懺悔~後編~
三分ほどして紗枝ちゃんがようやく落ち着いてきた。
「紗枝ちゃん、飲む?」
僕は先ほど買った缶ジュースを差し出した。ありがとうございます、と涙声で言った紗枝ちゃんが大事そうに両手で受け取った。
「説明してくれるかい?カノンのこと。紗枝ちゃんは、カノンのことを覚えているんだね?」
「はい。カノン先輩もレリーラちゃんのことも覚えています」
やっぱり……。でも、どうして紗枝ちゃんだけ?
「順を追って説明します。先輩、今月の初めに『ときめき♪ハイスクールラバー』の世界に入り込みましたよね?」
僕は完全に虚を突かれた。ど、どうしてだ?どうして紗枝ちゃんがそのことを知っているんだ?
「あれを仕掛けたのは、私なんです」
「紗枝ちゃん……。まさか……」
「『創界の言霊』ですか?イルシーさんがそう言っていました。先輩もその力を持っていて、カノン先輩達をこちらの世界に顕現させたって……」
紗枝ちゃんも『創界の言霊』の使い手だった……。イルシーが最近見つけた使い手って紗枝ちゃんのことだったのか?あまりの驚愕の事実に、僕の脳みそは完全に処理できずにいた。
「でも、どうしてあんな真似を?」
「先輩の気持ちが知りたかったんです!先輩、いろんな女の子からもてもてなのに、なかなかはっきりしないから、誰が好きなのかはっきりして欲しかったんです!でも、先輩は率直に聞いてもはぐらかすだけでしょう?だから、ゲームということにして先輩の気持ちを知ろうと思ったんです」
紗枝ちゃんの声がまた涙声に戻っていった。
「紗枝ちゃん、君は僕のことを……」
「好きです!大好きです!中学校二年生の時から大好きです!私みたいな地味なオタク少女なんて、先輩と釣り合わないと思って、ずっと自分の中だけに秘めてきました。でも、自分にそういう力があると知ったら、いてもたってもいられなくなったんです!」
今更ながらあの時の紗枝ちゃんの微妙な、元気ない態度の意味が理解できた。彼女だけは、僕と同様にこちらの世界での意識があったのだ。
「だから、私、思っちゃったんです。カノン先輩なんて、消えちゃえばいいって……」
言い切って再び火がついたように泣き出す紗枝ちゃん。
紗枝ちゃんの『創界の言霊』が働いてカノンが消えた、ということか?これまでの話を総合するとそういうことなのだろう。
だが、僕はどうも懐疑的であった。そもそも『創界の言霊』という力の作用自体、僕は完全には信じていない。
「紗枝ちゃん、泣く必要はないよ。カノンが消えたのは、おそらく君のせいじゃない」
「……慰めのつもりですか?」
「違うよ」
僕は紗枝ちゃんに説明をした。『創界の言霊』が決して万能ではないこと。カノンの世界とこちらの世界がごちゃ混ぜになってしまったのは、僕ではない誰かが世界をかき乱しているのではないかということを。
「じゃあ、カノン先輩が消えたのは、その誰かのせいってことですか?」
小康状態になった紗枝ちゃん。幾分かは冷静さを取り戻してくれたようだ。
「たぶんね。少なくとも紗枝ちゃんのせいじゃない。だって、消えたのはカノンだけじゃなくて、レリーラもリンドも消えた。そしておそらく、サリィも消えている」
マルヤスで遭遇したサリィは一瞬消えかけたように見えた。あれはサリィが消える前段階だったのではないか?今となってはそうとしか思えない。
「もし紗枝ちゃんがカノンに消えて欲しいと念じたとしたら、消えるのはカノンだけのはずだ。なのに、レリーラやリンド、サリィまでが消えたとなると、もっと別の力が作用したと考えるべきなんだろう」
僕もようやくカノンが消えたショックからやや立ち直り、冷静に思考できるようになってきた。しかし、その結論に達したところで、事態が打開できるかどうかはまだ不鮮明であった。
「でも、私は悪い子です。嫉妬に狂って、消えちゃえなんて思って……それで……」
