episode2

 そう、あれは7月――1学期の終業式の4日前のことだった。夏休みを目前にして僕らが浮かれない、そんなはずがなかった。




「昂希! 8月暇? 土曜日の夜なんだけど」


 話しかけられて、僕はぼんやりとあいつに向けていた意識を現実に戻した。あいつというのは、卓球部で、ポニテが似合っていて、子どもっぽくて、元気な声で――。いや、そんなことはどうでもいい。


 少し状況を整理しよう。


 僕の名前は星宮ほしみや昂希こうき。スバルに希望の希で昂希だ。名付けたのは父。父は星が好きなのだ。自動車が好きだとか、それ関係の仕事をしているとか、そういうことではない。


「暇っちゃ暇だけど……何で?」


 ここは自教室の隅。黒板の上のアナログ時計に目をやると、短針が1を追い越したところで、“あれ、さっきまでわしの前にいなかったかね?”とでも言いたげに首を傾げているように見える午後1時過ぎ――昼休みである。僕らのクラスメートは他人のことに無関心。教室でどんなに大きな声でどんな話をしようと盗聴されることはない。


「いのみゅと花火大会に行く予定なんだけど、2人だけは周りからの視線が痛いので俺たちの保護者よろ――」


「丁重にお断り致します」


 大地に“☆”と言わせずに僕は断った。彼の名前は栗原くりはら大地だいち。幼稚園からの長い付き合いになる。腐れ縁というべきか。


「つれないなあ」


「何が楽しくてリア充の護衛しなきゃいけねーんだよ」


「俺たちの護衛じゃない、俺の護衛だ。いのみゅは俺が護る!」


 とんっと胸に拳を当てるな彼女持ち。自分の身は自分で護れよ。


 大地の彼女の名前は井野いの美優みゆう。大地だけが“いのみゅ”と呼んでいる。5年ほど付き合っているのではないだろうか。井野は、僕ら――僕と大地の幼馴染だ。


「そーですか、頑張って」


「まあそう言うな。いのみゅと俺と、お前とあともうひとり行くの誰だと思う?」


「何で俺も行く前提なんだよ。興味ないから」


 僕はそう吐き捨てた、が。


「田嶋」


 あろうことか、僕の耳はぴくんっと反応してしまった。


「何でそいつをチョイスしたの?」


「いのみゅが誘ったから。悪いか?」


「うん、悪い」


 田嶋たじま風香ふうかとの付き合いは浅く、高校に入ってからだ。部活が同じ卓球部で、一緒に朝練をしていただけで2人は両想いだとかいう根も葉もない噂を流された。それ以来は気まずくなって、それとなくお互いに距離をとっている。彼女は井野と仲がいいので、花火大会に誘われることも予想できなくはなかった。


「やっぱ噂か? 2人っきりでいたお前らも悪いだろ」


「仕方ねーだろ、朝練なんだから。他の部員は不真面目なんだよ」


「嘘つけ。結局お前は田嶋のことどう思ってんの?」


「……別にどう思ってたっていーだろ。大地には関係ない」


 大地と目を合わせないようにして僕は吐き捨てた。棒読みにはなってないはずだ。


「俺たちは来年度大学受験だろ。きっと、今年が俺たちの最後の夏だ。余計なお世話かもしれないけど、これがラストチャンスなんだよ。行こうぜ花火大会」


 語りかけてくるような大地の台詞に、僕の心は揺らぎ始めていた。


「暇だったら行くわ」


「かしこまり。どうせ来るんだろ」


 暇人のくせに、と言った大地の顔はどこか嬉しそうで。僕をからかう様子は感じられなかった。そんな大地を見て、僕は花火大会に行くことに決めた。




 そして迎えた花火大会当日。紫色の浴衣に身を包んだ風香は、僕が知っている風香には思えなかった。“大和撫子”という言葉が似合いそうだ。


「ごきげんよう」


「ご、きげんよう?」


 にこやかに挨拶した風香に僕が戸惑いつつも返すと、風香は急に吹き出した。その場にいた大地も井野も笑っている。


「昴希面白~い! 何で真顔でボケるかな~」


 そう笑って言う風香はいつもの風香だった。


「お前も真顔でボケただろ!?」


「昴希がどんな反応するのか気になったからね」


 そんなことを言い合っているうちに、1組のリア充――大地と井野に置いて行かれた。保護者になれって言ったのはどこの誰だよ。

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