悪魔の襲撃

 「帰っちゃったみたいね」


 しばらくの沈黙の後、カノンがぽつりと言った。僕は、あぁとかうぅとか不明瞭な相槌を打った。


 「で、どうするのよ?」


 「僕に聞くな。お前こそ、どうするんだよ。自力で自分の世界には帰れないのかよ」


 「できたらとっくにしているわよ」


 寂しそうに肩を落とすカノン。性格は凶暴で貧乳だが、顔立ちは僕の好みに近い。しおらしい表情は、本当に可愛い。


 「ちょっと、何を見ているのよ……」


 僕の視線に気付いたカノンが、ぱっと顔を赤くした。すかさず、カノンの右拳が僕のボディに飛んできた。


 「ふ、二人っきりだからって、変なことをすれば殴るわよ!」


 「殴ってから、言うな……」


 僕は腹を抱え悶絶した。絶対変なことなんてしません。命がいくつあっても足りませんから。


 「で、実際にどうするんだ?お前、この世界で頼れる奴なんていないんだろ?」


 悶絶が収まると、僕は真面目に質問した。カノンも、真面目に考えなければならないことだと理解しているらしく、真剣な目で僕を見返してきた。


 「あるわけないじゃない……」


 「じゃあ、しばらくはここに置いてやる。不本意ながら、僕はお前の創造主らしいからな。生みの親として責任は取る」


 もうこうなっては仕方がない。このままカノンを見放すわけにもいかないし、イルシーが言っていた世界の是正のためにも、カノンが傍にいる方が得策であろう。


 「へ、変なことしないでしょうね……」


 カノンとしても、背に腹は代えられないはずだ。そんなことを言いながら、ちょっとだけ安堵の表情が読み取れた。


 「しないしない。貧乳はステータスだ、なんて言う奴もいるが、僕にはそんな趣味はない。大平原よりも、切り立った山脈のほうが……」


 「意味分かんないけど、馬鹿にされているのは確かみたいね。蹴ってもいい?」


 ベッドの上で立ち上がり、ファイティングポーズをとるカノン。


 ピンポ~ン。


 緊迫した場面に、えらく間の抜けたチャイム音がした。気をそがれたカノンが構えていた拳を下ろした。チャイムを押した奴、グッジョブだ。


 「何?今の音」


 「チャイムだよ。誰か来たんだ」


 宅配かな、と思って窓越しから玄関を見る。一気に血の気が引いた。慌ててカーテンを閉める。


 「ちょ、ちょっと!どうしたのよ」


 「あ、悪魔だ。悪魔の襲来だ……」


 僕は、身震いした。そういえばあの悪魔。時たま幼馴染気取りで、晩御飯を作りに来ただの、一緒に宿題をしようだのと押しかけてくるのだ。すっかり忘れていた。


 「悪魔?ひょっとして魔王の手先?」


 違う違う。ある意味、魔王の手先よりもたちが悪い。


 「打って出ましょう、シュンスケ」


 しれっと呼び捨てにされたが、今はそんなことはどうでもいい。あの悪魔が退散させることの方が先決だ。


 「静かにしていろ、カノン。あれはこっちの悪魔だ。だから、こっちの流儀で退治する」


 「なんだ。私の世界の悪魔じゃないのか」


 つまらなそうに口を噤むカノン。よしよし。そのまま黙っておいてくれ。


 『それだけじゃ、つまらない。だって素敵なファンタジー~♪』


 突如として机の上に置いてあった携帯電話が鳴り始めた。ちなみに着信音は、『執事とメイドのあれやこれ』のオープニングテーマ『恋してダンディー』である。


 「わっ!何!あの箱、歌いだした!」


 「黙ってろ!」


 興奮するカノンを押さえつけ、僕は携帯電話に手を伸ばす。着信画面を見ると『楠木美緒』の文字が。


 「無視だ。無視」


 僕は机の上に携帯電話を戻した。このまま美緒が諦めるか、留守番電話サービスに切り替わるのを待つしかない。


 「ねぇねぇ。あれってどういう原理なの?」


 携帯電話に興味津々のカノン。携帯電話を取ろうとするが、僕は手首を掴んで制した。


 「さ、触らないでよ!変なことしないって言ったのに!」


 「馬鹿!お前に精密機械はまだ早い!」


 掴まれた手首を振り払おうとするカノン。しかし、今回ばかりは僕も負けられない。カノンの手首を握る力が自然と強くなった。


 「イタッ!痛いわよ。見掛けによらず馬鹿力ね」


 「お前が言うな。大人しくしていたら、離してやるよ」


 大人しくするわよ、とカノンが言ったので、僕は手首を離した。しょんぼりとしながらも、視線は携帯電話に向かっていた。そんなに気になるのか?


