたらまたどっかのバカが薬撒いてるらしくて、西班から応援頼まれてしまいまして、走ってました。本当すいませんでした…』


鍵和田「いいよいいよ、気にすんな」


健介『助かります!』


鍵和田「んで、そのアンポンタンは?どこのもん?」


健介『西班の小田さんによると、なんでも気味の悪い全身真っ白な服装に、犬がなんとかって無線で話してたらしいです。今のところそれ以上は…すみません』


鍵和田「白い服、犬…」


鍵和田は、亮太の報告書類にそんな名前があった事を思い出す。


鍵和田「…」


健介『カギさん?』


17年前の自分と、健介が重なる。


鍵和田「今どこらへん?」


健介『風鈴街から少し逸れた…小さい公園の近くです』


鍵和田「それなら事務所、近いな。一度戻ってチャカを持って、捜索を再開してくれ」


健介『え、でもまだ早いって…』


一度携帯を離し、鍵和田はママに視線を向ける。


鍵和田「若者に自分の過去を押し付ける、か…俺も歳かな?」


ママ「必要悪も、あるだろう」


鍵和田は頷き、通話に戻る。


鍵和田「今回は特別だ。持ってるだけでいい。護身用、気を大きくするなよ」



健介『…わ、わかりました!すぐに向かいます!』


鍵和田「西区に応援を回す、それまで無茶はするな」


健介『はい!色々ご迷惑おかけしました!平和クラブの連中にも話を聴いてみます』


鍵和田「了解。それとなケン、謝りすぎ。家族だろ?」


健介『…はい。ありがとう』


鍵和田「力むな力むな!はっはっは。んじゃ切るぞ」


健介『カギさんも気をつけてください!では!』


通話を切ると、すぐさま一斉送信の文面を打ち込み、各地区のリーダーにメールを送った。



鍵和田「力んでんのは、俺か…」


鍵和田は福耳を出るべく立ち上がる。


ママ「あ、カギさん、コレ、忘れもんネ?」


ショートホープという銘柄の小振な箱をクルクルと回しながら、ママはこちらへ向ける。



鍵和田「…俺はそんなキツいの吸わないよ」

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