夜の攻防

 お風呂からあがった僕は、リビングに足を向けた。流石に女性陣は長風呂。まだ誰もいなかった。ちなみに悟さんは風呂からあがるなり、明日の準備がある、とか何とか言って早々に部屋へと引き上げていった。


 「明日の準備って何なんだ?まさか、温泉のことじゃないだろうな……」


 べ、別に女湯を覗きたいなどとこれっぽちも思っていないが、悟さんに誘われた以上、無下にはできないもんな。あ、明日も付き合うとするかな……。


 僕は渇いた喉を潤すために麦茶を飲むことにした。どうせ夏姉も風呂あがりに要求してくるだろうから、人数分のグラスを用意しておこう。


 「あ~喉渇いたぁ。俊助、麦茶」


 しばらくして、女性陣の先頭を切って風呂からあがってきた夏姉が、まるで奥さんに風呂あがりのビールを要求するお父さんのように言ってきた。


 「はいはい。入れていますよ」


 「うっひょ~い!相変わらず準備いいね」


 夏姉が麦茶を入れたグラスをひょいと持っていく。その瞬間、シャンプーのいい香が僕の鼻を掠めた。その匂いの主が夏姉であっても、ちょっとドキドキしてしまった。


 それから続々と女性陣がやってきて、麦茶を持っていく。その度に僕は風呂あがり特有の女性の色っぽさを感じることができた。勿論、千草さんの匂いが一番甘美だったのは言うまでもない。


 「兄さん、髪を乾かしてください」


 麦茶を一口のみ終えた秋穂がドライヤーを片手に僕のところにやってきた。秋穂が帰国してからこの方、僕が秋穂の長い髪を乾かしていた。ひとりで長い髪にドライヤーをあてるのは大変らしい。


 「はいはい。ほれ、座れ」


 「ありがとうございます」


 僕は秋穂をソファーに座らせ、長い髪にドライヤーをあてながら丁寧にブラシで梳いていく。


 「あ、いいな!私も」


 「美緒……。お前はショートカットだろう。タオルでごしごし拭いておけ」


 「失礼ね。女性の髪はデリケートなのよ」


 などと言いながら、美緒の髪はどう見ても既に乾いていた。


 「こういう時、ショートカットって不利だねぇ。ま、私的にはすぐ乾くから面倒なくて楽だけどね」


 もうひとりのショートカット夏姉が頭をぽりぽりと掻いた。


 「カノンちゃんも、俊助に乾かしてもらっているの?」


 「自分でやっているわ。髪、人に触られるの嫌いなの」


 不機嫌そうに自分の髪を拭くカノン。


 「カノンさん、嘘はいけません。カノンさんは嘘をつくと、鼻がひくっと動くんですよね」


 「嘘なんかついてないわよ!」


 「ほら、また鼻がひくってなった」


 「なっていません!」


 カノンと秋穂がいつものように口喧嘩を始めた。秋穂、まだブラシしているんだから動くなよ。


 「はっはっは。今年の合宿は愉快だね。俊助、ハーレムルート確定かな?」


 「何を言っているんだか……」


 「ハーレムルートって?」


 「千草さんは知らなくていいです」


 「千草先輩。ハーレムルートというのはですね、一人の男性に複数の男が群がり……」


 「紗枝ちゃん!余計な事を言わないで!しかも、それは間違っているからね!」


 まったく……。紗枝ちゃんも油断も隙もない。




 その後も他愛もない、くだらない話をだらだらとしていると、気がつけば午前十二時を回っていた。


 「さて、そろそろ寝るかな。明日は大変だからね」


 と僕の方を見て薄ら笑う夏姉。く、くそぉぉ、憎たらしい。


 「美緒ちゃん達もどうせ明日暇でしょう。よかったら、見においでよ」


 「オタクの活動なんて興味ないんですけど、折角だから……ね?」


 美緒が確認するように秋穂、千草さんを見た。


 「そうですね。兄さんが狼藉しないようにしっかりと監視する必要がありますからね」


 監視って……。で、でも千草さんは、見たいなんて思わないですよね?


 「私も見たいです。見させてください」


 真面目な表情で言い放つ千草さん。ち、千草さん、本気ですか?