 「ほらよ。見るだけだからな。ボタンとか触るなよ」


 着信音が止まったので、僕は携帯電話をカノンに渡した。カノンは嬉しそうに受け取った。


 するとすぐさま、また着信音が鳴り始めた。カーテンの隙間から覗き見ると、美緒がまだ玄関にいて携帯電話を耳に当てている。もうストーカーとして通報してもいいレベルだろ。


 僕はカノンに目配せをした。勿論、携帯電話を返せと合図したつもりなのだが、こともあろうかカノンは、通話ボタンを押しやがったのだ。


 「わ~!!馬鹿!」


 「だ、だって!綺麗に光っていたんだもん!」


 慌てふためき携帯電話を突き返すカノン。光っていたからって、カラスかお前は。


 『俊助~。いるんだ。開けてよ。ご飯作ってあげるから。さっきカーテンから覗いているのを見えたよ~』


 スピーカーから美緒の声が聞こえる。まずい。もう誤魔化しがきかない!


 「もう出てあげたら」


 微塵にも悪いとは思っていない様子のカノン。女の子じゃなければ本当に殴ってやりたいぐらいだ。


 『あれ?今、女の子の声が聞こえたけど……』


 「あ、開けるから!待ってろ!」


 僕は捲くし立てて喋ると、電話を切った。


 「ご、ごめん。あいつ、悪魔なんだっけ?女性だから油断していた」


 「もういい。こうなったら対決するしかない。カノン。お前は隠れていろ」


 「え?私も協力するわ。またシュンスケが魔法を使えるようにしてくれれば……」


 「違うんだ。カノン。あの悪魔は僕の宿敵なんだ。だから、僕一人で倒さないといけない。お前にも分かるはずだ。宿敵のレイシュビーとの決戦も、お前は一騎打ちを望んだだろ?」


 「そ、それもそうね」


 納得してくれたカノン。一騎打ちネタを入れておいてよかった。


 「お前はここでじっとしていろ。物音一つ立てるな。いいな」


 「うん。分かった。勝負に集中したいもんね」


 カノンが頑張れっと言わんばかりに親指を立てる。そういうのはいいから、本当にじっとしておいてくれよ。


 僕は1階に下り、玄関を開けた。そこには買い物袋を両手に持って仁王立ちする美緒がいた。


 「ひどいよ、俊助。居留守するなんて」


 「悪い悪い。アニメ見ていて……。さっきの女の子の声も、アニメの声だよ」


 ひどく言い訳がましい台詞だと思ったが、美緒は疑う様子もなく、さも当然のように靴を脱いで家にあがった。


 「またアニメ?いい年なんだから、いい加減にやめなさいよ」


 「嫌だ。アニメが見られないのなら出家する。それに僕が何を見ようが、お前には関係ない」


 「関係なくないもん」


 美緒は呟きながら迷うことなく台所に向かった。


 「秋穂ちゃん。心配しているよ」


 「お前、秋穂と連絡取り合っているのか?」


 「そうよ。メル友だよ」


 秋穂は僕の妹だ。両親に付いて行き、今は海外にいる。どういうわけか、秋穂は美緒と仲が良いらしく、ことあるごとに僕からアニメを取り上げようとする。


 「秋穂ちゃん。お兄ちゃんがメール返してくれないって愚痴っていたわよ」


 「返しているわ」


 秋穂は毎日、必ず最低一通は電子メールをよこしてくる。それに対して僕は、週に一回程度しか返していない。確かそんなことを恨みがましく書いてあるメールもあった。


 「俊助。そろそろアニメを卒業したら?もっと現実的な趣味を持とうよ。ほら、陸上部に入らない?」


 美緒はどういう了見か、自分が所属している陸上部に勧誘してくる。このことは以前に触れた。だが、断じて運動系の部活に入るつもりはない。


 「今更入ったところで、クラブの中で浮くだけだろ?嫌なんだよ、そういうの」


 「大丈夫だよ。幼馴染の私がいるし」


 「だから、お前は幼馴染じゃない!」


 そういういつもどおりの会話をしながらも、美緒はてきぱきと料理をしていく。アニメやゲームでは美緒のようなボーイッシュキャラは、料理が下手で、鍋を爆発させるというのがセオリーだ。


 しかし、美緒は料理が上手で、僕がなんだかんだ言いながらも美緒を家に入れているのは、この料理のうまさに惹かれているからだった。


 「ほらほら、今日はカレーだよ」


 つんとしたスパイシーな香りが鼻腔を突く。美味いんだよな、美緒のカレー。


 ドン!


