那由多

 「……ん、んんん……」


 光が薄まってきたので目を開けてみると、異様な空間が広がっていた。


 朱、群青、深緑といったどす黒い色がうねうねと動きながら混ざりあっていく。そういう光景が周囲三百六十度、どこを見渡しても広がっていた。まだ僕が生まれていない時代に放送された特撮番組のオープニングに似ている気がした。


 「何だ、ここ……」


 一言で言えば不気味な光景。ついさっきまで紗枝ちゃんと近所の神社にいたはずなのに、どうしてこんな場所に……。


 「考えるまでもないか」


 紗枝ちゃんとの会話で僕の『創界の言霊』が失われたわけではないということが分かった。だから、カノンのことを必死に念じてみてこの結果ということは、ここはカノンと縁のある世界なのだろう。


 「それは当たらずも遠からじ、というところでしょうかね」


 渇望して止まなかった声が背後から聞こえた。なかなか現れてくれなかった怒りと、これで事態が進展するという希望が綯い交ぜになって僕は振り返った。


 「イルシー!遅いぞ!」


 「すみません。まさか、こんなに事態が早く進んでいるとは思わなかったんです」


 イルシーが寂しそうな笑顔を見せた。いつもは何かしらのコスプレをしているイルシーだが、今日は純白のワンピースを着ていた。


 「ということは、カノンが消えたことは知っているんだな?」


 「はい。助けに行こうと思ったんですが、敵の妨害があって行けなかったんです」


 「敵?敵って何だ?そいつがカノンを消したのか?」


 「とりあえず、付いてきてください」


 いつになく真面目そうなイルシー。僕は黙って頷くしかなかった。


 「な、なぁ、ここは何処なんだ?」


 イルシーの後について歩き出したが、行けども行けども同じ光景。僕は次第に不安になってきた。


 「ここが那由多の世界群が集まる空間ですよ、シュンスケ君」


 イルシーが振り返ることなく言った。


 「ここが……」


 数々の物語が集まる世界。僕は天を仰ぎ見た。等身大ぐらいの楕円形の物体がいくつも流れていく。それぞれ流れ行く速さも、その表面に映っている像もばらばらであった。山岳の風景があったかと思ったら、右から流れてきた物体には都会風のビル群が映っていた。


 「あれはそれぞれの物語へと通じる扉です。私達は『ゲート』と呼んでいます」


 「ゲートね。ラノベに出てきそうなネーミングだな」


 僕の突っ込みにイルシーは苦笑で応じた。


 「人の妄想が生み出した物語がここ集まり漂います。本来ならその物語は互いに交わることなく、独立して存在していきます。しかし、それを乱す者たちがいます」


 「そいつらが僕の世界とカノンの世界を滅茶苦茶にして、カノンを消したというのか?」


 「彼らは『創界の言霊』の力を使って世界に干渉し、時に物語を書き換え、時に物語を消失させます」


 「『創界の言霊』?そういえば、お前も僅かながら力を持っていると言っていたな」


 「彼らはその力を使って世界を壊そうとしている。私達は逆に世界を守ろうとしている。悪玉と善玉とまでは言いませんが、ようするにそういう対立がここには存在するんです」


 「そいつらの目的は何なんだ?そもそも何者なんだ?お前も含めて……」


 「それは……」


 「ほほほ。それはわしが説明しようかのう」


 突如、僕とイルシーの行く先に老人らしき人物が現れた。長めの白髪を旋毛のやや後辺りでまとめていて、腰はひどく曲がっている。声もしわがれているから老人には違いないが、能の翁面をつけているのでその顔を知ることはできなかった。