あくまでも自分を責めようとする紗枝ちゃん。僕は胸が痛くなってきた。紗枝ちゃんの好意は嬉しいが、その好意がために紗枝ちゃんが苦しむ姿は正視に堪えられるものではなかった。
「とにかく、自分を責めるのはやめてくれ、紗枝ちゃん」
本来ならもっと気の利いた言葉をかけるべきなのだろう。しかし、僕にはそんな対人スキルはないし、心の余裕もなかった。
「カノンを失ったとして、それを取り戻せないのが今の僕だ。僕は『創界の言霊』の力を失った」
「え?」
「念じても念じてもモキボが出ないんだ」
「モキボ?何ですか、それ?」
紗枝ちゃんはモキボを知らない?イルシーは説明していないのか?僕はモキボのついて教えた。
「そんなものが……。私は、何も言われなかったです」
「僕の『創界の言霊』は不完全らしいからね。それを補うためのアイテムだったんだ」
だとすれば、モキボの存在を教えられていない紗枝ちゃんは、僕よりも優れた『創界の言霊』の力を持っているということか?紗枝ちゃんの力を借りられれば、事態は打開できるのではないか。
僕がそのように考えていると、紗枝ちゃんが小さな声で、違うんじゃないでしょうか、と言った。
「違う?」
「はい。私が『創界の言霊』の力に目覚め、その存在をイルシーさんに教えてもらってから、色々と妄想しましたが、現実化することはなかったんです。目の前に妄想したことのビジョンが出てくる程度なんです。覚えていますか?合宿の無人島でのこと」
「ああ、そういえば最後に紗枝ちゃんと争ったね」
「はい。あの時、私の目の前に先輩と悟先輩が絡み合うビジョンが出ましたよね?」
僕は頷いた。思い出したくもないビジョンだが。
「先輩は、あのビジョンは私を妨害するために自分が出したと思っているかもしれませんが、違うんです。あれは私が出したものなんです。願いが叶ったら、先輩と悟先輩が絡んでいるシーンを見たいという私の妄想がビジョンとなっただけなんです」
「紗枝ちゃん……」
「でも、勇気がなくて、そんな願い事できませんでしたけどね」
「ということは、その時にはすでに紗枝ちゃんの力は目覚めていたわけだ」
「はい。でも、その程度の力だったんです。だから、カノン先輩なんて消えちゃえって思っても、本当に消えるなんて思っていなかったんです」
ぐずっと鼻を啜る紗枝ちゃん。僕はポケットティッシュを差し出した。
紗枝ちゃんの言うことを信じるなら、『ときめき♪ハイスクールラバー』の件も、ゲーム世界が融合したのではなく、単なる幻想というかビジョンを見ていただけなのだろう。
「私の力とは違って、先輩は実際に妄想を現実化する力を持っていた。お話を聞く限りではその力をコントロールするためにモキボがあったんではないでしょうか?」
言い終えて鼻をかむ紗枝ちゃん。なるほど、そういう考え方もできるわけだ。モキボは単に『創界の言霊』の力をコントロールするものではなく、妄想が現実化することをコントロールするものだった……。
頭の中で思い描く妄想は基本的に取り止めがなく、そのまま現実化すれば収集のつかないものになってしまいかもしれない。しかし、どういう形であれ文章にすると、思考を重ねるのでまとまったものになる。
「だとすれば、モキボがなくても『創界の言霊』は生きているかもしれない、というわけか」
モキボに頼っていたがため、モキボが出ないことで力そのものを失ったと錯覚していたかもしれない。
「だとすれば、カノン!助けてやるからな!徹底的に妄想してやる!徹底的に!」
駄目でもともと。僕は徹底的にカノンのことを妄想した。
大飯喰らいのカノン。
すぐに暴力を振るうかノン。
照れて顔を赤くするカノン。
はにかむカノン。
キスをしたカノン。
カノンカノンカノン。
何度も何度もカノンの名前を口にし、いくつものカノンの姿を思い浮かべた。
やがて完全なるカノンの像が浮んだ時、強い光が瞼の裏側で広がっていった。
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