 二階から床を踏み音が聞こえた。スパイシーな香りに緊張が緩んでいた僕は、その音が何なのかすぐには理解できなかった。


 「あれ?上に誰かいるの?」


 天井を見上げる美緒。その時になって僕は、事の重大さに気がついた。


 「だ、誰もいないぞ!」


 この時の僕は明らかに動揺していた。声が上ずり、異常なまでの発汗をしていた。それでも自分のことを冷静だと思っていたのだから、かなり動揺していたのだろう。


 案の定、流石に訝しげに僕に視線をくれる美緒。


 「誰かいるんでしょう?」


 「いないぞ。あれだ。家鳴りだ。妖怪家鳴り」


 「もうちょっとマシな嘘をつくと思ったんだけど、とことん二次元な発想なのね」


 美緒がカレーを煮込んでいた鍋の火を止めた。


 「何をするつもりだ」


 「何って、見に行くのよ。俊助の部屋を」


 「ふ、ふざけるな!どういう権利があってそんなことする!」


 「秋穂ちゃん経由で、ご両親にも言われているのよ。俊助が不純異性交遊していないかチェックしておいてって」


 美緒の奴、両親にも取り入っていたのか。恐ろしい悪魔だ。


 しかし、僕の部屋は、この世に残された最後の聖域。度々我が家に侵略してくる秋穂の魔の手から守り続けているユートピアである。それにカノンもいる。これは断固阻止せねば。


 「へ、部屋は汚いから駄目だ!」


 「じゃあ掃除してあげる」


 「部屋には悪霊が……」


 「大丈夫。私、そういうの信じていないから」


 ああ言えばこう言う。美緒も一歩も引きそうになかった。


 この間も、カノンが床を踏み鳴らす音は消えない。


 「と、兎に角、待っていろよ!」


 僕は猛ダッシュで二階へあがった。部屋に飛び込み鍵を閉める。


 「おい!何をしている」


 「いい匂いがする。食べ物でしょう?お腹減った!」


 カノンが腹をすかせた小学生のような要求をしてきた。居候のくせに飯の要求だと?こいつ、状況が分かっているのか。


 「後でちゃんと食わしてやる。それよりも大人しくしていろ」


 「……。分かった」


 納得はしていないようすだったが、居候という身分を弁えているのだろう。渋々といった感じで了承した。


 「俊助!誰かいるんでしょう?開けてよ」


 一件落着していなかった。美緒がすでに部屋の前で来ていて、がちゃがちゃとドアノブを回してくる。まずい。もう中に入る気満々だ。


 「か、隠れろ!」


 僕はクローゼットを指差し、小声でカノンに指示した。カノンは戸惑いの表情を見せたものの、大人しくクローゼットの中に隠れた。


 「俊助!」


 「わ、分かった!今開ける」


 僕は観念して鍵を開けた。ついに僕の聖域が侵される時がしてしまった。


 「ふ~ん。相変わらず綺麗にしているじゃない。何が汚いよ」


 「整理整頓が好きなんだよ……。っておい!相変わらずって、どういう意味だ」


 「こっそり入って写真を撮ったりしていたのよ、秋穂ちゃんに頼まれて。ちゃんと綺麗にしているか、変な女連れ込んでいないか確認したいって」


 すでに僕の聖域は、知らぬ間に侵されていたらしい。それにしても秋穂の奴、どれだけ兄を信用していないんだ。


 「ほれ。誰もいないだろ?さぁ、さっさとカレー食おうぜ。腹が減ったよ」


 美緒は何も応えず、部屋の中を見渡す。名探偵が犯罪の証拠を探しているような鋭く真剣な眼差しである。


 「また、こんなポスターを貼って……」


 美緒がまず気付いたのは、ベッドの脇に貼ってある『メイドと執事のあれやこれ』の雪平なぎさの特大ポスターである。着崩れしたメイド服姿のなぎさが、扇情的な視線を送っている。こんな状況でも興奮してくるお気に入りのポスターだ。


 「またDVDも増えているし」


 美緒のターゲットがDVDの詰まった棚に移った。生活費を削って購入している大切なコレクション達だ。しかも、今はいい目くらましになってくれている。


 「あとは、エッチな本か……」


 「ちょっと待って!なんだ、僕の部屋をチェックする項目でも決まっているのか!」


 僕の抗議などお構いなしにベッドの下を覗き込む美緒。馬鹿め。今時そんなところにエロ本を隠している奴なんているはずない。


 「ない……」


 「そんなものあるはずないじゃないか。ささ、カレー食おうぜ、カレー」


 「それもそうね。私もお腹減っちゃった」


 おお、諦めてくれた。心の中でガッツポーズをしていると、


 「と、見せかけて。クローゼット!」


 美緒は、短距離ランナーらしい瞬発力で、部屋を出ようとする動作から一転、クローゼットの前まで跳躍した。突然の行動だったので、僕はまるで動くことができなかった。


 美緒が開けたクローゼットの中にカノンがいたことは言うまでもなかった。

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