 「じゃあ、明日は午前中雨らしいから、午後から始めることになると思う。それまでに出掛ける用意しておいてね。では、おやすみ」


 さて寝るべし、と言って夏姉が自分の部屋へと消えていった。




 僕も寝るべく二階の部屋へ向かった。朝早かったうえに昼間は海で遊んだので、かなり眠たかった。ベッドに入れば、間違いなく一瞬で眠りに落ちるだろう。


 「……」


 部屋に入る前、僕は注意深く周囲を窺った。状況的に紗枝ちゃんが暗躍しそうな感じがしたのだが、気のせいらしい。


 「そうだよね。紗枝ちゃんだって眠たいだろうし」


 僕は警戒心を解き、部屋に入った。すでに消灯されていて、僕の隣のベッドでは悟さんが気持ち良さそうに寝息を立てていた。


 僕もベッドに潜り込み、四肢を思いっきり伸ばす。いい感じに睡魔が……。


 「……何だ?」


 闇夜の静寂の中、僕は微かな音が気になってしまった。改めて耳を澄ますと、モーターの駆動音のようなものが僅かに聞こえる。


 眠気が吹っ飛んだ僕は、ベッドから跳ね起きた。じっと真剣を集中させ、音がする方向を捜し出す。


 部屋のコーナーにある不自然な観葉植物。それが妙に気になった。駆動音もそこから聞こえてくる。僕はそっと近寄った。


 観葉植物の鉢の上にコンパクトサイズのデジタルビデオカメラが隠されていた。上手いことレンズに被らないように葉で覆い、ご丁寧にカメラ本体も迷彩色にペイントされていた。


 「紗枝ちゃん……」


 ここまでする努力はもはや尊敬に値する。僕は敬意を表してデジタルビデオカメラの電源をオフにした。


 「さて……」


 改めて寝よう。そう思ったのだが、緊張して張り詰めた体からはすでに睡魔は出て行ってしまった。しかも、この部屋にはまだトラップがあるのではないか、という僅かな疑いが脳裏によぎった。


 「リ、リビングで寝ようかな……」


 僕はベッドのタオルケットを抱えると、一階へ下りた。




 リビングは当然ながら無人で消灯されていた。しかし、月明かりがあるので歩くには支障はない。


 「よっと……」


 僕はソファーに横たわり、タオルケットを被った。


 「さぁ、ゆっくりと眠れる……」


 寝転がってみたが、頭の方がどうにも寂しい。枕がないからか?ソファーの肘掛部分は硬そうだしな……。


 「仕方ないな。枕を取ってくるか」


 「枕ならここにありますわよ」


 「そうかそうか。って!何をしているんだ、秋穂!」


 「何って……。ほら、枕ならここにありますわよ」


 いつの間にか僕の枕元に座っている秋穂。ぱしぱしと自分の太腿を叩いていた。


 「……枕を取ってこよう」


 「兄さん。私の膝枕ではご不満ですか?なら、尻枕でも胸枕でもいいんですよ」


 「聞いたことないぞ!そんな枕!」


 「まぁ、兄さん。騙されたと思って一度ご賞味くださいな」


 僕の顔を背後から両手で掴み、無理矢理膝枕をしようとする秋穂。流石にショートパンツの生足状態の太腿に膝枕は恥ずかしいぞ。


 「強情ですよ、兄さん」


 「やめろ!これ以上ひっぱると首の骨が折れる」


 命の関わることなので僕は抵抗を諦めた。僕の頭部が秋穂の太腿に触れた。や、柔らかい感触だ。


 「うふふ、兄さん。欲情しましたか?」


 「誰がするか……」


 でも、女の子ってやっぱり柔らかいんだな……。って、妹相手に何を考えているんだ、僕は。


 「秋穂。この状態だとお前が眠れないだろう?」


 「私は大丈夫です。兄さんの可愛らしい寝顔を見ていれば、一晩でも二晩でも飽きませんから」


 「可愛いって何だよ……」


 「朝起きると兄さんの顔が涎まみれになっているかもしれませんね。でも、兄さん、そういうのお好きでしょう?」


 「好きじゃない!勝手に変態にするな!」


 まったくなんて妹だ。紗枝ちゃん並に油断ならない。


 「さて、兄さん。問題は千草さんのことです。今日初めて千草さんとお会いしましたが、大変お綺麗な方ですね。しかも、礼儀正しく、初対面の私にもとても優しくフレンドリーに話しかけてくれました。私でも素敵な女性だなと思ったほどです。キッチンでは有耶無耶になりましたが、兄さんが三次元でご執心なのはあの方だけですか?」


 「三次元って何だよ。お前もそういう言い方するんだな……」


 「兄さんの悪い癖が移ったみたいですね。で?どうなんですか?」


 秋穂が怖い顔をずいっと近づけてくる。


 「や、やっぱり、部屋で寝ようかな」


 僕は起き上がろうとした。しかし、秋穂が僕の顔面を押さえつけてきた。


 「兄さん、卑怯ですよ。いつもそうやって逃げるのは」


 「逃げるなんて人聞きの悪い……」


 「卑怯です。兄さん。でも、そういう所は、私と似ています」


 「似ている?秋穂、それはどういう意味だ?」


 「知りません」


 秋穂が急に立ち上がった。僕はソファーから転げ落ちた。


 「秋穂?どうしたんだよ」


 「寝ます。おやすみなさい、兄さん」


 秋穂はそのまますたすたと自分の部屋に戻っていった。


 「何なんだ?一体……」


 ま、いいか。睡魔が再び襲ってきたので、もうこのままリビングで寝てしまうことにした。

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