 「オキナ……」


 「イルシー。ご苦労だったな。ふふ、説明好きなお前さんだから説明したいだろうが、ここはこの爺に譲りなされ」


 「誰でもいい。説明してくれ!そして、カノンを取り戻す方法を教えてくれ!」


 僕はオキナと呼ばれた人物を見た。やや垂れた目をしている翁面の表情が、ふざけているように思えた。


 「わしは皆からオキナと呼ばれておる。ま、見てのとおりの爺だ。那由多会のまとめ役をやらせてもらっておる」


 「まとめ役?」


 「そうじゃ。那由多会がどういうものか、シュンスケ殿はとうに知っておるじゃろう?」


 「ああ、イルシーから聞いた。那由多の世界群を守っている集団だっけか?」


 「大雑把だが、まぁそんなところじゃ。では、何故わしらが世界を守ろうとしているか、分かっておるかな?」


 それは知らない。そういえばイルシーの奴、自分のことは名前以外はほとんど喋っていなかったな。


 「我々那由多会が幾多の世界を守ろうとするのは、自分達がいた世界を守ることができなかったからじゃ」


 「まさか……」


 「察しがいいのう。そうじゃ、わしらは壊された世界の住人だったんじゃよ。このわしも、そこにおるイルシーも」


 僕はイルシーを見た。イルシーは辛そうに僕から視線を逸らした。


 「壊された世界は修復できぬ。そのパーツ達はこの空間のどこかに四散し、存在し続けることになる」


 「じゃあ!カノンもこの世界のどこかに?」


 「さて、シュンスケ殿の世界は壊されたわけではない。じゃが、何者かによっていじられておったのは確かじゃ。そしておそらくは、その者がカノン殿を攫ったのだろう」


 「攫った……」


 攫ったというのはどういうことなのだろう?何者か知れないが、カノンを攫う意義なんてあるのだろうか……。


 「わしらはある男を追っておる。その名はザイ。シュンスケ殿の世界が滅茶苦茶にしたのも、ザイであると睨んでおる」


 「カノンを攫ったのもそいつなのか?」


 僕はまだ見ぬザイなる男に並々ならぬ怒りを感じた。出会ったら絶対にぶん殴ってやる。


 「直接かどうかは判断できぬが、係わっているのは間違いないだろう。奴は世界を壊すことを公言しておるからな」


 「世界を壊す、だと」


 「そうじゃ。奴はシュンスケ殿と同じ『創界の言霊』の力を持っておった。奴は自分の創作したヒロインに恋し、『創界の言霊』を使ってそのヒロインを現実化したのじゃ。しかし、所詮は妄想の世界と現実世界が折り合うはずもない。奴自身のいた世界と創作の世界のバランスを崩し、ついには両方の世界が崩壊したのじゃ。跡形もなくな……」


 「じゃあ、ひょっとしたら、僕のいた世界もそうなっていたかもしれないのか?」


 僕は慄然とした。カノンのいた日々の裏で、そんな恐ろしい事態が進行していたなんて……。


 「うむ。おそらくはザイの狙いはそこなのだろう。ザイは、自身の世界が崩壊した後、那由多の世界群を彷徨う身となったのだ。奴はここから世界群を睥睨し、世界を壊し続けるておる」


 「どうしてそんなことを……」


 「さてさてそこまでは……。じゃが、ザイの情念は常軌を逸しておる。世界の全てを壊すつもりではないかと思うほどじゃ」


 「オキナ。教えてくれ!僕はカノンを取り戻したい。どうしたらいい?ザイを倒せばいいのか?」


 僕はここまで説明してくれたオキナならばきっと解決策を教えてくれると信じて疑わなかった。


 「悪いことは言わん。やめておきなされ」


 しかし、オキナの言葉は僕を裏切った。僕はザイだけではなく、オキナにも怒りを感じた。


 「どうして!」


 「分かっておらぬようじゃな。カノン殿を取り戻すということは、現実世界と創作世界が侵食しあう状態に逆戻りすることになる。それは即ち、世界の崩壊を意味するのじゃ」


 「あ……」


 僕は言葉に詰まった。確かにそうなのだ。カノンと僕が一緒にいることは異常な状態であり、それはかつてザイが世界を崩壊させた経緯と同じなのだ。


 「僕はどうすれば……」


 「……諦めなされ。それがお互いのためじゃ」


 「そんな……」


 オキナの言葉が僕をえぐった。諦める……。そんな、そんなことって……。


 「再びシュンスケ殿がカノン殿を得たとしても、やがて世界の崩壊が訪れる。さすればカノン殿だけではなく、全てを失うことになるのじゃぞ」


 オキナがさらなる追い打ちをかけてくる。世界が崩壊すれば、カノンどころか秋穂も夏姉も紗枝ちゃんも悟さんも、そして僕の愛するアニメも声優さんも消滅してしまうわけだ……。僕は力なく項垂れるしかなかった。


 「オキナ……。それはあまりの言いようでは?」


 「イルシーよ。酷ではあろうが、これが最善の選択なのじゃよ。わしがシュンスケ君をここに呼び寄せたのも、引導を渡すためなんじゃよ。これ以上、ザイの策略に乗って世界を壊させるわけにいかんのじゃ」


 「しかし……」


 イルシーはそれ以上何も言えなかった。彼女としてもオキナの言い分を十分に理解しているのだが、心情としては認めたくないのだろう。それは僕も同じだ。


 「世界が壊れる?そうだとしても、僕はカノンを取りも出したい……」


 「シュンスケ殿?」


 「その結果、世界が壊れたとしても、僕の妄想でまた世界を作り直してみせる!それが『創界の言霊』の力のはずだ!」


 無謀な発想かもしれない。オキナの危惧どおり、世界の崩壊を招くかもしれない。しかし、将来のあやふやな危機よりも、今目の前の失望を回復させたかった。僕は、今一度カノンに会いたい。


 「やれやれ……。これで諦めると思ったが、とんだ茶番だ。思いの他強情だな、君は」


 突如、オキナの声色が変わった。しわがれた老人の声から若々しい悪役声。これはCV石嶺章だ。


 「オキナ?」


 「ふふふ、イルシー。お前の知るオキナはとうにない」


 翁面に亀裂が入り、二つに割れた。からんと割れた面が地面に落ち、オキナの素顔が露になった。


 「……そんな馬鹿な……」


 「オキナ……。え、これは……シュンスケ……君?」


 能面の中から現れた顔は、僕と瓜二つであった。

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