episode3

「――ちゃん、お兄ちゃん」


 屋台のおじさんの声で、僕は我に返った。


「……あっ、すいません。レモンとメロン、ひとつずつでお願いします」


「はいよ」


「ありがとうございます」


 代金を払って、かき氷を両手に受け取る。転ばないよう慎重に、溶けないよう素早く歩かなければならない。何の試練だよ。


「ありがと~!」


 川に小さな子どもが落ちてしまわないように取り付けられている柵。そこに片手を置いてこちらに体を向けている風香が満面の笑みを浮かべた。


「はい。落とすなよ」


「わかってるって~、幼稚園児じゃないもん」


 紫色の浴衣に、レモン――黄色いシロップがかかったかき氷。その2色は補色関係で互いが互いを引き立て合っていて、美しいとしか感じようがなかった。


 ぼんやりと紫色と黄色を眺めていたが、風香はかき氷に夢中になっていて、何も言わなかった。


 ☆彡.。☆彡.。☆彡.。☆彡.。☆彡.。☆彡.。


 花火大会に誘われた日の帰り道。


「あいつは俺のことどう思ってんだろ……」


 誰かに言うわけでもなく呟いたが、大地には聞こえていたようだ。


「さあ? 火のないところに煙は立たぬって言うからな」


 ☆彡.。☆彡.。☆彡.。☆彡.。☆彡.。☆彡.。


 あの時、大地はいたずらっぽい笑みを浮かべていた。それは風香が僕のことをどう思っているか知っているのだろうか。風香は僕のことを好きでいてくれているのだろうか。


 そんなことを考えようとわからない。


 僕は手汗をジーンズに擦り付け、ふぅっと息を小さく吐く。


「俺さ、風香のことが――」


 好き。


 勇気を振り絞って音にした2文字は、鮮やかに花火が咲く音にかき消されてしまった。


 風香は僕の台詞に気付かなかったらしく、


「花火、綺麗だね」


 とカタコトの日本語で呟いた。


「え、イントネーションおかしくね?」


「そそっ、そんなことないよ~?」


「分かりやすく動揺してくれるなさんきゅー」


 さっきの僕の声が聴こえていて、動揺しているのかもしれない。だといいな。


 普段の僕なら、気付いていてごまかされるならそれは相手に嫌がられているってわかるはず。いや、それは例えばの話で、今まででそうなったことはなかったけれど。

 それでも、嫌がられていると思わなかったのは非日常に咲く花火のせいだと思いたい。

 頭がおかしくなっていたんだ。相手が天然じみた風香だっていうのもあるかもしれない。とりあえず僕のせいじゃない。


 勇気を出して、もう一度。


「風香のことが――」


 好きです。


 さっきよりも声が小さくなってしまった。それは、風香がかき氷をストローでシャクシャクとつつき始めた音に消された。だが、風香の肩がびくんっと震えてストローが狙いを外し、ガラスの破片のようにきらきらとした氷が小さく闇を舞った。綺麗だった。


「あっ、こぼしちゃった」


 こいつ気付いてるだろ。2回スルーされたのに告ろうとする僕はかなりやばい奴だ。そうわかっていても、なぜか風香と両想いだという根拠のない自信がある。


 リトライか……。


 シャー芯のようにあっさり折れてしまった勇気は、脳内でシャーペンをノックしても出てこない。


 The third time is lucky.


 かっこつけて英語にしてみたが、“三度目は幸運が訪れる”――“三度目の正直”という意味である。


 その時、パパンッと花火が連続でふたつ咲いた。背中を押されているような気がした。


「お前が好きだっ!」


 耳元でささやいた――というよりも、叫んだ、という方が正しい。


「え、わぁっ!」


 驚いた風香の左手からかき氷のカップが離れた。ひっくり返るようにして宙を舞ったのだ。黄色がかったガラスの破片――いや、氷がきらきらとした雨になった。それは何度見ても綺麗で、その儚さに見とれてしまった。


 直後。ぺしゃんっというなんとも哀しい音を立てて、氷とカップが地面に這いつくばった。氷は、一生を終えたとでも言いたげにじわじわと溶けていく。どうすることもできずに、僕らはただ溶けていく氷を眺めていた。

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