僕とカノンと千草さんの仲

 「ん……んん」


 ベンチに横たわっていた千草さんが小さな呻き声をあげて目を静かに開ける。目を何度か瞬かせてから、ゆっくりと上体を起こした。


 「こ、ここは?」


 「ち、千草さん。気が付いてよかった」


 「新田君?ここって、公園?」


 「そ、そうですよ」


 同じベンチに座っていた僕は、しどろもどろに答えた。ただでさえ、千草さんが近くにしてド緊張しているのに、これから嘘をつかなければならない。平静でいられるはずがなかった。


 「確か、変なおじさんに追いかけられて、この公園に逃げてきて……」


 記憶を手繰る千草さん。僕はすかさず言い放つ。


 「そ、そうなんですよ。それで疲れたと言ってベンチに座ったら、千草さん、寝ちゃうもんですから、びっくりしましたよ」


 ははは、と我ながらわざとらしく笑う僕。


 「……。何か、途轍もなく不気味な光景を見た気もするんですが……」


 うわっ、おぼろげながら覚えていた。しかし、その程度の記憶ならごまかせるだろう。


 「変な夢でも見ていたんじゃないんですか?」


 「……。そうですよね。あんな化け物みたいな人、いるわけないですもんね」


 僕は、背中に冷や汗をびっしょりとかいた。だが、表情はあくまでも平静を装う。


 「じゃあ、新田君は、私が目を覚ますまで、ずっとここで?」


 「え、ええ。まさか、無視して帰るわけにもいきませんし、あの変態がすぐ近くにいるとも限りませんし」


 「ご、ごめんなさい。私、かなり疲れていたみたいで、こんなとろこで寝ちゃうなんて……」


 恥ずかしそうに頭を下げる千草さん。千草さんに謝れると、こっちが恐縮してしまう。


 「い、いえ。そんな……」


 「カノンさんとお話しないといけないのに、こんなことで足止めしてしまって……、本当に申し訳ないです」


 千草さんがそこまで僕とカノンのことを気遣っているとは。心境としてはやや複雑だった。


 「ああ、でも、それなら心配ないですよ」


 僕は、公園の入口の方に目をやった。カノンが人数分の缶ジュースを抱えて公園に入ってきた。千草さんが目覚める前に近くのコンビニに買いに行かしていたのだ。


 「あ、あら。目が覚めたのね?」


 不自然なほどの棒読み!僕も自分の演技が上手いとは思わないが、カノンのはひどすぎる。小学生の学芸会以下だぞ。


 「あ、あー。すまんな、カノン」


 僕は、カノンから缶ジュースを受け取るふりをしてカノンに駆け寄った。


 「もうちょっと、まともな演技しろよ」


 千草さんに聞こえないように囁く。


 「仕方ないでしょ!お芝居なんてしたこともないんだから!」


 凄みながら囁き返すカノン。


 「だったら、もう普通に喋れ!」


 僕は、自分と千草さんの分の缶ジュースを奪うように受け取った。


 「ち、千草さん。これでも飲んで落ち着いてください」


 「ありがとうございます。おいくらでした?」


 「い、いいですよ。そんなの……」


 「そういうわけには……」


 「いいって言っているんだから、もらっておけばいいでしょう」


 カノンがプシュッと缶ジュースの栓を開ける。お前は遠慮がなさすぎだ。


 「そうですよ。飲んでください」


 「じゃあ、いただきます」


 栓を開け、両手で缶を包み込むようにして飲む千草さん。なんて可愛い仕草なんだ……。


 「どうやら、仲直りしたみたいですね、カノンさんと」


 一息ついた千草さんが我が事のように嬉しそうに微笑んだ。


 「まぁ、元から仲直りするほどの仲じゃないんですけどね」


 「ふん。それはこっちの台詞よ。別にシュンスケと仲直りなんてしなくてもよかったんだから」


 「ほう?だったら自分で飯を作るようにするか?」


 「ひ、卑怯よ!食料を人質にするなんて!」


 「食料は人質とは言わないだろう」


 「じゃあ、どう言うのよ?食料質とでも言いの?」


 売り言葉に買い言葉。ついついカノンとくだらないことで口論になっていると、千草さんが声を立ててくすくすと笑い出した。


 「ふふふ。本当に仲がいいんですね」


 「ちょっと!なんでそうなるのよ!」


 「だって、そんな風にぽんぽんと言葉が出てくるんですもの。そもそも仲が悪くなかったら、口も利かないでしょう?」


 そうでしょう?と念を押す千草さん。まぁ、確かにそうかもしれない。


 「羨ましいなぁ……」


 「え?」


 「い、いえ。ちょっと羨ましく思ったんです。そんな感じに、何でもかんでも言い合える友達ができればいいなぁ、と」


 「千草さん、友達多いじゃないですか?僕なんかよりも、ずっとずっと多いですよ」


 僕はフォローしたつもりだが、千草さんはちょっと悲しそうにまぶたを下げた。


 「もし、そんな風に見えているのなら、きっと間違いですね」


 「それってどういうことですか?」


 僕はひどく気になった。容姿も頭脳も完璧な千草さんに、悩みという綻びがあろうとは思えないのだが……。


 「何でもないです。あ、ジュースありがとうございました。私、ピアノのレッスンがありますから」


 千草さんが急に慌てた様子で立ち上がり、丁寧にぺこりと頭をさげた。


 「千草さん、体調の方は?」


 「もう大丈夫ですから、じゃあ」


 千草さんは、もう一度頭をさげて、そのまま小走りに去っていった。


 「何か悪いことでも言ったしまったかな……」


 千草さんの態度の急変。何か気分を害してしまうことでもあったのだろうか……。僕は、自分の頬をぶってやりたい気分になりながら、自分の言った台詞を思い出した。特別に変なことは言っていないはずだ。


 「シュンスケって、物語を書いているんでしょ?」


 突然脈絡のない質問をしてくるカノン。


 「だから何だ!」


 「ああいう時に気の利いた台詞って言えないものなのね。現実は小説ほど上手くいかないってことかしらね」


 「どういう意味だ?」


 「シュンスケに乙女心は分からないってことよ」


 ますます意味が分からん。しかも、カノンに説教されるなんて……。


 「乙女心?お前からそんな単語が聞かれるとは思わなかったぞ」


 僕は毒づいた。きっとカノンは怒るだろう。私だって乙女なんだからね、とか何とか言って。


 しかし、カノンは怒るどころか、あからさまに憐れむように深いため息をついた。


 「帰りましょう。お腹減っちゃったわ」


 カノンが背を向けた。


 「おい!散々思わせぶりなことを言っておいて、説明もなしかよ」


 「そうよ。小説家なんだから、考えなさいよ」


 カノンは、振り返らずに言い放った。

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